第179話 水は高きより低きに流れ


 大陸が西の方から初夏の気候に包まれていく頃、教会と新人類連合との戦いは驚くほど短い期間で終結した。


 それもただ単に終わったわけではない。


 誰もが抱いた予想を覆す形――新人類連合側の勝利で終わったのだ。


 教会が派遣した討伐軍は、“無敵の新兵器ワイバーン”を全騎喪失したばかりか、地上軍への大打撃と本陣への空からの殴り込みヘリボーンを受けて降伏した。


 人類最大勢力と呼ばれ、実質的にも多大なる影響を有している以上、敗北によって一転“品定め”される側に回るのは避けられないだろう。


「当時のヒト族にとって、亜人デミを含む勢力に敗北するなど悪夢でしかなかった。にもかかわらず、この時点でまともな対応を取れた者が驚くほど限られていた」


 後世の歴史学者がそう評するように、事態を深刻に捉えている者はほぼ存在しなかった。


 それはひと言で言えば、に尽きる。


 顛末てんまつはさておきとして、教会の規模からすればこの程度の損害は痛痒にも感じない。

 失った戦力を見ても、対魔族戦線で日々戦う精鋭軍に比べれば格段に劣る中小国の軍隊と、ろくな指揮経験もない僧兵指揮官の“有り合わせ戦力”だった。


 ワイバーンの喪失は大きな波紋を呼ぶかもしれないが、両軍同士のぶつかり合う戦場の真っ只中で撃墜されていないため、情報が伝わるには相応の時間がかかる。


 敗北の報を受けた本部では「ククク、ヤツらは討伐軍の中でも最弱の存在……」などと慢心している頃だろう。


 本命の魔族戦線で敗北を喫していないゆえに彼らは気付かない。

 いや、気付けない。


 今この瞬間もし続ける“鋼鉄の猛毒”の存在に。

 知らぬ間に失墜しつつある己の権威に。


 深刻なのは後者だろう。

 教会は何ら痛みを感じておらずとも俗世は違う。

 彼らの目には“近年稀に見る大敗北”として映っていた。


 ここ数年、対魔族戦線に大きな動きがないため、関係者以外は戦果の報からも遠ざけられていた。

 諸国の余計な政治的駆け引きに使われぬよう教会が情報を統制しているからなのだが、ここに大きな問題が内在していた。


 そう、情報を管理している側の認識が常に正しいとは限らないのだ。


「所詮、東など古臭い国か中小国、あとは亜人デミが住まうひなの地」


 教会上層部世界の中心の大半が抱く認識はこの程度のものだった。


 今回の場合、これまで情報を遮断していたことが、あらゆる面で敗北の意味合いを理解する妨げとなってしまった。


「東の連中に負けるなんて、教会は本当に大丈夫なのか?」


 少なからぬ人間がこう考えた。

 皮肉にも人類の命運一切を教会に任せておくことに疑念を抱く契機となってしまったのだ。


 様々な面で痛みに鈍感な――巨大な組織となってしまったがために、教会がそうした流れを理解するのは、今しばらく先の話となりそうだった。




「まさか勝つなんてなぁ……」


 王都ヴェンネンティアは日増しに賑わいを取り戻していた。

 そればかりか、このまま最盛期を超えんばかりに賑わっている。


 そんな街の喧騒の中でひとりの商人がつぶやいた。


 この言葉こそ、それぞれ立場や身分は違えど、大陸に住まう者の多くが抱いた感情と言っても過言ではないだろう。


「なぁに言ってんだよ。敗けたらとんでもないことになってただろ。俺たちは大博打に張った側なんだぞ?」


 近くに座っていた同業者が呆れたような声を上げた。


 もっとも、それは心底からの感情ではない。

 多少の差はあっても、彼もまた同じ思いを有していたからだ。


「まったくだ。勝ってくれたおかげで儲けられている。それでいいじゃないか」


 他の商人が陶杯を口に運びながら上機嫌に同意した。


 ここは王都の商業街に最近作られた飲食店だ。

 今日は外部からやって来た商会関係者で、昼食を兼ねた意見交換の場を設けていた。

 運ばれてきた料理の数々は自分たちの知るものとは変わった味をしていた。

 と言っても不味かったのではない。これまでに経験のない美味いものだった。


 それこそ、この地に居着きたくなってしまうほどに。


「逃げ出した連中がいたから余計に稼げた――いや、これからもっと稼げそうか。そう考えたらまつりごとのアレコレなんていちいち考えていられんよ」


 教会の敗北など有り得ないと予想し、稼ぐだけ稼いでヴェストファーレンから離れた商人も多くいた。

 今頃慌てふためいているに違いない。戻って来たとしても、その頃には入り込む隙間などなくなっているはずだ。

 それもまた商売の常である。


「我々は商人だからな。品々が最後に東へ流れようが亜人デミに流れようが我らには関係ない」

「べつに法を犯しているわけでもない。ここで売りきったらそれは立派な稼ぎだ」


 細かいことを気にし始めたら、商売など成り立たなくなる。

 これまでの商慣習では考えられない変化が起きているため、誰もが自身を正当化する言い訳を探していた。


「しかし、不思議なのはヴェストファーレンだ。戦までやったっていうのに、教会への荷留めもしてないのだろう? あれでいいのか?」


 それまで黙っていたひとりが疑問を口にした。


「無意味だと気付いているのさ。売らなくしたところで他からどうにしか買おうとするだけだ」

「ああ。もっと言ったら、


「あぁ、“例の茶葉コイツ”か……」


 ひとりが陶杯を軽く掲げて、周りもそれぞれに頷いた。


 どこからともなく現れた――事情に通じた者は亜人の領域から流れてきていると知っているが――新たな商品である“紅茶”が教会本部で好評を博しているらしい。


 出処が大陸東方くらいは言っているらしいが、自分たちが汚らわしいモノとして迫害してきた亜人たちの作るものとは思いもしていないようだ。


 それほどまでに慢心しているのかもしれない。


「大丈夫なのかねぇ、この大陸は」


 溜め息が漏れた。

 以前なら不用意な発言と咎めたかもしれないが、今は誰もそれに言及しようともしない。


 依然として教会と事を構えることへの忌避感は本能レベルで存在している。それほどまでに大きな存在だったのだ。


「“新人類連合”とやらが教会に勝つくらい大きくなるなら、魔族も倒してもらったらいいんだよ」


 比較的信仰心の薄い者が冗談めいて笑った。


「それもそうか。共倒れさえされなきゃ俺たちには関係ないわな」


 言うまでもなく教会の威信は低下したし、おそらくこれからも低下を続けるだろう。

 誰も口にしないだけで、教会が負けたインパクトはそれほどまでに大きい。


 一度動き出した世界の流れは止まらない。

 あとはそれが更なる混迷を生み出すのか、あるいは新たな秩序へと繋がっていくのか――


 それはまだ誰にもわからなかった。



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