第166話 水の流れる先


 ヴェストファーレン西部、ランツクネヒト辺境伯領の中心部ランツブルクからさらに西へ十kmほど行った場所。

 隣国との間には荒涼としたクロスノク平原が広がっている。

 普段は人々の往来もそれなりで、しかも整備された街道に限られると言っていい。


 そんな場所に今――数千にも上る軍勢が展開していた。


「小隊、遅れるな! 他国が見ているのだぞ!」「貧乏騎士が張り切りやがって……」「メシはまだかぁ?」「ドワーフはホントよく食うなぁ」「あぁ? 熱くて食えない? 戦場で贅沢だな蜥蜴人リザードマンは……」「熱いのは苦手」

「軍の編制は〈パラベラム〉式が便利そうだな」「階級制を貴族がどれだけ受け入れられるかかと……」「爵位に拘泥する者は多いでしょう」「軍を国軍として一括管理する体制に移したい」「反対意見が多いかと」「だがいつまでも領主の私兵では意思の統一が難しくなる」「領主によっては兵の維持費用は削減できますが……」「そもそも金惜しさに軍の体裁を成していないようでは……」


 あちこちから様々な声が聞こえてくる。これだけの人数が集まればちょっとした街ができたような有様だ。


 ヴェストファーレン王国からは騎馬と各種歩兵の混成軍二五〇〇人が中央に、亜人連合DHUの二個大隊(約一〇〇〇人)が南北に分かれ、そして後詰の形で<パラベラム>からは歩兵一個大隊が即時展開できる態勢となっていた。


 教会との交渉決裂から早くも二か月が過ぎようとしている。

 そんな中、〈パラベラム〉のUAV偵察に基づく、この世界では類を見ない軍勢の展開・そして訓練が行われていた。

 動員までの時間も最低限に圧縮でき、兵站への負担も少なく物資潤沢だ。


 これなら〈パラベラム〉が支援するまでもない。もっとも、


「冗談みてぇだよな」


 ヴェストファーレン兵のひとりが髭面の鼻を鳴らしてつぶやいた。


 敵軍が襲来するのはまだ先だとわかっているが、だからと言って緊張を維持できなければ意味がない。

 訓練も兼ねて兵士たちは交代で物見櫓ものみやぐらから西方を警戒していた。


「……なんだよいきなり」


 別の方向を見ていた相棒の兵士が振り返った。

 任務中に話しかけられて鬱陶しいと言わんばかりである。


「そう言うなよ、付き合えって。お前だってわかるだろ? ちょっと前までここらに何があったよ?」


「……まぁ、


 同僚の態度は意図的に無視して兵士が続けると、相棒も話の流れを理解したのか素直に乗ってきた。

 彼は彼でそれなりに手持ち無沙汰ではあったのだ。


 緻密に計算されたスケジュールによって生み出された余裕により、敵地上軍を迎え撃つための砦が作られた。

 ここで出し惜しみをして敗北でもすると、最悪の場合“新人類連合”そのものが崩壊しかねない。

 そのため、五方向等間隔に張り出す形で指揮中枢もレンガ積みの割と立派な建物となっている。

 教会軍を撃退した暁には、ここが新たに西方を睨む軍事拠点となるだろう。


「だろぉ? ホント、が味方になっちまったもんだぜ……」


 辺りを見渡した髭面の兵士から様々な感情が入り混じった溜め息が漏れた。


「おまえが言いたいのは、亜人デミじゃなくて東方からやって来た連中のことか?」


「亜人はまぁ……。珍しいことを除けば特に驚くようなことでもないだろ」


 少しだけ考えた結果、髭面の物言いは迂遠なものになった。


 憲兵MPに差別発言と取られると、どんな処分を受けるかわからない。

 これは人道的見地からだけではなく、軍の士気・規律を保つためだった。


 亜人たちの士気が低下するのはもってのほかだが、そうしなければ士気を保てないヒトの軍であってもいけないためだ。

 当然、差別された側が虚偽の申告をした場合も罰則がある。妙な権益にしないためだ。この辺りは地球での反省から慎重に動くべき案件だった。


「そりゃあたしかに……」


 相棒も異論はないらしく素直に頷いた。

 こちらは余計なこと言わないよう殊更に気を付けていた。


 いや、それよりも今は〈パラベラム〉を名乗る集団の話だ。


「あんな簡単に縄張りをしてどうするかと思ったら、どっかから持ち込んだ板みたいなヤツで防壁を作っちまったじゃねぇか」


「あー、あれか。最初は天幕でも組み立てるのかと思ったけど、まさかあんな風になるなんてなぁ」


 不思議に思っていた時間も長くは続かず、どこからか連れて来た鉄の魔物のようなもので瞬く間に仕上げをして分厚い防壁を築き上げてしまった。

 彼らはそれがへスコ防壁と呼ばれる大型土嚢の一種であるとは知らない。


「王都の城壁ほど立派じゃねぇが……。中身はそのへんの土だって言うんだから不思議だよなぁ」


「まぁ、見てくれなんてどうでもいいんだよ。地面がそれだけ盛り上がったと考えれば丈夫なのも理解はできる。なんで燃えないのかまではわからんが」


「燃えないってのも良し悪しだろ。あれじゃ簡単に乗り越えられちまいそうだし、取り付かれたら追い払えないんじゃねぇか?」


 兵卒ながらにこれまで厳しい訓練を受けてきた自負はあるらしく、己の抱く軍事論を交わし合うふたり。


 人間の背丈よりも幾分か高い程度なので足止めには使えそうだが、大軍に取り付かれてしまえばおそらく簡単に突破されてしまう。

 そこを髭面の兵士は気にしたらしい。


「いや、どうだろうな。それはあくまで辿? 敵兵にとって一番恐ろしいのは防壁じゃねぇ」


「……あぁたしかに。ありゃあえげつねぇ。気の毒になるくらいだ」


 防壁がもっとも防ぎたいのは魔法の水平投射対策であって、兵の足止めが目的ではない。

 見えない向こう側を攻撃することはできても、視界が遮られていたら肝心の戦果を確認することができないからだ。これではまともに戦えはしない。


 では内部に侵入するため近付こうとすると――


「本命は手前の柵と鉄の茨を張り巡らせた一帯だろ。おまえ、アレに突っ込めるか?」


 そう、ヘスコ防壁の前には鉄骨を組んだ馬防柵と有刺鉄線を張り巡らせたエリアが待ち構えている。


「俺なら逃げるね。あれじゃあ騎馬突撃でも勢いを殺がれちまうし、歩兵に至っては死体でも乗せなきゃどうしようもねぇ」


 そうは言っても自分がその死体になるのは御免だった。

 祖国に身を捧げる? 友軍が進撃するために死んで踏まれるなんて冗談ではない。


「おまえも見たろ? 疑うバカが剣で切ろうとしたけど、ピンと張って何度か斬ってようやく切断できただけじゃねぇか」


 そもそも戦の中、悠長に剣を振るっている暇などあるわけもない。


「ただなぁ……」


 不意に髭面は言い淀んだ。


「なんだ、不満でもあるのか?」


 相棒の微妙な気配を感じ取った。


「今言っても仕方ないけどよぉ……。教会相手に戦するなんて、うちの国もとんでもねぇことすると思ってな……」


「まぁ、世界が敵に回るようなもんだな」


 相棒も頬を掻く。

 ひとたび意識すると、心の底に押し込めた緊張や不安が浮かび上がってくるのだ。


「……もちろん、出世の好機だとは思うぜ?」


「本音は隠さないのかよ。もう少し格好いいこと言えよな」


 相棒は笑う。不安を隠すにはこれが一番だ。


 たしかにチャンスではある。

 だが、それも死ななければの話。そこは髭面の兵士もわかっているはずだ。

 戦の前にそんなことは口に出さない。縁起が悪いからだ。


「そりゃそうだ。毎日毎日訓練訓練、飯には困らなかったが、兵士になったのはそんなもんのためじゃねぇ。冒険者にはならずに済んだんだ。いつかは叙爵だろ」


「夢は大きくってか。……まぁ、今はしっかり見張りをしようぜ」


 地平線を見据える兵士たち。彼らの運命を左右する分水嶺は――すぐそこまで迫っていた。

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