第163話 招かれざる客
「何の連絡も寄越さないで! 心配したのよ!?」
足早に駆け寄ったカテリーナはクリスティーナの手を握って語りかけた。
そこには当代聖女としての威厳はなく、また奔放なカテリーナの姿もなく、ただただ純粋に教え子を案ずる師の姿があった。
微妙にオカンのように見えた気もするがきっと気のせいである。
さすがに今回ばかりは空気を読んで護衛――特にロミルダは無表情に徹している。
ゾーエも無表情のまま心中で相棒が暴走しなかったことに安堵の溜め息を漏らした。
「カテリーナ様、この度はご心配・ご迷惑をおかけいたしました」
クリスティーナは深々と頭を下げた。
親族を除けば“い”の一番に知らせるべき相手に不義理をしていたとなればこうなっても無理はない。
「止してちょうだい! 心配はしたけれど迷惑なんてかかっていないわ。それよりも本当に無事でよかった……」
カテリーナは心からの安堵を見せた。
事態がここまで悪化していなければ感動の再会となっていたかもしれない。
「危ないところでしたが、彼らに助けていただきましたので。そうでなければ今頃どうなっていたか……」
そう言ってクリスティーナは隣に控える青年――ロバートに視線を送った。
カテリーナもそれに倣う。
エリックとはまた趣が少々異なるが見事な衣装――海兵隊の礼服に身を包んだ青年の姿に溜め息が漏れそうになった。
常日頃から鍛えているだけあって引き締まった身体付きをしている。
だが、カテリーナが注視したのはそこではなく、こちらを向く彼の目だった。
――力強い。
彼らは異界から来た、この世界に寄る辺のなき者のはずだ。
にもかかわらず、双眸は強い意志に満ちている。
そしてすぐに気付く。
クリスティーナの視線が“命の恩人”に向けるものだけではないことに。
「あなたが……」
浮かんできた言葉はいくつもあったが、結局は様々な感情の混ざった迂遠な言葉となってしまった。
「今現在の上司は
ロバートは深々と一礼した。
あくまで非公式な場だからできることだ。
カテリーナもそれは理解している。
この青年は自分に対して単に“筋”を通したに過ぎない。
「謝る必要などどうしてございましょう」
カテリーナはそっと首を振った。
「聞くところによれば、あなたがたは魔族の策から人類を、そして醜い企みから教え子を救ってくださった方々です。同時に教会の醜い権力争いに巻き込まれた被害者でもあります。わたくしごときが責任を取れるものではありませんが……」
護衛が政治的にニュートラルでなければとても言えなかった言葉だ。
それでもカテリーナは“英雄”という言葉を使うのだけは避けていた。
当代聖女をしてもまだ掴みあぐねているのだ。
彼らが本当に“魔王”でないか――その確証が持てないでいた。
「たとえ個人のお言葉でも、当代聖女殿よりそう仰っていただけますと幾分か救われた思いになれます」
ロバートは微笑んで見せた。
腹の内はどうであれ――いや、媚びも
「……やはり、戦わねばなりませんか」
承知した上でカテリーナは問いかけた。
使者を前にすべての要求を、いや、要求をする以前の段階で突っ撥ねたのだ。今更
答えはわかっていたが、彼女の立場から問わずにはいられなかった。
素直に惜しいと思ったのだ。
このような強い意思と、それを押し通せるだけの力を持つ存在を、どうして教会は敵に回そうというのか。
「残念ながら、教会とは政治的に折り合いがつきませんでした。国家の独立を保つためにも、民の尊厳を守るためにも、降りかかる火の粉は払わねばなりません」
ここでエリックが言葉を引き継いだ。
カテリーナがどんな想いで口にしたかも彼はわかっていた。
「言わば面子のため。それを理由に人類最大勢力を敵に回されるおつもりですか?」
カテリーナは尚も問いを続ける。
彼らの本当の思惑を知っておきたかった。
闘争を好むような手合いであれば人類にとって脅威となりかねない。それを知りたかった。
「十分な理由でしょう。でなければ個人や組織の思惑で動く――いわば無法が罷り通る世になってしまいます。教会が秩序を担うに相応しくないのであれば、新たなそれを築き上げなければならない」
淡々と答えるエリックの表情は微動だにしない。「故あれば世界をひっくり返す」と言っているに等しいが、同時にその責任も自分が負うと態度で告げていた。
「相手が聞く耳を持たないのであれば猶更のこと。一戦交えねば相互理解もままならないというのは知性を持つ生物として寂しくもありますが」
続けたエリックはそっと立ち上がってベルを鳴らす。
「いずれにせよ、この戦いの犠牲となる者すべての魂が救われんことを祈るだけです」
そこで代わりの酒瓶を持った給仕が入ってくる。先ほどまでとは別の女だった。
護衛の少女ふたりはわずかながら違和感を覚えた。
――この宿は機密保持のためにローテーションでも組んでいるのだろうか?
淡々と迷いのない動きをしているため見ていて不安はないが、カテリーナに対して粗相でもあれば心穏やかではいられない。
「もっとも、個人として偽らざる本音を申し上げるとすれば――」
用意された酒は現地のものらしい。
瓶を持ったエリックは慣れた手つきで栓を抜くと、自ら杯に注ぎカテリーナの下に運んでいく。
「自分たちの思い通りに世界を回せると思っている、あるいは邪魔な存在は消せばいいと考えている意識が気に入らない」
テーブルに杯を置こうとする中、エリックが動かした視線の先には給仕の女がいた。
一瞬、視線と視線が交差する。
「――なぁそうだろう? 毒殺とは物好きな依頼主がいたもんだな」
語りかけた瞬間、淡々と仕事をこなすための無表情にプロの殺気が混じった。
「曲者!」
ロミルダとゾーエが動くより速く、翻った両腕の袖口から銀の煌めきが見えた。
空気を切り裂いて飛び出したのは投擲用の短剣。
しかも器用に四本、実に手慣れている。
エリックは護衛よりも速くカテリーナとの間に割り込むと、両手に持ったグラスで危険な軌道を描いていた二本の向きを逸らした。
残る二本はロミルダとゾーエが自身の短剣を引き抜いて弾く。
――さらっと無茶苦茶なことしてない!?
ロミルダとゾーエが目を真ん丸に見開いていた。
自分たちの奇襲を難なく阻止したこともそうだが、何か根本的なところからおかしい。
「果断だな。ダメだと見るや畳みかけてくる」
襲撃を受けながらも微動だにしないエリックは感心したように声を漏らした。
「……!」
結果を見届けるより早く、暗殺者はロングスカートの中から短剣を引き抜いていた。
いったいどれだけの仕込みをしているのか。
まさしく必殺を期した布陣だった。相手に〈パラベラム〉さえいなければ。
「しかし参ったな。さすがにグラスじゃ剣のお相手はできそうにない」
苦笑を浮かべるエリックに、暗殺者は無表情の仮面の下でほくそ笑んだ。
一番厄介そうな相手は武器を持っていない。見たところ護衛のふたりなら倒せなくもなさそうだ。
目標を仕留めるべく今一歩踏み出そうとしたその瞬間だった。
「だから――あとは任せる」
言葉と共にドアが蹴破られた。
何事かと視線が向く中、コックコート姿の人影が飛び込んでくる。
刀ではなく古びた両手剣を持つ将斗だった。廊下に飾ってあったものを拝借して来たのだろう。
不意の闖入者が放つ刃の一撃を反転した女暗殺者は受け止める。
これで手は封じた――かに見えた。
「……ッ!」
将斗の背筋に悪寒が走る。
――いきなりかよ!
「魔法攻撃!来ます!」
将斗は迷わず叫んだ。ほとんど“勘”だった。
これはクリスティーナに攻撃魔法を見せてもらった時や、王城突入戦の時に感じたものに近い。
彼は相手が片手だけで無理矢理斬撃を受け止めた理由を即座に理解した。
このまま押し切るか逡巡する中、女暗殺者は迷わず後方へ大きく飛んだ。
そして、その際すでに練り上げられていた魔力の光球が地面に放り投げられる。
「フレシェット弾です!」
それまで黙っていたミリアが叫んだ。かつてない声色だった。
「伏せろ!」
顔色を悪くしたジェームズが叫び、首根っこを掴まれたミリアがテーブルの下に引っ張り込まれる。
「全員テーブルの下に!」
もっとも敵の近くにいた将斗は叫ぶと同時に地面を蹴り、追撃ではなく光球への対処を選んだ。
相手が素直に引いたのは、自身も巻き込まれるからだ。
――コイツにはそれだけの威力がある!
サブカルに触れていただけに将斗はファンタジー世界を侮らなかった。
輝きが白くなりつつあった光球を、将斗は足で掬い上げるように天井目がけて蹴り上げる。
安全靴を履いていてよかった。表面の合皮が瞬く間に溶けてしまったのが爪先への感覚でわかった。
「ま、魔法を蹴ったぁ!?」
「バカ野郎! 驚いてる暇があったら隠れろ! 死ぬぞ!」
姿勢を強引に変えた将斗が驚きを発したままのゾーエを抱き留めるようにカートの陰へと引っ張り込む。
近くにいたロミルダはエリックが蹴り飛ばし、最後にカテリーナに覆い被さるようにテーブルの下に飛び込んだ。
次の瞬間、天井にめり込んでいた光球が破裂した。
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