第162話 再会


 エリックの微妙な冗談のせいで若干妙な空気が流れた。


「では――はじめからすべてご存じでいらしたのでしょうか?」


 間が空いてしまう前にカテリーナは切り込んだ。

 今更かもしれないが、会話のペースを全面的に握られるわけにはいかなかった。


 ただ、急ぐあまりいささか抽象的な訊き方になってしまったとは思う。


「まさか。我々が知り得ることなど限られています」


 対するエリックはそっと両手を軽く上げた。

 まるで「必要以上に警戒しないで欲しい」と言わんばかりだ。


「ただ、何らかの目的があってとは思っていました。当代聖女殿が直接動かれるなど只事ではありません。部下のジェームズを派遣し、そしてこの場を設けさせていただいたのはそのためです」


 エリックはそう答えるとジェームズを見て軽く頷いた。

 若番頭の――おそらくその立場も偽装なのだろう――青年は静かに一礼して部屋を出て行く。


「本当に親睦が目的でしてね。いきなり食事というわけにもいかないでしょうが……」


 しばらくしてドアが開き、戻って来たジェームズに続いて白布の掛けられたサービスカートが押されてくる。

 上には緑色の瓶とガラス杯が並んでいた。


 どういう仕組みになっているのだろう。カテリーナたちの見たことのない道具だった。


「まずは軽く喉を潤しましょう」


 手慣れた様子の給仕によって細長いガラス杯がそれぞれの前に置かれ、それから空気の抜ける音がした。瓶の封を開けたのだ。


「果実酒です。女性にも飲みやすいかと」


 注がれたのは黄金色と錯覚しそうになる美しい液体だった。

 曇りひとつない杯の底からは小さな泡がいくつも立ち上っており、宝石のような優雅さすら感じさせる。


 地球では発泡スパークリングワインの名称で知られる飲み物だ。


「「我々は――」」


「構いません、わたくしが許可します。ご厚意はお受けしなさい」


 辞退しようとするロミルダとゾーエの言葉を遮る形でカテリーナが相伴を命じた。


 相手は魔王とも目される未知の存在だ。「自分たちの感覚で相手を判断しろ」という意図があるのだが、同時に「あなたがたでは護衛の役目はこなせない」と言われたに等しく、一瞬ふたりの表情に悔しさが滲み出る。


 ――プライドを傷付けたみたいだな。


 エリックはそう思うも、あそこで気付かないふりをすれば「ノコノコ出て来たバカ」と侮られて終わったに違いない。

 それに、今になって安易に触れれば彼女たちは余計に惨めな思いをすることになる。


 満点の答えなど存在しない。考え始めるとキリがないので、今は話を進めることを優先する。 


「では、この出会いが良き未来に繋がらんことを」


 乾杯の習慣はないらしいのでグラスを軽く掲げるだけに留めた。

 相手側も戸惑うことなくそれに倣ったので特に妙な動きではないようだ。


「これは――味わったことのないお酒です……」


 液体を口に含みしばらくして嚥下すると、カテリーナはほうっと溜め息を漏らした。


「いえ、言葉が陳腐でした。口の中から鼻腔へと抜ける豊かな香りで適度な酸味、それと口の中に広がる刺激が素晴らしいですわ」


 失礼にならなかったかと慌てて言い直す。

 紅茶といい、新たにもたらされる物には驚かされてばかりだ。


 ロミルダとゾーエのふたりも護衛の立場があるため味見程度だが、口にした未知の味わいに驚いているようだった。


「これも東方領域で育つ果実から作ったものでしょうか?」


「ああ、モレッティ大司教からお聞きになられましたか。そのようなものです。いずれは東方からの品物としてお届けできることでしょう」


 ――まさか……。


 エリックの言葉を受けたカテリーナは“ある予測”に辿り着いた。


 フランシスでの召喚事件から計算すると、彼らがこの世界にやって来てからまだ一年にも満たないはずだ。

 その期間で瓶も含めてこのようなものが作れるのだろうか?


 いや、間違いなく不可能だ。


 ――おそらく、


 浮かび上がったのはとんでもない仮説だった。

 教会本部で口にしようものならおかしくなったと思われるかもしれない。自分でもそう思う。


 しかし、自身の“勘”が心の底で叫んでいた。「絶対に常識で測るな。見誤るぞ」と。


「それは楽しみですわ」


 すべての感情を封じ込めてカテリーナは微笑んだ。

 ここで馬鹿正直に問いかけても答えてはくれないだろう。自分の目的も明らかにしていない以上、敵側サイドの要人でしかない。


 自分も札を切る必要がある。そう覚悟を決めた。


「遅れ馳せながらあらためて名乗らせていただきたく。わたくしはカテリーナ・ミネール・インフォンティーノ。聖剣教会にて当代聖女を務めております」


「ご高名はかねてより。教皇聖下にも近しいお立場の方にお会いできるとは光栄に存じます」


 微笑を浮かべて答えるエリック。その言動からは深い知性と教養が感じられた。

 蛮族扱いしていた若い僧侶たちの目は節穴だったのではないかとカテリーナたちをしてそう思わせるほどだ。


「さて、聖女殿のお立場を考慮しますと、教会本部を離れ東方までお越しになるのは並大抵のことでないと推察いたしますが……」


 エリックは続いて語りかけた。

 先ほどの繰り返しとはなるが、これも相手が話しやすいよう促すためのものだった。


「わたくしはあくまでも教会における象徴の立場。多少の治癒魔法が行使できるに過ぎません」


「ご謙遜を。人類の守護者としての一翼を担っておられるでしょうに」

 

 聖女は時として戦場へ向かい、傷付いた兵士たちを癒す存在とされている。

 これは遥か昔に勇者と共に旅をして魔族と戦った名残だという。

 魔力の消耗も大きいため、普段は治癒能力に優れた聖女候補たちが受け持っているらしいが、やはり当代聖女が行うのとでは治癒の効果と士気への影響が大きく異なるとのことだ。


「これはあくまでもわたくし個人の見解となりますが――」


 教会の総意と受け取られないようカテリーナはそう前置きした。

 すでに使者が大騒ぎした後なので今更総意と勘違いすることなどありえないが、普段の習慣的な物言いなのだろう。


「正直に申し上げれば、対魔族戦線が存在する以上、人類同士で争っている場合ではないと思っております」


 エリックは思わず拍手をしたくなった。


 まったくもってカテリーナの言っていることは道理である。

 このように理性的な者が使者になっていれば、事態はここまで深刻化しなかった可能性もある。


 もっとも、それは様々な意思が絡み合った結果として望まれなかったようだが。


「にもかかわらず、新たな戦が起ころうとしている。その原因は何か。また戦以外の手段はないか。それらを求めてこの地に参りました」


 正面から見据える形でカテリーナは覇気のこもった視線を送ってくる。

 欺瞞の類は許さないと言わんばかりだ。


「なるほど。ならばこちらも応えねばなりませんね。この場にはヴェストファーレン執政府の関係者もおりませんので、同じく個人的な意見に留めていただきたいのですが――」


 エリックも前置きをした。

 こちらは精々「公式発言にしなければいい」くらいの感覚であったが。


「我々といたしましては徹頭徹尾進んで争いを求めてはおりません」


 どこまでも穏やかな口調だった。折々に見せて来た冷淡さは微塵もない。


 もしもこの場に使者がいれば本当に同じ人物かと憤慨したかもしれない。

 どこまでも相手の態度に合わせたからであるが、それはさておき。


「すでに聞き及んでいることでしょうがご容赦を。まず、事の発端ですが――」


 教会の使者たちに話した、召喚されてからこれまでの経緯をカテリーナ相手にも説明していく。


「そうですか……」


 聞いている方は相槌を打つので精一杯だった。


 これまでの常識が音を立てて崩壊していく気がした。

 彼女たちとて教会が清廉潔白な存在でないことくらいわかっていた。


 しかし、教会が擁する聖女とその候補者たちは、魔族や魔物と戦う人類にとっての生命線に等しい。

 それを権力争いのために“消費”しようとしたのだ。


「――まぁ、言葉だけで納得できるものでもありません。実際にから事情を聞かれた方がいいでしょう」


 話しがひと段落ついたところでエリックがそう言うとドアが開く。

 精悍な印象を受ける金髪の青年と、その隣にカテリーナにとって懐かしい少女の姿が――


「クリスティーナ……!」


「ご無沙汰しております、カテリーナ様」

 

 当代聖女と聖女候補筆頭――教師と教え子が再会した瞬間でもあった。

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