第161話 出逢ってしまった


「お姉さま、本当に行かれるのですか?」


 馬車に揺られながらロミルダが不服そうな声を上げた。


「そんなにイヤなら残っていても良かったのに。心配だと言うから同行させたのよ?」


 今更引き返すのも手間な段階で言うものではないだろうと思う。


「心配だからこそ『行かない』という選択肢を取ってくれないのかと思うのです」


 意図が伝わっていないと思ったのか、ロミルダの表情の不満度がより高まった。


「いい条件で契約できるのに責任者が出て来ないなんておかしいもの。ここで行かなければ怪しまれるだけよ」


 ちゃんとカバーストーリー通りに動いている。それがカテリーナの主張だった。


 プリッシラと会話したことで自分の中での方針はすでにまとまっている。

 そう考えれば遠慮ない彼女とのやり取りは無駄ではなかった。


「代理を立てても良かったでしょうに。所詮は偽りの身分です」


 そう言われると反論しにくくなるのだが……。


「数日前に入国した責任者よ? 向こうの番頭にも会っているし……。それこそ何のために来たのかって思われるわ」


 後半は二重の意味で偽りない本音だ。敵情視察のためにわざわざ教会本部を抜け出したわけではない。


 もしもこの会食がカテリーナの目的に繋がっていた場合、行かなければ見事な空振りをしでかしたことになる。それだけは避けたい。


「はぁ……。お姉さまはただでさえ目立つので、護衛わたしとしては表に出るのも避けていただきたいのですが……」


 ――そんなに目立つのかしら?


 支店長の身分に恥ずかしくなく、それでいて会食に相応しい格好を選んだ。

 女を感じさせる要素は控えめにしたつもりだが、どうもロミルダからするとそうではないらしい。


「出て行くこと自体は否定しないが、カテリーナ様はもう少し気を付けた方がいいだろう。わたしでもそう思うのだから」


 同じくついて来たゾーエもほとんど同意する声を上げた。


 実際、カテリーナは自身の美貌についてどこか無頓着なところがあった。存在するだけで放つ色香がある。

 それにやられてしまっている者が言うのもおかしな話だが、周りの心配を深めるのだ。





 会食に指定された場所は控えめに見ても高級と呼べる宿だった。

 商会の人間同士が会うにはいささか大仰な場と思えなくもない。


「そういえば……」


 ロビーに入ったところでカテリーナはふと思い出した。


 クリスティーナが騎士団の遠征で使ったという宿の話――さらには教会騎士には各国からの貴族子弟も多いため、あまり下手な場所に泊まらせられないとぼやいていたことも。


 ――やっぱりそうなのかしら。


 カテリーナは意識を引き締めた。


 ロミルダが出迎えた従業員に用件を告げると、女しかいない割にはジロジロ見られることもなく奥に通される。


「東の果てに来たと思ったら……こんな宿があったんですね」


「ヴェストファーレンは中堅国くらいの位置付けだが王室は長い歴史を持つ。王都には来客の身分ごとの宿が設けられているようだな」


 ロミルダが上から目線で感心し、ゾーエが淡々と解説した。


 数人で使うにはずいぶんと余裕のある部屋だった。

 広いだけでなく内装もしっかりしているためVIP用の食堂なのかもしれない。


「座ってましょう。商人ならそんなものでしょうし」


 しばらく座って待っていると、銀髪に細長い眼鏡をかけた青年が入って来た。


 カテリーナと護衛のふたりは椅子から立ち上がる。


「どうも、お待たせして申し訳ありません」


 やや低めの声。

 微笑を浮かべているものの、どこまでも見透かすような切れ長のコバルト色の瞳が見た目の若さにそぐわぬ鋭さを感じさせる。


 身に纏っているのは見事な色合いをした三つボタン段返りのネイビースーツだった。

 引き締まった身体のラインに合うように裁断・縫製された生地は長身に吸い付くように合っており、白のピンストライプが立体的な美しさとスマートさを強調していた。

 そうした名称を知らないカテリーナたちはただただ息を呑むしかない。


 伴っているのは栗色髪でこれまた眼鏡をかけた青年――先日の番頭ジェームズと、水色の髪の女。どちらもそれなりの規模の商会の秘書にいそうな風貌である。


「お目にかかれて光栄ですわ。わたしはカロリーナ・ビストリツァ。新たにヴェンネンティア支店を任された者です」


 カテリーナはにこやかに微笑みかける。


「ようこそお越しくださいました、。私がヴァンハネン商会ヴェンネンティア支店長、エリック・D・マクレイヴンと申します」


 その言葉を聞いた瞬間、カテリーナの思考に衝撃が走った。

 名前を間違えられたと反応することもできなかった。


 ――いや、そもそも。


 自分の記憶違いでなければ、道中の教会で此度の宣戦を布告したと聞いた張本人の名前では――


 当代聖女がそう認識した瞬間、両隣の影が動いていた。


 ロミルダとゾーエだった。

 床を蹴ると同時に、袖口に仕込んでいた細身の短剣を抜き、エリックに向けて瞬く間に距離を詰めている。


 近接魔法戦闘。地球風に言うならCQMCといったところか。


 体内の魔力を爆発的に高めて身体能力を一時的に増幅させる戦闘技術だ。

 戦場では使いどころを選ぶものの、このように彼我の距離が近い場では絶好の先手を取れる聖剣教会が秘匿する技術のひとつだった。


「ちょ――」


 カテリーナが制止の声を上げる間もなかった。

 

 左右から押し迫る銀光を前にエリックは動かない。


 このままでは――


「結構なご挨拶ですね」


 青年の声に変化はなかった。

 もちろん、襲撃を受けたことに気付いていないわけではない。


「そんな……」「加減はしていなかった……」


 ロミルダとゾーエが呻いた。

 繰り出された銀の刃は彼の首筋から数十センチ離れたところで止まっている。


 いや、


「「くっ……!」」


 押そうにも引こうにもびくとも動かない。

 間近に立つ青年の真冬の湖を思わせる双眸が左右を睥睨すると、ロミルダとゾーエのふたりは迷わず柄から手を放し、弾かれたように後方へ飛んでいた。


 まだ手はある。片側の剣を使っただけだ。使用許可さえ取れれば魔法も使える。

 少女ふたりはお互いに視線を交わす。どうやら見立ては同じらしい。


 そう――どれほど手を尽くしても、まるで勝てる気がしなかった。


 当代聖女の護衛を申し付かったからには自身の命など捨てる覚悟はできている。

 ところが、目の前の青年を相手したとして足止めすらできる気がしない。


 残るふたりの戦闘力も未知数だが、まったくの素人と思うのは楽観に過ぎるだろう。

 経験したことがない量の汗が少女たちの背中に浮かび上がってくる。


「連れの者がご無礼をいたしました」


 心拍数が急上昇している中、カテリーナは表情をどうにか固定させて一礼した。

 護衛のふたりは上司の視線を受けてわずかに体勢を緩める。


「構いません。むしろこちらが不用意でした。あなたがたにとって“敵”の首魁が現れれば、護衛として動くのも理解できます。ただ、狙いが明白で――」


 エリックは自身の席へと歩きながら、指で挟んでいた短剣を回転させて柄を掴む。そしてテーブルの上にそっと置いた。


するとわかっていれば、対策はしやすいものです。――おかけください」


 何事もなかったかのように青年は椅子に座り、相手側にも着席を勧めた。


 その瞬間、たしかに空気が弛緩した。

 大半はカテリーナ側の安堵だったが、そこは気付かないふりをするのが大人だ。


「失礼ながら……本当に人間でいらっしゃいますか?」


 椅子に腰を下ろしながらカテリーナは問いかけた。冗談交じえつつも、


「そうした問いは少々心外ですね。お見せするわけにはいきませんが、肌を切れば赤い血が流る人間です。青かったりはしませんよ」


「ぶふっ」


 笑ったのはミリアだけだった。


 ――どうもウケないな……。


 このネタは当面封印した方がよさそうだ。魔族相手にはどうだろうか。

 エリックは密かにそう決意した。

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