第160話 聖女様はお悩み中
「悪くない話だったと思うけど……。でも、ウチに接触してきたのはどういうことかしら……」
形の良いふっくらとした唇から溜め息が漏れた。
商談が終わり、部屋に戻って執務机へ向かうカテリーナはどうすべきか悩んでいた。
「お悩みでいらっしゃいますね」
鈴の鳴るような声と共に
中身は先ほどジェームズから贈られた紅茶だった。
視線を上げるとほっそりとした顔。後ろでくくった臙脂色の長い髪が似合う少女プリシッラだ。
他の騎士団員たちと比べて品があるというわけではないが、カテリーナは溌剌とした可愛さがあると思っている。
「予期しない“仕事”が入ったからよ。支店長なんて肩書にしなければよかったわ」
「ああ、先ほどの……。おかげで良い茶葉が手に入りました」
困ったと溜め息を吐くカテリーナに対して、プリシッラはどこか嬉しそうに見えた。
おそらくつまみ食いならぬ試飲をして気に入ったのだろう。
彼女の役目はカテリーナを含む女性陣の身の回りの世話だ。
ロミルダやゾーエのように護衛扱いではないが、当然ながら百合騎士団に在籍しており戦闘力もけして低いものではない。
そして――政治色が薄い割に知恵が回る。
単純に自分の役目を割り切っているから呑気に見えるだけで、本来はかなり優秀なのだ。
「まるで他人事ね」
「正直に申し上げますとまぁ……。わたしにはどうこう申し上げる権限もありませんし……」
曖昧な言葉に留めているが事実上の肯定だった。「関係ない」に短縮できるものをここまで引き延ばしているのだから大したものだ。
「はっきり言ってくれるわね……」
――べつに気に入らないとかではないけど……。もうちょっとこう敬意とか……。これでも当代聖女なんだから……。
部下の塩対応に愕然としたカテリーナはそう思う。
「……それで、いったい何をお悩みなのですか?」
上司のそこはかとない不満を感じ取ったか、プリシッラはあらためて問いかけてきた。
その際「あーはいはい、仕方ないですね……」と言いたげな空気を発したのはカテリーナの気のせいだと思いたい。
「それがね、エトセリアの商会が業務提携を持ち掛けてきて、ついでに会食でもどうかって話があったの」
気を取り直したカテリーナは昼間の出来事を簡潔に説明していく。
「よくある話ではないかと。他国の商会なのでしょう? 何か気になることでもおありなのです?」
「あまりにも出来過ぎてるって思わない? まだココに来て三日しか経っていないのよ?」
気にし過ぎと言われたらそれまでかもしれないが。
「つまり背後に何かあると。この国の関与をお疑いで?」
打てば響くような反応だった。お茶汲みのような仕事をさせているのが勿体なく感じられる。
「教会の息がかかった商会は各国にいくつもあるわ。元からある程度目星をつけていたのかも」
高度に肥大化・複雑化した組織はいわゆるお布施だけで成り立つものではなく、派閥ごとに独自の資金調達源が存在していた。
ただ、その中でもビストリツァ商会はそれほど大きいものではない。
「この国の防諜力次第ですが、そういった見方であればどの商会がそうか、調べていても不思議ではないですね」
プリッシラは上司の意図を正確に理解していた。
彼女の言う通り、入国の際にはすんなりといったためさほど気にしていなかった。
しかし、よくよく考えてみると近く戦を控えた今その程度で済むとは正直思えない。
捕捉した上で泳がされていた可能性もある。
「やっぱりバレてると見るべきよねぇ……。ロミルダは『
「ロミルダ先輩は案外おバカ――もとい、一度思い込むと融通がきかないところがあるので、参考程度にしておいた方がいいかと。教会と事を構えようとする者の目を簡単に欺けると思うのは侮り過ぎです」
「あなた、結構容赦ないのね……」
「弱小国の木端貴族出身の下っ端は、ついていく相手を間違えると破滅しかありませんので」
「うーん、世知辛い話だわ……」
だが、理解もできる。
それこそ聖女の才能でもないかぎり、尼僧が教会内で出世するために出自は大きな要因となる。
多少剣や魔法が使える程度では、歴史を積み重ねてきた教会の権力構造を塗り替えるには至らない。
これほど能力があるプリシッラの置かれた世話役の立場がその証拠だ。
「今回のカテリーナ様の動きも、わたしとしてはかなりハラハラしていますけども」
「……まぁ、政治的に見れば極めて軽率かつ危険な動きでしょうね。政敵に知られればどうなるかわからないわ」
紅茶を口に運んだカテリーナはそっと瞑目する。
よろしくないことをしている自覚はあった。
ただ、聖女となってから積んできた政治的な経験による“勘”が「動いておくべきだ」と告げていたのだ。
「だから政治的に中立で、カテリーナ様にお熱――もとい、忠実な者を同行者に選んだのですね」
「回答は差し控えるわ。内部抗争の原因になりかねないもの」
「たしかに、当代聖女が痴情のもつれで刃傷沙汰じゃ笑えませんね」
そうなった時、自分にも責任がないわけではなくなるのでカテリーナはスルーした。
ひとつだけ言えるのは刺されるのはご免である。挿――
話が脱線した。
「能力だけで同行者を選ぶなら騎士団幹部でよかったのよ。その方が安全ではあるから」
「まぁ、そういった方々はほとんどが各国の重鎮のご令嬢ですからね……」
いくらか羨望の混じった表情でプリッシラは頷いた。
「逆にそういう政治色のないコだから、お忍び旅にも連れて来られたの。あなたを含めてね」
幹部たちを信頼していないわけではない。立場ある者を動かすのは難しいのだ。
だからギリギリ最低限の護衛戦力しか連れて来ていない。
「教会本部から出る機会は貴重だと思いますが……」
プリッシラは答えるが、本当にそう思っているか怪しいところだった。
なんだかんだと言って宗教施設。下っ端には窮屈な場所だ。
しかし、今回の一軒は公式の使者として同行するわけではない。ましてや戦に突入しつつある国へのお忍びだ。
上昇するのは心拍とストレス指数だけで、気分が良くなろうはずもない。
「……最初の話に戻りますが、もしも向こうからの接触なら渡りに船だと思いますよ。現地の教会には頼れないのでしょう?」
プリッシラは話題を変えた。
さっさと用事を片付けて帰りたい。そんな思いが見えた気がした。
「あそこは本部の放った間者が信徒の
ヴェンネンティアに教会支部は残っているが、カテリーナは同道者たちに接触しないよう言い含めていた。
何のために身分を偽ってまで入国したかわからなくなるからだ。
「であれば猶のこと受けるべきでしょう。元より様子を探り来られたのですから」
プリッシラの声に呆れが混じった。「しっかりしてくれよ」と言っているように聞こえるのは……そろそろ気のせいではなさそうだ。
いざヴェストファーレンまで来たはいいものの、どのようにクリスティーナがいる王城へ接触するかがネックとなっていた。もたもたしていたら戦が始まってしまう。
それもこれもほとんど勢いで来たからだ。もう少し考えて動くべきだったのでは。
さすがのプリッシラも当代聖女相手にそこまで遠慮なく言えはしないが。
「気になるのは会食の“本当の目的”だけれど……」
「向こうは戦で決着をつける所存。教会を本気にさせないためにも当代聖女に手を出すような真似はしないと思われます」
「そうあってほしいものね」
溜め息を吐いたカテリーナはしばらく脳内で考えをまとめる。
「……よし、乗りましょう。契約に問題がない以上、責任者が出向かないのはおかしいものね」
深く考えるのはやめた。
やはりここでもカテリーナは勢いに任せることを選択した。
しかし、考えをまとめるのにまさかプリッシラがここまで役に立ってくれるとは思わなかった。
騎士団で下っ端をやっているくらいなら文官として側に置いてもいいかもしれない。
「行き当たりばったり感がありますが他に手もありません。わたしはここで無事お戻りになられることを祈っております」
「……やっぱりあなた、遠慮がないわよね」
プリッシラの文官登用にはもう少し時間がかかりそうだった。
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