第159話 来ちゃった……♡
それから三日ほど経って、事態はにわかに動き出した。
「はぁ、エトセリアのヴァンハネン商会ですか……」
カロリーナもといカテリーナは曖昧に笑って困惑を隠した。
目の前に座る栗色の髪に眼鏡をかけた青年と、身元を書いた“名刺”という小さな木彫りの薄板を交互に眺める。
――まさか本当に商人として振る舞わなければならないなんて。
それもすべてはカテリーナが滞在している教会のフロント企業に“同業者”が接触してきたからだ。
「ええ。スロブスチアに本店を持つビストリツァ商会の名は我が国にも届いております」
ジェームズという番頭を名乗る若い男の笑みは、カテリーナをしても「いい男」と思うほど爽やかだった。
小奇麗にまとまった装いをしており胡散臭さの欠片も見えない。
自然とそれができるあたり、商人としては相当なやり手かもしれない。
「あら、それは光栄ですわ。まだまだ小所帯だと思っておりましたので」
同じく余所行きの微笑みを返すカテリーナ。何気ないその動作がどうにも蠱惑的だった。
これで大体の男はどうにかなってしまうのだから恐ろしい。
ジェームズも思わず息を呑みそうになる。
もっともこれはカテリーナ無意識下の行動であり、「そういうところだぞ」という声がどこかから複数聞こえてきそうだが。
「そのようなことは。ただ、この国に支店を出した者同士、商圏拡大の良きパートナーとなるのではと思いまして。今回僭越ながら私がご挨拶に――」
男の話を聞いているうちに、なんちゃって支店長のカテリーナにも段々と流れが読めてきた。
「そして今回、バルバリアを攻め落としたでしょう? これで東からも新たに商品が入るようになりまして」
「あら、それは奇遇ですわ。当商会もそういった商品を探しに来たようなものでして」
嘘は言っていない。
たとえフロント企業でも商会自体はちゃんと運営されていて利益も上げている。
カテリーナは彼らがやりそうなことをそれらしく口にしてみただけだ。
「なんと、やはりお目が高い。販路が開拓されていない品を西へ流せば、きっと大きな商売に繋げられます。乗り遅れてはいけません」
若い番頭は相手の反応に気を良くしたように言葉を続けていく。
なんとかこの場をまとめたいという意思が垣間見えた。
「しかし、果たして上手くいくでしょうか……。新規の販路となるぶん競争相手も多いでしょう。不安もあるので本店にも伺いを立てなければいけませんが……」
「ええ、それは当方も――それこそ会頭も承知の上で動いています。ゆえに協業ができないかと考えているのです。いかがでしょう、条件としましては――」
提示された契約内容も悪いものではなかった。
さすがにこの場で即決したりはしないが、最終的に呑むのにもやぶさかではないほどに。
「でも、もうじき戦が始まるのではありませんか?」
ここで少々わざとらしく、カテリーナは声を落として不安げに見せた。
すると、男前な若番頭は意外にもそっと
「そういう噂もありますね。ですが、始まるまでにはまだ時間もあります。そうとわかっていれば相応の儲け方があるものですよ」
利益を生み出す見込みはある。若いながら老獪さも感じさせる口調で青年は微笑んだ。
その際、眼鏡のレンズが光ったような気もしたが、おそらく気のせいだろう。
そこから話がある程度進んだところでドアが叩かれた。
「どうぞ」
返事をすると世話役の少女が入って来て、ジェームズから贈られた茶が淹れられる。
いつもの茶とは手順が少し異なっている。指南書でも入っていたのだろうか。
普通に出されたということは毒見魔法に引っかかるものはなかったようだ。
陶杯に注がれると豊かな香りが部屋の中に広がっていく。緊張が少し解れた気がする。
「あら、美味しい。これは売り物になりそうですわね。……もしや普通の茶葉ではない?」
カテリーナの反応は世辞ではない。
心地よい味わい以外にも独特の優雅な香りがあって気持ちが和らいでいく。
率直に言って好みの味だ。
「よくおわかりになりますね。こちらは“紅茶”という寝かせた茶葉になります。独特の製法で味わいを変えているようです」
少しだけ青年が饒舌になったように感じた。
いや、気のせいだろう。まだ広がり始めたばかりのものにそんな熱中する者などいるとも思えない。
「これも東方領域からもたらされたのですか?」
「ええ。まさにこれまでにないものです」
教会本部へ持ち込んでも高い価値を生み出しそうだ。
亜人由来と眉を顰める者はいるかもしれないが、その一方でエルフの奴隷を所有している者さえいるのだ。何枚あるかわからない舌など気にしていられない。
「提携のお話、前向きに検討させていただければと思いますわ」
すぐに教会本部へ戻らなければいけないわけでもない。契約くらいまでは自分が動いても構わないだろう。それ以降の細かい実務は本物の職員にやらせればいいのだから。
勝手に留守にしたことを騒いでいるであろう者のことは無視して、カテリーナは脳内でスケジュールを組み立てていく。
「それはありがたい! もちろんこの場で結論を出せとは申しません」
事実上の了承を引き出したジェームズは相好を崩した。
町娘ならきっと好意を抱いてしまうだろう笑みだった。もう少し若く世間を知らなかったら危なかったかもしれない。
「まぁ、紳士的でいらっしゃるのね」
「こういったものは初めこそが肝心ですから。末長いお付き合いのためには焦りは禁物です」
お互いに微笑み合う。腹の内はさておき商談は順調と言っていいはずだ。
「ところで……」
青年は今一歩踏み込んできた。
思わずカテリーナは身構えそうになるもギリギリで堪えた。
「なんでしょう?」
あくまで微笑を維持したままカテリーナは問い返す。
「よろしければ支店長が会食をしたいと申しておりまして。本来はこの場に参る予定でしたが、どうしても外せない急な対応がございましたため……」
「それは致し方ありません。顧客を大事にできない商会は成長できませんので……。是非ともお会いしてみたいものですわ。予定の確認をした上でお返事させていただきます。ご連絡はいかがすれば?」
これもまたこの場では回答をしないでおく。
向こうもそれは承知しているようだった。
「ご配慮痛み入ります。お返事は名刺の住所へ人を寄越していただければ」
そっと一礼する青年。貴族と名乗られても違和感のない気品が感じられた。
もしや元々は貴族だったりするのだろうか。
「それでは色好い返事をお待ちしております」
どこまでも爽やかな笑みを残して青年は去る。
そうしてこの場はお開きとなった。
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