第158話 百合の花が咲きました
教会との交渉決裂からしばらく経った頃。
ヴェストファーレンの王都ヴェンネンティアに比較的小規模な隊商が到着した。
「スロブスチアの商人? 目的は?」
身元保証書に目を通した衛兵が視線を向けてきた。
西隣の国から人が来るなどよくある話で、どこまでも形式的な確認だった。
「おいおい、ウチはちゃんとした商会だぞ? 商売以外に何かやることがあるってのかい?」
受付に来た商人も面倒臭そうに来訪の理由を語る。
道中何度繰り返したかと言わんばかりの表情だ。
彼の背後には人を乗せた馬車といくつかの荷馬車が並んでおり、たしかにどこからどう見てもよくある隊商のひとつにしか見えない。
「まぁ、そうだわな……。税を支払ったら通っていいぞ」
入場税を受け取る門番の衛兵は「やけに女が多いな」と少々疑問に思ったが、身元を示す書類や荷物になんら不審な点はなかったのですぐに存在を忘れた。
バルバリアを攻め落として以降、ヴェンネンティアには商人など数えるのもバカらしくなるほど出入りがある。
もう少しきちんと調べていれば、彼の疑いはより深まり、「念のため上司に報告を上げておくか」と思うに至ったかもしれない。
だが、今回ばかりはあまりに相手が悪かった。
「カロリーナ様、無事入れました」
「ご苦労さま」
馬車の外を見ていた少女が声を発し、隣にいた妙齢の女性が答えた。
そう、衛兵が何も気付かず通してしまったのは、人類圏の権威の最高峰にして魑魅魍魎ひしめく聖剣教会にて当代聖女に選ばれたカテリーナ・ミネール・インフォンティーノだった。
なぜか見る者の煩悩を刺激してしまう尼僧服を脱ぎ、今は見方によっては男装にも近いかっちりとした衣装に身を包んでいる。
これなら中規模商会の一部を任される令嬢兼若手女商人で通じる風格があった。
ただ、少しだけ衣服は窮屈そうではあるが。
「……ねぇ、ロミルダ。偽名はもうちょっとなんとかならなかったのかしら?」
「似たような名前でないと呼ばれた時に気付かない恐れがあります。咄嗟に『誰の名前?』なんて反応をされてはおしまいです」
それを受け、澄ました顔でそう答えたのは、オレンジ色の髪を左右でくくり、ぱっちりとした緑の目を持つ護衛の少女――ロミルダだ。
一瞬カテリーナは人選を間違えたかと思いかけるが、妙なこだわりがあるだけで彼女が有能なのは間違いない。
「教会の外にいる以上、我々も数を絞って護衛しております。可能性でも危険はできるだけ排除せねばならないのです」
「公式な場に出るなら全員連れて来られたのだけれども……」
カテリーナに同道しているのは、ロミルダをはじめとした
尼僧という大分類での立場上、男の騎士を身近に置くと政治的な面倒事に繋がりがちだ。
そのため、本部騎士団で鍛えられた貴族出身の尼僧たちをカテリーナは周りに置いていた。
聖女の護衛という立場上、式典に立ち会うこともあるため、女だけで構成された騎士団の存在意義は儀礼的な理由が大半だ。
その一方で、聖女の暗殺を企む不届きな輩がいないともかぎらない。
ゆえに彼女たちは前線にこそ出ないものの、一線を退いた対魔族戦線経験者たちの厳しい訓練を受けており、戦闘力だけで言えば教会内でも比較的上位に位置していた。
ただし、そのままの人員構成で来ては怪しまれるため、アズラエル枢機卿から子飼いの男性騎士をそれなりに借り受けていた。
戦闘力だけで言えば百合騎士団の方が数段上なので道中のトラブルもない。彼らの内心、特に自尊心はさておきとして。
「ここがあの子の故郷……」
窓から流れていく街並みを見渡したカテリーナがそっと言葉を漏らした。
元々ヴェストファーレンは東方の中堅国くらいの位置付けで特段語られることはなかった。
しかし、隣国バルバリアを攻め落としたこと、また彼らから迫害を受けていた亜人たちを解放したことで一躍人類圏の話題にまで上がる立場となった。
「珍しい品も並んでいるわね、活気もあるし」
これまで未開拓だった東方の物資が集まっているのだろうか。
今やこのヴェンネンティアは交易の要所となり、今では多くの商人が儲け話を求めやって来ている。
人々の賑わいは大国の王都にも劣らぬ勢いで、何事もなければまだまだ栄えていきそうな気配だ。
「呑気な民たちです。神の威光に逆らう者どもの堕落した街でしょうに」
「上司の独白中にいきなりご挨拶だな」
それまで対面側で黙っていた少女が呆れたように口を開いた。
黄緑髪を耳をわずかに越えるあたりで整えており、さばさばとした口調が実にボーイッシュな雰囲気を醸し出している。
「ゾーエは黙っていて」
「黙るのはロミルダの方だろう。ここは我々にとって敵地。発言が無思慮すぎる」
不満そうな同僚にゾーエは淡々と答える。
カテリーナも同感で、頷きこそしないものの頭が痛くなりそうだった。
馬車の中だからよかったが、余人の耳目ある場所でやった瞬間とんでもないことになりかねない。
「ましてや今は戦時に近い。警戒されていても不思議じゃないんだぞ」
ゾーエは同僚への苦言を続ける。
教会主流派はロミルダの言葉通りの意識で動いており、調停者の立場から詰問の使者を派遣している。
その結果として、現段階では公にされていないが、教会とヴェストファーレンとの交渉は決裂し、懲罰軍の派遣は確実なものとなった。
この背景には、フランシス王国での魔族暗躍事件があり、「聖女候補筆頭のヴェストファーレンの姫クリスティーナが関わっていた」との噂が流れているのも無関係ではないだろう。
果たしてこれからどうなるのか。今や全世界がそこに注目していた。
「ロミルダ、あなたはクリスティーナと面識はないでしょう?」
なんでそんなに敵対的なのとカテリーナは問いかけた。
「ありません。ですが、お姉さまの薫陶を受けておきながら魔族と内通するとは万死に値します」
――ああ、そういうこと……。
カテリーナは納得した。
ロミルダの反応はわざとだ。簡単に言えば“クリスティーナへの嫉妬”である。
尼僧特有の悩みとしてアレなソレがある中、カテリーナはそういったものに大らかで、百合騎士団の面々と“義姉妹の契り”を交わしている。
いや、厳密に言えば騎士団内でそういった“文化”が相応にあるだけで、カテリーナ自身は特に意識したことはない。良くも悪くも奔放な性……格ゆえだ。
やや話は逸れたが、カテリーナはクリスティーナとそういった関係を持ったことがない。
にもかかわらず、当代聖女が身を案じて動いたことに関係のあるロミルダは嫉妬を覚えずにはいられないのだ。
クリスティーナ本人からすれば迷惑以外の何物でもない話だが。
「もう……。保守派の僧侶たちと同じようなことを言わないでもらいたいものだわ」
困ったものだと微笑みかけるとロミルダの険しい表情がばつの悪いものへと変わっていく。
「……お姉さまは意地悪です。わたしの気持ちがわかっていておっしゃるのだから……」
「そう拗ねないの。……しょうがないわね、今夜は部屋に来るといいわ」
ロミルダの頬が急激に赤くなった。まったくもって忙しないことである。
横で眺めているゾーエは「やれやれ……」と首を横に振った。
彼女はカテリーナも含めて騎士団の中で特定の相手と関係を持っていない。
尼僧の端くれとしていささか意識に問題はあるが、彼女は同性にはさして興味はなく異性が良かったのだ。ただ自分の好みに出会えていないだけで。
もしもこの場に将斗がいたら「異世界でまさかこんな百合の世界を見るとは……」とまさかの光景に頭を抱えたに違いない。
ただし実際に悩むのは煩悩で、「間に挟まりたい」などの
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます