第157話 どんなに上手に隠れても


 うっそうとした森の中を、音もなく進む数人の集団があった。


 誰もみな彼らが伝統とする装束に身を包んでおり、手には短槍や短剣を携え、獲物を追い詰めるように等間隔で悪路を進んで行く。


 不意にひとりが足を止め、「散開しろ」と手で合図を出す。

 周りの仲間たちは黙って頷き、広く散らばって包囲網を形成した。


 獲物の気配はしないが、遠くから漂ってくる“匂い”を彼らの嗅覚は捉えている。

 これこそが彼ら獣人の持つ“種族としての優位性”だ。


 追跡者の口元が自然と歪む。

 視覚からは上手に隠れたつもりでも、ちゃんと“目に見えない目印”が出ている。


 ――隠れても、無駄。


 仮に匂いがそれほどでなかったとしても結果は同じだ。

 森の薄暗い中でも彼らの目はよく見える。複数から捕捉された以上、逃げることなど不可能だ。


 そう思った時だった。


 遠くから短い悲鳴が聞こえた気がした。

 いや、気のせいではない。たしかに聞こえたのだ。それも仲間のものが。


 ――


 そう意識した途端、周囲から漂う仲間の匂いが急激に強くなる。想定外の事態に焦り、緊張の汗が噴き出したからだ。

 空気中の匂いがいくつも混ざり合い、獲物の正確な位置がわからなくなる。


 ――してやられた。


 どういう手段を使ってかわからないが、獲物は自分たちの鼻先をすり抜けたのだ。


 その事実がますます彼らを焦らせる。最早嗅覚はほとんど頼りにならなかった。


 またも遠くで悲鳴が上がった。

 そこからひとりふたりと仲間が狩られていく。

 いつの間にか、追い詰めるはずが自分たちがやられる側に回っていた。


 残るは自分だけ。少女は直感でそう理解した。

 警戒をより強め、周囲のいかなる変化も漏らさないように気を引き締める。


 やがて――


「捕まえた」


 真後ろからの囁くような声。

 予期せぬ方向からのそれに少女の全身が、耳が尻尾が文字通り総毛立った。


「……うそ」


「ところがどっこい、これが現実」 


 強化ゴム製の模擬ナイフが首筋に当てられていた。本物なら今頃頸動脈を切り裂かれている。


「脱落だな。おまえで最後だカリン。でもまぁ警戒具合もそこまで悪くない。よくもった方だろう」


 淡々とした言葉と共にナイフが離される。


 膝の力が抜け、獣人の少女――カリンの全身からどっと汗が噴き出した。

 あまりの驚愕に生きた気がしなかった。


「……エル大尉、あなた、狙撃手ではなかったの?」


「言いたいことはこうか?『隠れて撃つ人間になんでこんな動きができるのか』だろ?」


「そう。どこにいるか、まるでわからなかった」


 位置だけでなく、こちらの言葉まで先回りされると何とも言えない気分になってくる。


 そんな不満が顔に出ていたのか、襲撃者――エルンストは意地悪くにやりと笑った。


「上手に隠れないと狙撃はできない。その上で相手に見つからないよう動く。ついでに近くの敵も仕留める。これだけだ」


 しれっと無音暗殺術サイレントキリングの極意のようなことを言い始めたエルンストに眩暈めまいを覚える。


 だが、実際に彼はやってのけた。

 純然たる事実にカリンは身震いを覚えるしかなかった。






 まばらな雲が浮かぶ晴天の空の下、ターボシャフトエンジンの音が響き、メインローターが空気を叩く独特の音と重なって聞こえてくる。

 新たに召喚されたUH-60L DAP 多目的ヘリコプターが二機、作戦に投入するためパラディアム基地周辺で飛行訓練を行っていた。


「距離を維持しろ! 近付いてるぞ!」


 地上から教官役の激が飛ぶ。


 F-4Eの例もあってベトナム戦争時代の古いヘリを回されたらどうしようかと思っていたが、そこまではシステムも意地悪ではなかったらしい。


 ここから先は余談だが、ヘリの制限解除と同時に、東側を含む各国の兵器もいくつか使えるようになった。

 これまで扱ったことのない武器・兵器をどうするかが新たな悩みとなっていたが、それ以外は概ね歓迎されている。

 慣熟に時間がかかることさえ除けば、現在の主流であるアメリカ軍兵器にはない特徴があり、どうにか戦力に織り込みたかったのだ。


 今は類似兵器の経験者がなんとかマニュアル片手に戦力化を急いでいる。

 これも不思議機能で言語の壁がなくなったおかげだ。そうでなければ諦めざるを得なかっただろう。


「よーし、反省会をやるぞ!」


 訓練を行った森からパラディアムの基地の端に場所を移し、参加者を前にしたエルンストが手を叩き、次いで口を開いた。

 離れていてもヘリのエンジン音がひどいため、いつもよりもずっと声を張らねばならなかった。


「「「イエッサー!」」」


 同じく声を張ったのは訓練に参加していた獣人たちだった。


 とは言っても、彼らは現在獣人歩兵部隊に所属してはいなかった。

 発達した脚部が生み出す俊敏さを武器とした部族出身で、先のバルバリア戦役の最前線で暴れ回った膂力りょりょくに頼る部族とは異なる面々である。


「さて、諸君。ヒト相手に何もできず全滅させられた気分はどうだ?」


「「「ぐぬぬ……」」」


 エルンストの容赦ない煽りに、周囲から悔しいと言わんばかりの唸り声が重なった。


 すでに多くの戦果を挙げている彼の能力を疑っていたわけではない。

 しかし、まさか自分たちの得意とする領域でもまるで歯が立たないとは思ってもいなかったのだ。

 

「獣人の五感はヒトより優れているし、それを活かせば優位に立てる。だが、俺がそれを前提に行動していたら? 今回はその視点が抜けていたな」


 誰もがぐうの音も出ない。

 結果はエルンストの姿を見ることさえできず惨敗。そこは疑いようもない事実だ。


「大尉、実際にはどうやったんですか?」


 ひとりの獣人が疑問の声を上げた。カリンを含め、他の者たちも頷いている。


 魔法でも使わなければ無理ではないのか。彼ら異世界人は魔法を使えないとされるが、異界の武器の召喚は魔法に由来しているという。

 口には出さないがそんな思いが各々にはあった。


「少しは考えてもらいたいところだが、今回は特別にレクチャーしてやろう」


 にっと笑ったエルンストは荷物の中から迷彩服を取り出した。

 獣人たちが軽く眉を顰める。彼らの鼻には少々強い匂いを感じたからだ。


「俺を追いかけるのに使ったのはこの“匂い”だろう? 獣人の嗅覚が優れているのはわかっていたから、囮の匂いを用意して、自分自身は匂いを徹底的に消すことにした」


 獣人たちがはっとするのがわかった。


 訓練開始前、「テストだ。森に隠れるから捕まえてみろ。捕まったら失格。簡単だろ?」と言われたが、誰もそこに疑問を抱いていなかったのだ。


「でもどうやって……」


 当然疑問も生じる。


 人間だけに限らず、生物はただ動いているだけで少なからず汗をかき、それが匂いとなって一定時間は空気中に漂う。

 多くのヒトは狩猟を行わないためそれもあまり気にせず暮らしているが、森や草原で狩りを行う獣人は反対にそれを頼りとして獲物を追うのだ。


「洗剤を使わず洗った服は天日干しにして、森に入ってからは土を塗りたくって匂いをできるだけ薄くしてみた。その上で持ち込んだ服を森の奥、それも風上に置いて来たんだ」


 追跡側は一番匂いの強い場所を目がけて動き、匂いの薄いエルンスト本人の存在はノイズとして処理される。


「狙いやすいヤツを仕留めたら焦って鼻が効かなくなると思ってな。これは推測だったし無理なら白兵戦をやるかとも考えたが……」


 とはいえ、エルンストはやってのけた。


 間抜けな自分たちは自らが追う側と勘違いしたまま、風下から接近する暗殺者に気付かず……。


「一般的な任務――たとえばヴェストファーレンとの訓練だったら勝てたかもな。だが、相手が“そうする”とわかっている行動は対策できる」


 そうした意識の隙――いや、慢心を衝かれたのだ。


「本来なら嗅覚はにして、視覚を使って足跡や木々の間を通った痕跡を追うべきだった。それを偽装するのは玄人でも難しいし、現に俺はおまえたちの足跡を追った。痕跡もロクにないのに匂いだけがするなんて本当はおかしいんだ」


「でも、多くのヒトは我々と戦った経験が――」


「おまえらもヒトとの戦闘経験に乏しいだろうが。不確かな優位性に縋るな。ナイフじゃなく飛び道具を使っていたら、おまえらもっと早く全滅してたぞ。敵に魔法があったらどうする」


 エルンストから発せられた言葉の重みと圧力に獣人たちは黙るしかなかった。


 普段は飄々としているが、この男ならそれくらい容易くやってのけるだろう。


 バルバリア戦役では何人もの騎士や兵士が何が起きたか気付く前に仕留められている。彼がライフルを握れば、森に入る前に何人か減らされていた可能性すらあった。


 それを封じていても勝てなかったのだ。その事実は受け入れなければならない。


「「「!!」」」


 そこで遠くから轟音が聞こえて来た。

 複数に重なる音――“銃”と呼ばれる武器が火を噴いたのだ。


 “銃”導入の初期訓練として、ランツクネヒト辺境伯に率いられたヴェストファーレン軍がパラディアムに派遣されていた。

 彼らは一定水準の戦闘能力を獲得した後で本国へ戻り、第二陣と交代、さらに現地で迎撃部隊を新規拡大させていく予定だった。


 教会軍がやってくるまで準備期間が二か月しかない状況ではそうするしかなかった。


「教会側がアレの威力を理解して戦力化するまでにどれだけかかるかはさておき、力が強い、足が速いってだけで優位性を持てるのはそう長くないぞ」


 エルンストは彼らの心底にある意識を刺激する。


 ――戦の主力にはなれないが、どうにか戦えるようになりたい。


 そうした鬱屈した想いを抱えた者をカリンが連れて来たのだ。


 カリン自身も〈パラベラム〉の戦い、それも獣人の狩りに近い狙撃手に興味を持って弟子入りを志願したのだが、心ない同胞から「ロクに戦えないくせにヒトを咥えこんで自分だけ抜け出そうとしている」と噂を流された。


 風の噂を聞きつけたエルンストは数秒だけ悩み、カリンを含む居づらさを感じている者を獣人中隊から引き抜いた。

 気の毒に思ったのもあるが、それ以上に「彼らにしかできない戦い方がある」と考えたためだ。


 そう、訓練して仕上げるのは偵察兵スカウトだ。

 お膳立てされた見かけ上の勝利に酔っていない者でしかこの訓練は乗り越えられないだろう。


 膂力がないから? 鋭い牙や爪がないから?

 だからなんだというのだ。


「いいか? まずは覚えるのは相手に気付かれないことだ。敵を殺すのが重要なんじゃない」


 エルンストの言葉を受け、落ち込んでいた獣人たちの瞳に輝きが戻ってくる。


 ――大丈夫だ、こいつらには見所がある。


「相手の規模や動きから友軍が勝つ手助けをする。それがおまえたちの今後の任務だ。戦い方はひとつじゃない。そう心得ろ」



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