第153話 魔王? 呼ばば呼べ


「はて、デタラメと?」


 発言を遮られたエリックは「あと少しで説明が終わったのに……」とわずかだが残念そうな表情を浮かべていた。


 当然、周囲や教会の一部には「約束も守れない態度に失望した」と勘違いされる。


「そうだ! 話がおかしいではないか!」

「然り! 魔物程度ならまだしも、魔族が潜入していたとして被害もなく済むはずがない! それも含めた仕込みだったのではないのか!」

「魔女が内通していれば何事もなかったように見せることもできる! 我らの警戒が解けた頃に本命を仕掛けるか浸透工作を始めるつもりだったのだろう!」


 ことごとく自分たちの“幻想”を否定され、ついに我慢できなくなった若い僧たちが口々に罵りの声を上げた。


 完全な決めつけだ。実に心のこもった反応である。

 これまで懇切丁寧に説明してきた意味が今なくなった。


「そうだ! 異界の者とはいえ、たかが傭兵ごときに我ら教会が長い年月をかけて戦ってきた魔族を討ち取れるものか!」


 ――魔族は仇敵なのか宿敵ライバルなのかどっちなんだよ。


 回線の向こうで聞いていた将斗は思わず突っ込みたくなった。

 暴れだしてないだけマシなリューディアやエルフの面々を自衛軍の仲間と宥めて回っている中で。


 ――どんなに強力な生物でも急所に攻撃を受ければ死ぬぞ。何だと思っているんだ?


 こっそり会談を聞いていたエルンストもそう思った。彼はすでに嬉々としてヴェンネンティアへ向かう“準備”を始めている。


「貴様らの言ってることは信じられない!」


 無茶苦茶だが、それゆえに彼らの“本音”が透けて見える総意とも呼ぶべき言葉だった。


「紛れもない事実です」


 溜め息を飲み込んでエリックは短く答えた。


 信じようが信じまいが、事実は事実である。

 それともこの世界には事実を並べ立てることへの罪でもあるのだろうか?

 真実に蓋をしようとするなら、それはもう話し合いでもなんでもない。


 会談を遠隔で見ている者たちの胸が激しく鼓動を打ち、顔が紅潮していくのが自分たちでもわかった。

 この状況でよくエリックは耐えているとも思う。


「それではまるで我々の認識が誤っているような言い方ではないか!」


 他の僧が訂正しろとばかりに吠えた。


 そうだ、誤っている。

 本来、事実確認をせずこのような態度に出る者が悪いのである。


 しかし、この世界ではそうなってはいない。

 教会は絶対の存在としてそれが罷り通っているからこそ、このような反応を示しているのだ。


「我々は大量殺戮を阻止しただけです。何故それで終わらない、終われないのか理解に苦しみますが」


 ここまでくるとさすがのエリックでも不快感が滲んでくる。


 選択肢を誤れば数千の民が死んだかもしれないのだ。

 一度この世界での方針を決めた以上、再びあのような状況になれば、〈パラベラム〉は何度でも同じことをするだろう。


「まるで世界を救ったような物言いだ! 貴様らのような下賤な者どもの言うことが信じられるか!」


 これはなんだ? 自分たちが活躍できなかった話が漏れたくないとかそういう低次元な話なのか?


 こういう連中がクリスティーナを罠にかけたのか。

 話を聞いているロバートの視界が揺らいできた。彼をもってしても感情が昂っているのだ。


「下賎もなにも。現在、明確な国家と呼べる体制を持たない我々は便宜上傭兵を名乗っているだけです」


「黙れ! やはり貴様らは魔族の手先なのだろう! バルバリアの占領が良い証拠だ! 次の狙いはどこだ! エトセリアか!」


 場に座っている中で一番若そうな僧の言葉だった。

 席次と身なりがそれほど悪くないことから家柄にでも優れているのだろう。


 血統があるからなんだというのか。ウォルターも眉がひくついてきた。


「魔族の手先? でしたら猶更このような場に出て来て存在を認識される意味がありません。ただ淡々と浸透策でも続ければいい」


 亜人を蜂起させたのは魔族との内通をより疑われかねないと思ったが、どのみちここまで態度が頑なであれば誤差の範囲だったかもしれない。


「我々は生き残るためこの場に出て来たのです。交渉に際して一定以上の勢力――この場合は軍事力と言い替えましょう――を保有していると認識されなければ相手にもされない。そうした認識は持たれておりますでしょうか?」


「黙れ! なにが〈パラベラム〉だ! 傭兵国家だと!? そんな形の国家など聞いたこともない!」


 とうとう理解の限界を迎えた教会側の暴走が始まってしまった。

 こうなってはもう大司教にも止められないだろう。


「何が認識だ! ここにいていいような身分ではなかろうに! 何様のつもりだ!」


 いったい何様のつもりなのだろうか。それこそこちらのセリフである。

 どうしてここまで独善的になれるのか。


「教会の騎士を害したことに変わりはない! これは我らへの挑戦だ! 許しておけぬ!」


 先に害されたのはこちらだ。これで外交の使者なのだろうか。


「偉そうな口を叩きおって下郎が! 神の教えを理解せぬ分際で猿にも等しい亜人デミに与するとは!』


 他者に対する侮蔑が、骨の髄まで染み込んでしまっているのだろうか。


「ヴェストファーレンは犯罪者として即刻魔女とこの者たちを引き渡せ!」

「生意気な亜人どももだ! 武装解除の上、奴隷としてな!」


 何らかの意図があって、このような罵倒をしているのだろうか。


 悪し様に罵る教会の面々を見ている者たちの胸中に、様々な感情が浮かんでは消えていく。


 ――さて。


 エリックは教会勢の罵倒を聞き流しながら、ヴェストファーレン側の面々を見た。


 ほとんど無表情だ。彼らはこの場で〈パラベラム〉とクリスティーナを人身御供に出してこの場を収めることもできる。


 繰り返すが、国家間の外交関係は個々の生命に優越する。

 貴族だけでなくエーレンフリートとて、国を守るためにどうにもならないと判断した時には最終的にそう決断を下すだろう。為政者なのだから当然だ。


 もしそうなっても彼らを責めることはできない。国や民を預かる立場と責任があるのだ。


 そう考えたところでエリックは視線を感じた。

 エーレンフリートからだった。


 彼はエリックを見ると無言でただ一度だけ頷いた。国王の双眸もまた静かな怒りを宿していた。


 それを受けたエリックは同行者たちの顔をそっと見る。彼をして驚きを覚えるほど冷たい顔をしていた。


 意外なことにそこには怒りだけでなく悲しみも読み取れた。

 言葉は通じるのに偏見ばかりが先行して話し合いにならないことへの怒りと悲しみを覚えているのだ。


 この時点で結論は出たようなものだった。


 ――俺がやるしかないか……。貧乏くじなのか、はたまたこんな場に立ち会える機会が得られたと喜ぶべきか……。


 エリックは拳で目の前の机を軽く叩いた。


 不思議なことに場が静かになった。


「どうやら交渉の余地もないようですね。となれば――」


 ここでエリックは一度息を吸い込む。


「今この時をもって、我々は“新人類連合”として独立を宣言します」


 教会側は何を言われたのか一瞬理解できなかった。


「まぁ、元より独立国との認識はありますので、教会の影響下から離脱すると思っていただけばよろしいかと。魔族との戦も今まで通り勝手になされればよろしいでしょう。少なくとも裏切り者扱いをする方々とは協調できません」


「じ、人類への背信だ! いくさになるぞ!」


 泡を食ったようにそれらしきことを叫ぶが実に空虚だった。

 亜人を迫害している時点で何が“人類”か。この連中は本当になにもわかっていない。


「戦をされたいのはそちらでしょう? 我々は誤解がないよう背景などすべて説明させていただき、その上で妥協点を模索しました。しかし、交渉で解決できないのであれば糸口を戦に求めるしかない。我らは受けて立ちます」


 戦うつもりならやってやる。

 僧侶として生きてきた彼らの人生ではついぞ聞いたことのない言葉だった。


 そして、彼らはここで重要なことを思い出す。

 ヴェストファーレンへ来る途中、バルバリアから引き揚げてきた司教と交わした会話を。


 わずかに憔悴した様子のガルガニウス司教は「あっという間にバルバリア王都まで侵攻してきた彼らの力を侮るべきではない。妙な武器・兵器がある」と可能な限り穏便な交渉をするよう主張した。

 しかし、彼に対して若い僧侶を中心にした者たちは「神の地上代理人たる我らが引くなどありえない。信心が足りないのでは? 懲罰軍の派遣をチラつかせれば折れる」と一蹴していた。

 その記憶が甦ってきたのだ。


「ま、魔王め! 人類圏に紛れ込んでいたか!」


 尚も支離滅裂なことを叫ぶ僧は半分狂乱状態になっていた。

 真っ向から教会に楯突く者などいなかった。自分の中の常識が音を立てて崩れていき精神の均衡に異常を来たしたのだ。


 さすがのモレッティもこれは看過できず、近くの者に命じて連れ出させる。


「実に忙しない……。今度は魔王扱いですか。そう呼びたければ好きにお呼びになるがよろしい。ただ、そのようなことをされても“本質”は変わりません。魔族は人類の内乱に喜ぶかもしれませんがね」


 今回の事件はどこまでも教会の失態が招いたものだ。その尻拭いを引き受ける筋合いはない。

 責任を転嫁して面目を保つのではなく、本来は自分たちの内部でどうにかすべき問題なのだ。


「後悔、されませんかな……」


 ここでモレッティ大司教が口を開いた。まるで絞り出すような声だった。

 ある程度予想を立ててはいたものの、彼としてもこうなるのはいささか予想外の流れだったのかもしれない。

 だが、もう止まらない。賽は投げられた。


「するやもしれません。ですが、無実の女性を生贄にして得る平和になど価値はないでしょう。我々はそう信じます」


 敗北を心配しているわけではない。止むを得ずとはいえ人類圏での内乱を自ら起こしてしまうことへの忸怩たる思いがあった。


 折れるわけにはいかない。

 今や〈パラベラム〉はヴェストファーレンや亜人連合DHU、バルバリアの運命も背負っているのだ。投げ出せばこの世界に来た意味がなくなってしまう。


 エリックはそこで懐からシガーケースを取り出した。彼にはスコットのように普段から喫煙をする習慣はない。


 ギロチンカッターで吸い口を作り、ターボライターで火を点けて口に咥える。

 ハバナ産の上質で芳醇な香りの煙が虚空に吐き出され、やがて辺りに広がった。


 何事かと騒ぎにはならない。この世界にも煙草は存在している。それは調べてあった。


 では、何のためにエリックはこのような行動に出たか。


 ――大佐、最後にをやりますか……。


 エリックの狙いに気付いたジェームズが小さく苦笑いを浮かべた。


 明らかに上等品だとわかる葉巻に、それに火を点けた魔法に頼らない道具。

 これらはこの世界――少なくとも教会の支配圏には存在しないものだ。


 何の寄る辺もない異世界人などではなく、一国を采配するに等しい立場や技術を持っていると見せつけるためだ。


 自分たちがどのような相手を敵に回したか考えてみるといい。


 そんな言葉が聞こえてくるようだった。


「……会談は以上で終わりですね。神のご加護があらんことを」


 立ち上がった際に老僧の放った言葉はいったい誰に向けた祈りなのか。それはわからなかった。


 葉巻を吸うエリックを見て、ほぼ唯一苦い表情を浮かべているのはモレッティ大司教だけだった。それが答えかもしれない。


「ええ、皆様とはまた別の機会にお会いできることを心より祈っております」


 教会勢を送り出す際にエリックが見せたのは、背筋が震えそうになるほど酷薄な笑みだった。

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