第152話 名乗り〜後編〜


「誰だ!」


 これまでに聞いたこともないような侮蔑交じりの言葉に若い僧たちから怒りの声が上がる。

 ほとんど反射的なものだった。


「陛下、勝手ながら発言させていただきたく」


 軽く手を挙げたエリックは、「発言させてもらう」と形ばかりの許可を口にする。


 非公式ながらヴェストファーレンとは同盟を結んでいるが、彼我に命令権は存在しない。ゆえに最低限の伺いだけ立てたのだ。

 無論、教会には立てない。


「構わんよ、マクレイヴン大佐」


 エーレンフリートの返事を待ってエリックはそっと立ち上がった。

 この世界の人間としては高い背丈に何人かが軽く気圧される。


 当の本人は向けられる様々な感情の混じった視線をものともしていなかった。


 ――さてさて。


 ロバート含む三人、さらに言えば回線の向こう側の人間は最早見守ることしかできない。


「おっと、これは失礼。会談には参加させていただいておりましたが、傍聴者オブザーバーの立場であるためご挨拶もしておりませんでした」


 教会の使者へ向けて青年は淡々と語る。

 非礼を詫びてはいるが、それは当然ながら“無礼な物言い”への謝罪ではなかった。当然だ。彼は無礼などと思っていないのだから。


 フルドレス・ブルーに身を包んだエリックの出で立ちは、彼らも見慣れないどころかこれまでに見たこともない格好だ。

 様々な想像が掻き立てられ、視線となって降り注ぐ。

 常人なら空気と相まって胃が痛くなるか泣き出したくなるかもしれない。


 しかし、当のエリックはそうした空気を楽しんでいる気配があった。


「私はエリック・D・マクレイヴン。傭兵国家〈パラベラム〉大佐にして、ヴェストファーレン駐留軍司令官の任に就いております。この話については私の口から説明しましょう」


 自己紹介の言葉を皮切りに教会側からの視線がエリックに集中した。単純な敵意から、警戒、あるいは値踏みするようなものまで様々だ。

 固有名詞や細かい役職などには理解が及ばなくとも、“軍”の名前がつけば注目度は否応なしに高まる。


 通信の向こう側で聞いている者たちは「自分だったらこんなプレッシャーに曝されるのは絶対にご免だ」と揃って顔をしかめていた。


 対するエリックは表面上かもしれないが眉ひとつ動かしていない。

 

「教会の皆様方が我らを存じ上げないのは仕方のないこと。それも――


 さらりと続けられた言葉に、とてつもなく大きな衝撃が会場を包み込んだ。


 事前に説明を受けていたヴェストファーレン側に揺らぎはほとんど見られない。

 むしろこの発言によって事態がどう変化するか。そちらの方に関心があるのだろう。


 ――うーん、何か妙ですね。


 静観を続けるジェームズはふと違和感を覚えた。


「異世界から来た」――この言葉はそれなりのインパクトを伴うはずだ。

 ところが、地球組からすれば狂犬のように見える教会勢の誰もが顔を見合わせるだけで、脊髄反射的に噛み付いてこなかったのだ。


 当然ながらジェームズは知る由もないことだが、即座に誰も否定の声を発しなかったのは理由がある。


 


 時折どこからか迷い込んだ者、あるいは教会の秘術によって召喚した者。


 しかし、後者だけはあり得ない。秘術ゆえに管理は凄まじく厳重にされている。

 それを守れているからこそ、聖剣教会は勇者を唯一この世界に召喚できる存在として確固たる地位を有しているのだ。


 ――とはいえ……


 今は聞き手に徹しているモレッティ大司教の双眸に疑念の揺らぎが生じた。


 前者であれば違和感がある。

 もしも“迷い人”だとすれば、気になるのは空気を通して伝わってくるエリックのだった。


 彼らの多くは平民にもかかわらず高度な教育を受けている。

 そのため、教会としては見つけ次第の保護を義務付けているが、発見された時には“手遅れ”なのが大半であった。

 多くは魔族の手先か狂人として“処理”されている。

 保護された者もそれなりにはいるが、発見もされずに消えていった者の数に至ってはもはや把握しきれていない。


 いずれにしても彼らは何者かはわからない。判断するための材料が少ない。勝手に喋ってくれるのであればそれに任せるべきだろう。

 ところが悪いことに若い者が先ほどの調子で腰を浮かせかけている。これはまずい。


 止めるべきか悩んでいると、エリックが先に動いて手を掲げる。牽制だ。


「質疑応答は後ほど。今は続けますが――モレッティ大司教台下」


「……何か?」


 社会的身分の低い傭兵を自称するような者から尊称付き、しかも自分に水が向けられるとは思っていなかったのか老僧の反応がわずかに遅れた。


「都度声を上げられては話が進まない。あなたの責任で静かにさせてください。宣戦布告ではなく“話し合い”に参られたのでしょう? 話すと長くなりますので少し黙って聞いていただけますか」


 ここでエリックは畳みかける。

 相手の神経は逆撫でしても、余計なことを考える隙だけは与えないつもりなのだ。


 対する教会側の反応はおおむねふたつに分かれた。


 一度止められた以上、上司の指示を仰がねば喋れないから黙っているのは同じだ。

 その中で、エリックの態度を失礼だと考える怒りの赤い顔と、異世界人のただならぬ覇気を感じ取った青い顔がほとんど交互に並んでいた。


「承知いたしました」


 モレッティ大司教は思わず丁寧な物言いとなってしまった。「しまった」と思ったがもう遅い。


 エーレンフリートへの口調から、紺色の服の男がかなりの地位にあると無意識に判断していたのだ。

 権力闘争を潜り抜けて来た政治的生物であるがゆえに嵌った部分と言える。


「見たところ様々な印象を我々に抱かれているご様子。しかし――すべて的を外していると思われます」


 自尊心の高い教会の僧侶たちは眉を不快の形に歪めるが、エリックは構わず続けていく。

 止まることはあり得ない。反感こそ抱いても異世界人への興味が先行している今のうちに話を進めておくべきだと彼は判断していた。


 モレッティ大司教に至っては顔色をほぼ変えていない。これは意地だろう。

 おそらくこの大司教は比較的冷静だとエリックは思った。良くも、悪くも。


「我々がこの世界に参りましたのは――こちらはどのような情報で伝わっているか存じませんが――フランシス王国で魔族により行われた“魔王召喚”によるものです」


「「「魔王召喚!?」」」


 今度こそ教会勢は平静でいられなかった。


 長年の宿敵である魔族、その中でも魔王が人類圏で召喚されればどうなるか。

 人類側の決戦的存在である勇者のカウンターパートとして語られる存在だ。対応できる戦力など後方には駐留しておらず甚大な被害が予想される。


 今更ながら空気が緊張を帯びた。


「やはり、伝わっていなかったのですね。いや、……」


 言葉を相手の脳内へ浸透させるようエリックは語りに緩急をつける。

 教会勢の中に一部だが困惑の表情が浮かび上がった。


「あらかじめ申し上げておきますが、我々は魔王でもなければ魔族でもありません。おそらく、世界が違うだけであなたがたとそう変わらない人間です」


 軽く両手を広げて「見ての通り、肌艶も健康的ですしね」と少々芝居がかった動きを見せた。


 笑いどころか反応すらない。

 滑ったわけではないが冗談ジョークの質が違うようだ。「異文化交流は難しい」とエリックは苦笑する。


「さて、事の発端はフランシス王国に潜入した魔族による市民への無差別破壊行為です。彼らは戦闘員ではなく民を狙おうとしていました」


 特に驚きの気配はない。この報告までは教会本部にも伝わっているのだろう。


 つまり問題はこの後だ。

 エリックは意識をわずかに引き締める。


「我々は元の世界では軍人の立場であり、たとえ敵国であろうが『非戦闘員を意図的に殺傷する行為は唾棄すべきものである』と教育を受けております」


 人によっては痛烈な皮肉に聞こえたことだろう。

 神の名の下に異教徒や異種族というだけで迫害を行うのだ。まともな感性があれば赤面ものでしかない。


 もっとも、彼らのほとんどが顔色を赤くしているのは羞恥心からが理由ではなさそうだった。

 自らに課された使命が至上のものと信じているならば心底に響くことなどありはしない。


「ゆえに自分たちが召喚された目的は別問題であるとして大量殺戮を計画している魔族を正当防衛の観点から殺害しました。その場には当時聖剣教会騎士団フランシス支部長の地位にあられ、現在教会においてと目されているヴェストファーレン王女クリスティーナ殿下が立ち会っておられます」


「ここまでは良かった。本来であれば魔族の脅威が取り除かれ、フランシス王国を始めとした後方には平和が戻りめでたしめでたし――で終わった話です」


 不意にエリックは声のトーンを落とした。


「ところが、教会のは我々が魔族の手先であるとの疑いをかけました。できる限りの情報提供をしたにもかかわらずです。どうも異界の知識を己の功績とするため拉致・殺害を試みたようですね。よもや聖剣教会には盗賊が紛れ込んでいたのでしょうか?」


 エリックの皮肉交じりの説明は、もはやほとんど挑発に近い。この世界の住人なら必ずするであろう遠慮・忖度は一切ないばかりか相手を強烈にあげつらっていた。

 僧侶たちの顔の赤味が急激に増していく。


「これだけならまだマシでした。どうもその際、魔族の手先である異世界人とクリスティーナ殿下が内通したと事実を書き換えたようでしてね。首謀者は当時の副支部長ベリザリオ氏でした」


 べリザリオの名に何人かの表情がわずかに動いた。知己か同じ派閥か、はたまた……。

 いずれにしても今はどうでもいい。


「いい加減話すのも疲れてきましたが、教会という民を導く立場にありながら、荒事専門の者たちを使って襲撃してきたためこれを撃退。ただちに真意を問い質すため騎士団の詰め所へ向かうと、驚くべきことにクリスティーナ殿下がくだんの内通容疑をかけられ捕縛される寸前でした。これは社会秩序を乱す行為ですな。困ったものです」


 エリックは冷えた視線で教会側を見る。「もうわかるよな?」と無言ながら問いかけていた。


「ここまで言えばもうおわかりでしょう。案の定べリザリオ配下の騎士たちが有無を言わさず襲い掛かって来たためこれを制圧しました。とても事情を聞いていただける雰囲気ではなさそうでしたのでヴェストファーレンまで緊急避難したと。これが事のあらましですね。これでも貴国はクリスティーナ殿下の身柄を引き渡せとおっしゃ――」



「ふざけるな! さっきから聞いていればデタラメばかり口にしおって!」


 盤面をひっくり返したのはひとりからの怒声だった。

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