第150話 悪意との対峙~後編~


 教会側から発せられたのは予想通りの要求だった。

 考え方によってはむしろ控えめであったと言ってもいい。

 ロバートたちの勝手なイメージだが、開口一番で「全面戦争だ!」と言い出しかねないと思っていたくらいだ。


「…………」


 エーレンフリートはしばらく考えるように瞑目して無言を続けていたが、やがて意を決したように双眸を開く。


「我が娘は信仰心にも篤く、昔から『人類の戦いに貢献できないだろうか……』と女だてらに剣を振るい、才能にも恵まれたのか魔法の腕も磨いておりました」


 エーレンフリートから出たのは震えるような声だった。


 これは予想外の大芝居だ。

 きっと娘への感情を自分の中で上手いこと変換しているのだろう。たとえば結婚前夜の心情とか。


 ――演技派どころか、ちとやりすぎじゃないのか、この王様……。


 末席で素知らぬと決め込んでいる〈パラベラム〉メンバーは半分呆れながらそう思った。


 間違いなくエーレンフリートは一世一代の芝居にをやるつもりでいる。

 彼は彼で今後自国がどうなるかわからない不安のみならず、教会への怒りといった負の感情も織り込んだ上で、ついに開き直って


「参ったな……。勝ったらこっちでハリウッドでも作りますか?」

「黙っていろ少佐。笑わせるな……」


 ぼそっと漏らしたロバートの軽口に、さすがのエリックも噴き出しそうになる。


 たしかにエーレンフリートはルックスもいい。見ての通り演技力もある。時代が違えば国王より俳優にでもなった方が良さそうだ。


 しかし、今ここで笑うわけにはいかない。部下のせいで密かに腹筋との戦いが始まってしまった。


「何年も前に教会本部へ見習として派遣し、聖女候補のお役目をいただいた時にはそれはもう喜びに溢れた手紙を送って寄越したものです。その娘が魔族と内通などと……。何かの間違いではないでしょうか?」


 エーレンフリートが教会側へ向けたのは縋るような視線だった。

 裏側を知らない者が見れば美談として受け取ったに違いない。


 しかし――


「国王陛下、白々しい態度はお止めになっていただきたい!」


 発せられたのは差し出された手を振り払うように冷淡な声だった。

 “聖務”を帯びてやって来た者に、エーレンフリートの、父の想いは通じなかったのだ。


 声を上げたのはモレッティ大司教――ではなく、彼のふたつほど隣にいた若い僧侶だった。見たところ助祭といったところか。

 隣にいた司祭などは驚きの表情を浮かべている。もしかするとそれぞれで所属する派閥が違うのかもしれない。


「王女クリスティーナが貴国にいることは調べがついているのです!」


 最早尊称も付けていない。

 頭に血が昇ったと思われる表情にはこれ以上ないほどの不快感を滲ませていた。


 見れば、彼と同じく同行していた他の僧たちも似たような態度に変わっている。

 元から使者としての表情の下に疑念と怒りを隠していたのだろう。


「ひとつお伺いしたい。教会はどのような証拠があって申されているのですか?」


 無礼を咎めることもせず、エーレンフリートは教会側に問い返す。

 実にやり方が上手い。このような反応をすれば相手側は自身が優位にあると錯覚するだろう。


 その結果として――


「国王陛下は教会の決定に異を唱えるおつもりか! それは我らが偉大なる神を疑うも同じこと! その覚悟はあるのでしょうな!」

「然り! 大人しくクリスティーナを差し出すがよろしかろう! 隠し立てするとためになりませんぞ!」

「フランシス王国からの報告やその後の調査では東に向かったとの報告を受けております! この国に匿われているのでありましょう! ヴェストファーレンも所詮は東方の蛮族でしたか!」

「他に逃げる場所などあるはずもない! 神罰の名の下に懲罰軍を派遣されたいのですか!」


 ひとりが口火を切ったことで、他の僧侶たちも一斉に口を開き始める。


 若さのなせる勢いなのか、あるいは神に捧げた信仰心がそうさせるのか。

 とても一国の主に向ける言葉ではない。これではまるで異端審問も同じだ。


 言わせておけば……と居並ぶ側近たちも怒りで顔が紅潮するが、教会の者たちとは異なり国王の許可なく勝手には喋れない。


 ――よせばいいのにアホなのかこいつら。仮にも話し合いに来たんじゃないのか?


 事態を眺めるロバートは心底呆れていた。

 自分たちが言われているわけではないので特に怒りは湧かないが、頭ごなしの物言いなどしても相手を頑なにさせるだけだ。


 しかも、彼らはすでに事の背景を知っている。

 そう、王女クリスティーナにかけられた嫌疑が冤罪――そればかりか教会の一部が仕組んだ陰謀であることを。


 何故人類の敵たる魔族とわざわざ内通する必要があるのだろうか。どう考えてもヴェストファーレン側に利点がない。

 野心? 領土欲? 


 ――もっとも、彼らに道理を説いたところで無意味でしょうね。


 様子を眺めながらジェームズは思う。


 聖剣教会は人類の歴史の中で常に絶対的な正義を振るってきた神の地上代理人だ。

 自分たちが決めたことに間違いないなどない。でなければ世界が間違っている。そんな世界は神の名の下に是正しなければならない。


 彼らは、現代人からすれば信じられないほどの傲慢さで強権を押し通し、過去には国さえも滅ぼしてきた集団なのだ。

 この世界の住人であれば安易な行動には出られない。滅ぼされなくとも何をされるかわからない。

 そうした配慮が彼らに大きな“勘違い”をさせている。


『――!? ――!!』


 好き放題に言われる貴族たちの心情を代弁するように、そこで通信回線の向こうから何やら物音が聞こえてきた。


『ゆ、許せません! わたしだけならともかく! 父や貴族たち、それに祖国を侮辱するとは! 叩き斬ってやる! ヤツらの首は柱に吊るされ――』

『ちょっと姫様落ち着いて!』『今出て行ったらみんな台無しです!』

『お嬢ちゃん、気持ちはわかる! とりあえず剣をしまってその物騒な炎も消してくれ!』


 クリスティーナの怒声に続き、マリナにサシェ、それとスコットの狼狽える声がした。


 あれは椅子のひっくり返る音だったのか。どうやら控室でお姫様が暴れているらしい。「野郎、ぶっ殺してやる!」と某映画ばりの言葉が出なかっただけまだマシか。


『わたしは……。このような者たちのために、我が身を捧げてきたわけではありません……!』


『そりゃあ、けして気分のいいもんじゃないだろうがな……。今は様子を見守るしかないぞ……』


 なんとかスコットたちで抑え込んでいるのか物音は聞こえなくなった。


 ――まぁ、なんとも気の毒な……。


 他所で聞いているロバートたちは、お姫様のプッツン具合に呆れかける半面、同じくらい同情の念も抱いていた。


 正直こうなるのも無理はない。彼女は他ならぬ当事者なのだ。

 事実無根の罪でこうもなじられれば、怒り心頭になって当然だ。


 実際、会場のヴェストファーレン側はすでに全員が沸騰寸前だ。

 クリスティーナは直接対峙していないので表に出せているが、他は表情に出ないよう我慢している分タチが悪い。

 相手が判断を下すための要素として伝わらないのだ。


「――静まりなさい」


 緊張が大きく高まる中、モレッティ大司教が手を掲げた。

 驚くべきことに、彼はあくまでも穏やかな声のまま同行者たちを止めてみせた。


「これでは話し合いになりません。我々は教会を代表する使者としてここに参じているのです。その自覚が足りないのではありませんでしょうか?」


 どこまでも“聖務”に対する心構えを突いている。彼らの自尊心を刺激しすぎないように諫めていた。


 ――やってくれるねぇ、このじいさん。


 ウォルターはわずかながら視線を鋭くして鼻を小さく鳴らした。


 たしかに老僧の声はよく通るものだったが、これしきでいきり立った若い者を止められるわけがない。

 間違いなくこれも“仕込み”の内だろう。


『面白いことをしてくれるな』


 不意に回線にハーバートの声が入って来た。

 彼も何か気付いたらしい。


『面白いとはどういう意味でしょうか、ケネディ大佐?』


 回線越しに将斗から疑問の声が上がる。彼も今は基地のどこかでリモート参加しているようだ。


『今の時点では想像でしかないが……。この大司教ジイさん


 それは少なからぬ衝撃となって〈パラベラム〉メンバーの間を駆け巡った。




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