第144話 Hunting High and Low


「なぁ、最近……」

「ああ」

「どう考えてもだ」


 朝のまだ冷たさの残る空気の中、街道に並び、開門を今か今かと待つ人々を遠巻きにしながら衛兵たちが囁き合った。


 ――西から王都ヴェンネンティアへやって来る人間の数が明らかに増えている。


 街へ出入りを見ている衛兵たちはこのところそう感じていた。


「やっぱりか……。出て行く人間よりも入って来る人間の方がずっと多い」

「通り道で他所に行ってるわけじゃないのか?」

「調べたさ。他の門に詰めてるヤツに話を聞いても同じだって言ってたぜ」


 衛兵たちの視線が人々の向けられた。

 多くは商人とその関係者だが、新たな仕事を求める冒険者もそれなりに、また日が経つにつれて移住目的と思われる平民の姿がぽつぽつと増えてきた。


「よくもまぁ次から次に来るもんだ。そんなに儲けたいのかね」

「どうかな。商人はさておき、案外どうにか今日のメシにありつきたいヤツが多いんだろうさ」


 平民で着の身着のままの者は仕事を探して来たらしい。

 風の噂で「ヴェストファーレンには人手が足りないほど仕事がある」と流れたせいで、近隣国から密かに人口流出を引き起こしていた。


 ここまで人の移動に制限がないのは、各国に影響力を持つ教会の管理の下、戦へ動員するために人間の移動を比較的容易にしているからだ。

 まさかそれがこうして裏目に出るとは誰も想像していなかったに違いない。


 とはいえ、現時点では影響はそれほど大きくもない。


「いざとなれば商人は逃げだすつもりだろ。戦になるかもしれないし……」


 ひとりがそっと嘆息した。


 今やヴェストファーレンは人類圏東部を起点として話題を独占している。


 数十年ぶりに武力で国境線を引き直した国であり、教会に逆らった“愚か者”として。


 各国の見立てではヴェストファーレンの運命はすでに決まったようなものだ。

 たとえバルバリアを下したとはいえ、長年にわたり魔族と戦い続け、人類圏を守り抜いて来た教会に勝てる者など存在しない。


 商人たちも戦が始まるまでに稼いで、噂の富を吸い取ってやろうと考えていた。


「フン、教会ヤツらの目論見通りにはならねぇさ」


 ひとりの衛兵が鼻を鳴らした。

 彼はバルバリア戦役に動員され、それ以外にも東方にできた新たな街へ訓練に赴き、つい先日戻ったばかりの人間だった。


 即応戦力として登録され、衛兵でありながら気持ちばかり待遇がいいのだ。 

 やっかみはなくもないが、志願すれば訓練には参加できるので後は当人の能力次第である。


「ずいぶん自信があるじゃないか。“例の連中”の影響か?」


「ああ。訓練にも参加したが並大抵のモンじゃねぇ。あれを乗り越えた兵は強くなる。でも、それだけじゃないのがな」


「なんだよ勿体ぶって。異界の武器ってヤツかぁ?」


 知らぬ者たちは半信半疑といった様子だが反論はしない。

 実際に共に戦って存在を目の当たりにしなければ“アレ”はわからないだろう。同じ立場ならきっと自分も信じられない。


「見たらわかる。正直おっかなくもあるが、味方ならあんなに心強いこともねぇ」


「うーん、バルバリアがあっという間に降伏したことを考えると、あながち嘘ってわけでもないんだろうがなぁ……」

「お前を疑うわけじゃないが、ウチの国がそんなに……ってなるぜ?」

「東方で少しばかり大きな国ってだけだもんな」

「でも、だから“妙な連中”も増えてるんだろ」


 最後の言葉で衛兵たちはふたたび人々の群れを見る。


 噂の実態がどうであれ、この中にはおそらく間者スパイも相当に混ざっているのだろう。

 派遣元が教会かそれ以外の国々か、残念ながら彼らにそれと見分ける術や経験はない。

 しかし、そこは「無理しなくていい」と隊長から言われている。


「ま、指令があれば言われた宿に案内するだけだ」


「それでなんとかなるのかねぇ」


「バカだな。


 彼らはとにかく自分たちの仕事をすればいい。すでに動いている“システム”があるからだ。


「おっと、そうこう言っているうちに何か見えたぞ。あれは――」


 遠くへ目を凝らしていた衛兵が声を上げ、そして固まった。


「教会の旗だ」





「マクレイヴン大佐、間諜スパイと思われる人間の目星はつけました」


 眼鏡の位置を戻して、ジェームズが書類を読み上げる。


「ご苦労。まぁ、数の多寡はさておき入り込んで来るのは予想の範囲内だな」


 商業地区の端に構えた事務所で、エリックにロバート、それとウォルターが報告を受けていた。

 こちらは廃業した商家の建物を再利用している。


「職業ごとに宿を差配して散らばらないようまとめています。顔識別システムも活用できるでしょうからいざという時の確保も容易です」


 補足として同席しているジェームズが追加した。

 情報関係は憲兵隊が実務を担当しているが、ジェームズはオブザーバーとして監視システムの構築を助けている。


 教会からそろそろ使者が派遣されてくるだろうと考え、〈パラベラム〉は組織をふたつに分けた。

 パラディアム駐在組と、ヴェンネンティア駐在組だ。

 前者は実戦部隊となり数も多くハーバートが率いており、後者はヴェストファーレン執政府を含めた支援業務を担当するため間接部隊が多くエリックが担当している。

 ある程度高度な判断を求められることが予想されたため、現状最高階級の大佐二人で役割を分けたのだ。


 〈レイヴン〉と〈イーグル〉の遊撃部隊もヴェンネンティア駐在となっており、王都を中心に地球技術でカバーできる部分の支援を行っている。

 現在話しているスパイの炙り出しもその一環だ。


「魔法で少しくらいなら外見を変えられると聞くぞ。カメラを偽られたりしないのか」


「骨格まで偽れる使い手はほとんどいないとミリア嬢から聞いております。宿泊者との相違が出れば、それはそれで変化点としてマークできます」


 すべて織り込み済みらしい。

 髪を染めたり、化粧で雰囲気を変えるのは普通に考えられる。それに類似する魔法に関してもだ。


「いずれは“東”にも行き着く。ここでチェックしておけば余計な工作は防ぎやすくなるだろう」


 力の源泉がどこにあるか。各勢力の知りたいところは間違いなくそこだ。

 知ったところで軍事力の面で脅かすことは難しいが、富の独占は商品を分析されれば次第にできなくなる。


「各部屋には盗聴器を仕掛けてあります。魔法を使ってませんから探知もできないでしょう」


「ホテルに盗聴器ね。まるでどこぞの独裁国家だぜ」


 ウォルターが皮肉げに笑った。

 弱肉強食を地で行く世界にいるのだ、綺麗事を言える立場ではない。割り切るための冗談として口にしたのだろう。


「まぁまぁ……。生き残るためには足元を疎かにできませんから……」


 宥めるジェームズも少し苦い笑みを浮かべていた。


「わかってる。と判断したヤツがいたら拘束、場合によっちゃあ消さなきゃならん。早めの対処期間リアクションタイムが必要なのはわかるさ」


 知らず知らずのうちに溜め息が出ていた。


「あまり神経質になるな。慣れるしかない。生き残るためにな」


 エリックなりに言葉を選んだ。「この世界に来ると決めたのは自分だろう」と言うつもりもない。

 地球とは文字通りまるで違う環境への期待がある反面、不安も当然抱くものだ。

 特殊部隊でも名高いグリーンベレーを経て、更にはデルタフォースに選抜されて戦ってきた人間だ。ストレス負荷には強いとしても万能ではない。


「ええ、少し過敏になっていたかもしれません」


 ウォルターは軽く首を振った。


 次のオフはパラディアムに戻ろう。酒場に顔を出さないと拗ねられてしまう。

 あそこは〈パラベラム〉監修の下、健全な酒場になったので飲み食いだけで金を落としてやらないとならない。

 もっとも、地球の飯や酒をだしているせいで心配しなくてもいいくらいには繁盛しているようだが。


「大佐、王城より連絡です」


 ノックの後で扉が開かれる。

 入って来たのは憲兵隊のブライアン・モーリス中尉だった。


「読んでくれ」


 一瞥とほぼ同時の即答だ。打てば響くがごとき反応だった。


「はっ、教会からの使者が到着したとのこと。ついては交渉における対応の相談をしたいと申し入れが」


 書状をすらすらと読み上げていく。この手の仕事が長いのだろうなとロバートは思った。


「フム、思っていたより少し早かったな」


 一瞬だけエリックは顎に手をやって思案する素振りを見せた。


「よし、登城の準備をするぞ。マッキンガー少佐、ベックウィズ少佐、タウンゼント大尉は付き合え」


「格好は?」


 ウォルターが問う。


「陛下にも会う、礼服を着ておけ」


「「「イエッサー」」」


 三人の声が揃った。


「大佐、“ゲスト”の同行者には監視をつけておきますか?」


 やや遠慮がちにブライアンが声を上げた。彼は同行者に間諜がいると思っているらしい。


「いや、そこは不要だ。いたとしても取り纏め役だろう。俺なら担当員は別で紛れ込ませる。信者を装えば教会との接触は容易だからな」


「既に入り込んでいる者が接触してくると?」


 中尉の顔に疑問が宿った。

 敢えて疑われるような真似をするのかと思っているのだろう。


「そうだよ、“ビリー”。使者は教会に滞在する。中で誰が何しているかまではわからない。そこだけは連中も抜かりなくやるだろう」


 昔から知っている間柄らしくエリックは憲兵中尉を愛称で呼んでいた。スコットとのやり取りとは大違いである。

 もっとも、それがわかっているから今回はエリックも巨漢を呼ばなかったのであろうが。


「であれば盗聴は難しくなりますね。隣の宿の部屋を借り切ってコンクリートマイクとかでやるしかないか」


 腕を組んだジェームズが対応策を口にした。

 妙に生き生きとしているように見えるのは気のせいだろうか。いや、おそらく気のせいではあるまい。


「教会の施設を残したのも良し悪しですね」


 バルバリアでは市街戦の可能性があったことから王都の支部を“任意”で退去させた。

 しかし、ヴェストファーレンの場合、完全な手切れとなっていない以上は“交渉の窓口”として残している。

 もっとも、王国側からは「ウチの娘を陥れるとはいい度胸してるな?(意訳)」と言われ、クリスティーナを支持する民衆からの視線は冷たくなって肩身はずいぶん狭くなっているようだが。


「そうでもない。実務面では面倒もあるが、力づくで追い出していない以上『強硬に対立しようとている!』とケチはつけられん。被害者を演じる方が得だ」


「いやぁ……被害者から物理でぶん殴られるってどんな詐欺ですかね?」


 ロバートが堪えきれず笑った。


「詐欺だと見抜けない方が悪い。――さぁ、歓迎の支度を始めよう。戦争に至るまでの準備こそ我らの仕事だ」


 知らぬ間に三人は小さく身震いする。

 ハーバートがいなくなったからか少し口数が増えたエリックだが、コバルトの双眸に揺らめく氷の気配だけはまるで変わっていなかった。



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