第136話 閃光のラナウェイ
『雰囲気に呑まれるなよ!』
不意に無線からスコットの声が聞こえてきた。
それが気付かないうちに狭くなっていたマリナの視界を明瞭にする。
――ひゃー、危なかった!
冷静に考えれば戦場慣れしていない女子組へ向けたものだったのだろうが、マリナにとっては誰の声よりも深く自身の中に入ってきた。
あれだけどうにかしなければと焦っていた震えがピタリと止まったのだ。
いったいどんな魔法を使ったのだろうか。
マリナには皆目見当もつかないが、おかげで万全の状態で戦えるようになった。
――サンキュー、おっさん!
胸中で感謝を告げて、マリナは先を走る将斗たちに追いつこうと加速する中、左の方から駆けて来る敵兵に気付く。
遠くの敵は遠くから響く音と共に勝手に倒れていく。
これはロバートやジェームズの援護射撃だろう。マリナもいい加減“銃”というものを理解しつつある。
一番近い相手は――自分がやらねばならない。
「邪魔だよ!」
槍の兵士に向けて短剣を投擲。
しかし、まったくの無駄ではなかった。
「うおっ!?」
わざと反応できるギリギリの速度でマリナが投げた短剣を衛兵は咄嗟に槍の柄で払おうとした。
無意識の行動だろうが、いくら安全であっても鎖帷子で受けるのは本能的に避けようとしたのだ。
この余計な動きがマリナの狙い通り、敵に致命的な隙を生み出させる。
「恨みはないけど!」
槍の間合いの内側に潜り込んだマリナが剣を振るって槍を弾き飛ばし、返す振り下ろしの一撃で鎖骨を叩き割る。
「ぐべっ!」
戦闘力を奪うことが優先で無理に殺さなくていいと言われている。
攻撃手段を奪って牽制の一撃を叩き込むと、そのまま殴りつけて相手の意識を吹き飛ばす。
将斗仕込みの格闘術だが、剣と上手く組み合わせるとこれが存外に強いのだ。〈パラベラム〉の格闘術ともまた違う、不思議な体系の体術だった。
「次ぃっ!」
ここは敵地のど真ん中。止まっていては危険だ。
再度駆け出しながらマリナは視線を目的地――王城へ向けると新手が進み出て来ていた。
立ちはだかる敵は槍を持った衛兵だけでなく騎士の姿までもが見える。
さすがは敵の本拠地だ。それでも装甲の厚い後者が少ないのは幸いだった。あいつらは自分の剣では斬れない。
それができるのは――
「この
分厚い板金鎧に包まれた巨漢の騎士が右手に
彼がこの庭の守備隊長なのだろうか。技量はわからないが鎧の擦れる音で雰囲気と存在感は抜群だ。
「いきなりご挨拶だな!」
どこか嬉しそうに叫んだ将斗は、疾駆を続けながらいつもの細長い曲刀を抜いた。怯む気配は微塵もない。
先手を打つにはあまりにも距離がある。
いったいどう戦うつもりなのか。あんな細い剣で戦斧を受け止められるわけがない。
「死ねい!」
子供の重さはゆうに超えるだろう戦斧。それが軽々と掲げられるや否や突き進んでくる将斗を狙って垂直に落下した。
――危ない!
マリナの胸甲の中で心臓が大きく跳ねる。
相手はただの騎士ではない。おそらく魔法が使えない代わりに魔力を身体の中で循環させて肉体を強化できるタイプ――簡単に言えば将斗たちと同じタイプの人間だ。
さらに悪いことに、将斗はすでに間合いの内側にまで入り込んでいた。
投擲用の短剣に手を伸ばすも間に合わない。
できるとすればロバートたちの武器だが、あんなにも互いが近くにいる状態ではおそらく巻き込んでしまう。
クリスティーナの魔法なら――そう思ったが、彼女もすでに他の敵と交戦中だった。
「マサト!」
咄嗟にマリナは叫ぶ。
彼女の脳裏には将斗が真っ二つにされる未来が見えていた。
戦斧が石畳を破壊して地面に突き刺さる音が庭園に響き渡った。仲間の悲惨な姿を想像しら少女は思わず目を
「……俺が死んだと思ったろ?」
果たしてそれは誰に向けたものだったのか。
目の前の騎士に投げた言葉のはずだが、こちらもまた自分に向けたようにマリナには聞こえてしまった。
目を開ければそこにいたのは――
「ば、ばかな……」
騎士が呻いた。
振り下ろされた斧は、たしかに地面にまで込められた破壊力を伝えている。
しかし、それだけだった。確実に仕留められたはずの攻撃が外れて――外されていた。
「いい一撃だよ。普通だったらたぶん死んでる」
対する将斗は刀を振るったまま無傷。彼の刃は身体全体を落とす鋭い踏み込みの勢いから真上に跳ね上がり、驚異の精度で斧の軌道を変えながら相手の鎧ごと斬って抜けていた。
フルフェイスの騎士兜を右顎部分から斜めに切り裂く形だ。
「うそ……」
マリナは思わずつぶやきその場に立ち止まってしまった。
彼女だけではない。近くにいた誰もが凍り付いたようにひとりの剣士を見つめている。
「以前にもお仲間を斬っていてね」
騎士がその身を包む板金鎧は、重すぎると困るのもあるが各関節部や首を守るのを優先するため兜――特に顔面の装甲はそれほど厚くはない。
その一方で小さい分狙いにくいため、普通に戦う中では狙いに行くこともない。
もちろん将斗も狙ったわけではない。
ただ「相手が攻撃に乗じて身を乗り出してくるからそこを迎えてやっただけだ」――そう言わんばかりの態度だが、紛れもない離れ業だった。
「さて……できればみんな仲良く降伏してほしいんだが……」
顔面を切り裂かれた騎士に語り掛けるが、返ってきたのは左からのシールドバッシュだった。
「まぁそうだよなぁ……」
後方へ飛んで回避した将斗は溜め息を吐いた。
同じように国家へ忠誠を誓ったと言っても、自分たちのような地球出身の軍人とは覚悟がまるで違う。
騎士として地位も名誉もすべてが国によって保障されたもので、それ以外の世界など考えられないのだ。
あまつさえ彼らにとって自分たちは侵略者だ。自身の世界を破壊しようとする悪魔にしか見えないのかもしれない。
「マサト、大丈夫!?」
間合いが空いたところでマリナが駆け寄って来た。
彼女は右手に剣を、左手に短剣を持って周囲への警戒を行っている。
出会った頃よりもずいぶん頼もしくなった。
「俺は平気だが……あっちが案外しぶとい」
敵の騎士から目線と切っ先は外さず答える。後れは取らないと思うが油断していい相手でもない。
「あ、今のうちに言っておくけど、援護する時はひと言声をかけてくれ」
『ちゃんと狙ったから御身には当たらない。まさしく“矢除けの加護”の効果だ』
将斗のつぶやきに無線の向こうから心外と言いたげなリューディアの声が返ってきた。
よく見れば一本の矢が重装騎士の右肩口に突き刺さっている。あれも斧の軌道を変えるのに一役買ったに違いない。
エルンストを思わせるとんでもなく精確な一撃だった。
「まだやるか」
将斗は問いかける。
普通に考えればもう戦えないはずだ。にもかかわらず相手の戦意はほとんど衰えていない。
「負ける、わけには……いかぬのだ……!」
重装騎士からところどころ濁るような声が返ってきた。
顔面を切り裂かれ血が口腔内へと流れ込んでいるのだろう。普通であれば戦意の喪失は避けられない負傷具合だ。
しかし倒れない。
リューディアの矢によって斧を持てなくなった手で新たに剣を引き抜く。
恐ろしいばかりだ。戦意だけで動いている。
「次の一刀で決着をつける」
尚も立ち向かってくる騎士を前に将斗は告げ、静かに下段の構えを取り――そして動いた。
「おおおおおっ!!」
着合いと共に渾身の力で突き伸ばされるスパイク付きの盾。
将斗はそれを潜るように避け、刀を水平に旋回させながら敵の後方へと抜ける。
「悪いが……こんなところで止まるわけにはいかなくてね」
その言葉通り、真横を通って抜けた刃は騎士の脇腹を切り裂いていた。
金属の擦れる音すらしない、精妙極まる斬撃だった。
「む、無念、だ……」
「悪いようにはしない。難しいだろうがそこは信じてくれ」
意識を失い倒れ込む騎士に向けて将斗はそう声をかけていた。
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