第134話 空を見たけりゃ屋根の上


 市街地での戦闘が激化する中、ひっそりと屋根から屋根の上を軽やかに渡っていくふたつの影があった。

 エルンストとカリンだ。


安全確保クリア


「Rog.」


 近接戦闘の得意なカリンがナイフを手に先行して安全を確保。後を追うエルンストは個人防衛火器PDWを持ち、必要に応じて狙撃を担当するバディ体制だ。


 カリンは驚くほどが良かった。

 教えられたとおりに索敵をこなし、相棒の任務遂行をサポートしようとしてくれる。


 もう少し時間が取れるなら、銃器の扱いや観測手スポッターとしての仕込みをしてもいい。


 エルンストは成り行きで“相棒”となった少女を見てそう思う。


「エル大尉、すごいね」


 不意にカリンが声をかけてきた。

 しっぽがゆっくり揺れているので近くに警戒すべき対象は存在しないのだろう。彼女の感覚は“人型レーダー”と言っていいほどの精度がある。

 エルンストもこの世界に来てから気配を感じることはできるようになったが、今のところカリンの方が精度が高い。


「なんだいきなり」


「身のこなし。獣人でもこんなことできる種族や個体は少ないよ」


 知らない間に妙な呼び方をされるようになっていた。妙な誤解を招きそうだがおそらく止めろと言っても無駄だろう。


「そうか、こと身体能力に関して獣人に褒められるってぇのは名誉なもんだな」


 世辞ではなく本心から驚いたと言いたげな言葉に、ライフルを背負ったエルンストは端正な容貌には似合わない少年のように無邪気な笑みを浮かべた。

 いつも飄々としているこの男にしては珍しい。

 本心から嬉しいのだろう。思わずカリンも小さく目を見開いてしまった。


「うん、わたしたちからすれば尊敬の対象。ただ、ヒトがこういったことをしようと思うかは知らないけれど……」


 たしかにあまりいないのかもしれない。

 実際、こちらを狩りに来るバルバリア兵の姿もないし、おそらく存在すら露見していない可能性もある。

 今いる場所のような不安定な足場で軽やかに動けるスキルより、他に追い求めるものがあるのだろう。


「どんな場所でも戦えてこそ一流の戦士だ」


「その意見には賛成」


 周囲を見回しながらエルンストは一気に跳躍、先行したカリンのそばに着地する。


「俺の想像でしかないが、もしかしたら兵士だろうが冒険者だろうが自分から進んでリスクを取ろうとしないのかもな」


「限界を超える機会があるのに勿体ない。わたしたちにはこれまでそんなものもなかった」


「……どうなんだろうな。そう思えるのは好き好んで戦っている身だからかもしれないぞ? 強くなるのが生きるための手段でしかないなら最低限にしちまうもんだろ」


「そんなものなのかな」


「まぁ、俺たちみたいな武器がないからかもな。弓を持って屋根の上から狙う状況なんてそうそうないだろうし。そう考えたら限定されすぎる技能だ」


 そう言ってその場に軽くしゃがみこんだエルンストは、指でカバーを弾いたスコープを覗き込むのとほとんど同時にAWMの引き金を絞った。

 .338ラプアマグナム弾の鋭い銃声が街中に響き渡る。

 銃口の向きから推測してカリンが目を凝らすと、遠くの窓から弓を構えていたバルバリア兵が頭部の大半を失って地面に落ちていくのが見えた。

 槓桿ボルトハンドルが引かれ、薬莢が宙を舞う。エルンストはそれを手袋で掴み取って胸ポケットに収める。


「すごい……」


 思わず小さな溜め息が出た。流れるような動作だった。

 いや、そもそもヒトの視力でよくもあの敵兵を見つけ出したものだ。


「今のは近かった。これくらいならスナイパーにとっては普通だ」


「熟練の弓使いでもなかなか真似できないと思う……」


 普段から感情の波はあまり見られないカリンだが、これだけは呆れているのだとわかった。


 光学機器が生み出されていないこの世界では目視で戦うのが基本となる。

 遠見の魔法もあるようだが、これに攻撃魔法まで兼ね備えた人間など滅多に存在しない。

 そうなると肉体のスペックがモノを言うが、それでも“遠くが見える”のと“遠くの敵を精確に狙える”のはまったくの別問題なのだ。

 この青年はそれを理解しているのだろうか。


「そうか? 世の中広いみたいだしこれくらいできるヤツもいそうだけどな。ほら、不思議な魔法もあるかもしれないし」


 ――こんなヤツがそうそういてたまるか!


 今までに撃たれた被害者たちが生きていれば揃ってそう答えたに違いない。


「う、うん……。そう、かもね……」


 カリンも偶然ながらほとんど同じようなことを考えていた。


「言っとくが射撃を抜いたらマサトだってこれくらいは余裕でやると思うぞ?」


「えーと、キリシマ中尉が?」


 そういえば妙に気配や匂いの掴みにくいヒトがいたとカリンは思い返す。

 〈パラベラム〉に所属する黒髪のヒトの多くは体臭が薄いが、マサトの場合はそれだけでなかった。


「アイツはニンジャ――存在を隠し続けてついに誰も見つけ出せなくなったと言われる一族の出だからな」


「なにそれこわい」


 獣人の五感すら欺くなどほとんどバケモノと言っていい。


「さぁ、進むぞ。先導頼むぜ」


 スコープのカバーを閉じ、バックアップ用のH&K MP7A2に持ち替えたエルンストが語り掛けてくる。


「うん、任せて」


 本人が先を行っても問題ないのに、彼はカリンが主体となって役目をこなすよう促してくれる。

 言葉として聞いたことはないが、信頼してくれてなければおそらくこうはいかないはずだ。


「俺らを置いてさっさと行っちまった少佐たちに追いつかなきゃならないからなぁ」


ストライカーあれはすごい。馬より速かった。びっくり」


 だからカリンも“相棒”を信頼して先に飛ぶ。

 幸いにして世間話をするくらいの余裕はある。普段の訓練でも楽しいが、こうした他愛のない時間はもっと楽しい。


「段階を踏んでいったら、カリンたちにもできるようになるかもしれないぞ」


 興味を持ったことに気付いたのかエルンストが話に乗ってくる。依然として視線は常にあらゆるところを向いている。


「それは楽しみ」


 口数は少ないながらもカリンは柔らかく微笑む。


「代わりに今の身体能力じゃなくなるかもしれないぜ?」


「……あれに頼ることで能力が落ちるという意味?」


 少女は小首は傾げたが、すぐに意見を伴った反応が返ってきた。打てば響くがごとく思い悩む気配がないのは驚きだ。


「そうだ。使わなければ衰えるだろうな」


「それならそれで仕方ない。弓矢がなければわたしたちは走って獲物を狩らなければならなかった。剣がなければひどく長い爪や牙が必要だった。何かを得るには何かを失うもの。そう考えれば


 思わずエルンストは驚愕の溜め息を漏らしそうになった。

 この獣人の少女は、感覚的ながらも種族の進歩が生物として進化するのみならず“退化”まで含まれていると理解しているのだ。


「カリン、おまえよくそこまで考えつくな……」


「似たようなことから連想しただけ」


 それが一番難しいのだが。


 正直、エルンストは後から合流した亜人たちに何の期待もしていなかった。

 ヒトからの迫害を一身に受けていたのはエルフたちで、彼らは遠い昔に「そうされた」という意識だけが怨念として残っていただけの種族たちだった。

 目を見ればわかる。生き抜こうとする意識ではなく“ただ本来あったであろう権利”を取り戻したいだけの連中だ。


 その中でカリンは違う。

 彼女はこの機会に外の世界に飛び出ようとしている。どうせなら自分はこういった人間を育てたい。


「上に許可を取らなきゃならんが、おまえも含めて見どころのあるヤツを俺たち風に育てようと思う。この戦いが終わってからでいいが、そんなヤツがいたらまた教えてくれ」


「わかった。獣人になら聞ける」


 ひとまず話はここまでだ。エルンストの気配が変わったことでカリンはそう察した。


 ようやく王城が見える――狙える位置にまで到達した。

 戦闘機動を繰り返して敵を適宜潰していたからかストライカー部隊はまだ王城への橋を渡っていなかった。

 いや、おそらくストライカーでもあの橋は渡れそうにない。跳ね橋になっているからだ。


「大尉、見て……! 橋が……!」


 カリンの鋭い声を聴いた時にはエルンストも気付いていた。


「クソ、あいつら引きこもるつもりか!」


 橋なら他の場所にもあるが、この調子ならそちらも同時に塞ごうとしているはずだ。

 ここをどうにかしなければ突入部隊が王城へ攻め込むことが困難になってしまう。


「狙えるか……!?」


 自分自身に言い聞かせるようにつぶやいて、エルンストは伏せ撃ちの姿勢を取る。

 レーザーレンジファインダーを覗き込むと約900メートルと表示された。

 城門の上、わずかに見える場所から鎖を巻き上げようとする兵士たちの姿が見える。

 これを短時間で二か所も阻止しなければならない。


 ――たいしたプレッシャーだ。


「風向きは東北から、風速は――」


 狙撃のための諸元を押さえるとスコープをダイヤルを調整していく。


 失敗が許されない状況ながらエルンストは


 もう少し敵の動きが早かったらキロ越えの狙撃をすることになった。

 市外戦の、それも精密狙撃を求められる時にロングスナイプなどご免蒙る。そう考えればこれはずっとマシな部類だ。


「いくぞ、見てろ」


 短く告げると軽く息を吐いて止める。

 呼吸と興奮による身体のブレを極限まで押さえ込んで自身とライフルを一体化させていく。

 こうなればあとは簡単だ。調整されたトリガーが応えてくれる。


 銃声。


 素早く槓桿を引いて次弾を薬室に送り込む。

 スコープの向こうで敵兵のひとりがもんどりを打って後方へ倒れるのを見ながら、次の標的に狙いを定めた。銃口の動きは最小限だ。

 

 再度――銃声が鳴り響く。


命中ヒット、次は――」

 

 軽く息を吸い込み、喜びの片鱗すら見せることなく青年は次のターゲットへ狙いを定めた。


「!?」


 スコープの向こうで敵兵が血を噴いて倒れていく。

 驚きはしたが、すぐにエルンストはその正体に気付く。


『よう、“ラムシュタイン”。相変わらずいい腕してるじゃないか』


 耳に着けたインカムから聞き慣れた声がした。


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