第128話 いざ本丸へ


 出城の制圧と新たに降った捕虜の武装解除を終え、国土の防衛ラインを越えた新人類連合軍はいよいよバルバリア王都を目指して進軍を開始した。


 山道を行くヴェストファーレン・亜人DHU兵たちの足取りは、疲労の色はあるものの心なしか軽い。

 おそらく間近に勝利の気配が見えているからだろう。特に亜人たちにとっては種族を通した長年の“悲願”でもある。


「東方領域を出られたばかりか、こうして憎きヒトの軍勢を打ち破る日が来るとは……」

「ちょっと勝っただけだ。まだ本番が控えているぞ」

「気を付けろよ。ハメを外すと処罰されるからな」

「我々が味わった辛酸を何だと思っているのかと問いたくもなるが……」

「やめとけ。紳士に振る舞えと命令されただろ。ヒトを喰うなんて噂でも立てられてみろ。二度と外を歩けなくなるぞ」


 他愛もない軽口を叩いて紛らわせているだけで、多くの亜人たちは未だ心底では納得していなかった。

 鬱屈した恨みの感情は容易く消せはしない。それでも、表に出さないだけの確固たる戦果が彼らの感情を近年ないほどに高揚させているのだ。

 〈パラベラム〉から見て、依然兵士としてはお粗末なレベルだが、こうした経験の積み重ねが世間を知らない彼らを変えるのだと信じるしかない。


亜人デミたちも昂っておるようですな」


 馬上のリーンフリートに低い声がかけられた。横を進むランツクネヒト辺境伯からだ。視線を向けるが友軍を侮蔑する気配は感じられない。


 ――なるほど、この男ですら勝利の前には


 リーンフリートは小さく驚きを覚えた。

 無骨な武人として知られる彼も、今回ばかりは興奮を隠しきれないのだ。少なくとも自分にはそう見えた。


 ――いや、よそう。


 小さくかぶりを振った。

 今は人や亜人をどうこう言える立場ではない。他ならぬ自分も昂揚感を抑えきれない者のひとりなのだから。


「ああ、半年前には想像すらしていなかった。正直戸惑いもある」


 上擦りそうになる声を王子はどうにか押さえ込んだ。


「だが、ここで動じているようではこの先何もできなくなる。それは避けたい」


 遠くないうちに教会との激突が予想されているため「ひとまず」という形にはなるが、この戦いに勝てば事態は新たな局面へ進むことになる。


「ここ数十年以上、いくさに起因する国境線の引き直しが行われて来ませんでしたからな」


「そんな我が国にとって、他国を下すというのは初めての経験と言ってもいい」


 リーンフリートをはじめとして侵攻軍を率いる立場の者たちは声にこそ出さないが、先祖もなし得なかった戦果を目前に心はある種の感激に打ち震えていた。


「ただただ驚くばかりです。対魔族戦線があるかぎり、我らのいる“後方”では変わらないことこそが日常だと思っておりました。それがまさか覇道に足を踏み入れることになるとは……」


 万感の思いが壮年の武人を饒舌にしていた。

 魔族との戦いが人類優勢のまま膠着している今、危機的状況――後方からも兵士を動員するような状況ではない。

「人類のため戦って死ね」――そう言われずには済むが、その反面活躍の場を得られなくもある。

 貴族の男として生まれた以上、絵物語に出てくる英雄のように名を上げたい野心のひとつくらいあって当然だ。

 ところが意図せずしてその機会が訪れたのだ。気炎を上げる亜人たちの姿を笑うことはできない。そう素直に思えた。


「覇道とはいささか大袈裟だな、ランツクネヒト卿。私はあくまで足場固めのつもりでいるよ、攻め落とされるバルバリアには災難な話だろうがね」


 リーンフリートは静かに鼻を鳴らした。

 自嘲というわけではないが所詮自分たちは田舎者だ。ここから先何があろうとも人類圏に覇を唱えるつもりはない。

 少なくとも自分たち――


「そろそろ王都が見えてくる頃です」


 ロバートとクリスティーナが馬を進めてきた。

 アメリカ育ちの海兵隊少佐殿は乗馬経験もあるらしく、騎士鎧を纏っていない以外は妙に風格が漂っていた。


 そのまま進むと程なくして山奥にあるとは思えないほど見事な街が見えてきた。

 誰が命じるわけでもなく軍勢の足が止まる。


「さて、士気は十二分に高い。攻めますか?」


 ロバートが問いかけてきた。どこか試すような気配があった。


「……あなたがたが問題ないとするなら我々に異議はありません。しかし、侮っていたわけではないが、なかなかどうして連中も備えているようですな」


 答えたリーンフリートは敵の本拠地を見据える。


 王都を囲む城壁の存在は先だって〈パラベラム〉から伝え聞いてはいたが、まさかこれほど強固なものとは思わなかった。


 遥か北方に聳える険しい山脈から流れてくる川。長い年月をかけてそれを拡張させて標高の低い西側へ迂回させ、今では南側を通って平地へ抜けている。

 あとはここに幅が狭い橋を架けるだけで敵を釘付けにする城門の完成だ。

 川のない東に迂回しようにもそこは切り立った崖が行く手を阻み、周辺もより強固にした城壁が侵入者を拒んでいる。航空戦力でもなければ通常の軍では攻めあぐねること必至だろう。


「何とも見事なものです。教会が“私闘”を禁じているとはいえ、環境に甘んじてはいなかったのでしょう」


 軍を率いる指揮官としての目でロバートは王都を眺めている。


「ロバート殿が以前言っておられましたな。『国家に真の友人はいない』と――」


「ああ、あれですね。どちらかと言えば「友人のように信じすぎるな」という意味です。とはいえ彼らバルバリアは疑いすぎた。あるいは妬みすぎたゆえに貴国に躊躇いを抱かせなかった。これは明確な失策ですね」


「その失策がこのような状況を生んだと?」


 “玉座”にまで迫った状態でありながら、リーンフリートの頭に上った血の気がわずかに引いた。直感的なものであったが他人事と流せなかったのだ。為政者の血が働いたのかもしれない。


「さてどうでしょう。運がなかっただけなのかも」


 意外にもロバートはさらっと話題を流した。横のクリスティーナがクスリと笑うのが見えた。

 なるほど、彼なりの助言のつもりということか。


 そっと王子は息を吐く。血の巡りが落ち着くにつれて「今は考えても仕方のないことだ。それゆえに忘れるな」と言っているように聞こえた。


「相手は山国。攻める側が不利なのも明白です。周囲の地形に頼らず防衛力も高めてきた手腕は賞賛に値するでしょう」


 そう、元々友好的でなかったとはいえ、山国のバルバリアを落とすとなればかなりの消耗を強いられる。たとえ軍勢が敵の数を大きく上回っていたとしてもどれだけの兵を犠牲にすることか。

 普通に考えれば攻めようと思うものではない。利が少なすぎるのだ。


「まさしく容易ならざる相手でしょうな。……我々だけなら」


 長い息を吐き出す。


 この短い間に、いくつもの“枷”が消えた。

 たとえばそのひとつとして、教会が保つ秩序の下で争いを起こせば懲罰軍を差し向けられかねないリスクがあった。


 しかし――今となってはもう、彼らを守る神の威光ものは存在しない。


「戦へ臨む皆様にはいささか物足りないでしょうが、今しばらくはご容赦を。ここからは我々の出番となりますゆえ」


 ロバートはそう静かに微笑む。

 腕を組むクリスティーナがわずかに身震いするのが見えた。

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