第110話 娘を頼みます


主賓しゅひんが抜けていいのか?」


 静かに口から煙を吐き出し、スコットは自分から口を開いた。

 こちらに用があるなら訊いた方が話も早い。


「ははは、主賓などとはおそれ多い。クリスティーナ殿下がおられる場所では私など木っ端もいいところです」


 ヨハンネスは小さく肩を揺らして謙遜した。

 遠くから室内の喧騒がわずかに漏れ聞こえてくる。向こうは向こうで盛り上がっているようだ。


 ――たしかに華はあったしな。


 スコットは先ほどのドレス姿を思い出す。


「あまり畏まらなくていいと思うぞ。あれはお忍びだ。公式にはヴェストファーレンの王女がエトセリアを訪れた事実はない」


 軽い口調で答えたスコットに、ヨハンネスは軽く目を見開いた。

 他国とはいえ、王族に言及する態度ではなかった。


「その……よろしいので?」


「構わんだろう。元聖女候補と言っても聖剣騎士団にいたんだ。そこらへんの王族よりも市井の事情には理解がある」


 ヨハンネスの危惧をスコットは軽く笑って否定した。

 普通そこらへんには王族はいないのだが、彼の言わんとするところはわからなくもない。


「そういう意味ではなく……」


 言いながらもヨハンネスは理解していた。無礼と断ずるにはいささか事情が異なっていると。


「気になるのはわかる。まぁ、こう見えて。本人の希望だ」


 思い返せば、先ほど会話していた時のスコットとクリスティーナの口調もそうだった。今とさほど変わらないが敬意のようなものは感じられた。貴人へのものというよりは“仲間”に対する信頼だろうか。


「どういった付き合いか、詳しくお訊きしない方がいいのでしょうね」


「あまりオススメはしないな」


 スコットは曖昧に笑った。


 事情はわからないが、余人には理解できない信頼関係が結ばれているのかもしれない。

 しかし、同時に王族とそうした関係を構築できてしまう彼らがヨハンネスにはどこか空恐ろしく感じられた。


「もっとも、ヴェストファーレンとエトセリアで交易の調整をする時はもう少し堅苦しい場になるだろう。今日のところは邪魔だから呼んでないが」


 巨漢はエトセリア執政府関係者がこの場に居ないことに触れた。

 邪魔とひと言で切って捨てるあたりが実にこの男らしい。考え方が異質過ぎるきらいはあるが、ここまで言い切れるのは尊敬に値する。


「……であれば、猶更主賓は存在せず、ただ各々が不思議なえにしにより近付けたと思うべきでしょうな」


「いいな。そういった考え方は嫌いじゃない」


 ゆっくりと煙を吐き出してスコットは小さく微笑んだ。

 話がひと段落したと思ったヨハンネスは姿勢を正して話を変えにいく。スコットも気配を察したか、吸い殻を携帯灰皿に放り込んで身体の向きを動かした。


「あらためてとはなりますが……サシェを連れて来ていただき、本当にありがとうございました。言葉だけでは足りないのもわかっています。親としてどう感謝したらよいか……」


 ヨハンネスは深々と頭を下げた。

 ここに来た本当の目的はこれだったのだろう。


「よしてくれ。仕事上の障害を排除しただけだ。あんたの娘が俺たちといたのは結果論に過ぎない」


 対するスコットは困った表情を浮かべるしかない。

 父親としての矜持なのだろう。止めるのもどうかと思うが一応は事実を並べておく。恩を着せるつもりなどないのだ。


「だとしてもです。私が蒔いた厄難やくなんの種をあなたは刈り取ってくださった」


「それも結果論だよ。これから先の商売で世話になる側だ。たまたま落ち着くところに落ち着いたのさ」


 スコットにしては珍しく言い聞かせるような物言いだった。


「ところでその娘御のことだが」


「はい」


 ここでスコットは今一歩踏み込んだ。


 ヨハンネスは動じない。

 やはり最初から礼を言うだけが目的ではなかったのだろう。


「この際だから隠し事はしないが、俺たちはいずれ教会と事を構える。それはほぼ確実だ」


 ヨハンネスの表情が固くなった。


 教会と敵対する――この世界では天に唾吐く行為に等しい。

 もちろん、信仰心が商人としての利に優先することはない。それはわかっている。わかっていても「ヒト全体を敵に回しかねない」という言葉の重みには背筋が凍る思いがした。


「やるからには負けるつもりはない。だが、商会が取引しただけなのと、実の娘が叛乱勢力に加わっていたのではそちらが受ける影響も変わってくる」


 端的な物言いを好むスコットにしては丁寧な物言いだった。ゆえにヨハンネスは彼の思惑が少しづつ読めてきた。


「戻って来ている今が最後のチャンスだと?」


「最後かどうかはわからん。だが、。当人にもそれは言ってある」


 明確な言葉にはしなかった。誤解する余地もない。

 スコットはヨハンネスが求めればサシェにこの地に残るか意志を問うつもりだった。


「本人は何と言っておりました?」


「『実家の件が片付いてから決める』と。俺もそれでいいと答えている」


「そうですか……」


 答えたヨハンネスだが、どこか迷っているように見えた。

 反応を見たスコットは決断を下す。サシェのことは今のうちにはっきりしておく必要があると。


「決めるのは本人だが……冒険者なんていつ死ぬかわからない職業――いや職業と呼んでいいかもわからないものだ。帰る場所のある娘が身を投じるものではないだろう」


 気遣いではない。スコットが本心から思っていることだった。

 ヨハンネスの思惑など訊くまでもない。「冒険者になるために育てたわけではない」と答えるに決まっている。

 本来冒険者は、マリナのように“なるしかない者”のための安全網セーフティーネットなのだ。


「親としてはいてくれるだけでも嬉しいですし、身の置き場も用意できると思います。これでもそれなりの蓄えもありますから」


 ヨハンネスはまた娘と暮らせることに思いを馳せていた。表情は往時の平穏を取り戻そうとしているようにも見える。

 その表情も長くは続かなかった。


「しかし……婚約はとうの昔に破談となり、今回新たに元婚約者は“不審死”を遂げています。この状況であのが戻って来ても、良い方向に向かうとは思えないのです」


 この世界では経歴にバツがついたどころの話ではないのだろう。共同体を村社会なに近いものと見れば、サシェは“曰くつき”の存在になってしまったわけだ。


「ですから――引き続きあの娘をお願いできませんでしょうか、スコット殿」


「……俺に?」


 さすがのスコットも投げかけられた言葉を理解するのに時間を要した。


「ええ、あなたにです」


 ヨハンネスははっきりと頷いた。

 仕方なくといった様子ではない。思惑が垣間見えた。


「父親としては無茶はしないでほしい。しかし、商人としてはあなたたちのやることに興味がある。皆さんの中で娘は一番あなたを信頼しているようだ。消去法のようですが、根無し草の冒険者を続けられるよりもずっといい」


 さすがは親だ。よく見ている。

 自分では普通にしていたつもりでも、サシェの動きを見ていたわけか。

 こうまで言われてはどうしようもない。


「……わかった。頼まれたからにはお預かりさせてもらう。もちろん、本人の選択次第だが……」


「何か注文をつける気はありません。……あ、娶る時だけは言ってください。マリナと一緒でも構いませんから」


 抜け目がない。娘の永久就職先も狙っているわけか……。


「……最後ので台無しだな」


 笑うしかないスコット。もう一本煙草が欲しくなった。


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