第107話 上を向いて企もう


 どこの世界にも共通することだ。

 商会同士が売上を競うように、悪所にも裏組織同士の勢力争いがある。


 ルンドヴァル一家はエトランゼ最大手の裏組織だが、当然ながら二番手を張る組織が存在していた。それがリンデロート興業だ。

 彼らの本社事務所は、ルンドヴァル一家の若頭ヴェイセルが根城とする酒場からさほどかからない場所にあった。

 倉庫を改造した建物の二階が応接室も兼ねた構成員の詰める場所になっている。普段は雑談の声が飛び交うその場所も今は静けさの中にあった。


「いったいどういう風の吹き回しだ? 大手商会の会頭サマがウチに直接訪ねて来るなんて」


 探るような視線を向けたのは、藍色の髪を整髪油で撫でつけたやや神経質そうな印象の中年男。彼がリンデロート興業の頭目であるオルヴァー・リンデロートだ。

 一見、その筋の者にしては小綺麗できっちりとした印象を受けるが、目はどこか眠そうな――人を殺したことのある者特有のくらさがあった。


「意地の悪い質問ですね。わかっていて訊いているのでしょう?」


 軽口に付き合うつもりはない。そう言わんばかりに問い返した青年はノルドマン商会会頭のテオドル・ノルドマン。

 栗色の髪に緑の瞳、細い顔つきが作り出す整った容貌だ。穏やかで人の良さそうな雰囲気を漂わせていた。まさしく大店の御曹司といった印象を受ける。


 商会の若旦那に裏組織の頭目。テーブルを挟んで会話をするには不釣り合いな組み合わせだった。

 周囲に控えるリンデロート興業の構成員たちも、表情には出さないが「なぜ自分たちのような連中のところに?」と思っている。


 しかしオルヴァーは誤解しない。

 青年の事情を聞き及んでいるのもあるが、裏の力を必要とするからこそ足を運んで来たのだと理解している。


「さて? “競合先”と何か企んでるって聞いてたから俺たちの出番はないと思ってたんだが……」


 これまで蚊帳の外にいたのだ。皮肉のひとつくらい言っても罰は当たらないだろう。そんな意図がオルヴァーの笑みの向こう側に見えた。


「よくご存じですね。おそらくご存知でしょうが急に事情が変わってしまいまして」


 ――でなければ、わざわざこんな場所を密かに訪ねたりはしない。


 そう言ってやりたいのを堪えて、テオドルはできるだけ穏やかな言い回しを己に課す。

 曖昧に微笑む青年は、質はまぁまぁだが年齢の割には大人しい、むしろ目立ちにくい色合いの服に身を包んでいる。

 普段と服装を大きく変えることで、自分がここに来たのとを目撃されないようにしていた。


 したがって護衛もふたりだけ。冒険者上がりの男を背後左右に立たせている。中堅でこれ以上昇級の望みの薄い者を引退させ雇ったのだ。給金は弾んでいるため、忠実な部下として常日頃から主人を守ってくれている。


「なるほど。すぐに動いたというわけか。働き者だねぇ」


 オルヴァーはテオドルを見て笑みを深めた。


 目の前の青年は、数年前に先代が病死したため若くして商会を継ぎ、近年商圏を拡大してきたやり手でもある。

 その反面、「若造ごときが……」と侮られ苦渋を舐めさせられてきた経験から、やや物事を性急に進めようとする癖があった。

 先触れも早々に訪ねてきたのもそれが影響しているのだろう。今も迂遠なオルヴァーの物言いに苛立ちを感じているのが伝わってきた。


「少し焦りが見え隠れしているのはそういうわけか」


「ふぅ……。イヤなところを見てきますね……」


 あくまで穏やかな口調のまま、テオドルは表情を不快の形に歪める。「わかるようにしているのだからそろそろ止めろ」と言外に伝えていた。


「ははは、人の弱みにつけ入るのが俺らの仕事だからな。そういえば狙っている例の商会、出てった娘が帰って来てるって話だぞ」


 言葉を続けるオルヴァーに反省の色は見られない。

 なおも続く無遠慮な言葉に青年の双眸が細まった。内心の怒りを隠そうとしての反応だった。


「なんだ、まだご執心なのか?」


「……私は私を裏切り、侮辱した者を許さないだけです。勘違いはしないでいただきたい」


 からかわれている。それを理解した上でテオドルは冷静な声を辛うじて保てた。


 サシェとの婚姻は先方から持ちかけられたもので彼が何かしら動いての話ではない。

 しかし、それを弾みに更なる飛躍を画策していた彼にとって花嫁の出奔は裏切りに映った。

 婚姻後はしばらく大人しくしておこうと思ったプランを強硬化かつ前倒しする程度には、青年のプライドを深く傷付けていたのだ。


「なら、用件を聞かせてくれ。その辺の話も無関係じゃないんだろう?」


 オルヴァーは軽口を止めた。

 ようやく本題に入れると青年は小さく安堵の息を吐き出す。


「ルンドヴァルの若頭ヴェイセルが“提携”から降りました。武闘派の名が聞いて呆れますね」


 先ほどよりも冷ややかな声でテオドルは吐き捨てた。


「ああ、やっぱりそれか。カシラのステファンが直々に指示を出したと聞いてもいるが」


 納得したと小さく頷いてオルヴァーは考える素振りを見せる。

 早くも自分の利益について計算を始めているのだろう。商人としてこの態度はわかりやすすぎると冷笑がこみ上げてくる。


「ええ。実に余計な真似をしてくれました。老いて耄碌もうろくしたのではありませんか? あるいは自分が生きてる間に厄介事を抱えたくなかったか……。衰えたものです」


 淡々とした口調ながら、計画が狂わされた苛立ちを隠しきれていない。「まだまだ若いな」とオルヴァーは思うが、青年がへそを曲げかねないため黙っておく。相手が許す軽口の限界値を彼は知っていた。


「それで? あんたはパートナーを乗り換えに来たのか?」


 まずは仕事を優先しようと先を促す。テオドルも異論はなく静かに頷いた。


 お互いがお互いを見下していた。それでも彼らは相手を拒絶しない。利害だけは一致しているからだ。


「有り体に言えば。ここでウチと組めば、あなたはエトセリアの頂点に一躍踊り出られます。我々は商売で栄えて、そちらは裏社会を牛耳られる。国の方も鼻薬でも嗅がせれば何もしてこないでしょう」


「そりゃあ何もない時ならそれでいいかもしれんがな。外の国がデカい商売の話を持って来たって噂があるようだがどうなんだ?」


 前のめりになる前にオルヴァーの理性が働いた。考えなしに頷いてはこちらがいいようにやられる。裏社会で生き残ってきた男は無為に先走らない。


「やはりいい耳をしていますね」


「当然。それが飯の種だからな」


 内心を隠し切ったオルヴァーが満足気に肩を揺らす。対する青年の眉が小さく動いた。


「噂については事実です。だからこそ邪魔な連中を潰す絶好の機会になるわけです。ここで上手く立ち回れば我らはこの国の上に立てる」


「わかった。なら、我々は何をすればいい。わざわざ来るくらいだ、相応の話なんだろう?」


 声の張りが増した。自分たちの本領を発揮するところだからだろう。

 やる気を出してくれるなら何でもいい。青年はそう思いながら口を開く。まさに本当の用件だった。


「戻って来たという商会の娘――?」


「……商会への示威行動でもなく直接か?」


 さすがのオルヴァーも一瞬言葉を失った。


「何か問題が?」


 あくまでも青年は表情を崩さない。


「そもそも攫って来てどうするつもり――って聞くまでもないか」


 余計な詮索はやめた。

 職業柄、べつにたいした話ではない。標的が昔の元婚約者でなければだ。さすがのオルヴァーも執拗さを感じずにはいられなかったが気にしても仕方ないと割り切った。


「あくまでも我が商会の未来のためです。ただ、私をコケにしてくれた人には――?」


 ようやく見せてもいいとばかりにテオドルは酷薄な笑みを浮かべた。

 オルヴァーも同意の言葉を吐き出そうとする。


「商人にしちゃあえらい物騒なことを企んだもんだな。おまえ、本当にカタギか?」


 誰もが思い、そうでありながら誰も口にしなかった言葉が他人の声となって放たれた。



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