第106話 君に夢はあるか


「誰だ!」


 ヴェイセルが声を上げ、先ほど霧散させた殺気を蘇らせる。

 部下たちも慌てて身構えた。素人のレベルは出ないが、なんだかんだとよく訓練されている。少なくとも意思の強さが垣間見えた。


 ――もっと仕込めばいい兵隊になるかもしれない。


 傍で眺めていたエルンストはヤクザ者への偏見もなくそう思った。

 一番動揺していないヤツなど訓練次第では狙撃手にもなれそうだ。もっとも、すぐにライフルを渡せるものではないが。


「おいおい、まさかずっと見てたってオチじゃなかろうな?」


 にわかに緊張を取り戻した空気の中、スコットが呆れたように言い放った。

 彼の場違いとも思える声によって、場はふたたび落ち着きを取り戻す。身内だと間接的に告げたためだ。


「ひでぇ言い草だ。入るタイミングは窺ったが、着いた時には片付いた後だったぞ」


 床を叩く靴音。

 スコットたちには見慣れた姿――〈パラベラム〉総指揮官のロバートが立っていた。

 彼の後ろにはなぜかクリスティーナと、見知らぬ老人の姿があった。


 周りの男たちが小さく息を呑み、素早く壁際に寄って行く。ヴェイセルに至ってはその場から立ち上がっていた。


「というか、何でアンタがここにいるんだ、殿?」


 周りの動きには我関せず。スコットは同僚に疑問を投げかけた。


「ああ、向こうのことはベックウィズ少佐に押し付――任せて来た。あくまで代理だがな」


「……なんだって?」


 信じられない言葉が飛び出した。

 仕事を投げ出してきたと言いやがったのだ、この男ロバートは。


 いや、ウォルターもなかなかの曲者だ。素直に受け取るとは思えない。何らかの取引があったもかもしれないが……。


「ヴェストファーレン経由でお姫様を拾ってここまで来たのに、サシェの実家に行ったら肝心のお前らがいなかった。ミリアに事情を聞いて、慌てて“責任者”を連れて来たってワケだ。俺って働き者だろ?」


 スコットからの追及を無視したロバートは答えるだけ答えて後ろの老人に視線を送った。


 促されて前に進み出て来る老人。少し困惑した様子がある。

 年齢は六十近いだろうか。この世界では高齢に分類される。少し押し出しは強いが上等な服に身を包み、小洒落た老商人に見えないこともない。


 しかし、漂う生気が常人のそれではなかった。

 ただ立っているだけでも放つ雰囲気の重みがまるで違う。ヴェイセルを更に数十年磨き続ければ似たような雰囲気になるかもしれない。

 これだけで将斗たちは老人の正体に気付いた。


、短い間にずいぶんと面白い経験をしたようだな」


 老人は「とんでもない連中と関わっちまったな」と笑っていた。

 彼がここへ足を運んだ時点で、ロバートが何か仕込んだのは明白だ。

 スコットは堂々と殴り込みに来た自分を棚に上げてそう考えた。


 では、彼の切った札は何だろうか。

 おそらくはヴェストファーレンクリスティーナ、それとヨハンネスあたりだが――


 そうか…………。


 気付いたスコットは舌を巻いた。


 ロバートは〈パラベラム〉の暴力に、商人の人脈と国家権力を上乗せして、裏組織の一番上と話をつけてきたのだ。

 そこで収まれば即解決するし、部下が反抗するなら粛清するなど方法はある。

 たしかに最速の解決手段だ。


 ――これが指揮官としての素質の差なのか。


 特にロバートへの妬みの感情はないが、そこまで考えが至らなかったと思わずにはいられない。

 自らの力量不足を恥じ入るばかりだ。


「ここ最近見ないくらい楽しげな顔をしてやがるぞ、ヴェイセル」


組長オヤジ……」


 名を呼ばれたヴェイセルの背筋が伸びた。明らかに緊張している。それが誰の目にも見て取れた。

 ルンドヴァル一家の組長ステファン・ルンドヴァルが現れればこのような空気になっても不思議ではない。舎弟のそれを見た老人は口唇の端を釣り上げる。妙な凄味があった。


「ヴェイセル。オメェ、世界に出てみる気はねぇか?」


 ひどく端的な物言いだった。しかし、それだけでヴェイセルにはすべて通じた。

 言葉を紡ごうと口を開きかけるが、それに先んじてステファンが続けていた。


「お前もいいトシだ。やることに “親”の俺がいちいちケチをつけるつもりもねぇ。だがよぅ、チンケな商会の口車にノって真っ当にやってるカタギの商会潰すような真似して楽しいか? 聞けば、そこにいる魔法使いのお嬢ちゃんが例のヴァンハネン商会の娘だっていうじゃねぇか」


 ステファンが告げた瞬間、ヴェイセルの目が大きく見開かれた。


 ――まさか、商会の娘が直接殴り込みに来たってぇのか……!?

 

 若頭の胸中へ羞恥心が急激に湧き上がって来た。

 どれだけ強い連中がいても、自らも戦うと決めた以上は無事でいられる保証などない。にもかかわらず、少女はこの場に自分から赴いたのだ。その覚悟はいかほどのものだったか。しかもカタギである。


「もうわかったよな、テメェがちっちぇえコトをしちまったってよ。だったら、少しはマシなコトをやってみたいとは思わねぇか?」


 あらためてヴェイセルは考える。いや、願望に蓋をしていただけで結論などとっくに出ていた。


 やってみたい。ふたたびチャンスが巡ってきたのだ。元々小さな世界で終わるつもりはない。そう思ってずっと生きてきた。


「もう昔の話だ。そろそろ表に戻っても大丈夫だろう」


 ステファンが触れたのはヴェイセルの過去だった。

 中堅冒険者からもう一歩進もうとしていたところで仲間の借金を背負い、ケチなチンピラを殺してしまい彼は坂道を転がり落ちた。

 腕っぷしだけがあっても、元冒険者の凶状持ちなどヤクザになるしかなかった。今の地位はそれなりだが、それも奪われる側に回らなかっただけに過ぎない。


 だから、心の底にはいつも燻ぶった想いがあった。


 いつの間にか自分に向けられている視線があった。スコットからのものだった。


「少しは自分と向き合えたかよ?」


 巨漢は小さく笑いながらそう問いかけた。屈託のない笑みだった。少し眩しく感じられる。


「……ああ。それにしても、アンタよくオヤジに会えたな」


 短く答えてからヴェイセルはロバートへ視線を向けた。


「それについてはこちらのお姫様と、ここにはいないがヨハンネス殿に感謝するといい。各々おのおのが人類圏が豊かになるためにつまらない戦いを望まず、またステファン殿のような俠気きょうきを持つまとめ役が必要と判断してのことだ」


 ロバートはヴェイセルの軽挙を責めるわけでもなく淡々と口にした。

 ここで余計なことを口にすれば、事態の急展開に呑まれている彼ら武闘派の取り込みに影響が出る。無駄なことは避けるべきだった。


「お姫様?」

「比喩表現じゃないぞヴェイセル。このお方はな――」


 ステファンから話を聞けば、貴族のような気品のある女性はヴェストファーレン王国が聖剣教会へ送り出した聖女候補筆頭で知られたクリスティーナ王女というではないか。

 とっくの昔に自分たちは国家規模の動きの中に巻き込まれていたのだ。大抵の経験は済ませているつもりだったが、所詮は井の中の蛙。今回ばかりはしばらく声が出なかった。


 そんな中でヴェイセルはあることに気付いた。


「……ひとつ聞いてもいいか」


 やがてヴェイセルは遠慮がちに声を上げた。


「なんだ?」


 ロバートが問い返す。


「俺たちはこの件から手を引く。十分過ぎる見返りまで提示してもらった上に、面子まで立ててもらったんだから文句もない。だが、ノルドマン商会はどうするんだ。アイツらも今回の商売に取り込むのか?」


 これほどまでの“力”を持つ者たちが揃いながら、未だに言及されていない存在がいた。すべての元凶であるノルドマン商会だ。

 実際、それに触れた時、サシェが小さく身じろぎしたのヴェイセルには見えた。


「ああ、その話か」


 ロバートは薄く笑みを浮かべた。

 忘れていたわけでも、何も考えていないわけでもなさそうだ。

 しかし、どこか引っかかる仕草だった。


 周りに視線を向けるとステファンはどこか困ったような顔をしていた。クリスティーナに至っては「もう慣れた」と言わんばかりだ。


 まさか。

 朧気ながら若頭も理解し始めていた。


「それは連中が己のを理解できるかどうかだな」


「間違いない。下手な欲をかくとすべてを失う」


 何気なく答えたロバートと小さく頷いたスコット。

 彼らふたりの姿を見て、ヴェイセルはこの時初めて「本気で敵に回してたら死んでいたのは自分だ」と本能で理解した。


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