第105話 野生の証明


 スコットがそう告げた瞬間、ヴェイセルからの視線の圧が強まり、周囲の空気が凍りついた。


 沈む夕日と共に昼の空気が外へ逃げて行く。

 周囲に立つヤクザ者のひとりが小さく身震いした。


「乾杯する前から何を言い出すかと思えば……」


 ヴェイセルはつまらなさそうに持っていた酒瓶を置く。傍らに立てかけられた古い拵えの剣がわずかに動いて金属の音を立てた。

 灰色の目には相手を見透かす刃の鋭さがあった。


 配されたのがローテーブルだからか全身がよく見え、それが一層彼の剣呑な雰囲気を増している。

 なるほど、これでは素人はここに寄り付こうはずもない。


「デカい兄さん。自分がどんな要求をしているか、わかってるんだよな?」


 凄みの利いた目で禿頭はスコットを睨みつける。もう一段気温が下がった気がした。


 緊張しているのはスコットたちではなく、むしろ周囲に立つヤクザ者たちだ。

 さすがに武闘派で鳴らしているだけはあった。統率が行き届いている。主に「暴力での〜」と注釈はつくだろうが。


「もちろんだ。アンタからすれば無粋なことを言ったのもな。だから――


 スコットは鋭い視線を正面から受けても怯まない。

 むしろ反対に「俺の話を聞くだけの余裕はあるか?」と問いかけていた。

 向こうからすれば挑発されているも同然だろう。それをスコットは敢えて見せていた。

 ヴェイセルも一瞬の間を置いて笑みを浮かべる。


「……面白れぇヤツだな。こっちの本気度を見たいってか。クスリで頭のイカレた酌婦でもそんなアホはいねぇぞ」


 大きく肩を揺らす。男は本心から笑っていた。


 周りでは部下たちがいよいよ緊張を高めている。平生へいぜいの若頭を知る者たちですら、どう転ぶかわからない居心地の悪さを隠せないのだ。


「こっちもだ。まさか堂々とアホと言ってくる人間に会えるとはね。これも何かの縁だな」


 巨漢が小さく肩を竦めた。それがさらに向き合う男の笑いを誘う。


「不満か? だが、それ以外にどう言えばいい? アンタらヤクザじゃねぇだろ? 直接ウチに乗り込んで来るなんてまともじゃない」


 ついに耐え切れなくなったヴェイセルは軽く下を向き、愉快そうに禿頭を叩いた。


 ふと首元の刺青が覗く。それがヒクイドリを模したものだとスコットはすぐに気付いた。


 たいした余裕だ。いったいその歳で若頭となるまでどれだけの鉄火場を潜り抜けてきたのか。

 いや、そうでなければここまでの凄味は持ち合わせられまい。


「そいつは身に余る褒め言葉だな」


 スコットも自然と笑みを深めた。

 胆力を持った者同士が交わせる獣の笑みだった。


 彼も地球で幾多の戦場を越えて来た歴戦の兵士にして特殊部隊員スペシャルフォースだ。地球だけでは飽き足らず異世界に来てまで戦っている。

 ちょっとやそっとの相手に怯むくらいでは砲弾の中では生き延びられない。

 ましてやこの先、魔物だけでなく歴戦の教会軍や魔族軍と対峙するであろう異世界で戦い抜けくのも不可能だ。

 

「それで、わざわざ俺に聞かせたい話というのはなんだ。せっかくだから話してみたらいい」


 いよいよ本題に入る。スコットもヴェイセルも笑みを薄くした。

 少しだけ場の雰囲気が弛緩した気がした。周りの男たちが小さく息を吐き出す。


「ただ手を引けと言われてそちらが納得するとは思っていない。そこで取引をしたい」


 そこからスコットは簡単に語り始める。


 要するに今回の商売の話の延長線だ。

 いずれヴェストファーレンを含む東方からの輸入品が増え、同時に西方へ運ばれる品々も増えていく。

 これらをそれなりの規模はあるからとヴァンハネン商会だけで捌けるはずもない。

 他にも商会は必要になるし、その護衛を担う組織が必要になる。冒険者だけでは難しい大きな話だ。


「その輸送業に関わる気はないか?」


 スコットの提案にヴェイセルの薄い眉がわずかに動いた。


「職業柄荒事が得意というなら、小さな国の中で燻っていないで世界に羽ばたいてみるのも一興だろう。今さら冒険者に戻れと言うよりはずっとマシだと思うが」


 スコットに彼らの職業を侮辱するつもりはない。

 ただ、斬った張ったの強さや権力を求めるなら他にもやり方はあると思ったのだ。

 彼らの多くが腕っぷし以外の理由――些細なトラブルなどで冒険者を退いた者たちだとヨハンネスから聞いていた。


「……どこまでも悪くない話だ。たしかにやり甲斐もあるだろうよ。夢もある」


 ヴェイセルは上半身を起こしてスコットを正面から見据える。


「だがな、兄ちゃん。俺らは筋者スジモン、それが今の組長カシラ以外の下につくとすればそれは――」


 ヴェイセルはそっと息を吐き出した。


「強いと認めたヤツだけだ!」


 思わず見事と溜め息が出そうになる動きだった。

 予備動作はほぼないまま、瞬間的に傍らの鞘から迸った剣が酒瓶を切断しながら旋回し――


 甲高い音と共に空中で静止した。



「じゃあ、最低でも俺の下についてもらわなくちゃですね」


 スコットの目の前にはいつの間に現れたか、見慣れた背中があった。


「ふぅ、打ち合わせ通り予想でもヒヤヒヤするもんだな」


「その割には動きに迷いがありませんでしたよ、少佐」


 一瞬のうちに動いたのは将斗だった。


 木の床が割れるほどの踏み込みと同時に抜刀し、スコットとヴェイセルが向かい合うテーブルの上にふわりと割り込んでいた。


 閃いた刃は跳躍と同時に抜かれた一尺五寸の脇差によって完全に阻止されている。引くという選択肢はないが、動かそうにも寸分たりとも進まない。

 獣どころではない圧力の視線に全身を貫かれる。禿頭に浮き上がった汗が筋となって流れていった。


「アンタ……バケモノかよ、兄ちゃん……」


 将斗のもう片方の手が握る長刀はヴェイセルの首元に当てられており、ほんの少し動かすだけで頸動脈を断つことができた。

 場の中心である三人の中で動けないのはヴェイセルだけだ。

 スコットに集中していたとはいえ、まるで動きを察知できなかった。


「合ってるぞ。ソイツはうちの中でも飛び切りのバケモノだ」


 当のスコットは腰の後ろから抜いた HK45Tを二挺左右に向けて構えている。

 牽制しているのは目の前の相手ではなく、今にも斬りかかろうとしているヴェイセルの部下たちだった。

 彼らは拳銃の存在など知らない。

 それでもスコットから放たれる並々ならぬ鬼気と、将斗が握るヴェイセルの命のふたつに阻まれ動けないでいた。


「ついでに言うと後ろの連中も存外気が短い」


「……そのようだな」


 後方から伝わってくる魔力でわかるが、サシェは攻撃魔法を練り上げていた。

 この様子ならおそらくエルンストもマリナも臨戦態勢に入っている。

 わざとらしくゆっくりなポンプアクションの音が聞こえた。入る直前にショットガンを用意したのか。準備完了の合図とスコットは読み取った。


 ――次なる手は決まった。


「「動くなっ!!」」


 スコットとヴェイセルの声が重なった。


 どちらも自身の仲間に呼びかけたものだが、それぞれの持つ意味合いが大きく異なっている。

 スコットとヴェイセルの視線が数秒の間だけ真正面からぶつかった。


「……ちっ、所詮ヒクイドリはワイバーンにはなれねぇか。……わかった、俺の負けだ!」


 舌打ちをしたヴェイセルが剣をそっと放り投げて両手を掲げた。

 根負けしたと表情が語っていた。仕草のせいでヒクイドリの入れ墨が襟に隠れる。


「素直だな。こう言っちゃなんだがもっと諦めが悪いと思った」


 スコットはHK45Tの銃口をわずかに下げる。

 真後ろの気配を感じ取った将斗の刃もヴェイセルの首筋を離れた。


 禿頭の口から大きく息が漏れ、ゆっくりとソファへ背中を預けた。


「そう見えても仕方ねぇ。斬った張ったの世界だからな。矜持ってモンがある」


 答えたヴェイセルの身体から力が抜ける。

 額にはいくつもの汗が、玉となって浮き出ていた。


 スコットはやや大仰な動作で銃を仕舞う。

 それを合図として将斗もテーブルから降りて後方へ下がった。刃が鞘に納められた音がかすかに重なって聞こえた。

 同時に後方のエルンストたちの気配も小さくなる。場の空気が大きく弛緩した。

 

「アンタらの強さはよくわかった。だが、話に乗るにしても俺自身納得する必要があったし周りの連中もそうだ。これでもコイツらの生活を預かってる身だからな」


 ヴェイセルの戦意は完全に消えていた。

 ヤクザ者なりの筋があったわけだ。抜いた剣も寸止めするつもりだったのだろう。


「誰の目にもわかる“儀式”が必要だったってか?」


「そういうことだ」


「はぁ……付き合う身にもなってくれ……」


 ヴェイセルたちは無頼であっても無秩序な集団でない。それはスコットも当初から理解していた。


 彼らは複雑化する社会の中で上手く生きられない者たちだった。

 取りまとめる者がいなければ治安はより野放図に悪化する。国が排除に乗り出さないのも統率者がいるのみならず、「許される程度にワルぶっていろ」ということでもあった。


 ルンドヴァル一家と交渉する気になったのも、彼らは正統派ヤクザらしく薬物を売ったりはしていなかったためだ。

 そうなければすぐにでも突入部隊を呼んで殲滅していただろう。


「それに……あくまでこれは俺の勘だが、?」


 わずかに身体を前に向け、ヴェイセルはスコットに問いかけた。

 灰色の瞳には先ほどの刃物の鋭さではなく興味の色が浮かび上がっていた。


「……どうしてそう思う?」


 問い返すスコットの眉が小さく動く。

 これは予想外の収穫かもしれないと思い始めていた。


「間合いの取り方が 徒手空拳ステゴロヤットウのモンじゃない。常に一定の距離を確保しようとしている。だが、それも魔法とかじゃねぇ。後ろの小さいお嬢ちゃん以外は魔法杖も持っていないしな。消去法ってヤツだな」


「いい読みしてやがるな。やっぱりヤクザ者をやらしとくには勿体ない。独立してウチに来ないか?」


 ――あれ? 目的が当初からズレてきているのでは?


 後方で聞いているサシェとしては小首を傾げたくなった。


 だからと言って余計なことはしない。

 彼らがいなくなれば実家への脅威はなくなるし、実際にまだ何か害を受けたわけでもない。

 すんなりお引き取りいただけるならどこへでもどうぞだ。お見送りくらいならしてもいい。


「つくづく魅力的な提案だな。一旗上げられる機会だ、男なら憧れないわけがない。だが、俺たちにはオヤジに拾ってもらった恩もある。勝手な一存で決められるモンじゃねぇ」


 努めて平坦な声で答えるものの、ヴェイセルの双眸には明らかな迷いが見えた。


「なんだ、理由があればいいのか?」


 この時を待っていたかのような声が店の入口から新たに聞こえてきた。


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