第104話 喧嘩は酒場の華


 顔面に一撃を受けた若い男は運動エネルギーを受け止めきれないまま後方へ吹き飛んでいく。


 チラつかせていた短剣が床に転がり、次いで近くのテーブルに身体が仰向けにぶつかった。

 上にあった酒などをひっくり返してそこでようやく止まる。


 巻き込まれた者の悲鳴と怒号が生まれるが、場を襲った衝撃からすればそれは小さなものだった。


「ぶ、ぶぶぶぶ……」


 当の本人は鼻が潰れていた。

 小さく痙攣しながら完全に気を失っている。口から血を噴いてはいるが胸は動いていた。

 とりあえず死んではいなさそうだ。


 暴れ馬に顔面でも蹴られなければこうはなるまい。現実離れした恐怖感から奇妙な静寂が訪れた。


 しかし――


「……テメェ、どういうつもりだ!!」


 後先考えられない何人かが反射的に立ち上がった。バネ仕掛けのような動きだ。


 ヤクザ者など元から血の気の多い職業だが、さすがに自分のテーブルにちょっかいを出されて反応しないわけにはいかなかった。

 いや、前後の状況すらも忘れて完全に怒りが沸騰している。


「どうもこうも――」


 一方のスコットは平然としていた。

 浴びせかけられる敵意も殺気もお構いなしだ。

 いや、むしろ温いくらいに思っている。

 酒場に入った瞬間からこうなるのは十分に予想できた話だった。


「そりゃこっちのセリフだ。先に刃物を抜いたのはそこのガキだぞ。まさか僧侶が来たとでも思ったのか?」


 自分自身が若返っていることを失念した、どこか奇妙なセリフになってしまった。

 もっとも聞く方は頭に血が上っていて細かいところにまで気が付かない。


「クソが! 舐めやがって!」


 挑発されたと思った男たちが前に出て来る。すでに角材などの武器を持ってやる気満々だ。


 酒場に不似合いなそれらを持ってる時点で、普段から荒事慣れしているようだ。

 殴り合いでも下手すれば死人は出るくらいはわかりそうなものだが、やはり商売柄引くという発想はないらしい。


「用事ってのはこういう意味じゃないんだが……」


 スコットは溜め息を吐き出した。

 こういった手合いはどこまでも自分の都合でルールが変わる。結局のところ関わること自体が不幸なのだ。

 そう考えると少し気が楽になった。


 ――これなら多少暴れても気に病むこともあるまい。


「なにをゴチャゴチャと!」


 叫びとともに振り下ろされる角材をスコットは掲げた腕で受け止めた。

 普通はこれで腕が折れて攻撃力が半減する。仕掛けた男はそう確信していた。


「んなぁっ!?」


 耐え切れずにヘシ折れたのは角材の方だった。

 男の表情が凍りつく。ここで止まらず動けばまだ機会はあったかもしれない。



 スコットが笑い、拳を男の腹に打ち込んだ。


 やられた方は重く強烈な衝撃に呻き、胃液を吐いてその場に膝をつく。一撃で戦意を刈り取られていた。

 というよりも身体が動かなくなっていた。気絶しなかったのが奇跡なくらいだ。


「死にさらせ!」


 スコットは身体を動かして、横合いから突っ込んで来るふたり目の短剣の横薙ぎを躱す。耳の近くで唸りを上げる刃物はさすがに神経が興奮しかけるが、銃弾の衝撃波ソニックブームに比べれば可愛いものだ。

 反撃の手刀が伸び、刃物を振り終わった先の手首を強かに打ち据えた。骨の折れる乾いた音が聞こえた。


「噓ぉっ!?」

「現実、だぞ!」


 利き手を使用不能にされた男が悲痛な声を上げるが、続いたフックが左顎に決まり意識を吹き飛ばされる。


 ほぼ同時に反対側からも攻撃を受けていたスコットは左足を掲げて蹴りを脛で受け止めていた。普通は無理な防御術だ。

 しかも恐ろしいことに、やった側が苦痛に呻いている。

 鉄でも蹴り飛ばした感じなのだろう。折れていても不思議ではない。


「しばらく歩けないからな」


 体勢の崩れた三人目に向け、スコットは腕全体を使った裏拳をぶつける。


 瞬間的ながら遠心力がかかった一撃を胸部に喰らった側は、最初の若い男同様に吹き飛びカウンターの下側にぶち当たって動かなくなった。


「このおっ!!」


 ふたたび正面から四人目が迫る。今度のヤツは少し大きい。

 疾走の勢いに乗って拳を放ってくる。当たればかなり痛いだろう。


 スコットは上体を横に傾けて回避しつつ、右手首を返す。

 これも裏拳だが相手に勢いがついているせいで顔面にめり込むように決まった。“巨漢”は折れた歯を撒き散らして後方へ吹き飛んでいった。


「うわぁ、容赦ない……」


 見ていたマリナが引き攣った顔で声を上げた。


 どちらかと言えば自分自身も気は短く手も早い方だと自覚しているが、いくらなんでもここまでではない。

 スコットは気絶させるのではなく戦闘不能にまで追い込んでいる。

 向こう同様に中途半端なやり方では舐められるからだろうか。その思い切りが強さの一因なのかもしれない。マリナはそう感じていた。


「いやぁ、あれでも手加減してるぜ。本気なら最初の時点で殺してる」


 エルンストが声を上げた。あれでも優しい方なのだと。

 どうも自分とエルンストでは優しさの解釈に齟齬がありそうだ。


「それって武器を使って?」

「まさか。仮にも一般人を相手に街中で銃火器なんて使わんよ。というか、今の少佐なら素手でやれちまう」


 小さく手を振ってエルンストは否定する。

 相手の武器も短剣や角材ぐらいだ。普通に剣やら槍やら出してきたらショットガンなりを使うつもりだったが、良くも悪くもそうはならなかった。


「いつから機械化人間サイボーグになったんですかね?」


「現実逃避するなよ、マサト。たしかに生身であれをやれちまうのはおそろしいが……。まぁ異世界って感じはするよな」


 将斗の声に「映画みたいなチャンバラを披露したおまえが言うな」と思ったが今回は自重した。

 ロバートやウォルターのようにゴリラ扱いしないだけマシと思ったのもある。 


 ……いや、そうではない。気にしているのは目の前の事態だ。

 さすがにこれだけやられたのだ。そろそろ次の段階に進むはずだ。


「いったい何の騒ぎだ!」


 案の定、奥の階段から大きな声がした。


 見れば少しばかり身なりのいい男が板を蹴りつけるように降りてくるところだった。


 見た目三十代にして鍛えられ引き締まった筋肉とこの世界の人間としては大きな身長。神経質に見える吊り上がった目つき、剃り上げた禿頭とくとうには古傷がいくつか走っており人相は最悪だ。

 どこから見ても“その筋”の人間だった。


「「「若頭!」」」


 何人かが新手の男の方を向いて頭を小さく下げた。

 こいつら日本のヤクザか? 将斗は彼らの仕草を見てそう思った。


「これはいったいなんなんだ?」


 若頭と呼ばれた男――おそらくヴェイセルが部下に問いかけた。

 目の前の惨状を見ればおおよその状況は理解できるはずだ。

 しかし、自分の権力を見せつけたいのか、それとも正確な情報が欲しいのか。


「あいつらが殴り込みを――」

「それは正確じゃないな」


 声を上げた部下のひとりの言葉をスコットが掻き消した。


「ンだとテメェ――」

「黙れ。――おたくはなんだ?」


 ヴェイセルが部下を殴り飛ばして黙らせ、それからスコットに興味を持ったか視線を向けてきた。


 巨漢の立っている場所、そこから発生したと思われる被害を見て彼がひとりでやったと理解したのだろう。

 隠そうとしているが、わずかな緊張が見て取れた。


 当然と言えば当然だ。

 五人ほどを戦闘不能にしておいて息も乱れていない。本気で暴れていないことは明白だった。

 他にもいる仲間と合わさればどうなるか。とても迂闊には動けなかった。


「若頭のヴェイセルだな。話があって来た。そちらが仲良くしている商会絡みの件だ」


 ここでスコットは一切へりくだったりはしなかった。

 あとは面子のぶつけ合いだ。

 向こうにヤクザの面子があるように、こちらにも仲介に入った面子がある。


「……聞くだけ聞こう。おい、片付けてちゃんとした席を作れ! 客人だ!」


 スコットの表情から何かを読み取ったらしいヴェイセルは叫んで部下たちを動かしていく。その際に近くにいた年嵩の男に細かく指示を出していた。


 しばらくして店内が片付けられ、気絶した負傷者たちも運び出されていった。

 残っているのは元々奥に座っていた古参と思われる人間のみだ。短慮を起こしそうな者は同席を認められなかったらしい。


 いつの間にか、照明も当初の薄暗いものではなく、新たに蝋燭の数が増やされ明るくなっている。雰囲気そのものが変わったような錯覚すら受けた。

 少なくともヴェイセルはこういったところには気の利くタイプらしい。

 たとえそれが見た目だけのものだとしても。


「それじゃあ、あらためて話を聞こう。俺はヴェイセル。名乗らなくてもわかっているだろうが、このルンドヴァル一家で若頭をやっているモンだ」


「俺はスコット・ハンセン。傭兵集団〈パラベラム〉の副総指揮官をやっている。こちらからの用件はひとつだけだ。ノルドマン商会との“協業”から手を引いてもらいたい」



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