第103話 脅しの道具じゃねぇ
「スコットさん、本当に行くんですか……?」
商会の建物を出て街を歩く。
人気の少ない方へ向かっている中でサシェが口を開いた。
「そうだ。チマチマやるような話じゃない。元々短期滞在の予定だしな。“大元”を絶った方が早い」
先頭を歩くスコットは視線を返しながら言い切った。
同行者はサシェとマリナとエルンスト、それに将斗だけだ。
その他のメンバーは商会に残ってもらった。ジェームズをはじめとして商売の話を詰めるためだ。リューディアにも後学のため同席してもらっている。
「まぁシンプルではありますよね。俺も少佐の意見に賛成かな」
後ろを歩くエルンストが頭の後ろで手を組みながら楽しそうに口にした。
「だからって直接行きます、普通?」
横の将斗は「どうせトラブルになるんだろうなぁ。だから連れて来られたっぽいし」と半ば諦めている。
「街の掃除も兼ねてると思えば別にいいだろ」
もちろん目的地はノルドマン商会――ではない。
表向きはまっとうな商売をしている店へ堂々と殴り込みに行けば衛兵を呼ばれて終わりだ。
まさかエトセリア相手に戦争を開始するわけにもいかない。
頭に血が上ったスコットを放っておくと「全部まとめて潰せば片付く!」とおっ始める恐れがあった。
これはジェームズが上手く誘導して回避させたが。
「話は早いかもしれませんけど、組織そのものを敵に回しかねないわけでしょう?」
「血気に逸って挑んで来るならその時は殲滅するしかないな」
まるで冗談のような気軽さでスコットは口にした。
サシェは肌で理解した。これは本気で言っているのだと。
加えてその実力があることも彼女はここしばらくの付き合いで知っている。
「ところでどうだった? 久しぶりに家族と話せた感想は」
スコットが急に話の向きを変えた。
やると決めたものにいつまでも言及しても無駄だ。他に時間を使おうと思ったらしい。
「……正直、まだ感情が整理できていません」
サシェは小さく溜め息を吐き出した。なによりも心情を反映した動作だった。
「まさか、生きてここに戻って来られるなんて思っていませんでしたし。今でも婚姻話への反発心は消えてません。でも、あんな風に憔悴している父の姿を見ると……」
様々な感情が生まれては消え、あるいは混ざり合っているのだろう。表情に苦悩が浮かんでいた。
いつものどこか一歩引いた様子のサシェを知る者からすれば 「こんなに感情豊かだったのか」と思うほどだ。
もっとも、変に内心を隠されるよりはずっといい。
「子供を育てたことのない俺が言うのもなんだが……」
スコットはそう前置きした上で口を開く。
彼にしては言葉を選んでいるようにも見えた。
「飢えるわけでもなく、物の価値を知らず人に騙されるわけでもない、真っ当に教育を受けられる環境にいられたわけだ。わかりにくい話だが、その分社会的な責任も乗っかってくる」
人より恵まれた環境にいるからには相応の責務も発生する。サシェの場合は実家をより大きく安定させるために。
「そんな中で自由を求めるのは、その分誰かの自由を奪うことになる。賢いおまえさんのことだ、言わなくてもわかっていると思うがな」
スコットはあくまでもそこは本題ではないとばかりにさらっと流した。責めるような口調ではない。
「はい……」
サシェはそう答えるのが精一杯だった。
父もそうだったが、いっそ責めてくれた方がずっと良かった。自分のワガママが引き起こした事態だ。
それだけに罪悪感が膨らんでいく。
「親御さんが心配だって言うなら、このまま実家に戻ってもいいぞ。もちろん、ここでの話が落ち着いたらだが」
「ちょっとおっさん――」
口を開きかけたマリナを、スコットは手を掲げて止めた。
これは自分で選ばせなくてはならない。
これはスコットやマリナが決断を左右していい話ではなかった。
「ヴァンハネン商会で働くなら俺たちとの窓口にもなれるだろう。今生の別れってことにもなるまい。なにより、俺らの片棒を担がされることもない」
それが一番安定した道なのだろう。考えなくてもわかる話だ。
しかし、マリナをどうするのか。
一緒にエトセリアを出て冒険者として苦楽を共にしてきた相棒だ。自分だけ帰れる場所があるからと放り投げるのは――
「全部見届けてから、決めさせてください。それでもいいでしょうか」
今はそう答えるのが精一杯だった。
しかし中途半端には決められないと思った。
これまで多くの場面で流されてきた自分が、本当の意味ですべてを決めるためにも。
路地を曲がるとすっかり
悪所として知られるエリアに足を踏み入れたのだが、その中でもここは特に人気が少ない。
通りがかった人間も何かを思い出したように引き返していく。
悪所の中でももっとも治安が悪い場所だった。
ただし無秩序なのではなく、犯罪組織が仕切っているという意味でだが。
「邪魔するぞ」
声を上げてスコットが酒場の扉を開けると、一斉に視線が向けられた。
当然ながら友好的なものは皆無だ。敵意寸前といったところか。
ヨハンネスからはここが犯罪組織ルンドヴァル一家、幹部にして若頭ヴェイセルの根城だと聞いていた。
なるほど、道理でまともな客がひとりもいないわけだ。
「なんだァ、テメェ? ここは貸し切りだぞ。酒が飲みたきゃ他へ行きな」
若い男が下から見上げるようにスコットへ近付いてきた。
どうやらこれで威嚇しているつもりらしい。
「客じゃあないが用事がある。若頭のヴェイセルはいるか?」
名前を出したことで場に少なからぬ緊張が走った。
堂々と問いかけて来るとはどういうつもりだろうか。
刺客だったらこんな悠長に会話をしようなどとは思わないはずだ。
「テメェみたいなワケのわからねぇヤツに若頭が会うわけねぇだろ。消えな。それとも痛い目に遭いたいのか?」
腰の後ろから短剣を抜いた男が見せつけるように動かす。
店の奥で事態を眺めていた何人かが表情を歪めた。バカの短慮を目撃したからだろう。
本来であれば止めるべきだ。
しかし、来訪者が何者かわからない状況で、こちらから引けば舐められかねない。
ヤクザ者は貴族の次くらいに面子を優先する、実に面倒臭い生き物であった。
「抜いたか……」
スコットはそっと溜め息を吐いた。
「てぇか、なんだテメェ女連れか? だったらそいつらを置いて行けよ。そしたら考えてや――」
男はここでバカな色気を出した。
何を血迷ったのかとうとうスコットへ切っ先を向けてしまった。
瞬間、男の顔面に拳がめり込んでいた。
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