第102話 さあ行くぜ 俺たちの出番だ
「どういうことですか! 理由を説明してください!」
椅子から立ち上がったサシェは父ヨハンネスに詰め寄ろうとする。
ほとんど無意識の行動だった。驚いたマリナが咄嗟に腕を掴もうと手を伸ばしたほどだ。
「ちょっと――」
「サシェ、落ち着きなさい」
意図せずしてマリナの言葉を遮る形となった。
ヨハンネスは困った表情で娘に視線を向ける。伸びたマリナの手も袖口を掴んでいた。
父の声と袖を引っ張られて我に返ったサシェは、ばつの悪い顔となって椅子に腰を下ろす。
――どうも何かありそうだな。
様子を眺めていたスコットは、ヨハンネスの顔に商人と父親のものが同居していることに気付く。
口にしていいものかはたまた……。そんな逡巡がかすかだが見て取れた。
娘の前で悩むなら、おそらくサシェにも関連する話だろう。いくつか思い当たる節もある。
とりあえず仲間に視線を送ってみる。
ひとりだけ反応があった。やはりコイツしかいないか。スコットはそう思って頷いた。
「どうでしょう、ヨハンネス殿」
ここで空気を読んだジェームズが素知らぬ顔で口を開いた。
「こうして知り合えたのも何かの縁です。差支えない範囲でも結構ですので、お話いただければ何かできるやもしれません」
晴れ空のような爽やかさを感じさせる笑みだった。
彼が持つ“
実際、初対面のヨハンネスには抜群の効果を発揮した。念の為に言うが隣にオーガの親戚がいるのは関係ない。
愛娘を生きて連れて来てくれた恩義に
しかし、それを差し引いても「もしかして何とかなるのでは……」と思わせるだけの妙な信頼感があった。
さすがは何枚もの舌や心の棚を持ち、世界各地に消えない爪痕を残してきた
「……わかりました。これは当商会の問題で、本来なら口にするのもお恥ずかしい話なのですが――」
ゆっくりと息を吐き出し、覚悟を決めたヨハンネスは滔々と語り出した。
結論から言うと、サシェの家出がすべての発端だった。
彼女にはふたつ年上の兄イーヴァルがおり、彼がヴァンハネン商会の跡継ぎだった。能力を問題視されるわけでもなく、今は南方の街にある支店を任せている。
このまま彼に当主を譲っても商会は維持できると皆に思われていた。
「正直、己の能力を越えて欲をかいたのかもしれません」
そうした中でヨハンネスは新たな決断を下した。
将来的な経営をより盤石のものとするため、ヨハンネスは他の商会との繋がりを求めた。
それがサシェの嫁入り先、ノルドマン商会だった。
「あー、あの当時はすごいイヤがってたもんねぇ……」
マリナがぼそっと漏らした。すっかり他人事風である。
実際、本人にそれを問うても「連れて行ってと言われたから連れてっただけ」と答えるだろう。
「今、ここでそれを言う……?」
すでに居たたまれなくなっているサシェはプルプルと震えながら相棒を睨む。
まるで迫力がない。むしろ赤面してかわいいまである。
「ははは、これは手厳しい。そこまで娘が深刻に悩んでいると気付けなかった親の責任でもあるのですが――」
ヨハンネスは表情に疲労を滲ませた。
家族より家業を優先する――地球でも近年どころか現代でもなくはない価値観だ。この文明レベルならその重みは比べ物にならないはずだ。
そこで持ち上がったのが同規模で近年勢いのある商会との婚姻同盟だった。
とんとん拍子で進んでいく婚姻の話に、ヨハンネスも悪い気はせず色気を出してしまった。
今になってみれば舞い上がっていたと素直に思えるが、当時はとてもそんな冷静さはなかったのだ。
「サシェがいなくなったことで、彼らは婚約で得られたであろう対価を求めるようになりました。たしかに道理からしても詫び金くらいは払わねばならない話です。しかし――それだけでは済まなかった」
サシェが小さく息を呑んだ。想像がついてしまったのだ。
「つまり、元々の狙いは他にあったと?」
ジェームズは自然な調子で続きを促す。
驚いた様子もない。彼ならすればこれくらいはすでに予想済みだった。
「今思えばそうなのかもしれません。私の判断が甘かった。彼らは商権の移譲を要求してきました。ケジメというには結構な規模です。こちらは関係を強めたい程度でも、向こうは影響力を強めてこちらを乗っ取るつもりだったのでしょう」
苦渋の感情が声と顔色を通して伝わって来た。
「ごめんなさい……わたしのせいで……」
自分の決断が招いた事態に耐え切れなくなったサシェが絞り出すような声を上げた。
まさかそんなことになっているなんて思わなかった。
危機感が足りなかったと言えばそれまでだが、ここまで予想しろというのは酷な話だ。
将斗などはそう思うが、当事者でない身で安易な気休めを口にするわけにはいかない。
「それは違うぞサシェ」
ヨハンネスが即答した。
怒りはない。それどころか落ち着かせようとする穏やかなものだった。
「さっきも言っただろう。過去のことは仕方ないと。それに、たとえサシェが嫁がなくても彼らはこちらを取り込みに来たはずだ。そこを気に病む必要はない」
「お父様……」
「一連の件は私の見る目がなかったに尽きる。むしろ、とんでもない連中に娘をくれてやらずに済んだ。今ではマリナにも感謝しているくらいだよ」
空元気だろう。それは誰にもわかる。
だが、ヨハンネスはサシェにこれ以上気負わなくていいようにと虚勢を張った。
とんでもない胆力だ。
――おいおい。こんな真っ当な人間が割りを喰らうってか?
話を聞く側に回っているスコットは、内心で苛立ちが高まるのを感じていた。
「なるほど……。そんな状況で新たなビジネスの話をしたらそちらにまで手を伸ばしてくると?」
ジェームズはあくまで聞き役に徹していた。
何も感じていないのではない。自分が何かしなくても、そのうち事態が転がると確信しているからだ。
「はい。それではせっかく話を持って来てくれたサシェの顔を潰してしまいかねない。それは商人の矜持としてもそうですが、何より親として望まないことなのです」
やや憔悴しているがヨハンネスの声は穏やかなままだった。
すべては自分の撒いた種だ。それが商会を潰してしまうようであれば責任を取るしかない。破滅的な事態になる前に清算すべきかもしれない。
ここ最近、彼はそこまで考えていた。
「――そういうことなら我々の出番だな」
それまで黙って聞いていたスコットが口を開いた。
ジェームズは唇をわずかに歪めただけで止める気配はない。エルンストも椅子に預けていた身体を軽く起こしていた。
額に手を当てて「あぁ、やっぱりこうなるのか……」と天を仰いでいるのは将斗だけだった。
「いやしかし……。彼らは街の裏組織とも繋がりがあるのです。武闘派の幹部と癒着して拡大路線を取ろうとしています。下手に手を出せばどのような報復を受けるか……」
できるだけ清廉潔白な商売を続けてきたのだろう。そうした厄介事を片付けるための付き合いはないらしい。
ないならないでいい。ジェームズは内心で安堵していた。
下手に対抗組織を持ってくれば、商家同士の揉め事が街を巻き込む泥沼の抗争に繋がりかねない。
そうなれば国家権力が出張って来る。最後は共倒れだ。
「ヨハンネス殿。ひとつ訊いてもよろしいでしょうか? その裏組織は、この国にとって必要な存在ですか?」
どう答えるか悩んでいるヨハンネスにジェームズが助け舟を出した。
地球でもそうだったが、あえて悪所を形成することで結果的に犯罪者が外へ出て行かないよう治安維持の役目を担わっている場合もある。後ろ暗い連中だからと根切りにすれば済む問題でもないのだ。
それよりも、安易にスコットやエルンストに任せるのは危険だ。明日には街の区画がきれいさっぱり消えていても不思議ではない。
「……頭目との面識程度ならわたしにもあります。この件に関わっている幹部はともかく、彼らには彼らなりの役目があることも理解はしております。ですが、そうしたものを我々商人が頼る状況は可能な限りない方がいいと思っています。理想論かもしれませんが……」
存在を認めつつも頼ってはいけない。ヨハンネスはそこを貫いてこれまでやってきたのだろう。
力がなければ通らないこともある。
だが、商売の範疇において相手の弱みに付け込んで潰し合いを仕掛けるようでは真っ当な成長はできない。
ますますスコットはヨハンネスのことが気に入っていた。
「ふむ、それじゃあ“交渉”の余地もありそうだな」
軽く手を叩いてスコットは立ち上がった。
「え? え?」
ヨハンネスはまだよく状況を掴めないでいる。
サシェは顔を青くしていたし、マリナは反対に面白そうだと笑っている。
「ちょうどいい時に来たもんだ。商人には商人の領分があるように、荒事にも専門家ってのがいてね」
ヨハンネスの表情が固まる。
そうだ、商売の話をしていたせいですっかり忘れていた。彼らは商人ではなく――
「ここからは――まさに俺たちの出番だ」
本物の戦士とでも呼ぶべき存在であると。
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