第101話 社長、いい儲け話があるんだけど……


「旦那さまぁあああああっ!! お、おじょ! お、おお、お嬢様がぁあああああああっ!!」


 サシェの名前を口にした男は、まるで死体か幽霊でも目撃したような叫びを上げながら店の中に消えていった。

 見たところ中年に差し掛かってそこそこ太っていた気もするが、足をもつれされて転ぶどころか浮遊魔法でも使っていそうな素早い動きだった。

 おそらく見間違いではないはずだ。


「一応訊いとくぞ? 知り合いか?」


 豪放磊落ごうほうらいらくを地で行くスコットにしてはやや遠慮気味にサシェへ問いかけた。


 男があんな奇抜な動きを見せなければ、いつもの態度のままだったに違いない。

 心臓に毛が生えているどころか複合装甲で出来ていそうな彼であってもさすがに今のは面食らったのだ。


「うちの従業員――今では番頭さんのはずです。わたしが小さな頃から働いてくれていて……」


 サシェは困惑を浮かべながら小さく頷いた。


「あー、そりゃあびっくりして当然だ。あれでも控えめな方かもしれんぞ」


 とりあえず待とう。そのうち何かしらの反応があるはずだ。


 待つついでにスコットは店構えに目をやる。年季は感じさせるが、しっかりとした質の建材が使われているのがわかった。


 長らく安定した商売を続けてきたのだろう。立地的にも商業区画の一等地だ。

 少なくともエトセリアの中では中堅以上、いや大手商会に身を連ねていると見ていい。


 ところが、そんな大店おおだなのお嬢様がある日突然「自由に生きます。探さないで」と出て行ってしまったのだ。

 衝撃は測り知れないし、いきなり戻って来れば普通はこうなる。


「普段はおとなしそうな顔してるのに、機敏なデ――あんな人のよさそうなおっさんに心配させるたぁ罪なコトだな、サシェ」

「僕たちとはまた違う意味で因果な商売ですね、冒険者って」


 エルンストがそっとつぶやき、ジェームズが余計な部分以外に同意した。

 他の面々も声は出さないが小さく頷いていた。


「まぁ、野垂れ死にするのが前提なところはあるだろうな」


 スコットも今回ばかりは苦い笑みを浮かべていた。


 思い返せば、冒険者登録時の書類に本籍地の記入欄は見当たらなかった。

 となれば、必然的に死亡通知なんて気の利いたものも存在しないことになる。別れたと同時に死んだと思うしかないのだろう。


「あらら、なんだかすごいことになってるねぇ」


 マリナが頭の後ろで手を組んで事態を眺めていた。

 自分が「ウチのコを連れ出した犯罪者」呼ばわりされる可能性がある中でよくも落ち着いているものだ。

 中からは大混乱のやり取りが漏れ聞こえてくるが、やがていくつかの足音が近付いてきた。


「「サシェ!!」」


 ほとんど飛び出して来る形で現れたのは四十手前くらいの男女だった。身なりが良く表情にもどこか品がある。


 いや、それよりも言及すべきはその顔立ちだ。


「お父様、お母さま……」


 サシェの言葉が答え合わせとなった。


 どちらかと言えば顔は母親似だろう。父親から漂う落ち着きと知性については上手いこと雰囲気を引き継いでいるように思う。


 もっとも当人は非常に気まずそうにしているが。

 帰って来ないつもりで出て行ったのだから当たり前だ。


「サシェ……。こんな時によく帰って来てくれた……。もう会えないものとばかり……」

「そうよ……。ちょっと瘦せたんじゃないの……? ずっとずっとあなたのことが心配で心配で……」


 ふたりとも手拭いのようなものを取り出し、堪えきれなかった涙を拭った。

 普通なら抱きしめに行くのだろうが、他に何人もいるためぐっと堪えたようだ。


 ――大店の商人が持ってないなら、ハンカチやタオルとか持ち込んだら売れそうだな。


 よくある家族ドラマを見たいわけではないため、スコットは現実逃避を選んだ。


 ここで余計な気を起こして「おたくの娘、危うく本当に二度と帰って来なくそうなるところだったぞ」と言ったらどうなるか。

 愚問である。この勢いでは卒倒どころか心停止しかねない。


 エルンストあたりが怪しかったので念のため身構えておく。

 いざとなれば喉にチョップを叩き込んででも黙らせるつもりだった。


「しかしなんだ……。ここまで大事にされていたのに、よく家出を敢行したな……」


 スコットの本気で呆れ返った声がサシェにも届いた。


 普段はされないだけになぜか胸が痛む。

 自分なりの言い分もあったが、それは口にしなかった。

 世間を知り、また“規格外の人たちパラベラム”を知った今としては空虚な言い訳にしかならないし、何よりもスコットに失望されたくなかった。


「この方たちは……?」


 父親の目がようやくこちらに向いた。

 商人にしては珍しく、こちらを品定めする類の視線ではない。


 こういった時代の商人といえばガツガツしているイメージが地球組にはあったが、彼を見ると認識をあらためなければいけなさそうだ。

 あるいは老舗商家を引き継いだ裕福で余裕のある身と考えれば、例外寄りなのかもしれないが。


「その……たぶん長い話になると思います……。まずは中に入れていただけますでしょうか?」


 まずは自分が話した方が良いだろう。サシェはそう判断した。

 けしてスコットたちに口を開かせるとロクなことにならないと思ったからではない。


「あなたの家なんだから当然よ!」

「そうとも。お客人がたもどうぞどうぞ!」


 警戒されたらされたで寂しいが、これはいくらなんでも人が良すぎる。

 今更ながらにサシェの実家が心配になってくるスコットだった。






 親子の再会に立ち会った一同は、商家らしく応接室――では人数的にも荷物やらでも手狭のため、来客と食事をする部屋に場を移した。


 サシェの父はヨハンネス・ヴァンハネンと名乗った。 

 母親はヘレナ。これにより今の話題には関係ないが、サシェ・ヴァンハネンが正式名称だと判明した。


 ――姓持ちだとはね。道理で教養もあるわけだ。


 これまでサシェが姓を名乗っていなかったのは、他の冒険者に目を付けられたくなかったからだろう。

 にっちもさっちもいかなくなった女冒険者を手籠めにして実家に集るなんて事例も少ないがあると聞く。


 それとあとは――相棒たるマリナへの彼女なりの配慮か。


「娘さんをお預かりしている身として、まずは自己紹介をしなければと思いますが――」


 そんな感想を抱きながら、スコットはこれまでのことを上手くボカし、その反面必要な部分はしっかりと説明していく。


 主には傭兵組織〈パラベラム〉の一員として、ヴェストファーレン王国と亜人連合(現状エルフのみ)と組んで教会勢力、魔族に次ぐ第三勢力として台頭しようと画策している部分を。


 世界をひっくり返すに等しい、革命勢力もびっくりの爆弾発言だった。

 しかし、そもそも彼らが敬虔な聖剣教会の信徒であればサシェが警告を出していたはずなので気にするところではない。


 あとは商人であるヨハンネスに品物を買ってもらいたいことも併せて伝えておく。

 どちらかと言えばこちらが本題なのだが、話のスケールのデカさにインパクトが薄まってしまった感がある。


「正直、どうお答えしたらよいのかわかりかねます……」


 出された茶で唇を湿らせたヨハンネスが口を開いた。


 さっきから喉はカラカラだ。

 少なくともこれまでの商人生活の中でこれほどまでの緊張を覚えた記憶はない。断言できる。

 そう意識をすると自然と頭が活性化してくるのが自分でもわかった。


「過去に言及しても仕方がないので娘の家出については触れません。しかしながら、戻って来たと思えば新たな国家に関わっていると言われましても……」


 ヨハンネスは慎重に言葉を選んでいた。

 話を持ちかけた側としても困惑する気持ちはよくわかる。まずは緊張を解きほぐしていくべきだろう。


「あまり気にしないでいただきたい。結果的にそうなっているだけなので」


 スコットはなるべく笑顔を心がけて話す。


 ただ、残念なるかな。受け手側はそうは思えなかった。

 素性を聞いた上で素手で熊でも殺せそうな巨漢に言われると、すべての言動が脅されているようにしか感じられない。笑顔のはずが獣の威嚇に見えるのだ。


 スコットも妙な違和感を覚え、朧気ながら自分ではマズいのではないかと思い始める。仕方ないので隣の適任者に目配せをする。


「いずれにせよ本題は商売の方なのですよ。ですが解説は専任者から。――いいか、タウンゼント大尉」


「はい。では、ここからは政治の話は抜きにして商売の話を。ヨハンネス殿から見て我々が持ち込んだ品の価値を見てもらいたいのです」


 どこか気品漂う青年が口を開いた。

 穏やかな語り口調と聞きやすい声。これだけで商人の才能があるとヨハンネスは思う。


 それだけに彼は言葉に詰まらざるを得ない。


 申し出はありがたい。

 諦めかけていた愛娘を五体満足な状態で連れて来てくれて対価を要求することもなく、そればかりか大きな仕事の話まで持って来てくれた。

 先ほど商品をひと通り見せてもらったが、どれも売れないわけがない魅力的な商品ばかりだ。

 誠実・謙虚をモットーにやってきた身としては転がり込んできた機会に乗りたい気持ちもある。


 だが――


「非常に魅力的なお話です。ですが、それをお受けするわけにはまいりません」


「お父様!?」


 ヨハンネスの言葉に声を張り上げたのはサシェだった。



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