第93話 救出対象E


 要求されたのは前金にしてはかなりの金額だった。

 交渉しても良いことなどない。素直に渡すと屋敷の一室に通される。


 相応の貴族を招くために設えたであろう調度品に目をやりながら、しばらく待っていると扉が叩かれエルフの女が入って来た。


 ソファに腰を下ろした状態ながら扉の向こうにいた警護の男と目が合った気がした。

 品定めされているようであまり気分のよいものではない。


「ようこそ、おこしくださいました」


 鈴の鳴るような声をかけられたウォルターはひとまず失礼にならない程度に相手を観察する。


 何もせずに帰ると怪しまれる。

 かと言って客のフリをしていきなり手を出すわけにもいかない。

 いくらなんでもった後に自己紹介ではシャレにならないだろう。


 さて年齢は――外見は死ぬほどアテにならないらしいので、無理矢理地球人基準に換算して……それでも少女の域は出ないだろう。

 困ったことに美少女だ。さすがに男としての欲望を抱かせるには十分なほど。


 なんだか凄まじく後ろめたい気分になってきた。

 これで「実は五十歳でした」などと言われたら卒倒するかもしれない。あらためて異世界に来たのだなと思い知らされる。


「ごめんなさい、ヒトのことば、ダメ。楽しむください、ぜんぶ、できます、なんでも。だんな様、愛してください」


 こちらに近付き、低く頭を下げながら少女は口上を述べた。


 あまりにもたどたどしい。

 おそらくヒト共通語の音だけを覚えて毎回呪文のように口にしている言葉なのだろう。


 ――かー、これだよ……。


 くだらない想像で何とか士気を保とうとしたが、早くもウォルターは気が滅入ってきた。

 境遇の差はあっても、あの店の酌婦たちと同じように自らを売らざるを得ない相手を前にしているはずなのにだ。

 そっと見えないところで溜め息を吐く。


 頭の中には不思議なことに異世界の言語がほぼ網羅されている。

 彼女が最初からエルフの言葉を喋るか、ヒト共通語のたどたどしさがなければこのような気分にはならなかったかもしれない。


 森で訓練を施した兵士で小隊長になったヤツはヒト共通語が喋れた。できなければバルバリアとの交渉役として生き残れなかったという。


 ……ダメだ、これまたイヤになる話を思い出した。


「あー……」


 どうにか気分を切り替えようとするが、考えてもみれば何から話せばいいのかわからない。


 ――そもそも。こんな言葉もろくに通じない女を抱いてこの国の連中は楽しいのか?


 ウォルターは心の底から思った。

 無論、彼がこうした結論に至った背景として、地球時代は異性に困らなかった経験は確実に無関係ではない。


 ――こんな気分になるならジャパニーズマサトでも連れて来れば良かったな。


 言葉が通じない時は笑顔を五割増しにして誤魔化す。困ったらとにかく笑顔。日本人の基本戦術だ。

 心ない者からは「薄ら笑いのイエローモンキー」と言われたりもするが、こういう微妙な空気下では真価を発揮したかもしれない。


 ――いや、待て。アイツは違う。


 悪名高きエコノミックアニマルではなく、バクマツに絶滅したはずのヒトキリ・サムライXだった。まかり間違えば「味方エルフの名誉を穢した」とこの屋敷の人間を皆殺しにしかねない。


 滅入った気分のせいかウォルターは冗談すらまともに思いつかなくなっていた。ちなみに将斗の件についてはエルンストたち同様、彼の一方的な思い込みである。


 酒でも飲んで間を繋ぐかと一瞬考えるも、万が一を気にすると飲むわけにもいかない。

 さて、詰んだ。もう詰んでしまった。


『どうしてこんなことに……でも生きないと……』


 聞き覚えのない、それでいて意味のわかる言葉が耳に届いた。


 間が持たなくなったと困り果てたところで、意識を切り替えたエルフの少女がぎこちなく笑いながら立ち上がって、艶やかに服を脱ぎ始めた。

 こういう時のムードを大事にしたいさりげなくロマンチストのウォルターとしてはやはり困惑するしかない。


 ――いやいや待て待て。注目するの身体じゃない。その前に口にした言葉だ。


『待ってくれ。とりあえず脱がなくていい。ちょっと……話をしないか?』


 ウォルターの言葉に少女は動きが止まり、やがて信じられないとばかりに大きく目を見開いた。


『えっ!? 今の――』


『しぃー』


 地球のジェスチャーが通じるかはわからなかったが、片手を突き出して残る手の人差し指を口に当ててる。

 すると向こうもこちらの言わんとするところを理解したらしく口を噤んでくれた。


 続いてウォルターが懐から取り出したのはどこかで見たようなポケットから出て来そうなモンスター風のぬいぐるみ。

 それをテーブルの上に置くと、まるで持ち主の意図を察知したように一瞬青白い光を放った。


『仕組みはよくわからんが……これで盗み聞きはできないって話だ』


 森を出る時にミリアから渡された音を遮断する器具、らしい。


 魔法がどうのこうのと言っていてリューディアやエリアスが目を真ん丸にしていたが、要するに盗聴器への強力な妨害装置みたいなものだろう。

 そう思っておけば別に問題あるまい。


『すごい高位の魔法具……。失礼ですけど、あなたヒトですよね? いったい何者ですか?』


 少女の視線には警戒があった。当然の反応だ。


『信じられないだろうが、君の森の王子様とお姫様に頼まれてね。この国に捕まっているエルフの様子を調べに来た。他にも仲間はいるのか?』


 言葉より証拠だ。ウォルターはエルフ語で書かれた手紙をそっと渡す。

 簡単にではあるが、これまでのことが書かれている。紙面に目を走らせた少女の顔に生気が段々と戻ってくるのが見て取れた。


『この国にはわたししかいません。他はみな教会の者に連れて行かれました……』


『そうか……。いや、ひとり残っていただけでも御の字だ。今じゃ森も面白いことになっていてね。ひとりでも多くの人手が欲しい』


『もしかして……わたしは帰れるのですか……?』


 信じられない近況を聞いているうちに少女の瞳の奥に、かすかだが希望が浮かび上がっているのがわかった。


『ああ。もう少しすれば反攻作戦が始まる。助けに来るのはその時だ。それまで……耐えられるか?』


 ぬか喜びさせるようで気が引けたが、作戦そのものに影響を与えるわけにはいかない。


 今回ウォルターがひとりで来たのも安否確認が目的だった。

 救出対象の人数によっては本番時に割り当てる人数も変わってくる。


 彼女ひとりを逃がすだけなら今からでも可能だが、それではデルタをチームで潜入させた意味がなくなってしまう。


 そして何よりも――


『今更どうということはありません。また家族や親族に会えるチャンスがあるなら多少の――』


 そこで不意に扉が叩かれた。エルフの少女と顔を見合わせる。

 延長を聞いてくるにはやけに早い。何時間も出て来ないなら話はわかるが、まだおっぱじめてもいないのだ。


 そう考えると――


「バレたかな……」


 腰のホルスターからHK45Tを抜きながら、ウォルターは身に付けていた無線機のスイッチを押し込んだ。

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