第92話 蜘蛛の糸


「……ねぇ。そろそろエルフのコを紹介して欲しいんじゃないの?」


 お世辞にも上等とは呼べないベッドに寝転び、“事後”の余韻に浸っているウォルターにアンネが声をかけてきた。


「ん? そうだったか?」


 やや気怠さを感じるが、こういうところで自制ができない男は自分勝手と嫌われる。

 少し意識して腹に力を入れた。ベッドが小さく軋む。


「なに、忘れちゃったの? ホントはそれが目当てだったでしょ?」


 忘れてなどいない。マナー違反を避けただけだ。


「……そっちこそどうしたんだ? 自分から商売敵に客を繋ごうなんてどういう風の吹き回しだよ」


 ウォルターはできるだけ怪訝な声を出した。

 正直、演技抜きにしても意外なアンネの申し出に驚いていた。迂遠な返しをしたのもそのためだ。


「あら意外? せっかくいい男がお客になってくれたんだもの。つまらないことで失いたくないわ」


「失うって……。そりゃあちょっと大袈裟じゃないかぁ……?」


 布にくるまり、そっと身を寄せて来たアンネにウォルターは笑いかける。


「わたし、そんなにバカじゃないわ。独占欲はあるけれど、初心ウブな街娘じゃあるまいし。意地なんか張って、それが原因で飽きられてもね……」


 なんとも気が利くことだ。たしかに知り合ってそろそろ一週間になる。

 部下たちは自由意志に任せているが、早めに馴染みの店とすべくウォルターは飲むだけでも毎晩顔を出していた。

 をするのは二日に一度くらいだ。

 それにしても客の嗜好だったり、ふとした言葉を覚えているとは。やはり商売上大事なスキルなのだろう。


「いや、驚いた。思ってもなかなかできることじゃねぇな」


 本心からの賛辞だった。

 平民の道徳観があまり育っていないこの世界で、素直に他者を思いやれるのは紛れもなく才能だ。


 無論、商売に生きる者としての打算もあるだろう。それらを差し引いても感心せざるを得ない。


 案外自分はこの娘のことが気に入っているのか。それゆえに不義理したくないとウォルターは思う。


「ちゃんと理由がいくつかあるのよ。本来あのコたちが客を取る貴族様や騎士様たちが、ここ最近足を運んで来ないみたいなの」


「なるほど。そりゃ商売上がったりだな」


 ――そりゃ間違いなくエルフたちの叛乱が原因だろうな。


 すぐに原因に思い至ったウォルターはひとまず素知らぬ顔で頷いた。


「だから上客がいたら紹介して欲しいって頼みが店からあってね。それだけ稼げる人間で、女のコを大事に扱えるヒトを見定めてたのよ」


「ふーん、じゃあなにか? 俺はその資格があるって認められたわけか?」


「ふふふ、そういうこと。よかったわね」


 アンネの笑みが深まり、さらに身を寄せてきた。

 自分が見込んだ相手に間違いがなかったと喜んでいるようにも見える。


「俺は構わないけど、そっちにメリットはあるのか?」


 ふと気になった。それ以外の何物でもない。


「ええ。客足が戻ってきた時に衛兵さんだったり兵隊さんだったりを回してくれたりするの」


 持ちつ持たれつか。

 自分のことだけ考えるのではなく、そういった助け合いが少しくらいはないと長くやっていけないのだろう。


「損しないならいい。さすがに迷惑かけてまで紹介してくれとは言えないからな」


「優しいのね」


「よせやい。褒めても何も出ねぇぞ」


 意外な言葉に驚いて視線を外すが素早く回り込まれてしまった。

 ここからは視線を逸らせない。次に逸らしたら負けだ。そんな気がする。


「そういうところが気に入ったのよ。――もういっかいどう? サービスするわ」


「挑まれたら冒険者として否とは言えねぇなぁ。股間もとい沽券に関わる」


 ウォルターはベッドの上で姿勢を起こす。

 差し伸べてくれた蜘蛛の糸があるなら、それに応えるのもまた一興だろう。

 千切れるかどうかは掴んでから考えればいい。


「……冗談のセンスはもうちょっと磨いてほしいかもしれないわね」


「…………」


 苦し紛れにアンネの唇を塞いだ。







「こっちよ」


 明くる日の夜、指定された酒場へ行くとアンネが席を取ってくれていた。


 いつもの悪所とは異なり、店のランクがひとつかふたつくらい上かもしれない。酌婦もいないし、全体的な客層も落ち着いている。


 さすがに今日は店でしているような露出のある格好ではないが、街の中ですれ違った平民女性と比べてると少し活発な印象を受ける。


「あら、時間通りね。冒険者とは思えないくらいの律義さだわ」


 個人はおろか店にも時計の類はない。街の鐘楼が時を告げるだけだ。

 これは教会関係者にそういう魔法を司る者がいるらしい。


 店の下見は済ませてある。店員に覚えられては困るので部下に頼んでだが。


「そうか? 意識したことはないが……」


「自分じゃ気付いていないかもしれないけれど、いつも店に来る時間もほとんど同じなのよ? びっくりするくらい」


 まったく気付いていなかった。軍人特有の“悪い癖”だ。

 もしかするとこっちの世界に来てから一番驚いたかもしれない。


「ふふふ、そんな顔しないで。時間に正確な人なんて、冒険者じゃ特にいないんだからモテるわよ。いいじゃないの。ほら、食事にしましょう。来るのが楽しみだったの!」


「仕方ないヤツだな……。初めてじゃないんだろ? そっちで好きに頼んでくれ」


 いつもより楽しそうなアンネの笑顔に、ウォルターもすっかり毒気を抜かれてしまった。

 たぶんこれは気のせいじゃないんだろうな。そう思った。





「美味しかったわ~。ご馳走様」


 夜の街を歩きながら酒の酔いを醒ます。今日はエールではなくワインを頼んだ。


 地球のものほど長期熟成されてはいなかったが、けして不味くはなかった。

 山国ながら不思議と乾燥した気候によって独特の味と香りが醸し出されるのだろう。

 猪系の魔物と思われる野性味溢れる肉を貴重な香辛料でじっくり焼いた料理とよく合った。


 それにしても軍人の自分はさておきアンネはよく食べてよく飲んだ。

 そこそこ稼いでいるウォルターからすると値段は知れているが、ケチな冒険者なら一撃で白目を剥いてしまいそうな金額だった。

 まさか懐事情も知れているのだろうか?


「気に入ってくれたなら何よりだ」


「ほんとに嬉しかったのよ? 普段はあんなに食べられないから。お客さんが引いちゃうし……」


 店ではある程度猫を被っているだけで本質は肉食系女子というヤツか。雀の餌をつつくような女よりずっと好ましいとは思うが……。


「ちょっと待て。俺も客だろうが」


「ふふふ、ウォルターはそういうの平気そうだったから」


「……それもヒトを見る目ってヤツか?」


「どうかしらね~」


 はぐらかされつつ腕を組まれるが、拒まずされるがままにしておく。

 この世界ではあまり褒められた行為ではないようだが、自分はどのみち異邦人だ。関係ない。

 それに――たとえ演技でもこれだけ喜んでくれているのを見ていれば気分もいい。


 そうしているうちに目的の場所にさしかかった。


「驚いた、まさかの貴族街の端にあるなんてな」


 いつの間にか人の気配がいい意味で少なくなったと思ったら意外な場所に出た。


「そう。お金様――もとい、お貴族様にお越しいただくにはちょうどいい場所なのよ」


「なるほどね。言われてみれば納得しないでもない」


 あまりキョロキョロしない程度にウォルターは付近の様子を探る。

 たしかにここなら妙なヤツは寄り付かないだろう。ちゃんとした衛兵が定期的に巡回している。


「さぁもう少しよ」


 アンネに引っ張られて目的地らしい屋敷の門の前に差し掛かると衛兵がふたりいた。


 なるほど、

 割符のようなものを見せて中に招き入れられる。初めての経験ではなさそうだ。


「じゃあね、ウォルター。わたしはここまでだわ」


 足を止めたアンネは屋敷の中の光を見て少し羨ましそうに目を細めた。

 どうせ働くのなら、少しでも煌びやかなところで働きたいと思うのは当然かもしれない。そっちにはそっちなりの苦労もあるのだろうが、憧れはコントロールできるものではない。


「また店に顔を出すよ」


「ええ、待ってるわ」


 互いに短いやり取りだけを交わす。

 なんとも不思議なものだと思う。ビジネス上の付き合いと言えばそれまでだが。


「……悪いがこんな時間だ。彼女を店まで送って行って貰えるか? あぁ、ついでにこれで皆で酒でも飲んでくれ」


 衛兵ふたりに結構な銀貨を渡す。

 一瞬驚いた様子を見せた衛兵たちだが、すぐに表情を消して小さく頭を下げた。

 小奇麗な格好をしてきたのもあるのだろうが、世の中を円滑に回す方法は世界が変わっても同じだなと思う。


 アンネを連れて歩いて行く衛兵に、自分を案内してくれる衛兵。どちらもずいぶんと物腰が柔らかくなった。


「さーて、鬼が出るか蛇が出るか。いや、エルフが出てくれないと困るんだが……」


 屋敷の門を潜りながらウォルターはそっとつぶやいた。

 懐に仕舞ったものを意識しながら。





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