第90話 夜の間に間に


「いらっしゃーい」


 ウォルターたちが扉をくぐると、間髪容れずを作った声が出迎えた。


 客のいる席に着いていない酌婦が近寄って来るが、驚くべきことに若くて容姿の整った女が多い。

 魔物の群れが現れたらどうしようかと思っていた。


 ――はて。文明水準はそれほどの高くないはずなのに、思ったより肉付きや見た目がいいな。


 ウォルターはふとした疑問を覚えた。


 自分たちが地球時代に派遣されていた他国はこうではなかった。

 とはいえ、魔法とかが影響しているのだろう。今は関係ないので適当に流す。


 実際、店のランクは上のほうだ。

 教育や嬢の“メンテナンス”もそれなりに施しているのだろう。


 “当たり”の店を引いたかもしれない。


「やあ、ちょっとばかし人数多いが大丈夫か?」


「うん平気よ。いつもより暇してたの。お客が多いのは大歓迎よ」


 それなりの立場と思しき酌婦がウォルターに話しかけてきた。

 すぐに自分が集団の“頭”だと気付いたらしい。なんともいい嗅覚をしている。

 自分への投資もしっかりしているのか、年齢は相応に重ねているはずだが見た目はかなり若く見える。

 なにより、こういう度胸のある女をウォルターは嫌いじゃなかった。


「なんだなんだ。景気でも悪いのかぁ?」


 さも意外だとウォルターは冒険者らしく見える浮ついた声を出した。


 なんとなく理由は察しているが、察しのいい相手に不自然な行動は慎むべきだ。

 こういうところの酌婦に国の紐づきがいないとも限らない。

 自分も同じ立場だ、気に留めておくべきだろう。


「あれ? お兄さん、もしかして他所から来た人?」


 酌婦たちの目が一瞬変わったような気がした。


 しかし、敵意ではない。

 元々バルバリアは山国だ、余所者には割と敏感なのかもしれない。


 もっとも、それとて注意深く見ていなければわからない程度だ。これしきのことで稼ぐ機会を失いたくない気持ちのほうが勝っているのだろう。


「ん? ああ、西から流れて来た冒険者でね。つい最近バルバリアに入ったのさ」


 これくらいは訊かれても不思議ではない。嘘は混ぜず事実のみを語る。


 実際、西方のエトセリア経由で入国しているので間違ってもいないし、冒険者として仕事も北の山できちんと行っている。


「冒険者? 珍しいわね、何もないでしょこの国」


「それは答えにくいな……」


「もう答えてるじゃない」


 ウォルターが頭を搔くと酌婦はくすりと笑う。


「まぁなんだ、魔物が強いぶん稼げるって聞いたからな。今は北の山で魔物を狩ったりしているよ」


 天然の硝石が見つかりそうだと報告したのもこの活動の一環だ。

 不思議とこの国は山岳部なのに雨が少ないらしい。どうも東の山脈との兼ね合いで雲の流れが変わっているようだ。あまり豊かでないのもそのせいか。


「あー、それじゃあ知らないのも無理ないかな。南の方で何かあったみたい。今は騎士様だけじゃなくて兵士たちも王都を離れているから。ちょっと街のほうが騒がしくなってるって他のお客から聞いたわ」


 ――そいつらの多くは帰って来ないだろうな。


 ウォルターはそう思ったが当然口にはしない。

 まだ誰も知らないことだ。無線で伝わった最新情報なのだ。


 部下たちも同じく知っているはずだが、表情に出ないよう仲間内で意図的に雑談に興じたフリをして意識を他所に向けていた。

 このあたりは選抜兵だけにきっちりとしている。


「なるほどね。だったら、その分俺たちが売上に貢献しないといけないな」

「おぅ、任しといてくれよ。こう見えて稼いでるんだ、羽振りは悪くないんだぜ?」


 冒険者らしさ――刹那的な口振りをなるべく意識する。エドワードも乗ってくれた。


「わぁ、頼もしいわぁっ!」


 酌婦は少し大げさに喜んでみせた。

 客の喜ばせ方を理解している。こういうところで上手いこと客を掴むのだろう。


「そうだな……。ちょっとばかり飲んでから、若い連中に“息抜き”をさせてやりたい。そんな感じで席を組んでもらえるか? ああ、あんたは俺の横に着いてくれ」


「そりゃあもう喜んで! 飲むだけじゃないなら猶更大歓迎だわ! わたしはアンネ。よろしくね」


「よろしく頼むよ、アンネ」


 本当に商売が上手だ。

 こんな世界じゃなかったら自分で店を開いてもいいんじゃないか。そう思わせる気持ちのよさだった。




「おおかたみんな行っちゃったわね」


 二時間も経たない頃だろうか、酌婦――アンネが杯を少し傾けてエールを舐めた。

 もう少し高い酒を頼んでもいいと言ったのだが「また今度でいい」と言ってくれた。

 太く短い付き合いよりも長く続く方がいいとのことだ。

 たいしたものだ。なかなかはそうは言えない。


「そうだな。飲むだけ飲んだら……って勝手な連中だ」


「ふふふ。そう悪し様には言うけど止めたりしないのね」


 そこそこ飲んでいるように見えて、アンネはあまり飲んでいない。

 もしも“この後”があって不覚を取ると大事な金を取り損なうからだろう。


 プロフェッショナルだな。

 先ほどからウォルターは感心しきりだ。


「手下どもの息抜きも上の果たすべき役目ってやつさ」


 エールを煽って「いつも大変なんだ」と笑いかけるとアンネの笑みが深まった。


 こちらを探るものでなく、どちらかといえば興味を持っている感じの視線だった。

 まだ油断はできないが、今後のことを考えると今一歩踏み込んでおくべきか。ウォルターは悩む。


「いいわね、そういう面倒見のいい人好きよ?」


 先に踏み込んできたのはアンネだった。


「美人にそう言われて悪い気はしないな」


 後手に回ったウォルターは曖昧に笑う。


「だったら……もうちょっと距離を縮めてみない?」


 ――来たか?


 思わず身構えそうになるが、代わりに杯へ手を伸ばして意識を無理矢理誤魔化す。


「悪くない誘いだが、俺はこう見えてエルフ派なんだ……とか言ったらさすがにマナー違反だろうな」


 さらりと本題を混ぜてみる。

 潜入任務部隊の目的は情報収集のみならず、バルバリアに残る攫われたエルフの救出でもあった。


「ええ、ダメよ。それはマナー違反。こうして付き合ってくれてるオンナの前で言うセリフじゃないわね」


 アンネが軽く二の腕を叩いてくる。

 本心から怒ってはいなさそうだった。


 もちろんウォルターの言葉も拒絶の意思があったわけではない。酒の上での冗談の範囲だ。


「もちろん、そういうところがあるのも知ってるけど……。まずはほら、わたしと仲良くしてくれなくちゃね?」


 まさかの核心に迫れるとは。

 今晩最高の驚きが湧き上がるが、これこそ必死に表情の下に隠しておかねばならないものだ。

 それに、目の前の美人にも失礼だろう。


「……それもそうだ」


「あら嬉しい。拒まれるかと思ったわ。ホントはアナタって気難しそうだし」


 わかったと頷くとアンネは少し嬉しそうにウォルターの手を取った。


「そう見えるのは人と多く付き合う仕事だからか?」


「それはあるわね。だからこそ、出会いを大事にしているの。これでも見る目はあるほうなのよ?」


 いい笑顔だった。

 気に入ったと言ってくれたのも嘘ではないのかもしれない。あるいはこれも商売のテクニックか。

 いや、今はどちらでもいい。


 手を引かれるままに階段を上りながらウォルターはそう思った。


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