第88話 足りないものだらけ、されど……
「ねぇ。あんな風にギッタギタにしちゃって良かったの?」
控えめに見えても
〈パラベラム〉中枢――といえば大げさだが、関係者は隣の部屋から覗けるようにしてあった。
さすがの
「いいんだよ。ブチギレて暴れない程度のところを攻めて現実を見せつける。そうでなければあいつらは“悪い夢”から覚めない。荒療治だとは思っているけどな」
スコットが窓際で煙草に火を点けながら答えた。
吐き出す煙の匂いが少し漂ってくるが、ヴァージニア葉100%の高品質タバコの香りは普及品を知る地球人からすれば驚くほど鼻につかない。
いっそ葉巻でもいいのでは?と他の面々は思うが、あれはオフの時にゆっくりと
「ドワーフよりも獣人の気の短さがわたしとしては気になりましたね。あれでは議論に差支えが出てしまいます」
「クリスティーナ殿下、あれは種族によって差があるみたいですよ。獣人とひとまとめに言っても、肉食獣の血の濃い種族の方が攻撃性は高いようです」
不快さが表情に滲むクリスティーナが示した懸念にミリアが答えた。
「なるほど。たしかに、それなりの押し出しが必要なのは理解しますが、あのように感情を
「あまり彼らを責めないでいただけると助かります。使者を用立てたのもおそらく数十年ぶりでしょう。元々、細々とした交流しかなかったのです」
ヴェストファーレンの姫からの指摘にエリアスは苦い笑みを浮かべていた。
外交などと呼べるものすらなかったのだ。
手探りのままに適当と思われる人間を送り込んで来たのだろう。
「エリアス殿下がそうおっしゃられるならわたしからこれ以上は何も。ただ、少し肝は冷えていましたが」
「あそこで暴れられたら斬――制圧するしかありませんでした。もっとも、マッキンガー少佐も明石大尉もタウンゼント大尉も絶妙なところを攻めておられましたので杞憂に終わりましたが」
懸念を口にしたクリスティーナに、刀の柄頭を軽くたたいて将斗が答えた。
他のメンバーに言及しているようで何気に一番物騒なことを言っている。
実際、あの程度の相手なら将斗ならひと呼吸で始末してのけるだろう。
「それって暗にみんなの性格が悪いって言ってるんじゃない?」
「……小官には答えるべき言葉が見つかりませんなぁ」
良くも悪くも空気を読まないマリナの直球なツッコミに将斗は顔を背けた。
「出たよ、すっとぼけ。よくない癖だよ、マサト~」
「ちょっとマリナ……」
「勘弁しといてやれ、マリナ。マサトはマサトで護衛に気を張っているんだ。さすがにあの距離で暴れられる危険性があったらイヤミのひとつくらい言いたくなるだろ」
ロバートが苦笑気味に頬を膨らませるマリナを宥めた。
この時、直接声はかけずとも将斗のことも労っている。こういうところが彼の上手なところではないか。傍で聞いていたスコットは素直に感心する。
「さてさて皆さん。食事の時間ですよ」
少し間延びした声で扉を叩いたのは
彼は工作部隊に組み込まれているが、今日から新たに食事関係の責任者に就任している。
野外炊具まで持ち込んだので大人数分の調理もとにかく手早い。
一般の領民には彼の部下たちが外で配給方式で振る舞い、屋敷にいる中枢メンバーには容器を別にして持って来てくれたらしい。
細かいところで気が利く人材だ。彼も“当たり”だなとロバートは思った。
「これは?」
テーブルに配膳がされていくとエリアスが問いかけた。
「うーん、とりあえず白乳煮とでも呼びましょうかね。野菜に鳥の肉を牛の乳で煮込んで味を調えとろみをつけたものです」
訊ねられたのはホワイトシチューだった。
以前、将斗がクリスティーナに振舞ったものよりもいくぶんか甘味の強い味付けになっている。作りやすさを重視しているのだろう。
「ああ、美味い……! このようなものはついぞ食べたことがない……!」
「本当ですね、お兄様……」
心なしかエリアスやリューディアの匙の動きが早いように見える。
いや、間違いなく気のせいではない。最初は感嘆の溜め息だったはずだが……。
とはいえ、何に
「これは別に宴の料理ではありませんよ」
「「そうなのですか!?」」
兄妹揃って驚きの声を上げた。もう皿が空になりかけている。
エルフの味の好みがどちらかと言えば優しい系、より正確に言えば森の中での生活で刺激物に慣れていないらしいので、炊事班も日々のメニューをちゃんと考えているようだ。
彼らが着任するまではレーションで凌いでいたが、さすがに軍隊向けの食事では栄養価もそうだが味が濃い。
支援を受ける側なので不満を言い出すとは思えないが、早々に改善することにしたのだ。
もっとも、大量の具材をじっくりと煮込んであるので、それぞれの食材の味が溶け出して複雑な旨味を醸し出している。
胡椒はかなり控えめだが、地球組が食べても普通に美味いと思うほどだった。
これはまさしく間宮少尉の腕前だろう。
「米は大量の水を必要とするため付近では栽培に向かないようですが、小麦なら今畑の方を全力で整備しています。いずれはパンと白乳煮も作れるようになるでしょう。色々と料理はお教えしますよ」
間宮少尉が人のいい笑顔で料理や食料のあれこれについて解説していく。
美味いと言われて喜ばない料理人はいないのだ。
無論、この先の戦いに勝たねば食事どころの話ではないのだが、せめて今くらいは現実ではなく食の楽しみに浸っても構わないだろう。
ロバートも他のメンバーも様子を眺めてはいたが無粋なことは口にしなかった。
なによりも――
「こうしたものが皆で日常的に食せるよう、我々は何としても勝たねばなりませんな」
それは彼らこそが一番理解していた。
エリアスの言葉がエルフの決意を証明している。
外の民も同じだろう。
「そうだな。正面からの戦いでも戦果は上げているが、やはり反攻までいくには兵力が足りていない。そこさえ解決すれば事態は動き出す」
「やはり他の亜人勢力がどこまで合流してくるかでしょうか……」
ロバートは無難に流したつもりだったが、リューディアが不安を口にした。
決め手に欠けるままではいつまでも攻められる。
これまでの外敵に脅かされる生活はもうご免だった。
気が落ち着かないのも無理はない。
これはエルフ全体で抱く本音でもあった。
「それは他の種族連中が考えることだ。あまり気負いはしないでくれ」
「そうだ。エルフは今でも十分に働いてくれている。正直に言って意外なほどだよ。リューディアたち女衆が王様の前で啖呵を切ってくれたからだな」
「あー! あれには驚きましたね。やはり女性は母でもあり強いんだなぁと」
「重臣たちもろくに反論できませんでしたからね。いざとなれば腰が据わっているのは女性かもしれません。我が国もかつては女王陛下が――」
空気が重くならないよう、ロバートたちは敢えて茶化しにいってみせた。
気遣いがわかっているのかエリアスは笑っているし、当のリューディアも無礼と怒ったりはしない。
とはいえ、話題に上げられて恥ずかしいらしく当人の顔は真っ赤になっていたが。
「まぁ、心配しなくても策はいくつか仕込んである。あとは仕上げをご覧じろってところかな」
ロバートは意味ありげに口唇を歪める。
「まぁこの方なら何かしら仕込みくらいはしていてもおかしくありませんので……」
呆れ顔のクリスティーナ。“別の意味”での安心感から誰も疑問は口にしなかった。
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