第81話 余韻
「いったいなんなんだこれは!」
最初に悲鳴同然の声を上げたのは果たしてバルバリア騎兵の誰だったか。
予想すらしていなかった事態に叩き落とされ、狂乱の叫び声と悲鳴は、流行病のように周囲へ瞬く間に伝播していく。
「こんなのが戦だというのか!!」
まさにそれは魂の叫びだった。
敵の姿もまるで見えない。戦いとは己と敵が向かい合って成立するものではなかったのか。
とはいえ、ほとんどの騎士たちに実戦の経験はない。あるとしても盗賊の討伐か人手が足りない時に“狩り部隊”としてエルフの弾圧に参加したくらいだ。
ゆえに今は空から降り注ぐ圧倒的な暴力を前に逃げるだけで必死で、歩兵との連携はおろか周りの騎兵が必要以上に散開してしまっていることにも気付かない。
装備に劣る盗賊を囲んで殺し、亜人を迫害しただけで、戦をわかった気になったものの、その実最前線で戦ったこともない練度の低い兵の限界だった。
「どうなっているんだ! 亜人どもはあんな遠くから攻撃ができるのか!? 何の魔法だ!」
「話が違うぞ! いつでも根絶やしにできるのではなかったのか!?」
「待て迂闊に前に出て行くな! ここはもう敵の――」
混乱の声も長くは続かなかった。次の悲鳴が仲間から上がったからだ。
「矢だ! 狙われている! 森の中だ! 探し出せ!」
喉を貫かれて落馬した同僚の死を目撃した騎士が叫んだ。
矢での攻撃はすぐに止み静寂が戻る。射るだけ射って撤退したらしい。亜人らしい汚らしい手口だ。こちらは反撃で矢玉を無駄にさせられた。
「クソ、あのまま森を焼き払っていればこんなことには!」
無論、そのように叫んでも最初に仕掛けられなかった時点で流れは変えられていた。同僚もそれをわかっているため何も言わない。叫びたい気分だけは同じだった。
「どうにか仲間と合流できたのが救いだが――」
指揮官がつぶやいた。
いつの間にか最初に別れたはずの騎馬兵たちが集まってきている。これは僥倖だ。個別撃破されては堪らないと思っている中で戦力をもう一度立て直すことができる。
そう、彼らはまるで気付いていない。
森の中に足を踏み入れてからこれまで進んで来たのが“間伐によって急遽整えられた道”だと。
馬が全力で走り抜けられないよう曲がりくねっているが獣道などではない。散開していても最後にはひとつの場所に繋がるよう巧妙に作られた“誘い道”だった。
「このまま奥に行けば集落だ。敵はそこにいるに違いない。守ったら負ける。駆け抜けるぞ」
指揮官の読みは間違っていないかった。ここまで想定外の事態になっていながら兵を無駄に失ってはいない。
――おかしい。エルフだけでこのような戦いができるわけがない。何が起きた?ドワーフ? 獣人? いや、ヤツらにそんな知恵も協調性もない。
違和感は拭えないが予測も立てられない。情報が足りていなさすぎる。
「全騎突撃! 機動力に任せて敵を攪乱し蹂躙しろ!
そう、ここが彼の限界だった。
致命的なミスを犯したのではなく、蓄積したものがついに危険領域に達したのだ。
ようやく狭苦しい森を抜け、道が広くなったと思った瞬間、地面から斜めに上を向いた木の杭が騎兵を出迎えた。
馬に、人に先端を鋭く削り落とした“槍”が突き刺さり、さらには横からも小型の杭が埋め込まれた土くれが紐に括りつけられ飛んでくる。
悲鳴が上がり馬が崩れた。慌てて止まろうとするが、密集したこの状態で先頭がやられては――
「いかん! 後ろに引――」
気付くのが遅かった。よほど注意してみなければ小高く盛り上がったことに気付かない坂の先、向こう側の地面を掘って無理矢理低くしていたため“罠”の存在を察知できなかった。
まんまと殺し間に誘い込まれていたのだ。
「ここが墓場だ侵略者ども!!」「森の賢人を舐めるな!」「よくも今まで!」「死ね死ね死ね死ね!!」
怨嗟の声をともに、周囲の木の上から雨霰と矢が射掛けられた。
この瞬間をエルフたちは待っていた。彼らからすれば隙だらけで森の中を進んでいても警戒させないよう手を出さなかった。確実に仕留められる場所へとおびき寄せるために。
「怯むな射返せ!」「魔法を使えるヤツは使え! 今ならもう構わん!」「くそぉぉぉっ!!」
剣は当然ながら槍でも高い木の上から弓を射るエルフには届かない。
彼らは生来の腕がいいため落ち着いて狙えばきちんと急所に当たる。鎧の隙間だろうが二、三発目で確実に射抜いてくる。
弓を持ったエルフに森へ誘い込まれ、騎馬の機動力を失った時点で勝ち目はなくなっていた。
「火をかけて撤退しろ!」
バルバリアの騎士も兵士もなすすべもなく放たれた矢で討ち取られていく中、ようやく指揮官は退却の決断を下せた。
未知の攻撃――砲弾の雨を浴びても素早く森へ逃げ込めた時点でその指揮は見事と言えたし、その後の様子を見ながらの兵の動かし方にも問題はなかった。然るべき戦場に出ていれば武勲も立てられただろう。
だが、歴戦の特殊部隊員たちが周到に仕掛けた罠の前には手も足も出なかった。
とっくの昔に、状況は彼の処理できる能力を上回っていたのだ。
そして――この戦いで学んだ可能性のある彼を生かして帰すわけにはいかなかった。
「誰かひとりでもいい! 急いで本国へ戻るのだ! 敵はエルフだけにあら――」
指揮官は最後まで言い切ることはできなかった。
戦いが始まってからずっと指揮官の存在を捕捉していたエルンストが放ったAWM狙撃銃の.338ラプアマグナム弾が、
「し、指揮官戦死! 全員撤退! 急げ!」
この時点で兵たちの心は完全に折れていた。誰もが抗戦に踏み止まることなく我先にと森から出ようと背中を向ける。
「逃がすな!ここで仕留めろ!」「おまえらの墓はここなんだよ!」
逃げる兵士から先に飛来した矢が容赦なく仕留めていく。火をかけようとする兵はさらに優先的に仕留められた。
それでも二百人近くいた兵士を殺し切るには至らない。森の切れ目が見えた。ここを抜ければ故郷に帰れる。兵士たちの目に希望の光が宿る。
だが、彼らは忘れている。この状況で森を出ればどうなるか――
答えとして撃ち込まれたのは81mm迫撃砲弾だった。
すでに森に潜むデルタからの情報に基づいて、効力射として撃ち込まれた81mm迫撃砲弾の爆発に退却中だった騎兵と兵士の大半が飲み込まれた。
肉体は炸薬の咆吼と共に高速で飛散した
鉄の嵐が過ぎ去った後には粉塵と静寂だけが残っていた。
「か、勝ったのか……?」
静寂の中でエルフのひとりがつぶやいた。自分たちは弓を構え、飛んでいった矢は憎きバルバリアの兵士の死体に突き刺さっている。
他の誰でもない。この光景を生み出したのは自分たちの戦いがあったからだ。
「勝った……」
真正面から戦うのとは比較にならない戦果を得られた。
不埒な連中に大切な森を焼かれることも仲間を連れ去られることもない。
自分たちだけでは到底成し遂げられなかった。それは疑いようもない。
その実感がようやく生まれた。
「「「勝ったぞぉぉぉっ!!」」」
鬨の声が怒濤のように湧き上がった。森の中で発生したそれは周囲の空気を震わせるようだった。
「やったな、エリアス殿」
「ええ、勝てました。あなたがたがいてくれたからです。感謝に堪えません」
天幕を出て兵士たちの姿を間近にしたエリアスにロバートが語りかけた。エルフの王子も端正な顔に笑みを浮かべて頷く。
「まだだ。次は森から打って出る。喜ぶのはいいが本番はこれからだぞ」
続いて言葉を発したスコットに勝利を喜ぶ気配はほとんど見られない。
巨漢はすでに次の戦いを見据えていた。
これが本物の兵士なのだろうかとエリアスは感心するしかない。
「おいおい。今は無粋なことを言うもんじゃないぞ、スコット」
「……そうだった。先を考えるのは俺たちの仕事だったな。働いて脳味噌使ったし、そろそろ酒が欲しいぜ……」
「仕方ないやつだな……。まぁ祝賀会くらいはやってもいいかもしれん。そういえばエルフって肉は食えるのか?」
「知るか。そういうのはマサトに聞けばいいだろ」
自分たちの役割を進めるべく動き始めたふたりの背中を見送るエリアス。
「さすがというべきか、眉ひとつ動かしておられないとは……」
この数十年で初めて得られた勝利に喜び抱き合う兵士たちを見て、エリアスは彼ら同様に抑えようのない高揚感を覚えていた。先ほどからずっと手も震えている。虐げられてきたエルフの血が叫んでいるのだ。
その一方で――目を逸らせない恐怖もまた存在していた。
〈パラベラム〉に対してだ。
妹リューディアのように危機を救われたわけでもない。そうした出会いの差はあると思う。
その上で圧倒的な暴力を見せつけられた時、あれが自分たちに向いたらどうなるかと考えずにはいられない。
無論、恩人たる彼らをどうこうしようなどとは思わない。血迷えばバルバリアの兵士たちと同じ運命を辿るだけだ。
ヴェストファーレンとの繋ぎをつけてくれ、こうして実際に戦いへ参加して自分たちを助けてくれたのも事実だ。
「そうか、あの力は我らにも見せつけているのだな……」
彼らは「狭隘な考えで道を違えるな」と言外に警告していたのだ。
聞けば、彼らは魔王召喚の魔法でこの世界に来たという。
「これまで魔王だの勇者だのとは程遠い世界で生きていたが――」
もしも彼らが魔王そのものであっても驚きはしないだろう。続くはずの言葉は口から生まれずに終わった。
思いを内心に留めたエリアスは、自分の肌が粟立っていること、それが勝利によってもたらされたものだけではないことに気付いていた。
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