第77話 促成
深い森の端は、人はもちろんのこと魔物の数もまばらな穏やかな土地だった。
生存圏が限られているがゆえに魔物の間引きを行い、森の環境を保ってきたエルフのなせる業だろう。
同時に森から出ることを許されず農耕のできない土地で生き残っていく術でもあった。
森の西側にはどこまでも続く草原、北側には山岳地帯へ続く緩やかな丘が広がっている。
もうしばらくすれば――ここは戦場になる。
「報告、各員配置に着いたと連絡がありました」
森の中から出て来た軽装の兵士が報告した。
胸甲だけは金属で他は革の籠手や脛当に身を包み、短弓を背負ったエルフの兵士だった。
ほんの少し前までは精気の足りない瘦せぎすの身体をしていた彼も今ではいっぱしの兵士に見えなくもない。
なによりも双眸には闘志が漲っている。
「ご苦労だ、小隊長。あまり緊張し過ぎないように兵たちを落ち着かせてやれ。もう少し――敵が確認されたら俺たちも動く」
「はっ」
米軍式の敬礼で応えたエルフの小隊長は踵を返し持ち場へ戻って行く。
小隊長の証として頭に巻いたヘッドバンドに差さる鳥の羽が揺れていた。
答礼を終えた男は双眼鏡を覗き込んで草原の向こう側を睨む。
森の外縁部で指揮を執っているのはウォルター・ベックウィズ少佐含むデルタチームだった。
エルフとの同盟により解除された大規模な制限により、彼らはすでに一個小隊の規模にまで膨れ上がっていた。ベックウィズたち士官に率いられた隊員たちは気配を完全に遮断して付近に潜んでいる。
先ほどエルフの小隊長も周りにいるはずの彼らの所在を掴めないことに小さく慄いていた。
「いよいよか……」
「思ったよりも動きが早いですね。おそらく亜人の叛乱と本腰を入れてないからでしょう」
ウォルターのつぶやきにピーターが答えた。
「だとしたら好都合だ。教会とやらと戦う前のいい慣らしになる。気難しいと噂のエルフがその気になったんだ、相応の戦果は挙げてもらうさ」
西から吹く風を浴びながら、ウォルターは迫る戦いの気配に口唇を歪めた。
森でのエルフとの邂逅からおよそ一週間後、ついにバルバリアが動いた。
いつまでも戻って来ない“
そこからさらに一週間で今に至る。
討伐軍が派遣されると最初から織り込み済みだった〈パラベラム〉は、森で出会ったエルフの姫リューディアの仲介を経て、すぐさま森の最深部にいるエルフの王族へと接触を果たした。
案の定難色どころか「ヒトなどをここまで連れて来おって!」と見当違いの怒りを露わにしたエルフの王に対して声を上げたのは、他でもないリューディアをはじめとしたエルフの女たち生き残り組だった。
「今、この時を逃せば我らは永遠にこの森に閉塞する種族として緩やかに滅びます! これ以上同胞が攫われるのはご免です、どうか立ち上がるご決断を!」
王を前にリューディアは一歩も引かなかった。
後から聞いた話では、彼らが決断しないのであれば王位を乗っ取る覚悟を決めていたそうだ。
幸いにしてそうはならずに済んだが、彼女の説得が成功したのも自身の体験による血の通った訴えだったのは間違いない。
こうして〈パラベラム〉とヴェストファーレン、さらにエルフの国との間に密約が交わされた。
バルバリアとの戦いに勝ち、聖剣教会との戦が決まった時点で“新人類連合”を立ち上げるという内容だ。
大層な名前だが、これはあくまで雰囲気作りだ。まずは何よりも目の前の戦いに勝たねばならない。
そこでパラベラムが中心となって軍事教練を施すこととなった。
教練と言っても現代の地球のものをそっくりそのままというわけにはいかなかった。なによりも時間がない。
あくまでもまずは兵士として必要な体力をつけ、命令に従って動けるようにするだけだった。
とにかく森の中で細々と生きて来たせいで慢性的な栄養失調状態にあったエルフたちに用意した食糧を与え、男たちを中心に兵を集めてとにかく命令通りに走らせた。
「食糧まで遠慮なく召喚できるのか? てっきり召喚された人数が飢えない程度だとばかり思っていたが……」
「弾薬がほぼ制限無しなのにですか?」
「弾薬じゃあ腹は膨れないだろ」
「それはそうですが、よもや食料を確保するために略奪、百歩譲って農耕でも始めたかったですか? それでは世界を動かすまでに世代交代が必要になりますよ」
それくらいは考えてあるとミリアは言った。
ご都合主義どころかそれくらいでなければ何もない異世界で文明は維持できないのだ。考えてみれば当たり前の話だった。
「冗談。開拓兵じゃないんだ。いいさ、使えるものはなんでも使う」
ロバートが溜め息を吐き出す脇で将斗は村開拓シミュレーションゲームみたいだなと思った。
あれは速度が一年何十分とかで済むから付き合えるのだ。まずは食糧生産を倍にするのに何年かかるか……。
「一応、地球の食糧で味覚を破壊する文化侵略も可能ではありますが……」
ミリアはさらりと恐ろしいことを言ってのけた。
「それもマサトあたりには面白いのかもしれないが時間がかかりすぎるな。活用するにしても戦争が終わってからだ。やはりこういう時はシンプルに暴力だ」
それはそれで文明人としてどうなんだろうか。
将斗はそう思った。
「武器の供与はするのか?」
最初にその問題に触れたのはウォルターだった。
軍事訓練を受けた兵士を相手にするとなれば、素人に剣を持たせて「戦ってこい」で済む話ではない。
下手をすればひとりで数人斬られ、瞬く間に死体の山が出来上がる。
「考えてはみたが今回はナシだ。一応、槍だの剣だのは地球のものを呼び出せるらしいが……」
「じゃあ連中の得意だっていう弓と矢玉でいいな。足りない分を渡せばいいだろう。それよりも命令通りに動けるかどうかの方がよっぽど重要だ」
どういうわけかエルフは弓の扱いが先天的に得意らしいので、そこに統制的な命令系統を加えるだけだ。
他の種族よりも目が良いなら射撃を教えても良いのだろうが、ほんの一週間ではそこまで覚えられない。また、ヴェストファーレンにすら開示していない銃を渡すのは早計であると見送った。
それに現代兵器は扱いも少し複雑だ。咄嗟の時に撃てないのでは意味がない。
「体格に恵まれた種族でもなさそうだし、白兵戦は避けたいな」
「同感だ。騎士がシールドバッシュでもしたら吹っ飛ぶぞあいつら。本人たちが嫌ってる以上にプレートメイルなんて着せたらヘバっちまう」
答えるスコットが肩を竦めた。
この巨漢の基準で言ったらドワーフですらチビ扱いしそうなものだが、エルフが華奢なのは否定の余地がない。
「科学的なトレーニングまで導入できれば多少は改善できたかもしれませんが、時間がないですから本当に最低限ですね」
食糧は援助の
騎士鎧ともなればそれなりの値段がつく。先を見据えれば少しでも現金はあって困らないだろう。
現物支給の体でエルフたちに回しても良かったのだが、勝手知ったる森の中を動き回って弓で狩りをする彼らには金属鎧などデッドウェイトでしかない。
人間相手の戦となれば話は違うと思ったが、精々胸甲があれば足りるとの話になり、そうなると使えそうなものはなかったのだ。
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