第76話 忘れない


「どうした?」


「エルフに蜂起させ、バルバリア相手に戦を仕掛けるように聞こえましたが……」


 クリスティーナの顔には不安がありありと浮かんでいた。


「ああ、やらせる。俺たちも手伝うが山岳地帯となれば数に劣るこちらはまともには攻めにくい。おそらく王都占領まではできないだろう」


「そこまでおわかりなられているのにどうして……?」


 口にはしないがあまり気が進まないのだろう。彼女には彼女の事情がある。


 教会との戦を控えているのに、ここでよその国の戦争にまで顔を突っ込もうとするのが理解できないのかもしれない。


 であれば、ちゃんと言葉にしておく必要がある。


「これはなんというか理屈じゃないところもあるんだが……。今の亜人デミたちに必要なものがある。“自信”と“現実認識能力”だ」


「自信はわかりますが、もうひとつは……?」


 姫騎士は小首を傾げた。


「プライドを無駄とは言わん。だが、伴う実績がなければ空虚でしかないし、憎悪や偏狭さといった負の感情に支配される。……こうして話しただけでもその気配があるのはわかるだろう?」


「長い間迫害されてきたからでしょうけれど、それはまぁわかります……」


。現実を知らないままだと勝手な憶測で物事を理解した気になる。慢心と何が違う?」


 そこでクリスティーナも理解したらしく小さく息を呑んだ。

 素人アマチュア玄人プロの違いだと理解したのだ。


「仮に味方にできても、今のままじゃ「戦って何かを得た」って実感がないから分不相応な権利ばかりを主張して義務を果たさない。百害あって一利なしだ。だから――」


「血を流してもらう」


 ぽつりとマリナが言った。

 周囲の視線が一斉に集まる。


「えっ、なんか変なこと言った!? あ、あたしはただそうなのかなって――」


 直感で思い浮かんだことを言っただけなのだろうが、やはりこの少女は鋭いところを突いてくる。


「いや、マリナの言う通りだ。褒められたやり方じゃないが、これが必要なんだ」


「しかし、我らには教会軍との戦いがあります。そちらへの――」


 未だ完全に納得していないクリスティーナは途中で気付き言い澱んだ。


 彼女からすればそちらがだ。

 かと言って自身の祖国のためにだけ「どうにかエルフよりも優先してくれ」とは言葉にしにくいのだ。

 実際に迫害される光景を目の当たりにしてしまったからには彼女も無関係ではいられない。


「国内のとりまとめはエーレンフリート殿やリーンフリート殿がやることだ。……でもまぁ不安か。んじゃ、参考になるかわからんがそいつも払拭しておこう」


「え?」


 今度はきょとんとした表情になるクリスティーナ。

 ころころと変わる面白いヤツだなとロバートは思った。


「クリスティーナ、報せが教会本部とやらに行くまで何日と見る?」


 困惑しているお姫様にロバートは問いを投げかけた。


「えっと……。ベリザリオがわたしを捕縛できると見て、焦っていなければ早馬は使わないでしょうから、早くて七日といったところでしょうか……」


 クリスティーナは指を折って数える。


 あるのかどうか知らないが定期便にでも乗せているのだろうか。いや、荷馬なら案外そんなものかもしれない。


「なら、ようやっと本部に着いた頃合いだな。目論見通りにいって仕組んだヤツはほくそ笑んでいるだろうよ」


 ロバートはそう予測してみせるが、クリスティーナからすればあまり愉快な想像ではなかった。

 お姫様の表情を見て指揮官は小さく笑う。


「そこから連中はクリスティーナが移送されて来るのを待つんだろうが、二~三日でフランシスか残った聖剣騎士団からの情報が本部に行くだろう」

「間違いなく大慌てになるな。そこでまた方針が変わる、いや話が大きくなるか。ここからの対策に早くて十日くらいと見る?」


 ここでスコットが話に加わった。


 あまりにも情報が足りていない。教会本部としても容易に判断は下せないはずだ。


 クリスティーナを魔族と結託したことにして失脚させるまではいいが、肝心の糾弾相手がいなくなり、実行犯ベリザリオも騎士たちと共に死亡している。

 さらに騎士団を襲撃した犯人は不明。ここで将斗たちに辿り着いても正確な脅威度の分析ができていないのだから意味がない。


 あとはベリザリオがどれだけの内容を先んじて本部に報告しているかだが、手柄を欲しがっていたあの男のことだ。小出しにして功績を稼ごうとしても不思議ではない。

 あまり希望的観測に縋るべきではないが……。


「おそらくは。各所に手を回したり動員の調整をするだろうからもっと見てもいいと思うぞ。まぁ、ここは短く考えておこうか」

「ですね」


 ジェームズが頷いた。

 この陰謀大好き人間が異論を挟まないのであればそれなりに安心できる。


「普通に考えて、お姫様が故郷に帰らずどこかに潜伏するなんて思わないだろうから、詰問の使者がエーレンフリート殿のところに来るまでは早くてひと月かな」


 スコットが次の予測を口にした。

 ここまでですでに二ヶ月近く稼げている。


「そこから交渉が決裂して使者が戻るのにもう半月、まぁ早馬を飛ばすだろうから七日と見ておくか。そこから討伐軍が組織されてこっちに来るまでさらに良くてふた月くらいか? 四月以上稼げたようなもんだ。その間に戦争の一発くらいカマせるな」


 ロバートが軽く手を打って結論付けた。

 推測に迷いはない。それがクリスティーナには驚きだった。


「そ、そこまで読めているのですか?」


「大きな組織、それと大軍での遠征になればなるほど何をするにも時間がかかる。編成と動員あたりは特にな」


 ロバートがわかりやすいように言葉を選ぶ。


「ましてや今は魔族と戦争中だろう? 兵站の維持も簡単ではない。特に今まで兵を送り込んでこなかった場所へ新たに回すとなれば時間もかかる」


 腕を組んでいた話を聞いていたウォルターが付け加えた。


「そろそろ出られる。そちらはどうだ?」


 話が落ち着いたところでリューディアがやって来た。


 彼女自体は今は亡き護衛とお付きの者でこの村を訪れただけで特段大きな荷物はなかったのだろう。慰撫を目的として生き残りたちに話しかけていたようだ。


 ロバートは将斗を見て視線で指示を出す。


「リューディア殿下、遺体を獣に荒らされるのは忍びません。私の故郷では火葬といって死者を弔う習慣があります。……構いませんか?」


 将斗が遺体の処理を申し出た。あらかじめロバートから許可を得ていたのだ。


「……ああ、やってくれ。わたしも彼らの亡骸がこれ以上辱められるのは見たくない。折を見て骨だけ埋葬する」


 エルフたちの了解を得て焼夷弾テルミットで遺体を荼毘に付す。愛する者を失ったエルフたちが集まりそれぞれに涙を流していた。


「マサト殿だったな。貴殿に感謝を。騎士を一刀のもとに斬った腕前も見事であった」


「勿体なきお言葉です」


「遺体への配慮も重ねて感謝を。この日のことを、わたしは――死ぬまで忘れない」


 途中で将斗から視線を外し、燃え上がる炎を眺めながらリューディアはそっとつぶやいた。


 人間よりもはるかに長い寿命を生きる種族だ。

 百年以上の生の中で、痛みや苦しみの記憶を風化せずにいられるかはわからない。


 それどころか戦うとなればさらに血は流れる。


 だが、今を生きるための意志としてどうしてもは必要なのだ。


 綺麗事だとわかってはいるが、願わくばすべてが片付いた時、彼らエルフがただ憎しみだけに囚われた種族にはならないことを――


 依然として言葉にも表情にも出さない。


 それでも、将斗たちは心の中でそう願った。


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