第72話 後悔してももう遅い


「まさか一発で死ぬとは運がない。いや、あんたら風に言うなら


「いやいや、容赦なく腹に撃ち込んでおいてよく言いますよ」


 物を言わなくなった死体を前に放ったウォルターの軽口に、いつの間にか近づいていた将斗が肩を竦めて応じた。

 呆れ返ったような言葉に反して、表情には「少しだけ溜飲が下がった」と書いてあった。


 ――この日本人ジャパニーズいつの間に……?


 表情は崩していないがウォルターは内心で大きく動揺していた。

 キリシマと名乗った日本人の動きがまるで察知できなかったのだ。この世界に合わせてかはわからないが彼はカタナを腰に差している。得体が知れなかった。


「……キリシマ中尉、貴官は見え見えの嘘をつく輩と交渉ができるか?」


「あー、無理ですね。とはいえ、あまり窓口を減らされても困るのですが」


 ウォルターの問いを受けた将斗は鷹揚に頷いた。


 もしもウォルターが激昂げっこうして騎士たちを皆殺しにするなら力づくで止めるつもりだったが、見たところその心配はなさそうだった。


「きさまぁっ! よくもやってくれたな! 我がバルバリア王国を敵に回す覚悟はできているのだろうなぁっ!!」


 部下を撃ち殺され、指揮官の男が目を血走らせて吼えた。やたらと情報が多い割に、仲間の仇を取るための一歩を踏み出せないのだからどこまでも虚勢でしかない。

 この様子では「ヴェストファーレン王国の意向で動いている」と言ったらビビッて逃げ帰りそうだ。

 油断はしないものの将斗はそう呆れ返っていた。


「知らねぇよ、アホか。国よりもまず自分の命の心配をしたらどうだ」


 ウォルターは男の恫喝交じりの言葉を、銃口を向けて一蹴した。


 男の怒鳴り声と比べれば大声とすら認識されない。

 しかし、どこまでもよく響く声だった。


 騎士を名乗る男たちは気圧されたらしく、続く言葉もすぐには出てこなかった。

 ゆえにウォルターは畳みかける。


「おまえらは家畜にも劣る畜生だ。腐れた根性でクソみたいな理由をつけちゃあいるが、やっているのは命を弄ぶだけ。下劣な生き物だ」


 不快感を滲ませたウォルターは将斗たちの誰もが思っても口にしなかったことを平然と口にした。

 もっともエルフを前にして「家畜」と言ったのはいただけない。状況もあって誰も気にしないのがせめてもの救いではある。


 この時、わずかに空気が弛緩した。


「おのれ……! 黙っておれば!」


 緊張と緊張の隙間だったこともあるだろうが、ついに騎士のひとりの我慢の限界を超えた。

 副官と思われる人間が叫んだ――そう思った時にはすでに剣の柄を握り動いていた。


「ベックウィズ少佐!」


 警告の声が上がる。それほどの動きだった。


 死を間近にした緊張と興奮、それらと相反する武人としての冷静さが、ともすれば彼の人生最高の一撃を生み出した。

 彼我の武器、そして身体能力の差を勘案しても、この世界に慣れていないウォルターへ刃を届かせることができたかもしれない。


 しかし――


 聞こえたのは鍔鳴りの澄んだ音だった。

 金属同士の激突音すらないままに、気が付けば将斗は斬りかかった副官の斜め後方へと抜けていた。


 突然時間が抜け落ちたような光景に誰もが息を呑み、周囲からも音が消えていた。


「いつ……抜いて……いた?」


 剣を振りかぶった状態で、首だけを斜め後方へ現れた将斗に向けた副官が静かに問いかけた。


「……あなたが剣を抜いた、その後に」


 身体ごと振り返った将斗が腰に佩いた刀の柄から手を放した。

 

「見事、にして、おそろしき技……。隊長、お逃げくだ……」


 そこまで言い終えた副官の上半身が鎧ごと斜めにずれて地面に落ちる。

 どしゃりと血と内臓を撒き散らした時にはもう息絶えていた。


 一瞬の出来事に、誰も言葉を発することができなかった。


「――キリシマ中尉、俺より速いとかおまえサムライか何か?」


 ひとりだけ沈黙を破る男がいた。


 後ろ手にナイフを抜き、投擲寸前の姿勢になったウォルターが信じられないといった表情を浮かべていた。

 見たところ彼だけでも十分対応できていただろう。副官が斬りかかるより速く、喉元か眉間にナイフが深々と突き立っていたと思われる。


 しかし、将斗はそのさらに上をいっていた。

 敵が動くと見た瞬間にすべてを抜き去る神速で相手を斬ってのけた。

 その事実が場を凍りつかせる。


「「いいえ、ベックウィズ少佐、そいつはニンジャです」」


「……どっちも違います」


 拳銃を抜いたジェームズ、ライフルを構えたエルンストの声が重なり、いつものやりとりで将斗が一蹴した。


「……マリナ、今の見えた?」

「……ぜんっぜん。ウォルターさんの動きは辛うじて。マサトさんの動きは……さっぱりわからなかった。消えたと思ったら斬ってたとしかわかんない……」


 呆然としながらサシェはマリナに語りかけた。

 問いを受けた相棒は目をしばたたかせてわからなかったと答えた。

 実際、周りも似たようなものである。


「う、嘘だ! こんなことが現実に起こるわけがない!」


 最後に残った指揮官はとうとう現実の重さに耐え切れなくなった。

 この状況下で無防備な背中を晒して逃げ出そうとしたのだ。


「もういいな?」


 ウォルターの視線と言葉を受けたロバートはそっと頷いた。


 銃声。太ももを撃ち抜かれ、指揮官の男はもんどり打って地面に倒れる。


「さーて、お喋りの時間はおしまいだ。さっさと吐いてもらおうか?」


 足を撃ち抜かれても諦めない男は這って逃げようとする。

 その背中をウォルターのブーツが踏みつけた。


「両手を頭の上に置いて伏せてろ。おまえには弁護士を呼ぶ権利もなければ、自身が不利になる証言を黙秘する権利もない」


「なにを、わけの――」


 首だけを動かして背後を振り向きながら、罵声を上げようと口を開いたところで容赦なく胴体を蹴りつけつけた。

 悲鳴が漏れるが、ウォルターに構う様子は見られない。


「質問にだけ答えろ。近くで死んでるお仲間のようになりたくなけりゃな」


 すぐ近くで頭部の中身を露出させて死んでいるかつての部下の姿を見た男は、瞬時に顔色を蒼白にさせて押し黙る。

 この状況下でも最低限の判断を下せるだけの気力は残っていたようだ。


「ご丁寧に自己紹介してくれたおかげで訊くことは少ないが……」


 足をどけて、よく見えるように目の前へと回ってわざとらしくM27の銃口を突きつける。


 男は一瞬だけ躊躇する素振りを見せたが、それも一瞬の話だった。

 相手がほんの一瞬で人を殺せる手段を有していることを思い出し、すぐに観念して口を開き始めた。


 一番の犠牲者は副官かもしれないな。将斗はそう思った。


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