第59話 外の世界へ


 視線を上げれば青く晴れ渡った空がはるかむこうまで広がっている。

 南方に聳えるのは、万年雪を冠として戴くローレンシア山脈の威容。


 西から吹く涼しげな風を浴びながら、街道を一台の馬車がのんびりと進んでいた。


 荷台に乗っているのは野郎どもファッキンガイズと愉快な仲間たち。

 スニーク・タランチュラの異常発生を少人数だけで見事に鎮めてしまったため、本格的に面倒事――他の冒険者たちに目をつけられてはたまらないと、次の日には王都を抜け出た次第である。


 ――というのは表向きの話だ。


 内々ではあるがヴェストファーレン王家との協力関係を結んだ彼らに後ろめたさなど微塵も存在しない。

 これからは異世界での生き残りをかけ、自身の勢力を作るための任務が待っているのだ。


 ちなみに、冒険者稼業での“やらかし”にしても多少火力に訴え過ぎたと思わなくもない程度だ。

 同道する一部の人間からすれば「反省しろ」と言いたくなるに違いない。


 特に彼らに付き合わされている少女ふたり、あるいは追加されたふたりも入れて合計四人がそれぞれどう思っているかはさておき。


「はー、平和だねぇ。今は遠くになっちまった故郷を思い出すよ」


 周囲への警戒役を務めるエルンストがM38 SDMRを抱え、荷台の縁から外を眺めてのんびりと声を上げた。

 ドイツ出身の彼としては、今広がっている景色が中央ヨーロッパあたりに広がる風景に被って見えるのかもしれない。


「故郷は遠くにありて思ふもの、ですか?」

「僕なら『我が心はイングランドにあり、我が心は此処にあらず』かな」


 将斗とジェームズがそれぞれに自国の詩を引用した。


「ちょっとちょっと、そんなイングランド仕草しちゃって……。スコットランド人に怒られますよ、タウンゼント大尉」


「そう? 誤差の範囲だよ、キリシマ中尉。君もジャパンのカンサイ地方だのカントー地方だので細かく言ったりしないだろう?」


「それはそうですが……」


 だとしても関東人が関西人を気取ったら似非関西弁と言われてディスられるのがオチだ。


「構いやしないよ。いちいち文句言ってくる鬱陶しいのがいなくなったから清々しているくらいさ」


「うん、わかりました。この話はやめておきましょう、大尉。はい、やめやめ」


 イヤな予感に襲われた将斗は強引に話題を打ち切った。

 これ以上放っておくとジェームズが何を言い出すかわからない。ブリティッシュジョークも結構キツいのだ。


「ハァ……。緊張感の欠片もありませんわね……」


 クッションに腰を下ろしたクリスティーナが呑気極まる地球組に言葉を投げた。


 そのうち指名手配される彼女が王都をうろついているのはまずいだろうと、将斗たちと行動を共にしているのだ。

 たしかに世界でも有数の安全地帯である。降りかかるトラブルさえ勘案しなければ。


「緊張が必要ならそうするまでさ」


「つい先程襲われたばかりではありませんか!」


 たしかに風景だけなら長閑そのものだ。

 叫んだクリスティーナが指で示した方向、山脈方面の空を時折飛んでいく巨大な鳥――ヒクイドリと呼ばれる大型魔物の姿がなければ。


「あの鳥か? すっトロいからいい的だったろ」


 スコットが「物足りなかった」と不満げな声で返した。

 そう、運悪く一匹が興味を示したか腹をすかせたのかで襲いかかって来たため、用意してあった携行式対空ミサイルMANPADSで撃墜した。

 それ以降は他の個体も近寄ってすら来なくなっただけなのだ。


「そんなこと言えるのはあなたがただけです! 普通、襲われたら死傷者多数の危険生物なんですよ!?」


 吼えたクリスティーナはあまりの常識外れ具合に頭痛を覚えていた。


 ヒクイドリはその名の通り火炎放射で獲物を仕留める習性がある。

 胸部にはそのための高熱を常時蓄えており、赤外線誘導のミサイルでさくっと仕留められた。

 そう考えれば本当は“火噴き鳥”なのだが、そこはどうも語感重視の大雑把な命名らしい。


 火だるまになって地面へと堕ちていくヒクイドリを見たクリスティーナにマリナ、サシェは終始呆然としていた。

 ちょっとばかり刺激が強かったらしい。


「そうつれないこと言うなよ、お姫様。せわしなかった日々からようやく落ち着けたんだ。少しくらい気が抜けるってもんだ。ご不満かもしれんがな」


 携帯端末をいじりながら、スコットは欠伸を噛み殺しながら答えた。


 どこか口寂しそうにしているのは煙草を吸えないからだろう。

 彼なりのルールで非喫煙者の前では吸わないようにしている。雑に見えて案外律儀だった。


「はぁ……。そこに関してはもう責めておりません。しかし、もう少し王都で休まれても良かったのでは? 誰も文句は言いませんし少しは歓待させてくださっても……」


 苦情を言うだけ無駄と思ったクリスティーナは溜め息を吐いて話を変えた。


「そうしたいのは山々だったが、冒険者のしがらみで身動きできなくなりそうだったからな。まぁ、こうしてトンズラしても束の間の休息しかできなさそうだが」


 今度はロバートが小さく鼻を鳴らした。


 この世界に連れて来られてからの蛮行はともかくとして、文明人を自称する野郎どもファッキンガイズはいいかげん馬車での移動にうんざりしていた。


 それは同行者となった少女たちが「この人たち、本当に自分を助けてくれたのと同一人物?」と疑問を抱くには十分すぎるギャップだった。

 もっとも本人たちからすれば、どう思われても慣れていないものばかりはどうしようもない。

 まさしくカルチャーギャップである。


「そういえば彼女たちにはなんと言って連れて来たのです?」


 (心労で)疲れ果てて眠っているマリナとサシェにクリスティーナは視線を向けた。


 森で助けたついでに情報を得たり討伐資格を得るための協力者にしたと聞いている。

 彼らが判断したなら大丈夫だろう。


 まさかいざとなれば始末すれば良いと考えてはいないはずだ。……はずだ。


「お姫様のことは護衛対象みたいなものとだけ。実際ギルド職員が御者として来てるから違和感はあるまいよ」


「それだけですか?」


 クリスティーナの声に不安が宿った。


「まだこちらの素性を明かしていないからな。それも含めて下手なことは言えないよ」


「わたしとしてはそちらの方が気がかりになってきました……。疲れてしまいます……」


「まったく。今日くらいはゆっくりしたいものです。せめて帰れる機能付き召喚だったら……」


 将斗も慣れない環境での疲労を表情に滲ませて同意を示した。「疲労の種類が違うのでは?」とクリスティーナは思ったが口にはしない。


 サブカルの国出身なだけあって、将斗に異世界転移・転生の願望がなかったわけではない。


 しかし、現実には身体が多少ローカライズされただけだ。

 文明の利器くるまが使えないのはさすがに堪えた。メンバーからニンジャ扱いされている彼であっても尻の耐久力だけはあまり変わらなかったのだ。


「車があったってハイウェイをかっ飛ばせるわけじゃない。だが、馬車ってのはたまらねぇ。西部劇じゃないんだぞ」


 スコットもそれなりに参っている。 巨漢だけに自重を支える腰への負担が大きいのかもしれない。


 召喚システムの制限も段階的に解除され、新たな車両を呼び出せることもわかっていたが、王都を出て落ち着くまではどこから情報が洩れるかわからないため自粛していた。


 ただでさえ注目されている新人が、馬車をはるかに超える移動手段を有していると知れた日にはどうなるか。拠点を移してでも仲間に勧誘しようとする人間が殺到しないとも限らない。


「いい加減諦めろ。そのために魂をデータよろしくコピー&ペーストさせられたんだ。さらば自由の国ステイツ、さらば俺の愛車マイレディ……」


 馬車での移動を決定した張本人たるロバートも限界を迎えたか溜め息を隠さなくなっていた。


 自身の選択に未練は残っているようだが、指揮官の立場から安易に肯定するわけにもいかず、こうして他愛もない話に興じるしかない。割と即物的な未練にも聞こえるが。


「そうですねぇ。せめて演習だけでもクリアしたかったですけど。せっかくVRじゃなきゃできそうにないお祭り騒ぎでしたし」


 ジェームズがおどけてみせた。

 このままでは暗くなりそうな空気を変えに行ったのだ。


「よく言うよ。どうせロクでもない手段で司令部を混乱に叩き込むつもりだったんだろう? 自分だけ楽しむのは祭りとは言わないんだぞ」


 スコットもそれに乗っかって軽口を叩きはじめた。

 本当にこういう時と戦闘だけは最高に息が合っている。


「ロクでもないとは心外ですね。僕らを選んだ人間が悪いんです。今頃やらかし過ぎて発案者が責任をとらされてるといいんですが」


「期待はできねぇなぁ。余興は余興となぁなぁに終わってるんじゃないか? それか特殊部隊の無駄遣いとか被害を受けた連中に陰口を叩かれてるかも」


 ジェームズの開き直りにエルンストが追加で皮肉を投げて肩を揺らした。

 

「そうだな。……だがまぁ、ものは考えようか。こうして別世界でもっと大暴れできてると考えれば、若返って飛ばされた意味もあるってもんだろうよ」


 寝息を立てているマリナとサシェに視線を向けてロバートが漏らし、残るメンバーも言葉にしなかった部分に気づいて表情を和らげる。


 もっともらしく「どこかの誰かのためになっている」と聞かされながら異国の地で戦うよりも、こうして自分自身の手で命を救えた人間が目の前にいる感覚。

 それが将斗たちに不思議な充足感をもたらしていた。


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