第56話 偶然の一致


「……実に重い言葉だな。ともすれば平穏の中で忘れがちなことだがね。それゆえに説得力がある」


 沈黙が数秒経ってから、エーレンフリートがゆっくりと頷いた。


 直感的にだが「試験にクリアした」とロバートは理解した。

 おそらく、彼は最初から戦う心積もりはしていたのだろう。娘から聞いた話だけでは確信が持てなかっただけで。


 ――当然だ。俺だってそうする。


 考えを巡らせながらロバートは唇を軽く噛んだ。

 見たところ命の恩人までは否定していなかったようだ。娘が洗脳されている可能性など疑い出したらキリがない。


 だからこそ、自身の目で見極めることにしたのだろう。


 異界からの来訪者に命運を委ねる価値があるか。または自身の導き出した結論をより強固なものにできる存在か。

 それらを判断するのが、会談の目的だったに違いない。


 存外したたかな王だ。

 ロバートは油断できないとあらためて気を引き締めた。


「どうやら私も覚悟を決めねばならんようだ」


 向けられた視線へ応えるようにエーレンフリートの表情が変わった。


 ここからが本当の会談だな。


 地球組はそれぞれに同じ結論へと辿り着いていた。

 自分たちの軍人としての本務は戦うことだが、まずは政治の煩わしさを片付ける必要がある。

 言葉にせずともそれくらいわかる。小さく仲間と視線を交わせば十分だ。


「貴国の意思が決まれば話は早い。我々にも動きようが出てきます」


 あくまでロバートは丁寧に接することを忘れない。


 互いの力関係をはっきりさせたわけではないが、ひとまず下手に出ておいた方が賢明だろう。

 文化の差異は間違いなく存在する。貴族でもない者に無礼な真似をされて喜ぶはずもない。

 それに、非礼だが的を射た意見は放っておいてもスコットかエルンストが勝手に口にするだろう。

 それが必要であると認める限り。


「宗教対立からの国家主権確立ですか……。まるでウェストファリア体制ですね。はて? 失礼ながらたしか貴国の名は……」


 そこでジェームズが何か思いついたらしく声を上げた。意外なところからだった。


 無論、ロバートは止めない。

 自分以上に無意味なことをしない男だからだ。


 副官スコットが未だ自分の出番としていない以上、三番手はジェームズしかいない。

 たとえ同階級でもエルンストを王族相手に喋らせるのは論外だった。そちらなら全力で止めたかもしれない。


「ふむ? ヴェストファーレンだが」


「これはまた……大した偶然ですね……」


 ジェームズが心底驚いたとばかりに感嘆の声を上げた。

 すこしわざとらしいが気にしたら負けだ。


「偶然? いったいどういうことでしょうか?」


 リーンフリートが興味を持って訊ねた。「食いついたな」とジェームズは内心でほくそ笑む。


「少々長い話になるかもしれませんが……。我々の世界で四百年近く前に三十年もの期間宗教戦争がありましてね」


「「さ、三十年もっ!?」」


 王子と王女が揃って驚きの声を上げた。

 エーレンフリートも声こそ出さなかったものの無意識のうちに眉が上がっている。


 ジェームズは頷くに留めた。

 本当は「百年戦争が霞むくらいもっと長いこと魔族と戦っているあなたたちが驚きますか」と言いたかった。

 とはいえ、同じ陸続きの国同士が入り乱れ、短いスパンで延々と戦い続けているようなケースは存在しなかったのだろうと自分に言い聞かせる。


「途中色々と思惑なんかも複雑に絡み出し、地域の覇権を巡る国際紛争に発展しましてね。この戦争では最終的に当事国の人口二割を含む八百万人以上の死者を出しました。史上最悪の紛争のひとつに数えられています」


「「は、はっぴゃくまん……」」


 途方もない数字に呻くような声しか出せず、「他にもそのような戦争があったのか?」と気付く隙間がなかった。

 対する地球組も「もっとひどい戦争やゴタゴタなんていくらでもあった」と思ったが、口に出すのは身内の恥を晒すだけと黙っていた。


 地球人が魔族――もっとひどい戦闘民族、あるいは狂人認定されないためにも沈黙は金である。


「そ、それだけの犠牲が必要なのですか……?」


「あくまでも我々の世界での話です。こちらとは事情が大きく異なります。まぁ、そうなるかもすべては教会次第でしょうが。引くに引けなくなった人間はなかなか止まれないものです」


 表情を引き攣らせたクリスティーナにジェームズは淡々と答えた。

 ともすれば他人事風にも聞こえるが、彼としては政治を希望的観測で語るべきではないと考えていた。だから気休めは口にしなかった。


「その後に色々と取り決めがなされて“国際法”というものができました。これによれば国際法上、国家間は平等という話になりました。現実はどうであれね」


「よくそのようなものが通りましたね。覇権を得るために戦を始めたでしょうに」


 リーンフリートが疑問を発した。数字の上だけで犠牲を語られても理解しがたいのだ。


「当初の目的はそうであっても、信じられないくらい人が死ねば誰だってイヤになるものです。そもそも人間が減れば、税収もガタ落ちで国庫が持たなくなります。そこで搾り取れば一揆が起きる」


 大量死メガデスに想像が及ばなくとも為政者としてまずい結果になるのは理解できるらしく、王族たちは「あー、なるほどねー」といった顔になる。


「話を戻します。そんな感じでまぁ三十年もとことん殺し合ったものですから、疲れて講和会議を行うだけでも相当な時間を要しましてね」


 話の腰を折るので言葉には出さないが、三人とも「さもありなん」とでも言いたげな表情を浮かべていた。

 規模の想像が及ばないので正確に理解しているかはさておきとして。


「会議の開始が三年遅れたのみならず、そこから延々とゴネたり揉めたりさらに三年使ってようやく多国間での取り決め――世界初の国際条約が結ばれました。その名前が“ウェストファリア条約”なんですよ」


「ふむ?」


 リーンフリートが首を傾げた。


 まだピンと来ていない様子だった。


 ――翻訳魔法らしきものが働いているせいで上手く伝わっていないのか?


 ジェームズは少し考えてから言葉を選び直す。


「失礼、迂遠でした。講和場所の地名をその国の言葉ではヴェストファーレンと呼ぶのです」


「! それはなんともまた……」


 今度は通じたようだ。


「どうです? 面白い偶然だと思いません?」


 自身の“役割”の終わり際にジェームズは微笑む。


「いっそ天命と思い、戦い抜くのもありでしょう。よいではないですか、異界のヴェストファーレンにあやかった勝利の上で世界初の国際条約として締結されればそれはそれで」


 クリスティーナは思わず身震いする。


 ジェームズの言葉には続きはあるように感じられた。そう、「戦わねばならないのです。たとえ国土を血に染めることになっても」と――


 穏やかで美しいはずのそれが、なぜか背筋の凍るような笑みにも見えた。


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