第26話 騒ぎは起こすな
装備選択を終え、荷物をまとめた将斗たちは夕暮れ前に街を出る。
宿には宿泊料金を前払いしてあるので、怪訝な顔こそされたものの切り上げたところで問題はなかった。
一方で門の衛兵からは「こんな時間から出発するのか?」と問われるも「騎士団の任務で動いている。急ぎの旅で物資の補充に寄っただけだ」とクリスティーナが答えればそれ以上の追及はなかった。
まさしくフリーパス。聖剣教会様々である。後でほぼほぼ敵対する予定だが。
「もういいかな」
「大丈夫かと」
ロバートが立ち止まり、ジェームズが頷いた。
しばらく歩いて日も落ち、人々の姿がなくなったのを確認したところで街道を外れ、ふたたび召喚したRG-33Lに乗って一気に東を目指す。
「途中の休憩は都度入れるが、今日で可能な限り距離を稼ぐぞ。朝までに目的地に着けるようにするからな」
楽しげにハンドルを握るスコットがメンバーに告げた。
車など存在しない世界なので、未経験の不整地ではあまり飛ばせない。焦るあまり事故ってしまっては元も子もないのだ。
「わたしに構わず進んでください。今は先を急ぎますので」
自分が気遣われているのだと感じたクリスティーナが遠慮は要らないと申し出る。
「それは構わんが……。車内で吐かれちゃ困るから、気分が悪くなったらちゃんと言ってくれよ?」
馬車の揺れに慣れていれば快適かもしれないが、逆に高速で上下するためこちらのほうが三半規管に影響が大きいのではないかと踏んでいる。
昨日は極度の疲労で眠ってしまったが、今日はそういうわけにもいかないだろう。
「は、吐いたりしません……!」
無遠慮なスコットの物言いに、クリスティーナは顔を真っ赤にして答えた。
――これはフラグだな。
将斗は確信した。
無論、これ以上からかうのはまずいので口に出さない。
「じゃあ、気にせず行くからな」
答えたスコットが勢いよくアクセルを踏み込んだ。
「うー、やっぱり口や喉が少し変……」
朝の空気を浴びながら、ぐだりと座り込んだクリスティーナが弱々しい声を上げた。
「あれだけ吐いたら胃酸で粘膜もおかしくなりますよ。夜半過ぎには着きましたから無理しなくても良かったですのに……」
ミリアがミネラルウォーターのペットボトルを渡しながら気の毒そうに語りかける。
「すみません、ミリア様……。お荷物にはなりたくなかったんです……」
水で口を
元とはいえ聖女候補にあった身だ。誰かに
「お気持ちはわかりますが……。今は殿下が事態のカギを握っているのですから、まずは御身を大事にしていただければ……」
ところが現実は非情だった。
走り出して三十分で車を停めて道端にアレな水溜まりを作り、その後も二回ほど同じことを繰り返した。
遅まきながら途中で酔い止めの薬を飲ませてもこの有様なのだから、そもそも乗り物酔いしやすい体質なのだろう。
「騎士団でも慣れていない者に熟練者の素振り回数を求めないでしょう? そこは織り込み済みですから、殿下も甘んじていただいた方がこちらも気が楽なのですよ」
なるべくわかりやすい言葉を選んでミリアは言葉を重ねる。
実際の年齢はクリスティーナの方が十数年も長いのだが、今では不思議と年下の面倒をミリアが看ているような感じだ。
「重ね重ね申し訳ない。以後留意します……」
まだ気分が優れないのだろう。クリスティーナの口調は弱々しいままだった。
どうしたものかとミリアは思案する。
「お嬢さん方、朝食ができましたよ」
ジェームズが呼びに来る。
口調はわざとらしいくらい気安いが、クリスティーナが気に病まないよう深刻な空気を出さないでくれていた。
飾りとのことで贅沢に感じるが、かけた眼鏡も人が良さそうに見える道具になっている。
「今日はあっさり目の野菜スープにしました。これなら
ジェームズの先導を受けながら皆のところへ歩いていくと、調理担当の将斗が焚火の上で鍋をかき回していた。
昨日のような芳醇な乳酪の香りではないが、今日も香辛料を使ったと思われる食欲をそそる香りが漂ってくる。
仄かに漂うのは燻製肉の香りか、それ以外にも野菜から出る甘い香りが胃を別の意味で
「どうぞ、殿下」
「ありがとうございます、マサト殿……」
差し出された器を受け取りながらクリスティーナは礼を述べる。
まだちょっと気分が悪いと言っても、人間なんだかんだで腹だけは減る。
――わたしではない。このような状況でも食べたくなる料理を作るマサト殿が悪いのだ。
そう自分に言い聞かせて、クリスティーナは受け取った木の器に匙を伸ばすのだった。
顔色も元に戻り、無事ヴェストファーレン王国の王都ヴェンネンティアに着いたクリスティーナは、彼女の顔を知る衛兵の出迎えを受けながら、すぐに城へと緊急の遣いを走らせた。
「“あの宿にいる。事態が変わった”と陛下に言えばすべて伝わる」
伝令にそう告げたあとでクリスティーナは宿へと将斗たちを案内した。
最初から場所は決めてあったらしい。
「こりゃまたすげぇ宿だな……」
部屋に通された将斗たちからにわかに感嘆の声が上がる。
しっかりと幅広のベッドが設えられた室内に厚めの板材を使って色合いも調整された壁。調度品も派手さはないが存在感のあるもので統一されている。
貴族向けではないにしても、それなりに裕福な商人が泊まれるのではと思うほど――フランシスで泊まった宿とは何もかもが違っていた。
地球で言うなら、そこそこのビジネスホテルに泊まるつもりが、予約間違いで値段が二~三倍以上異なる系列ホテルに泊まれた気分だった。
無論、彼らも士官なのでそれなりのホテルに泊まった経験もあるが、この世界での初ホテルが“あれ”だったので相対的に感動しているのだ。
「命を救っていただいた皆様を歓待したいのは山々なのですが、城に招くにもまだ状況が整っておりません。しばらくはここに滞在していただければと思います」
「大仰にされても分不相応だがな」
スコットが笑い、他のメンバーも頷いた。
「そこはこちらの気持ちですので。……さて、申し訳ありませんが、迎えが来次第わたしは城へ向かいます。こちらの支払いは当家で持ちますので」
あらためて鎧を着込み、剣を腰に佩いたクリスティーナが将斗たちにそう告げた。
本来であれば必要ないはずのそれは、彼女にとってはこれから向かう先への“戦支度”なのだ。そう理解した地球組はそこには触れない。
「なぁ? 俺たちは非公式の護衛だぜ? こんな豪勢な宿に泊まっていいのか?」
だからというわけではないだろうが、代わりにエルンストが俗っぽい言葉で返した。
その意図するところに気づいたクリスティーナはそっと微笑む。
「ふふ、心配はご無用に。騎士たちで演習に来た際に使ったこともある宿です。店主の口も固いですから」
「そう言われたら甘えさせてもらうけどなぁ。なにせベッドの寝心地は大事だし」
ボフンと質のいいベッドに倒れ込んだ銀髪の青年はどこまでも道化を演じにいく。
それを見たクリスティーナはくすりと笑う。
「王族や側近たちへの説明や根回しもあります。二〜三日で戻る、もしくは遣いが来ると思います。登城になると思いますのでその際には、あー、礼服の類を……」
クリスティーナは言葉を選びながら遠慮がちに問いかけた。
たしかに迷彩服を見ていれば礼服が存在するとは思うまい。
とはいえ、この気遣いはなんだか心が痛くなる。
「それなら大丈夫だ。我々の世界基準のものだが、そちらが見ても妙に映るものではないと思うよ」
苦笑しながらロバートが答えた。
そこはミリアも頷く通り召喚できる範囲だった。
「そうですか。こちらで用意しても良いのですが、皆さんの素性を明らかにするのであれば元の世界のものが良いかもしれませんね」
現物を見ていない以上、安心とまではいかないのだろう。
だが、「ここで見せては価値が落ちる」とロバートは敢えてクリスティーナの不安を払拭しなかった。よくない悪戯心である。
「なんにせよまずは王様への報告を頑張ってくれ。それ次第で迎えに来た俺たちの行く先が謁見の間か死刑台かに変わっちまうからな」
冗談めかしてスコットがからかいにいった。
クリスティーナは一瞬はっとした表情を作るも、それが「お前のせいじゃない」と言っているのだと気付いて口を噤んだ。「あとは成果で語れ」と続くはずの言葉まで理解したからだ。
「そういえば聞いていなかったんだが、どうしてお姫様は聖剣教会に出仕していたんだ? 仮にも第一王女となれば王様が許すものかねぇ?」
ふと興味を持ったようにスコットが問いかけた。
実際、それには続かないものの将斗たちも気になるとばかりに視線を向ける。
「そうですね……。第一王女を出すのは道理に合わないように感じるかもしれませんが、聖女候補であれば話は変わります。“加護”や“祝福”と呼ばれる固有魔法を持っていますので、それが教会内で認められると出身国の発言力が増すのです」
なるほど、どこまでも政治の延長線上か……と皆が頷いた。
「ちなみにお姫様のそれは?」
止せばいいのにスコットは更に一歩踏み込もうとする。
「……聖女認定に最低限必要な回復魔法と、あとは剣に纏わせる蒼い炎です。普通の攻撃魔法以上の威力を魔物や魔族に与えます。おかげで騎士団の支部長にまでなってしまいまして……」
「ずいぶん攻撃性の高い聖女だな……」
「言わないでください……。気にしているので……」
さすがに無遠慮なことを言ってしまったと、スコットもこの時ばかりは顔を顰めた。
「じゃあ、俺たちは待ってる間に討伐でもしているかな」
ロバートが空気を読んで話題を変えた。スコットが「よくやってくれた」と視線を向ける。
「それは構いませんけれども、くれぐれも注意してくださいまし。あなたがたはこの世界にとって……」
途中でクリスティーナは言葉を濁した。
言いたいことはよくわかる。本当は“異物”と言いたいのだろう。そこまで口にするのは彼女の良心が咎めたに過ぎない。
「承知しています。トラブルに巻き込まれるな。トラブルを起こすなってことでしょう?」
「有り体に言えばそうなります」
上手く拾ったのはジェームズだった。この辺りはさすがに年長者らしい。
――善処はするけど、たぶん無理だろうなぁ……。
黙って聞いていた将斗だけは内心でそう予感めいたものを抱いていた。
何も起きなければいいが、かといってこの男たちがトラブルを前に大人しくしているわけもないのだから。
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