第20話 天使ナンデ?
「――どういう意味でしょうか」
クリスティーナから発せられた声には刃の鋭さが宿っていた。
朝の涼しげな空気は、にわかに湧いた緊張に気温以下へと急速に冷え込んでいく。
将斗たちは平静を装いつつ、何があってもいいよう少しだけ身構えておく。
「先に申し上げておきますが、わたしも彼らも魔族ではありません」
クリスティーナが発する圧力とは相反するように、ミリアと名乗った少女の態度はどこまでも穏やかなままだった。
こちらを脅威と感じていないのではない。あくまでも話し合うつもりでいるのだとクリスティーナはすぐに気付いた。
「……わかりました。ひとまず続きを聞かせていただきましょう」
クリスティーナは剣の柄から手を放し、同時に浮かせかけた腰も下ろす。
――そもそも、命の恩人たちを相手にわたしは何をしているんだ……。
冷静さを取り戻すにつれて気恥ずかしさが急激に湧き上がってきた。
剣に手を伸ばしたのはあくまで無意識の反応だった。
しかし、今更みっともなく弁解するわけにもいかない。彼女にも立場がある。
「食後の飲み物を用意しましょう。お盆も下げておきますね」
気を利かせたジェームズが給仕役を申し出た。
ついでにイギリス人の
「重ね重ね申し訳ありません」
恐縮した様子で礼を述べながら、クリスティーナは食器の乗った盆を返す。
「いえいえ。まずは殿下と我々――お互いを知らなければ話もできません」
こちらが不作法を見せたというのに、逆に気遣われてしまった。
気持ちが落ち着くほどに「自分は何をやっているんだ」という感覚にクリスティーナは襲われる。
――そもそも、どうして彼らに斬りかかろうとしたのか。
無意識だったとはいえ、どう足掻いても彼ら五人をどうにかできるとは思えない。
考えてみると不思議なもので、ベリザリオたちに囲まれかけた時でさえ刺し違えても戦い抜くつもりだったが、今回はあっという間に戦意が萎んでしまった。
彼らと敵対する理由がないと無意識のうちに理解したからだろうか。そこだけは疑問が残る。
「どこから話しましょうか。仮に我々が、ベリザリオが睨んだ通りの魔族だとしても構いません」
青年はクリスティーナに言い聞かせるようにゆっくりと語り始めた。
無理に誤解を解こうともしていない。それだけ言葉に自信があるのか。
「正直に申し上げて、あれだけの機会がありながら要人とはいえ危険を冒してまで助ける意味がありません。また、我々は殿下の身元を聖女候補としてしか認識しておらず、どこの国の王族とも知らなかった」
「たしかに。わたしを利用しようとするにしても、素性を知らなければいささか片手落ちですね」
――いや、そうした判断もまだ後だ。ここは腰を据えて話を聞くしかない。
覚悟を決めたクリスティーナはゆっくりと息を吐き出す。
そう決めたまではよかった。
「――というわけです」
ミリアは一旦言葉を止めた。
最初は「じっくり聞いてやるぞ。どんとこい」的な姿勢だったクリスティーナだが徐々に表情を引き攣らせ、最後には完全に固まってしまった。
――宇宙を背景にこんな顔した猫の画像とかあったな。
途方もない話を聞かされるクリスティーナもそうだし、自分たちのひどい境遇まで思い出して将斗は半ば現実逃避していた。
その他の男衆も同じようなもので、三人は「あーあ」とでも言わんばかりの表情となっていたし、スコットに至ってはもはや我関せずとどこから取りだしたのか煙草を燻らせている。
「て……」
ようやく出た言葉がそれだった。いや、言葉というよりは声のような何かだったが。
「「「て?」」」
将斗とエルンストとジェームズが揃って首を傾げた。
「天使……。ミリア様は……よ、よもや“天使”様なのですか……」
続いて口から出たのはそんな言葉だった。
――ああ……。こういう感じに受け取っちゃったか……。
地球組は頭を抱えたくなった。たしかに考え方によってはそうなるが……。
「うーん、困りましたね……。あなたがたの宗教ではそういう扱いになるのですか……。お持ちの幻想を打ち砕くようで申し訳ありませんが、それほど大層な存在ではありません。とりあえず今は話を続けます」
そこからは将斗たちにフランシスの宿で説明した内容の繰り返しとなった。
見守る方は変な方向に転がらないことを祈るのみだった。
「……まるで理解が追いつきません」
何とか畏怖の感情を抑え込んでクリスティーナは溜め息を漏らす。
「いきなりこのような話をされれば無理もありません。文明が進んでいる世界出身の将斗さんたちでもかなりの困惑具合でしたから……」
ミリアもまたどうしていいかわからない表情をしていた。
見ている将斗としては、まだ神様みたいなものと名乗ってくれた方が“そういうもの”として無理矢理納得できたかもと思う。
しかし、ミリアがそれを選ばなかったのは……。
あらためて考えると、この世界に根本的な変化をもたらすための障害になると考えたからではないか。
「これまで教会の語る教義を信じてこられた殿下です。混乱されてもなんら不思議ではありません。ですが、わたしは彼らのサポート役にしか過ぎませんし、善悪がどうのこうのといった議論をする気もありません」
「……わかりました。この世界を破滅させないために動いていると。その認識でいきたいと思います」
完全に納得したようには見えない。
おかしくなってしまわないか。そこが一番心配点であったが、最終的には管理者だとかそのあたりを上手く宗教観と融合させたらしい。
精神が崩壊しないための自己防衛本能かもしれないが。
「細かいことは後で考えればいい。納得するもしないもその時次第だ。それよりも今はすることがあるだろう。そうだなお姫様?」
煙草を携帯灰皿に放り込んだスコットが会話を打ち切った。
半ば呆然としていたクリスティーナも表情を引き締める。相変わらず口調は粗野だが、スコットの言う通りやるべきことがある。
「はい。今は一刻も早く祖国へ戻らねばなりません。書置きも残してきましたので部下が時間稼ぎをしてくれるかもですが……」
残りの騎士たちが眠らされている間に将斗たちは駐屯地を脱出した。
その際、クリスティーナは腹心と呼べる騎士に置手紙を残している。何人も連れ立って動くのは目立ち過ぎるとロバートが難色を示したのと、クリスティーナとしてもなるべく部下を巻き込みたくなかったのもあった。
「危険じゃないのか」
「ええ、危険です。ですが、教会側もやり過ぎては粛清の対象になりかねません。『もしも協力してくれるなら可能な範囲でいい』程度に留めてあります」
皆が賢明な判断だと思った。
宗教的権威が世論さえ形成する、人権など存在しない世界だ。サボタージュを起こすと組織の意向に逆らう者として始末されかねない。
その一方で、粛清もやり過ぎれば身内に反感を持つ者を多数抱え込むことになる。貴族に生まれ教育を受けた騎士ならそのあたりの綱渡りもできるのだろう。
「結構。あまり期待しなければいい。仕掛けが効けば最終的にこちらを利する。その時その時だよ」
スコットの言葉を引き継ぎながらロバートが立ち上がった。
野営の片付けを行い、同時にそれぞれの装備を身に着けていく。
地球組は迷彩服にアサルトライフルでは目立つため、一度
今のところ危険はないと思うが、これなら市街地で襲われても対応できる。
「街へ入りますが、できるだけ平静を心がけてください。心配はいりませんから」
クリスティーナが先頭に立って歩く。
地球人五名にミリアとクリスティーナを入れて総勢七人だ。
旅の一行とするには身分証もなくどうするかと危ぶまれたが、街への出入りはクリスティーナの聖剣騎士の証でフリーパスらしい。
本人の魔力と連動する高度魔法技術で作られているため偽証も不可能とのこと。例の事件が伝わっていない中では最強クラスのパスポートというわけだ。
それにしても、こういった部分は地球と同等かそれ以上の技術にも見える。あるいは古代人の遺産なのかもしれない。
「たしかに何事もなく通れたな……」
「それだけ教会の権威が行き渡っているってことでしょうね」
「いずれどうなるかはさておき、今はありがたく感じておけばいいさ」
クリスティーナの後を歩きながら将斗たちは小声で語り合う。
しばらくして辿り着いたのは、高くも安くもない宿だった。
「日中の移動は避けたいとのことでしたからひとまずここに。門の閉まる夕方まで時間があります。良い機会なのでここであなたがたの身分を作ってしまうべきかと」
荷物を解いたところでクリスティーナが口を開いた。
「身分?」
「なるほど。騎士団のお偉いさんと一緒だからって騎士になれるわけじゃないもんな」
首を傾げるエルンストを尻目にスコットが頷いた。
一見粗野に思えても佐官へ昇進しているだけに巨漢の観察眼は鋭い。
「ええ。市民ではない最低限の身分ですが、冒険者という選択肢があります。ないよりはずっと良いかと」
「あー、やっぱりここでも出てきますか冒険者」
将斗が腕を組んで小さく唸った。
「完全に理解しているか自信はないが、俺もその選択肢がベストだと思う」
軽く手を叩いたロバートが方針を述べた。
昨日登録寸前まで話をしていたのもあって反対意見は上がらない。
「端末から召喚したものを換金する方法もあるだろうがそれも限度があるし、俺たちの痕跡もそうだが、むやみやたらにオーパーツを残すわけにはいかん。今のところは無難にいきたい」
夜間走り通しで時間を稼いだので余裕はある。クリスティーナに関わる情報も当分先までここには届かないはずだ。
「じゃあ、善は急げといきますか」
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