第19話 このシチュー、なんだかしょっぱいや……


 どこからか漂ってきた胃を刺激する香りでクリスティーナは目を覚ました。

 身体は暖かい織物に包まれているが、顔部分は露出している。


「んっ……」


 不意に流れ込んで来た朝の冷えた空気に自然と小さく身震いする。


 ――そうだ昨日は……。


 ぼぅっとする頭で考えたが、いつの間に眠ってしまったのかまるで思い出せない。


 そこで人の気配がした。


 慌てて身体を起こす。自分の知っている馬車にしてはずいぶんと武骨な内装だった。


「ここは……」


「起きたか?」


 クリスティーナが覚醒しない頭のまま困惑の声を上げたところで、近くにいたらしいロバートが窓から顔を覗かせた。

 昨夜、ベリザリオたちを瞬く間に倒した杖よりも幾分か大きなものを肩からかけている。


「すみません、眠ってしまったようで……」


「いいさ。あれだけのことがあれば精神的に参っても仕方ない。ただ揺れがあってもしっかり眠れたのはたいしたもんだけどな」


 ロバートはにやりと笑う。こちらの緊張を解そうとしているのが見て取れた。


「それはおっしゃらないでください……」


 気遣いには感謝しつつも、あまりの気恥ずかしさにクリスティーナは頬を染めて毛布を引っ張って口元を隠した。


 支部で騎士たちを率いていたはずだが案外初心ウブなんだな。ロバートは内心でそう思った。


「ははは。簡単だが食事ができている。色々悩みは尽きないと思うが、まずは食べながら話そう」

 

 青年に促されたクリスティーナは傍らに置いてあった剣を手に取ると、のそのそと“鉄の馬車”を出る。


 外から見ればやはり新種の魔物ではないかと思ってしまうが、ロバートたちに言わせるとこれでも人工物らしい。

 極度の緊張状態から解放された途端、気を失うように眠ってしまったせいで道中のことは覚えていない。

 しかし、馬が引かずともかなりの速さで走れる信じられない馬車だった。それだけは記憶に残っている。


「ここはどのあたりなのですか?」


 クリスティーナがあたりを見回すと、遠くに街道らしきものが見えた。

 人気を避けて森の近くを野営地としたらしい。

 森は森で魔物の危険があるのだが……いや、彼らなら大丈夫か。

 少女は考えるのをやめた。


「さてね。日が出て来るまでひたすら東に進んできただけで、どこの国のどの街の近くとかはわからないのが正直なところだ。たぶんわかるとしたら現地人のあなただけだろう」


 ロバートは「答えがないんだ」と肩を竦めた。


 夜の間は整備された街道を通り、人々が動き始める夜明け前に街道を外れたのだろう。

 異世界人とはいえ、こういう部分は自分たち騎士と同じ考え方をしているように思う。


「具体的にはどれくらいですか?」


「うーん、この世界の距離の単位を知らないからな……。ざっくりで言えば、人が半日くらいかけて歩く距離にすると優に五日分は稼いだはずだ」


 機動力重視のL-ATVは四人乗りで、現状一台しか召喚できず使えなかった。

 そこでアメリカ海兵隊でMRAP(耐地雷・伏撃防護車両)として使われている八人乗りRG-33Lを選んだ。6×6輪駆動の車体延長型でカテゴリⅡに分類されるが、地雷のないこの世界では言うまでもなく過剰性能である。

 陽の昇った今は目立てないので後ほどミリアの能力で元に戻す予定だ。


「そんなにですか!?」


 クリスティーナは鉄馬車の凄まじさに驚きつつ、同時にほとんど一瞬で距離を計算してのけたロバートの頭脳にも同じく驚かされていた。


 ――どう考えても高度な教育を受けている。もしや元の世界では自分たちのような役目に就いていたのでは……?


 そこでクリスティーナはガレウスの鑑定魔法が見落とした可能性に気付いた。

 ひとえに騎士団で少なくない数の人間を率いたことで養われた勘のなせる業だった。


 ――そうだ。どうしてこんなにも単純なことを見落としていたのだろうか。


 ガレウスのような熟練の魔法使いの鑑定魔法を通してもクリスティーナの適性は《騎士》と《聖女》と出るだけだ。

 より厳密に言えば《騎士》といっても、肩書きは聖剣教会騎士団フランシス支部長であるし、《聖女》に至っては実際の扱いは候補でしかない。


 もしも彼らが《兵士》と言っても特別な存在だったとしたら?

 その可能性は十二分にある。

 ただの兵卒であれば、あのように少数精鋭で統率の取れた動きなどできるものではない。

 最初に魔族の男を仕留めた時もそうだ。

 一切無駄のない動きで敵と定めた相手を躊躇いなく殺しに行っていた。


 もしや自分たちはとんでもない人間を敵に回そうとしていたのではないか。

 クリスティーナは朝の低血圧以上に血の気が引いていく感覚に襲われていた。


「焚火を囲んで食事っていうのも悪くないですね。失礼、こちらが殿下のお食事です」


 ロバートと交代するように、木でできた器を乗せた金属の盆を持った青年――たしかジェームズと名乗った――が優しく声をかけてきた。


 出会った時から感じていたが、異世界人の中で彼が一番自分の知る人間に近い。

 言葉遣い、特に仕草が貴族階級の者と話しているような印象を受けるのだ。

 教会本部でなされたという勇者召喚の情報から、てっきり異世界人は特別な地位を持っていないとの先入観があった。

 その認識は正しておくべきかもしれない。


「あ、ありがとうございます」


 クリスティーナは礼を言って食事の盆を受け取る。そこには一部見たことのない食べ物が並んでいた。

 湯気を上げている食欲を誘う香りの白い煮込み料理もそうだが、焼いた燻製肉ベーコンに鶏卵、それに白パンまである。

 昨日の今日でどうやって調達したのだろうか。


「簡単なものしか用意できませんでしたが、我らには“腕のいい料理人”がおりましたもので」


 ジェームズから声をかけられ、食材への疑問を覚えていたクリスティーナは現実に戻される。

 彼が視線を動かした先では黒髪の青年が火にかけられた鉄鍋の中身を木匙でかき混ぜていた。


 たしかマサトという名前だった。なるほど、彼は料理を嗜むらしい。

 兵士にしては珍しいと思ったが、先ほど自分でその認識を振り払ったことをすぐに思い出す。


「とんでもない。ありがたくいただきます」


 あれほどのことがあったにもかかわらず身体は現金なもので、美味しそうな食事を前に胃が全力で活動を開始していた。

 ぐうと音が鳴ってしまい、クリスティーナは思わず視線を明後日の方向へ向けた。

 周りに聞こえなかったか気になりおそるおそる向き直るが、一番近くにいたジェームズはすでに自分の椅子へと戻っていた。

 もしかすると聞かなかったふりをしてくれたのかもしれない。


 気を取り直して、用意された布張りの椅子に腰を下ろす。ずいぶんと柔らかい。


 気になるものは他にもたくさんあったが、食欲に負けたクリスティーナは耐え切れず煮込み料理を口に運ぶ。その途端、牛酪バターの香りのする豊かな味わいが口の中にじんわりと広がっていった。

 とても食事を楽しめる気分ではないのに、味覚が脳に心地よい刺激を与えてくる。

 ささくれだっていた心が自然と落ち着いていくのが自分でもわかった。


「美味しい……」


 知らず知らずのうち、溜め息と言葉が漏れ出ていた。

 まさか逃亡者となった身で温かい食事にありつけるとは思ってもいなかった。

 そう考えると気を抜けば涙が出そうだった。


 いつの間にか手が止まらなくなっていた。はしたないのではと我に返って辺りを窺う。

 ロバートたちは少し距離を置いて何か話し合っていた。こちらをの様子を伺うような気配はない。


 ――無関心……。ううん、今はひとりにさせてくれているのですね。


 さりげない気遣いに感謝しつつ、気分が落ち着いたクリスティーナは味わうように食事を口に運んでいく。


 なぜだろうか、少しだけ塩味が強く感じられた。


「そういえば、鎧を着ていたはずでしたが……」


 ひととおり食事を終えたところでクリスティーナが声を上げた。

 脱出する時に着こんで来たのは間違いないはずなのだが、起きた時には近くに見当たらなかった。


「それはわたしから。クリスティーナ殿下。ご無礼は承知の上で、こちらで外させていただきました」


 見覚えのない水色の髪の少女が声を上げた。

 五人とは違う格好をしているが、かといってクリスティーナの知る類のものでもなかった。


「あなたは?」


「ミリアと申します。殿下にはご説明の前にお詫びをせねばなりません」


 ミリアはやや言いにくそうにしていた。


「お詫び?」


「ええ。あなたがたが異世界人と呼ぶ彼らを召喚したのは――わたしの上司にあたる存在です」


 発言を受けた瞬間、クリスティーナは思わず剣の柄へと手を伸ばしていた。

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