第16話 魔女
夜の街がにわかに騒がしくなっている頃、聖女候補クリスティーナは魔石灯の明かりに照らされた執務室で書類を片付けていた。
「すっかり遅くなってしまった……」
普段であればもう
街へ潜入した魔族による
「魔族が召喚魔法を使ったことをどのように報告すべきだろうか……」
先ほどから一向に進まない筆を握ったまま、形のよい唇から深い溜め息とつぶやきが漏れた。
本部の頭の固い連中のことだ。一笑に伏せられるだけかと思うが、かといって最初から諦めて放置して良い話とも思えない。
魔族が呼び出した五人の男たちは、反抗もせず協力的な姿勢を見せた上、他にこれと言った情報も持っていなかったから放逐という形を取れた。
「本当に良かったのだろうか……」
今になってクリスティーナはそう思い返していた。
後悔というより、胸騒ぎめいたものがあの後からずっと思考を支配していた。
やはり明日もう一度会うべきではないか。
おそらくまだ街にはいるはずだ。朝からの予定に組み込もう。
そう考えたところでドアがノックされた。ずいぶんと重い音だった。
「入りなさい」
「夜分遅くに失礼いたします」
返事を返すと同時に、ベリザリオをはじめとした彼の子飼いの騎士たちが入って来た。
十名を超えている。何とは言い切れないがイヤな感じだ。
「そう思っているなら普通は避けるものですが。して、こんな時間に何事でしょうか」
少しくらいは嫌味を言っても許されるだろう。
そう問いかけながらも、クリスティーナはすでに警戒態勢に入っていた。
まさか夜も遅いこの時間に訓練などあるわけもない。
戦闘力の高い魔族を相手とした模擬戦は騎士団のカリキュラムに存在するが、このような後方の街で夜間行軍をやる必要などないからだ。
にもかかわらず、部屋へと入って来た騎士たちは全員が鎧に身を包んでいた。
まるでこれから実戦でも始めるかのようだ。
「よもや魔族の残党でも出ましたか?」
「そのようなものです」
問われたベリザリオは無表情のまま小さく頷いた。
元々感情の起伏が多い男ではなかったが、今日はそれに輪をかけている。
あまり良くない予感がクリスティーナの内心に浮かび上がってきた。
「では何故貴殿の子飼いの騎士のみがここにいるのでしょう?」
答えはそう難しくない。
現実を認めたくない自分もいたが、それでも彼女の性格からして迂遠な物言いは選択肢になかった。
意を決して真正面から問いを投げる。
「他の者たちには眠ってもらいました。要らぬ混乱は我らも望みませぬゆえ」
――要らぬ混乱ときましたか。
小さく笑ったベリザリオの返答で予感はほぼ確信に変わった。
事態を認識した途端、クリスティーナの背中に緊張から汗が浮かび上がってくる。
「ここまで用意周到に仕掛けて来ましたか。監査役どころか監視役だったとは思いませんでした。残念です、ベリザリオ副支部長」
自分自身を落ち着かせるためにクリスティーナは時間を稼ぎにいく。
無論、ベリザリオもそれは理解しているはずだ。
それでも真正面からこの数を突破できないと踏み、元上司との会話に付き合ってやっているのだ。
「我らが聖女候補だと信じていた御方は……魔族を後方の街へ引き込み、混乱をもたらさんとした魔女であられた……。ならば聖剣教会の教義に基づき鉄槌を下すのが聖務というもの」
――やけに芝居がかったセリフですね。
クリスティーナは鼻白んだ。
周りの騎士にはそれなりの効果があったようだが、見せつけられる方は馬鹿馬鹿しいことこの上ない。
「ベリザリオ卿はわたしが魔女とおっしゃりたいのですか」
茶番とは思いつつも、すでに手は傍らの剣の在処を意識している。
この期に及んで言葉を尽くしてもおそらく無駄だろう。クリスティーナはゆっくりと息を吐き出す。
「無駄な抵抗はなされぬ方がよろしい。いくらクリスティーナ様とはいえ我ら全員を相手にできるなどとは思ってはおられぬでしょう?」
穏やかに語りかけるベリザリオ。
悔しいが彼の言葉は純然たる事実だった。
クリスティーナは聖女候補の身でありながら、幼少期からの研鑽もあって剣の腕は並の騎士に負けるものではない。
それでも十人近い騎士を相手にしてこの場を切り抜けられるとは到底思えなかった。
「殺す気はないとでも言うつもりですか。――笑止!」
クリスティーナが怒りに吼えた。口調まで変わるほどの激情が放出される。
空気を通して押し寄せる気迫に、いつでも斬りかかれるように包囲を始めていた騎士たちがわずかに怯む。
そこでクリスティーナは気付く。
「……ガレウスはどうしたのです」
「あの者は鑑定魔法を偽りました。よって既に我々の手で粛清済みです」
何の感慨もなく言ってのけたベリザリオにクリスティーナは総毛立つ。
――あっさりと熟練の魔法使いすら始末してのけるか!
クリスティーナは彼らが本気なのだと理解した。
この程度では絶対権力たる教会を揺るがす
「くっ、魔族だけが敵ではないとはよく言ったものですね。背後に誰がいるかはさておき、貴様の狙いは我が首を教会本部の広間に吊るしての栄達ですか。いいや、我が身のみならず、祖国を教会直轄領として献上する狙いもあるのでしょうね!」
教皇が権力の頂点ならば、聖女は象徴の頂点に存在しており、家格などではなく純粋な魔法の才覚だけで各国から選出される存在だ。そんな“お飾り”に余計なことをされたくない教会関係者は多い。
対魔族戦線で辛うじて連帯しているように見えるだけで、亜人問題などを筆頭にいつでも人類世界は火種を抱えてきた。これもそのひとつなのだ。
「言い訳は見苦しいだけです。……総員、魔女の言葉に怯むな! 数は我らが優位! 魔族と通じた背信者を裁きにかけるぞ!」
おそらく犠牲は避けられない。それでも聖務への熱意と本国へ戻れる可能性が騎士たちを衝き動かす。
――じわり。
覚悟を決めた騎士たちが一斉に距離を詰めようとしたところで、木の扉が音を立てて蹴り破られた。
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