第7話 洗礼()


「追手に見つかったわけじゃなさそうだが……。ちょっと無警戒になっていたか」


 目を細めたロバートが小さく鼻を鳴らした。


 警戒は緩めず、既に手は腰の拳銃へと伸びている。

 音が出るため使いたくないが、非常時となればそうも言っていられない。


「こんなところでなにやってるか知らねぇが、ここは俺たちの縄張りだ。通りたかったら置いてくもん置いてってもらおうか?」

「ヒヒヒ。妙な格好だが小汚くねぇ、金くらいあるんだろう?」


 様子を窺っていた将斗たちに向け、集団のかしらに副官と思われる禿頭の男と太った男が口を開いた。


 周囲にいる人間たちにプロの気配はないが、それなりに荒事慣れしていそうな顔つきをしている。

 なにより手には木の棒を持っていた。あれなら殴打でも十分に人を殺せる。


「なにも命を置いてけってわけじゃねぇ。身ぐるみ剥がされて素っ裸で外を歩きたくなけりゃ、金目のものとそこのねェちゃんを置いくだけで許してやるぜぇ?」


 禿頭と小太りの男の隣に立った若い男から放たれる甲高い声。

 小馬鹿にしたような物言いに呼応して周囲から下卑た笑い声が上がる。


「うわぁ、こんなところでテンプレ……」


 将斗は呻いた。


 ガラの悪い男たちに取り囲まれ、更に数でも上回られてしまえば、常人なら相手の要求に従うしかない。

 今まで幾度となく繰り返してきたであろう手法が成功すると、彼らは何の疑いも持ってはいない様子だった。


 その認識はあながち間違いではない。……相手がこの五人でなければ。


「なるほど。治安はこんなものか。頭の程度も知れるな」

「ええ、彼我の力量差を分析できないようです」


 淡々とつぶやいたスコットにミリアが呆れ気味に答えた。


 たしかに、五人は見てわかるような武装をしてはいない。渡された剣もすぐには抜けないようケースに仕舞われていた。


 しかし、見るからに鍛え上げられた肉体と隙のない立ち振る舞い。

 加えてすでに臨戦態勢に移行しているのを見て、どうすれば与しやすいと思えるのだろうか。

 あるいは、それすらわからないのか。


 いずれにせよ今からそれが証明されようとしていた。


「街中だからと甘く考えていたかもしれん。中東にいるくらいの認識にしておくべきだった」


 ロバートが冷静な表情の中に鋭い視線を潜ませながらつぶやく。


「いきなり挨拶代わりの銃弾や迫撃砲が飛んでこないだけまだマシさ。まぁ、ひとりふたりだな……。やれるな?」


 不安の欠片すら含まれない言葉がスコットから放たれる。


「当然。スナイパーだからって隠れて銃を撃ってるだけじゃありません」


 軽く首を鳴らして答えるエルンストの声にはすでに喜悦の色が滲んでいた。


「武器は使うな。それと殺しもだ。身分の証明ができない以上、不必要なトラブルは避けたい」


 ロバートは最低限の忠告を挟むだけでエルンストを止める様子はない。

 すでに解決策はひとつしかないと彼も理解していた。


 将斗も無言でミリアを庇うように位置を変え、視線でジェームズに頼むと語りかける。

 相手が頷くのを待ってから、もう一方のグループへ向けて進み始める。


「これくらい何とかできなきゃこの先やってはいけないか。では、お先に」


 待ちきれぬとばかりに、エルンストは言葉だけを置いて前へと進み出ていく。

 いつもとはまるで違う反応を示されたからか、男たちは一瞬どう対応すべきか迷う。


「なんだ、女みたいなツラしやがって。いいぜ、そういう趣味があるならケツを出し――」


 仲間をけしかけたのはリーダー格の男だった。

 もっとも、バカにしたような物言いは最後まで続けられなかった。


 銀髪が小さく揺れた。

 高速でほぼ垂直に跳ね上がったエルンストの足裏が禿頭の顎を直撃。

 鈍い音を立てて下顎の骨が粉砕される中、衝撃はそれだけに留まらず男の身体が空中まで浮き上が――いや、打ち上げられる。

 後方へと倒れ込んでいく男の歯は一撃に耐え切れず、砕け散って宙を舞っていた。

 首の骨が折れなかったことを幸運と思うか、あるいは今後も残り続ける諸々の後遺症を不幸とするか。


 どちらにせよ男の意識はすでに消し飛んでおり、自身に降りかかった災難に言及できるのはもうしばらく後になる。


「んなぁっ!?」


 一瞬の出来事に、男たちの目が点になっていた。


 同様に将斗たちも予想外の威力に驚きの表情を浮かべたが、当のエルンストはそれでも止まらない。

 いや、止まるべきではないと直感的に判断していた。


 戦闘で培った勘が告げるままにリーダーの男へと躊躇なく肉迫する。


 真っ先に頭を潰すのは戦いのセオリーだ。

 大ぶりの木の棒を難なく避け、反対に唸りを上げる速度で放たれた掌底が狼狽して動けないリーダーの顔面を直撃し鼻骨を粉砕。


 くぐもった呻きを上げて崩れ落ちる中、リーダーをやられたことに危機感を覚えた他の面子がようやく動き出す。逃走ではなく反撃という形で。


「あぁもう……。雉も鳴かずば撃たれまいってのに……」


 エルンストが相手に動揺を与えたところで、将斗も小さくつぶやいて行動を開始する。


 反対側に展開するチンピラ五人のうち、ひとり目が将斗の動きを察知して憤怒の表情を浮かべて腕を伸ばしてくる。押さえ込んでから仲間と袋叩きにするつもりだ。


 その時には将斗は身体を大きく旋回させていた。

 高速で放たれた後ろ回し蹴りが猛烈な勢いで間近な男の脇腹を強襲。

 肋骨を砕きながら身体ごと吹き飛ばし、後方にいた仲間を巻き込んで地面に転がらせる。


 相手の足並みが乱れたところで将斗はさらに前進して、動けないふたり目の頭を蹴り飛ばし意識を刈り取る。

 続けて三人目が繰り出す大振りの拳を左腕でそっと受け流しながら、右腕を高速で伸ばす。


 獲物に喰らいつく蛇のように打ち込まれた将斗の掌底は、攻撃を躱され驚愕の表情を浮かべたままでいる相手の下顎部に直撃。それも続けざまに距離を詰め、四人目も仕留めている。

 脳震盪を起こした相手は揃って空気中で溺れたように手足を小さくばたつかせながら地面に沈んでいく。


「やるじゃないか、日本人ヤパーニッシュ!」


 瞬く間に敵を仕留めていく将斗をちらりと見て口を開くエルンストだが、彼も負けてはおらず担当分を全員地に這わせていた。

 これで相手は早くも残りひとり。


「じょ、冗談じゃ――ぎゃっ!?」


 最後のチンピラが勝ち目がないことに気付いて逃げ出そうと反転したところで、いつの間にか背後に立っていた巨漢スコットに頭部を掴まれ持ち上げられる。

 すさまじい握力をかけられ、手足をばたつかせていた男は、やがて白目を剥きながら口から泡を吹いて気絶した。


「うーん、みなさんすごいですね!」


 音を立てずに拍手を送るミリア。


 瞬く間に男たちは無力化された。それも自分たちを下回る数によって。

 命を取られなかっただけ儲けものと思ってもらうしかない。


「なるほど。なんでか知らんが、身体能力まで上がっていやがる。まさしくファンタジーだな」


 片腕だけで大の男をぶらさげたまま、驚きを浮かべたスコットはつぶやく。


「え? ハンセン少佐は元からそれくらいできたのでは?」


 手持ち無沙汰となったエルンストがからかうような言葉を投げる。


「ガタイがいいからってアホなことを言うな。クリューガー大尉、まさか俺をゴリラかミュータントと勘違いしているんじゃなかろうな?」


「いいえ、ギリギリで人間に見えます」


「……それはまるでフォローになっていない」


 エルンストへ向けて、巨漢は呆れたように泡を噴いている男を放り投げる。


「あれ、お気に召しませんでしたか?」


 エルンストは飛んできた体をひらりと躱す。

 哀れな男は地面にどしゃりと放り出された。死んではいないからギリギリセーフである。


「腕っぷしは良くてもジョークがつまらん。ドイツ人フリッツのくせにヤンキーみたいなことを言いやがる。すこしは日本人ジャパニーズの勤勉さか英国人ジョンブルの皮肉を見習え」


 口ではそう言いつつも、スコットは笑みを浮かべていた。

 満更でもなさそうだったが、すぐに視線は後方――もう半分を任せた仲間たちのほうへと向けられる。


「変わり映えのない言葉で悪いが見事な手際だ、クリューガー大尉」


「DEVGRUとMARSOCの両少佐殿にお褒めいただけるとは光栄であります」


 最悪の事態を想定し、腰のHK45Tをいつでも抜ける状態で、ロバートがエルンストとスコットに向けて声をかけてくる。

 彼の背後では、将斗が昏倒させた男たちが完全に無力化されているかを確かめていた。

 こちらもやはり油断はしていないようだ。


「――実戦経験が少ないって言ってたわりにはやるじゃないか、キリシマ中尉」


 たったひとりの差ではあるが、自分よりも多くの敵を単身で制圧した将斗へと、エルンストは興味深げに視線を送る。

 銀色の双眸に宿るのはライバル意識に近いものであったが、かといって悪感情的な視線でもなかった。

 

「ありがとうございます。恥ずかしながら古武術の類を軍に入る前から嗜んでいたもので」


 安全を確認した将斗がエルンストたちへと向き直りつつ口を開く。


「古武術? もしかして、ニンジャとか!? おまえニンジャなのか!? なぁ!?」


 武術という言葉に身を乗り出すようにして声を大きくするエルンスト。

 先ほどまで不敵な態度を見せていた人間とは思えないほど興奮した様子だった。

 ちなみにジェームズも無関心を装っているものの、視線だけはしっかりと将斗に向けられていた。


「……本当に西洋人はコテコテのが好きなんですね。残念ながらそういうのじゃありませんよ、クリューガー大尉」


「なんだ、違うのか……」


 妙に落ち込んだ様子のエルンストとジェームズを見て、将斗は真っ向から否定しない方が良かっただろうかとすこしだけ後悔した。


「さて諸君。こんな場所にいたんじゃおちおち話もできやしない。宿でも探そうか」


 このままでは何も進みそうにないと思ったのか、ロバートは笑みを浮かべて話を切り替える。


 実際、早くも厄介事に巻き込まれてしまったと思っていたのは皆同じだったらしい。

 彼の提案に反対する者は誰もいなかった。

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