第3話 VX
時を遡ることおよそ一年前、幾重にも重なり合った偶然が、世界にとんでもない異物を招き寄せた。
最初は誰も異変に気付かなかった。
蟻の巣ほどの穴からやがて堤防が決壊するのだとしても、観測者が事態を曲解してしまえばそうなるのも致し方ないと言えた。
常識の違いや複雑に絡み合った思惑が、正確な脅威度の理解を邪魔したのだ。
だからこそ、世界は知らぬうちに“鋼鉄の猛毒”を受け入れてしまった。
世界地図を広げてみればわかる。
戦争や紛争、それに対立のない世界など存在しない。過去から現在に至るまで、争いの起こった場所を赤く塗れば、飛び散った血のように染まっていく。
この世界でも人類はそれだけの戦いを繰り返してきた。
しかし、今回の変化はそれとはまるで異質のモノだった。
これまで繰り返されてきた幾多の争いではない、新たな流れが生まれ出ようとしていた。
――クソッタレ。
もしその言葉を口に出せたなら、どれほど彼の気分は楽になるだろうか。
気を抜けば混乱が口を衝きそうになる中、彼――
外から吹きつける風が高まった体温を冷ましてくれるのも一助となったかもしれない。
「はははは!! ついに! ついにここまでだな人間ども!」
自分たちのすぐ近くでは、やけに顔色の悪い男が背中を仰け反らせ、何やら愉快そうに
おそらく彼は自分の知る人間ではないと思われる。
なにしろ、肌の色が青色の人間などCGをふんだんに使ったハリウッドムービーでしかお目にかかったことがない。
聞こえてくるのが日本語か英語であれば特殊メイクのドッキリで片づけられる。
だが、残念ながら頭の中に流れ込んでくる言語は、不思議と意味は理解できるにもかかわらず、まるで聞き覚えのない響きをしていた。
これが彼の混乱をより一層強くする。
「観念しろ! 貴様はもう包囲されている! 仲間も皆討ち取った!」
自分たちから見ておよそ五メートル先。
高価そうな鎧に身を包んだ男女が十名ほどこれまた装飾の多い剣や槍や杖を向けて来ている。
こちらは見知った人間の容姿をしていた。
瞳や髪の色が金髪や銀髪や茶髪のみならず、これまたアニメーションで見るような見慣れない水色だとか桃色でなければ。
それよりも気になるのは、彼らの持つ剣や槍、はたまた杖だ。
先端には魔法陣のようなものが浮かび上がって回転している。
これもホログラムの類には見えない。
「クッ、小癪な人間どもめ……! 同志たちの犠牲は痛かったが、おかげで貴重な時間を稼ぎ出せた! 見ろ、この五人の御方が我らの“切り札”よッ!」
血走った目で青顔の男が自分たちを見せつけるように早口で叫びながら身体を動かす。
そろそろ口角から泡でも飛ばしそうな勢いだった。
それに呑まれたわけではないが、本当なら「まったく見知らぬ他人なのでお構いなく」とでも言いたかった。
することも――いや、できることもない将斗は再び状況の確認を試みる。
――どうなっているんだ……?
夢を見ているのでなければ、自分は憲法改正で正規軍となった日本国国防陸軍の中尉のはずだ。
実際には今も迷彩服を着ていて、ファンタジーRPG風の姿にはなっていない。
二〇二二年以降、国際情勢が急激に不安定化し、あわや第三次世界大戦寸前までエスカレートする事態となった。
その反省から各国は軍事演習の頻度を減らし、代わりにAI技術で爆発的に進歩したVR空間での訓練を推進してきた。
今回も、そんな同盟国合同のVR軍事演習に参加していたはずだ。
ところが、
――それでここはどこだ?
周りを見たところ、どこかの大きな鐘楼か何かの最上階部分と思われる。
真上には立派な青銅製の鐘。四方にある窓から外を見れば、二十一世紀地球のどこにもなさそうな中世ドイツかイタリアか知らないがイメージとしてはそのような感じの街並みが広がっていた。
――ダメだ、余計にわからなくなった。
将斗は懸命に思考を続けるが上手くまとまらない。
「なんだ、あの者たちは? 魔族ではないようだが……?」
「切り札だって? 斑模様のボロを着た蛮族ではないのか?」
「うろたえるな! 我らも仲間の犠牲を払ってここまで来たのだ! 押し切るのみ!」
色めき立つ騎士たちに向け、中央に立つ銀色の髪の若い女性が凛とした声を上げた。
彼女がこの集団のリーダーらしい。
鎧の質や風格もそうだが、どことなく強者のオーラのようなものを感じる。
(どうします?)
(まだ動くな)
完全に置き去りにされている将斗たちは言葉を発さず視線だけで“仲間”と会話を試みる。
困ったことに自分を含む五人とも、同じ多国籍軍の迷彩服を着ているあたり素性は地球人と思われる。
ところが、なぜか見た目が自分の知る人間とは微妙に異なっており、どうしても確信に至れないのだ。
――いずれにしても、まずは仲間と信じなくてはこの状況を切り抜けられない。
それぞれの腰には拳銃が、ひとりだけなぜかセミオートショットガンを持っている。
最悪の場合、それらが自分に向く可能性がないとは言えないが……。
「おっとぉ!? 迂闊に動くなよぉ!? この地に住まう人間がどうなってもいいのかぁ?」
逃げ場もなく包囲されているというのに青顔の男には余裕があった。身振り手振りが大げさだ。
まさか空を飛んで逃げられるのだろうか?
いや、違う。
あの狂気を宿した目は――自身の死と引き換えに何かしでかそうとしている。
もういっそ夢でも何でもいい。その代わりに早く「誰か説明してくれよ!」と将斗は半ば諦めつつあった。
「何をするつもりだ!」
一方、騎士たちは再度緊張を強め、じわりじわりと距離を縮めて来ていた。
青顔の自信がどこからくるかわからない不安もあるのだろう。向けられる殺気はとても演技で出せるものではない。
「クククッ、よく聞けい! ここにおわすは――我らが各地からかき集めた魔道具で召喚した伝説の魔王様だ!」
「なんだと!?」
騎士たちがにわかにざわめく。
将斗たちも同じ反応をしそうになった。
「人間ごときが
青顔男の双眸に浮かぶのは憎悪と狂気。
それを目の当たりにした将斗は「事情はわからないが、これはとんでもないものに巻き込まれた」と内心に苦いものが充満していくのを感じていた。
「ま、魔王だって!?」
「バカな! 召喚された勇者様たちはここにはいないのに!」
「惑わされるな! あんなものハッタリだ!」
「しかし実際に何者かが召喚されて……」
――“召喚勇者”? 不穏な単語が聞こえたな。
将斗だけが嫌な予感を強めていた。
残るメンバーは状況を把握しきれないのか様子を注視しているだけだ。
趣味のサブカル知識がありがたくもあり、逆に自分だけしか理解できないならいっそ疎ましくも感じられる。
『全員、英語で答えろ』
そんな中、聞き覚えのある声が装着されたインカムから英語で語りかけてきた。
双方が牽制し合っている間に状況を把握しようと意を決したのだろう。
目だけを声の発生主と思われる金髪の男に向ける。
小さな首肯。やはり彼なのか。
『誰かこの状況を理解できた者はいるか。あいにく俺はダメだ』
声帯の振動を増幅する特殊作戦用のマイクなので周りに気取られる心配はない。
それでも意識して英語を選択していた。
どうも彼らの会話を意識すると、現在使われている言語を使おうと脳が勝手に引っ張られるようだ。
『同じく理解不能です。新種のハリウッドムービーのVR試写会ですか?』
『まさか。システムの連中が仕掛けた新手のいたずらじゃ?』
『だが、五感に伝わってくる感覚が全然違うぞ? システム総入れ替えしたってこうはならない』
各々からの反応が上がってくる。
どうやら彼らもまた自分と同じ状況にあるらしい。
『なら、どうするべきだ』
それでもひとりだけ反応が違った。
五人の迷彩服姿の人間が見覚えのない世界にいるだけで、予想され得る事態を限りなく正確に理解してのけたのだ。さすがの経歴だった。
『あー、霧島です』
将斗が声を上げると全員の視線が彼を向いた。
『仮説にすぎませんし、例のシミュレーターがおかしくなっているか、はたまたイタズラかわかりません。ただ、もしかすると我々の想像の埒外――最悪の事態となっている可能性があります』
将斗にはどうしてもこの状況が先ほどまで訓練していた
『説明が長くなるなら細かくは後でいい。あらためて問うぞ、キリシマ中尉。我々はどうすべきだ?』
「さぁ魔王様がた! ここで“究極闇魔法”を使い、人間どもを皆殺しに!!」
『中尉、わかるように説明してくれ。それと視界の隅で光っているコレはなんだ?』
事態は急変しようとしている。
――もしかして!
そう思い念じるとウィンドウが開いた。
VRシミュレーターと同じインターフェースであることに少しばかりの安堵を覚えつつ、『重要!』と表示された文字に将斗の意識は凍りつく。
――『イベントアイテム、地上散布用VXガス弾頭を召喚・使用しますか? ※このアイテムは本イベント限定のためストレージにストックできません』
とんでもないものが表示されていた。
VRシミュレーターがどこかの頭が悪いゲーム会社にでも乗っ取られたのだろうか? あるいは仮想敵国からのハッキング?
あり得ない。
戦争前夜ではあるまいし、そんな真似をすれば西側世界の主要国が敵に回る。
『どうした?』
将斗は答えに窮する。
この表示も見なかったことにしたいし、ついでにログアウトボタンがないのも見なかったことにしたい。
『顔色の悪い男の意思に従うなら――外の街にVXガスを散布することになります。……どうしますか、“少佐”』
その瞬間、“少佐”と呼ばれた青年が大きく息を呑むのがわかった。
しばらく瞑目した後、彼はそっと目と口を開いた。
『……
『Rog.』
銀髪の青年が口唇を歪めて答えた瞬間、期待に満ちた表情を浮かべていた青顔の頭部が轟音とともに綺麗さっぱり吹き飛んだ。
肌は青くても流れて出る血は人間同様に真っ赤らしい。不思議なものだと将斗は非現実的な光景の中でそう感じていた。
彼はまだ知らない。
これこそが――すべての始まりを告げる銃声となったことを。
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