9.素敵カントリー


 ぎりぎり最後に乗船したので、今度は駐車場の先頭で着岸したため、海人の車がいちばん最初に下船。

 どの車よりも先に真っ赤なスポーツカーが颯爽と上陸していく。


 慣れたハンドル捌きで、海人も常日頃走っているだろう車道へと出た。

 旧島の港から出て、走り出した車の車窓には、乃愛に取って懐かしい風景ばかり。思わず声をあげる。


「わあ、懐かしい! 久しぶりだなー」


 中心街にある港、観光客が多いリゾート地、老舗のホテルが並び、サーファーやダイバーたちがマリン用スーツを着たまま歩いている。

 トロピカルな装飾の飲食店が立ち並び、観光客もサーファーたちも混じってフルーツジュースにアイス、ファーストフードを買って楽しんでいる。

 乃愛も休日は、DC隊のパパたち、その子供たちと一緒に、このあたりに遊びに来ていた。そんな子供時代の思い出が鮮明に蘇る。

 新島はセレブリティに発展しているが、旧島には昭和から積み重ねてきたレトロなムードの賑わいがある。


「あのお店のアイスキャンディ、陽葵と大河とよく食べたな……。お父さんに相馬パパ、杉谷パパもよく買ってくれて……」


 ふいに思い出してしまい、乃愛の目頭が熱くなってくる。

 唇を噛みしめ、どっと湧き出てきそうな哀しみをなんとか抑える。

 それだけに、この旧島という場所は『なにも心配していなかった頃のしあわせ』が詰まっている場所だと、改めて乃愛は感じてしまったのだ。

 海人の『乃愛……』と案じる声が聞こえ、乃愛も目元をそっと拭い笑顔に戻る。


「今度はカイ君と食べたいな」


 栗色の綺麗な髪が入ってくる潮風にそよいでいて、海人も微笑みを見せてくれる。


「俺も子供のころは、父の買い物帰りに買ってもらって、音楽留学先から帰省した妹と食べたりしていたよ。あ、英太兄もだ。ジュニアスクールの子供の俺たちと並んで、でっかい大人の兄ちゃんも一緒に食べたりしていた。父さんも『まあ、三人兄弟みたいなもんか』って笑っていたな」

「想像つかないな。あの鈴木大佐が、小さなカイ君と杏奈ちゃんと並んでアイスキャンディ?」

「いやいや、けっこう違和感ないって。……なんていうか、英兄も、子供時代に苦労していたみたいだから、俺たちと一緒に取り戻したと言えばいいのかな……」

「そうなんだ……」


 鈴木大佐の子供時代、ご両親を一度に亡くした事件については、前情報として乃愛も既に教えてもらっていた。

 無理心中を実行した父親が妻、つまり鈴木大佐の母親には手をかけてしまったが、最後の最後、息子の鈴木大佐には躊躇って浅い傷を残すことで去ってしまい、自死にて発見されたという壮絶な過去をお持ちらしい。

 母親の妹、叔母に引き取られて育ててもらったが、成人してパイロットとして頭角を現したころに、叔母も病死。天涯孤独になったところを、御園家が身元引受人となって、家族同様に過ごすようになった。

 その時に、子供だった海人と杏奈と兄弟のように過ごしたと聞いている。

 そこで妹の杏奈と十八歳も年の差がある鈴木大佐が、どのように心を通わせてきたのか……。いまは事実婚でパートナーとして過ごすところまでの道のり。

 それが、実際に対面したら乃愛にも感じることが出てくるのだろうかと、心の奥で密かに思っているところだった。


「俺がいま住んでいる実家に、たくさん写真が飾ってあるから、その時の様子も少しは見られると思うよ」

「え、子供時代のカイ君が見られるの!? 絶対に外国のきらきらキッズモデル並みのかわいさに決まってるじゃん! 見たい見たい!!」

「あはは……。なんか自分の子供時代をカノジョに見られるって恥ずかしいだけだよ。俺も乃愛の子供時代の姿みたいな。絶対にお父さんと一緒にサーファー女子で写ってる写真だと思うな~」

「……当たってます。岩国時代のね……。わ、ほんとだ。子供時代の写真を見られるって、ちょっと恥ずかしいな」

「だろう! でも俺も絶対に見たい。キッズサーファーの乃愛を。俺のは隠しちゃおうかな」

「ダメ、見たい! 絶対にキラキラ王子様に違いないもん。見せてくれなくちゃ、私も見せないからね!」


 そんな会話で沈んだ空気も笑い声で復活。そのうちに、懐かしい海岸沿いを走り始める。

 アメリカキャンプと官舎前を通らない道筋だったが、それでもバス停には軍服の隊員や、金髪栗髪の外国人ファミリーがいたりして、懐かしい雰囲気を乃愛は感じ取るばかり。


 そのうちに海岸線に沿う住宅地が見える。御園家が開拓した軍人借家がある住宅地だった。

 いちばん手前に見えてきたお洒落な一軒家。青い屋根に白壁のギリシャっぽい家が、御園家。

 久々に見ても、やっぱり素敵だなあとうっとりしているうちに、海人の車は住宅地へ入る路地へと右折。すぐ手前にあるお洒落ご実家に到着した。

 赤い車を自宅横のガレージへ。駐車を終えると、海人はそのまま実家に入らずに、乃愛を伴って歩き始める。


「戸塚家はこの奥のファミリー地区にあるんだ。二階一戸建てが多いエリアなんだ」

「カイ君も少し前まで、単身者用の平屋で独り暮らししていたんだよね」

「ああ、そうだよ。その時、藍子さんもエミルさんも近所だったんだ。お二人は婚約してすぐにファミリータイプの一軒家に移って、俺は両親が新島に転属した時点で、留守番係で実家に戻ったんだ」


 これまでの経緯を聞きながら、海辺の住宅地を歩く。

 新島よりも先にできた住宅地だから、どこの家も時を積み重ねてきたと感じる植物が多く見られる。見慣れている百日紅に、蔓薔薇やクレマチス、カモミールがかわいく揺れている庭も多い。

 そのうちに薔薇の香りが芳醇な自宅の前を通る。薔薇が見事に咲き誇っているご自宅に乃愛は『わあ、こんなおうちがあったんだ』と思わず声を上げてしまった。


「城戸少将のご自宅だよ」

「えっ! 旧島基地の司令の!? つまり園田中佐のご自宅」

「凄いだろう。心優さんが住み始めてから、ガーデニングが得意なお母さんと育ててきた庭なんだ。ここら住宅の名物だよ」

「うわあ、ここも外国みたいー。イギリスっぽい!」


 もう乃愛は素敵な香りと花の彩りに目をハートにさせていた。

 このおうちを中心にして、どこのおうちもなにかしら花が咲いている。

 優しい海の風、近くに見える青い海、青い空の下に白や紅の花の彩り。白壁を基調にした住宅地。新島はリゾート風に発展していってるが、ここは古き良き異国の薫りを感じる住宅地になっている。

 そしてそれは、乃愛が育ったアメリカキャンプそばの日本人官舎でも良く感じていたことだった。

 旧島はそんなところ。


 歩いて数分、二階建てが並ぶ地区にさしかかると、数軒歩いたところで海人が立ち止まる。


「ここだよ」


 白い玄関には、アメリカ風の玄関ポーチ。ブランコ風の白いベンチが置かれていて、そこには子供用の砂場遊びのバケツやおもちゃが置いてあって、いかにも子育てファミリーの雰囲気で溢れている。

 鉢植えも南仏風の陶器で、ここはここで、フランスの風を感じた。


「藍子さんのご実家、美瑛のオーベルジュが南仏風なんだ。妹の瑠璃さんがコーディネーターをしているから、姉の藍子さんのところにもいろいろ送ってくれるらしくて、ご実家風といえばいいかな」

「素敵~。どこのおうちも、みんな素敵!!」


 久しぶりの旧島だったが、海辺の住宅地がお洒落に発展していて乃愛は感動しきりだった。

 新島はセレブリティリゾートで都会的だったが、旧島は旧島でお洒落カントリーになっていて、『この住宅地に住んでみたい!』と思わせてくれるものだった。


 しかも戸塚家! もう佇まいだけで『しあわせ』が溢れ出てる。

 窓辺には、かわいいカフェオレボウルが置いてあって、そこに薔薇がさりげなく生けられている。ほのかに香ってくる匂いは、花だけじゃなくてせっけんの香りも混ざっている? お洒落な家の庭には、かっこいいバイクも駐めてあった。あれが噂の戸塚中佐のバイク? 『かっこいい~』とまた乃愛ははしゃいでしまう。

 なのに、お父さんのバイクの横にかわいいキックバイクと三輪車が置かれている。

 素敵なパパママとかわいいお子様がいるお家の雰囲気もきちんとあって、素敵なファミリーハウスだった。


「うわ~、バイク、見せてくれるって約束してくれていたんだ。戸塚中佐、覚えていてくれたのかな」

「いつもはガレージに入れているから、きっとそうだと思う。じゃあ、チャイムを鳴らすよ」

「はあ~、でも緊張してきた~」


 海人が玄関先のインターホンのボタンへと指先を伸ばした瞬間、ドアがすうっと開いたので、乃愛は驚く。


「海人?」


 ゆっくり開いた白いドアから、お腹が大きな女性が出てきた。


「うわ、藍子さん。びっくりしたー。いまインターホンを押そうとしたのに!」

「なんとなく。声が聞こえてきたから、もしかしてと思って開けてみたの」


 肩先で黒髪がふんわりカールをしている大人っぽい女性が出てきた。

 お腹が大きいけれど、黒くてシックなマタニティワンピース姿。でも、背丈があるせいか、海外モデルのように均等が取れていて……。まさに『黒髪美人』!! あの美しすぎる男、クインさんの妻に相応しいお方!


 と、思った途端に、乃愛はがっちがちに緊張して固まっていた。

 カイ君も綺麗、戸塚中佐も綺麗、藍子さんも綺麗。綺麗に囲まれて混乱中。

 しかも海人が来ることがわかっていたように、また待ちわびていたように、息が合うふたりそのもののタイミングで現れた。余計に乃愛は『私、まだ部外者』な気もちに見舞われているところ。


 しかし美しい微笑みが乃愛に向けられる。


「いらっしゃい。乃愛さん。とっても楽しみに待っていたの」

「はじめまして。DC隊の剣崎です。本日は、おじゃまいたします」

「やっとお会いできて嬉しい。いつかは夫が大雨の中、ありがとうございました」


 お初目のご挨拶をお互いにして、乃愛もお辞儀をする。

 頭を上げて、初めて戸塚少佐ことアイアイさんと目が合う。目元に泣きぼくろがあることに初めて気がついた。

 凄く色っぽい眼差しなのに、微笑みは爽やか。

 そう知って、乃愛は思わず呟いてしまう。


「えっと、戸塚中佐がめちゃくちゃ奥様を自慢するのもしようがないことだったと、いま感動しています……」

「え、エミルが自慢?」

「すんごく自慢していたんです。柳田大佐と来られた艦内でも、私がセブンに乗せたときも。奥様のご自慢ばかりでした」


 奥様がきょとんとされていた。

 乃愛も初対面なのに不躾だったかなと我に返ったのだが。藍子さんはケラケラと笑い出す。


「もう。エミルったら恥ずかしい……。ほんと、ごめんなさい。延々と聞かされなかった? 美瑛がどうだの」

「はい! 美瑛最高、妻の料理最高、常に愛を伝えているから妻からは信頼されているとかいろいろおっしゃっていました」

「ええ……もう、やだあ、もう、こんなお若い女の子にそんなこと堂々と言ってるの?」

「宮島デートのお話も聞いちゃいました。奥さん一色でしたよ。愛妻家の鏡だと思いました」


 大人っぽかった藍子さんが頬を染めて『やだもう、宮島のことまで!』とずっと照れている。今度は愛らしさも醸し出して、ああこれはもう、そりゃクインさん堕ちますわ――と乃愛も痛感。


 パイロットスーツを着込んでいる凜々しいアイアイさんを遠目に見たことはある。しかし、こんなかわいらしさも備えた素敵な女性だったんだなと感動。


 それはもう気高いクインさんも自慢したくなりますよねと、納得の奥様だった。

 そんな藍子さんがお腹を撫でながら、家の中へと振りかえる。


「エミル~。海人と乃愛さんが到着したわよー」


 奥から『そうか、いま行く』という久しぶりの声が聞こえてきた。

 やっと戸塚中佐と再会できると嬉しくなって、乃愛は思わず海人を見上げる。海人も乃愛の視線に気がついて、にっこりと微笑み返してくれる。そしてそっと背中を『よかったな』という意味で撫でてくれたのがわかった。


 戸塚中佐が玄関に現れるのを待っていたら……。なんだか妙に訝しげな藍子さんの目線が、乃愛へと向けられている。先ほどまで朗らかで爽やかなお姉様の柔らかさだったのに、乃愛と海人を交互にじっくりと眺めているような目線が乃愛には気になった。


『パパ、カイ君来たの?』

『ああ、海人が、DC隊のお姉さんを連れてきてくれたぞ』

『高いところから海に飛び込めるお姉さんでしょ。RX7のお姉さん!』


 パパとかわいいお子様の会話が聞こえてきて、リビングのドアが開いた――。


「待ってましたーーー! おまえ、遅いんだよ!!」

「げ、ユッキー」

「待ちくたびれて、藍子さんのお手伝い三昧になっていたんだからな!!」

「ナオまで。うるさい! 手伝いってあたりまえだろっ。おまえらは料理できなさすぎだから、やればいいんだよ!!」


 戸塚中佐ではなく、黒髪の大きな男性がふたり飛び出してきて、海人にいきなり食い付いてきた。と思ったら、え、カイ君? いつも素敵お兄様で麗し貴公子なカイ君が、なんでそんな乱暴な口調になってんの??

 乃愛が仰天していると、藍子さんがハッとした顔になって、黒髪男性ふたりに言い放つ。


「ユキナオ君! 初めてのお客様の前でしょ。声、大きいわよ!」

「あ、すいません……。少佐」

「ご、ごめんなさい。藍子さん」

「あなたたちも、私とおなじ少佐でしょう。少尉の前なのだからお手本になるように弁えて」

「ユッキーとナオ、怒られてやんの!」

「海人も! 一緒に崩れないのっ」


 アラサー男子三人が、藍子さんの目の前で『はい』と大人しくなった。


 もしかして、もしかして。黒髪のお兄様方は『城戸の双子』さん? カイ君の親友?


 そして親友の目の前だと、海人までもが子供っぽくなることに乃愛は目を丸くしていた。

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