8.無言のステディ宣言

 人々の視線を集めるフェリー客室へと、いよいよ海人と一緒に入る。

 特に顔見知りもいないため、海人は何食わぬ顔で奥にある軽食カウンターへと向かっていく。


「お、レモネードの季節だな。島ハチミツを使っているやつ」

「大好き! 新島でも最近は、マリーナ地区にお洒落なワゴンで売っているよね」

「これ飲んで時間を潰そうか」

「うん!」


 乃愛が大賛成をすると、海人からさっと販売カウンターまで出向いてスマートにカノジョの分も買ってくれる。

 いままでなら『私も出す』とお財布を出すか、スマートフォンのpayアプリで割り勘にしようとしていたが、最近はすっかり甘えている。

 というのも海人が『上手に甘えてくれないと、俺と一緒にいることがきつくなると思うよ。俺だけじゃなくて、父さんも母さんも大盤振る舞いしだすから』――と言われたのだ。

 彼が言いたいこと、すごくわかる。マリーナのマンションで生活をしていると、隼人お父様がどんどん差し入れをしてくるし、エリーが上等に身の回りを整えてくれちゃうし、葉月お母様なんて『靴がコレクションなの!? 私が履かないでそのままのものがいっぱいあるの。え、サイズも一緒じゃない! 良かったら使って!!』と、宝の持ち腐れと言われていた高級靴の箱を山積みで持ち込んで来たのだ。

 すべて断る間もない。なので彼がスマートに与えてくれるものには、乃愛も有り難くいただくことにしている。

 そのぶん……。自分になにができるのかな、御礼ができるのかなと、考えることが多い。


 御園の子息が笑顔で女性にレモネードをご馳走している姿すらも、遠巻きにちらちら見られている。

 海人と外通路のベンチに並んで座って、海を眺めながらレモネードを味わう。


「みんな、見てるね」

「うん。見てるな。いま一緒に仕事をしているから、不自然ではないと思うけどな」

「でも。御園少佐と作戦司令部で資料を作成していることは、ごく一部しか知らないよ」

「いるかなー。この中に、『なんでも撮影班』が」


 海人はストローでレモネードを吸いながら、客室や通路に出てくる人々を隈無く観察していた。

 乃愛もなんのことか気がつく。


「え、もしかして。私と戸塚中佐が一緒にいるところを撮影したやつがいるかもってこと?」

「そう。今度は、御園の息子と厄女が一緒だと面白がって写真を撮って、変な噂をでっちあげるとしたら、どんなタイトルつけるのかな~って」


 思わず乃愛もきょろきょろしてしまった。

 それらしいカメラを持ってるとか、スマートフォンを構えている者がいないかどうか探してみる。


「でっちあげる噂が先か、俺と乃愛が今日から正式にステディ公言をして拡散されるのが先か。どっちかな~」


 なんだか海人は楽しそうに笑って、レモネードを味わっている。

 御園少佐。そんな狙いもあっての【拡散しちゃおう】だったのかな?

 いつも思う。海人といると、なにもかも任せていれば彼が思うことで上手く動いていくと。そこまで考え至ると、乃愛も『私、なにをすればいいのかな』と思い悩むことをやめる。心配事は全部、御園が引き受けてしまうのだから。

 そうだ。楽しくしよう。とにかく、カイ君と笑っていられる時間にしていこう。それが乃愛が辿り着いた答えだった。


 だからレモネードをご機嫌で味わう。


「海を眺めながらの島ハチミツレモネード、おいしいー。カイ君、ありがとう!」

「俺も乃愛と一緒に味わえて楽しいよ」

「これ、カイ君に作ってもらおうかな。カイ君なら再現度、高そう」

「レモネードは作れるけどさ……。美味しいのは、こうしてカノジョと並んで海を見て一緒に味わっているからだよ。再現度は味覚だけじゃないと思うな~」


 え、それってそれって。乃愛と一緒にいるからという意味だとわかって、乃愛はまた頬を熱くする。そしてぐっと拳を握ってふるふると堪えた。海人がまた『なにどうしたの』と、乃愛の奇妙な動作に目を丸くしている。


「ううう。ここがマリーナのお部屋だったら、すぐに抱きついちゃうのに」

「えー、抱きついてほしいかも。やっぱ、二人きりになりたい。でも藍子さんに紹介したいっ」

「私も藍子さんに絶対会いたいし、戸塚中佐とももっとお話したいっ」


 ふたりで『やっぱり、戸塚家でも楽しみたい』と笑いあうと、海人が少し困ったように首を傾げてため息を吐いた。

 乃愛もどうしたのかと首を傾げて、彼の様子を見守る。


「俺、けっこう入り浸っていたんだ。藍子さんとエミルさんのご自宅に」

「でも、藍子さんはカイ君の相棒なんでしょ。家族ぐるみのお付き合いってことだよね」

「うん。藍子さんとペアを組んだときから、すごく気が合って、男女関係のしがらみ一切なしで安心感もあったし、一緒に料理をできるのも楽しかった。俺が千歳勤務時代に大ファンだったオーベルジュシェフのお嬢様という偶然も重なって。ほんとうはエミルさんとふたりきりにして、そっとしておくべきだったのに、いつも俺を弟みたいにそばにいさせてくれてね。美瑛の帰省も、夫妻水入らずで行くところを、俺も一緒にと平気で連れて行ってくれるんだ。ぜんぜん邪険にしないんだ。紫苑が生まれてからも、俺もよくシッターをしたりして、一緒に夕飯を食べる。それが日常」


 ハイスクール生の時から、キャンプではみんなのお兄ちゃんだったと父が言っていたことを乃愛は思い出す。

 そんな海人が初めて、『年下の甘え』を受け止めてくれたのが戸塚夫妻のように感じられた。だから素のままでいられるそこが、これまでの海人の居場所だった?


「その俺が、ここ数ヶ月、それほど寄りつかなかったマリーナのマンションに休暇の度に足を運ぶようになっただろ。たぶん、気がついてるんじゃないかな。とくに藍子さん」

「そうか……。これまで休暇も旧島にいたカイ君が、突然、戸塚さんのおうちにこなくなっちゃった状態ってことなんだね」

「先週かな。キャンプのマーケットで、産休中でお腹が大きな藍子さんとばったり会ってさ。『最近、来ないね。なにかあったの』と心配そうに聞かれたんだけど、『新島の作戦本部に資料作成を命じられて通うことになった』と誤魔化したんだけどね。藍子さんと一緒に働くようになって、俺が一週間のうちに一日も訪ねないということはなかったからさ」

「それなら今日、私との関係を明かして、安心してもらうことも目的なんだね」

「恋人ができたら、藍子さんとエミルさんにいちばん最初に報告すると、決めていたんだ。あ、あと双子もな。今日は彼らも来るから、一度に紹介ができるチャンスなんだ」


 この日のために、皆がスケジュールを合わせてくれたと海人は言う。


「今日から乃愛も、戸塚家とのお付き合いが始まるんだ。俺が特に親しくしている知人友人と仲良くなってほしいよ」

「もちろん。とっても光栄なことだよ。あ、私も、幼馴染み夫妻には絶対に紹介したいんだ。いま、お父さんとお母さんにも、自分から伝えたいから先に教えないでと口止めしてる」

「陽葵さんと大河君だよね。俺も紹介してくれる日を楽しみにしているよ。あー、俺もドキドキしちゃうな……」


 カイ君ほどの男性が? と笑ったが、『俺だって、乃愛の友人関係に溶け込めるか不安はあるよ』と、ため息を吐いてレモネードを飲み干している。

 そうだよね、カイ君だって、私たちと変わらないアラサー的人間関係の感覚は一緒だよね。と徐々に慣れ親しんでくる。


「私の幼馴染みも……。特に陽葵は、藍子さんのように『なんか乃愛が少し変わった』と気がついているかも」

「相馬少佐のお嬢さんだよね。真実をまだ知らない状態だから、細心の注意を払って親しくなろうとは思ってるよ」

「うん。私もまだ伝えるつもりはない。大河よりも陽葵のほうがずっと、こうと決めたら即刻行動に移す思い切りがあるの。頑固さもあって、聡くて鋭いから嘘がつけないんだ」

「うわ、マジか。強者ぽいな。さすが透お父さんのバディだった方のお嬢さん!」

「でも、だからこそ頼れるんだよ。きっと陽葵も『海人先輩』の心強い味方になってくれるはず。大河もだよ」

「うん。とっても期待している。乃愛のおかげで、新しい友人に知り合えること」


 乃愛の大事な幼馴染みのことを、海人も大切にしようとする言葉にも安堵する。

 とにかく海人の知人友人はレベルが違いすぎて、一般隊員である乃愛に大河に、その妻で幼馴染みである陽葵から見ると、ほんとうに『遠くにいるカースト上位の人々』だったのだ。


「そうだ。乃愛の紹介を終えたら、父さんが主催すると張り切っている浜辺キャンプ飯パーティーに、陽葵さんと大河君も誘ったらいいよ」

「え、いいの!? 陽葵、めっちゃ喜ぶと思う。ハイスクールの時に、先輩たちのグループに目をきらきらさせて憧れていたから」

「いや、もう俺たちは俺たちで普通に過ごしていただけなんだけど。その時にサーフィンも教えてくれるんだろ」

「大河もサーフィンもウィンドサーフィンもするよ。じゃあ、ボードとか大河にも持ってきてもらう」

「うわ、大河君もすげえサーフィン上手そう……。マリンスポーツは、俺、ビギナーだからなあ」

「大河も水泳タイムめちゃ速いヤツで、潜水時間も長いんだ」

「いや、絶対に俺、海ではヘタレで大河君にしがみついてばかりいそう……」


 そんな海人先輩は想像できないと、乃愛はまた笑い出してしまった。


「お互いの『おつきあいご報告』を終えたら、今度は杉谷夫妻とダブルデートとかしよう。サーフィンを教えてくれる御礼にプロペラ機に乗せて、四人で遊覧飛行とかさ」

「わ、楽しみ! ほんとは、これから沢山の人に御園少佐のカノジョと知れていくとどうなるのか怖さもあるけど……。楽しみもいっぱい待っていると思うことにする」

「うん、そうしたらいいよ。それから……」


乃愛のことは、俺が守るよ。


 綺麗な栗髪が輝く彼が、乃愛の耳元に鼻先を近づけて、そっと囁いた。

 白いサンダルのつま先。そこからも金の太陽がきらりと燦めいている。


 ふと周囲を見渡すと、けっこうな視線を集めている。

 ああ、もう逃れられないな。ただ一緒に居るだけの同僚だなんて、きっと誰も思わない。


 ただでさえ『御園少佐』は、異性には興味なさそうと言われてきたのに、急に親しげな近距離で一緒にいるのだから。


「そろそろ到着だな」


 しかも、海人がにっこり微笑みながら、まだレモネードを飲んでいる乃愛の黒髪を撫でた。さらにじっと乃愛を見つめている。


 もう一般の方々への無言のご挨拶は終了かな?

 きっと明日から、一般隊員の間でも噂が流れて行くに違いない。

 海人が言うとおり、厄女仕立ての噂が流れるのが先か、正式なステディ宣言の情報が拡散されるのが先か。これはこれでまたドキドキする。


 旧島へのフェリー到着時間が迫ってきて、下船準備を促す到着メロディーが船内放送で流れてくる。乃愛も急いでレモネードを飲み干した。

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