③再会はガレージで
相馬を失った本来の原因を娘に明かしてみてはと、娘の恋人を名乗る青年が勧めてくる。
近いうちに娘と向き合って、いままでのことを謝り、なにが真実だったか話すべきかどうか透も迷っているところだった。
しかし娘に危害が及んだことを考えて透自身復職を決断したわけだから、告げなくてはいけないことはわかっているつもりだった。御園少佐が言いたいことはわかる……。
だが娘に伝わると、相馬の娘『陽葵』に伝わり、その夫である『大河』にも伝わっていく。そこであの娘たちと親しくしてきた幼馴染みの青年がどう反応するかを透はまだ精査していない。
「迷われる気持ち、わかります。きっと母も僕には言えずにもどかしかった時もあったと思います。でも、……僕、俺は、知りたかったと思っています。母の立場上、言えないことも理解しています。でも、あの時、母の本心を知っていれば、息子としてどう理解すべきか迷わなかったし、母との距離もできなかった。とても時間がかかりました。母がじっと待っていたこともわかっています。その時間を、剣崎大佐と乃愛さんには長く持ってほしくないし、これ以上距離をとってほしくない。いまだと思います。乃愛さんはお父様を信じています。誰よりも、どんな男性よりも。お父さんが一番です」
誰の言葉よりも響くとはこのことか……。透はそう思った。
この少佐の母親、彼女の艦に乗っていた者だからわかる。透自身も、ミセス艦長がなにを決断したか、それにより艦を下りたことの理由を知り胸に秘めている隊員の一人だ。その艦に乗り、撃ち放たれるかもしれないミサイルが着弾することを予測してDC隊員として艦内を駆け回った経験を持っている。
無事に帰還出来たのは、あの時、彼女が禁を犯したからだ。
その責任を取り彼女は艦を下りた。航空部隊の長も解任された。以後、しばらく彼女は最前線の情報から遠ざけられ、置物のような立場に追いやられた。母の輝かしい経歴と勇敢な姿を見て育った息子にはショックだったことだろう。そんな噂話は隊員たちの間でも盛んに交わされたことだ。
いま、透と乃愛はそんな御園母子のような関係に陥りそうになっている。修復に時間を掛けてほしくない。それならば娘を信じて、お父さんも頼ってみてはどうか。彼の提案は『息子の立場から娘を思う提言』なのだ。
そうだな。娘を思うあまりにぐだぐだと悩むくらいなら、娘ももう三十歳を目の前にしたいい大人で、職歴を積んできた少尉だ。思い切っていくか――。そう決断をして、透も毅然と御園海人少佐を正面に見据えた。
「海人君、是非……」
「そうですか。よかった。それならば……」
明るい笑顔になる彼は、なんて麗しい青年であることか。母親がアイスドールと呼ばれてはいたものの白人系の麗しさは漂わせていた。それにそっくりだと透は改めて思った。
こんな美しい青年が娘の恋人に? 未だに信じられないのだが、その青年がほんとうに心から娘を思い、必死に恋人の父親を説き伏せようと怖じ気づかずに向かってきてくれたこと……。この青年なら任せても良い。心からそう思えた。
不思議だった。娘のカレシとか名乗る男が現れたら強面で威嚇して、少しでも娘を軽んじることがないよう、『俺という後ろ盾が娘にはいるんだからな。甘く見るなよ』と簡単には気を許さないと決めていたのに。
この男の子(青年)には、どうも透から完敗といいたくなる気もちになっている。母親のことをよく知っていたから? いや、この彼の苦労も気立ても、ずっと前から知っている安心感か……。
「いま、彼女は両親が住まうマンションのコンドミニアムで休ませておりまして」
「ご両親の? こ、こんどみにあむ……?」
「あ、えっと、その、自分が所有しているマンションの、ファミリータイプのゲストルームのことです。俺と一緒の部屋じゃないのでご安心ください」
いや、『カレシと一緒の部屋』とかいう心配より先だったのが『御園家マンションにいること』だったり、そのマンションがご令嬢葉月さんのものではなくて、恋人となった子息、海人君のもの!? そこに娘を休ませてくれている!?
想像ができない。あのやんちゃとも言える活発な娘が、海とかで砂まみれになってケラケラ笑ってずぶ濡れになって日焼けして、男の子みたいだった娘が、資産家御園家のマンションで優雅に休んでいる!?
父親として男として、娘を案じるものをいちいちすっ飛ばしてくれる海人君が発する言葉の破壊力ときたら……。透は目眩を起こしそうになりながらも、娘の恋人の前では毅然とした父親でいたいために、なんとか平然とした姿を律することに精一杯……。
だが御園家の懐にいるなら、安心だ。その安堵もあって、それはそれで腰の力が抜けていく。
「自分は旧島の飛行隊にいるので、毎日、乃愛さんと一緒に顔を合わせているわけじゃないんです。今日、母に呼ばれて新島にきたので、このままマリーナのマンションに立ち寄って彼女の顔を見ていくつもりです。エリーが毎日面倒を見ていますし、様子も見てくれています。だいぶ落ちつた毎日を送れているようになったようで、笑顔で過ごしているそうです。ですから、元気になったいま、その……夕食に誘おうかなと」
おや? 娘と父親の俺を会わせる話だったはず? その前にデートと称して誘い出して、そのあとに透のところに連れてくるつもりなのだろうか?
『おつきあい』を宣言した彼女のパパに、さっそくのデートのお許しを請うているのか? 律儀なところは隼人さんに躾けられたのか? 透はそう感じた。同時に『いやもう、娘が男とどうしているとか正直いちいち報告されても……。受け入れなくちゃいけないのも辛いな』、なんていう本心もちらちら見え隠れして戸惑いしかない。
もう勝手にデートしてくれていいんだよ――と言葉を挟もうとしたのだが。御園家子息の言うことは、やはり娘パパの想像を超えてくる。
「その時に、お嬢さんを久しぶりの外出に連れ出しますので、お父様のところにお連れします。いかがでしょう――」
そこまで……。考えてくれていた青年。娘の恋人……。
なんかもう、完敗かな。透は思わず、目頭を熱くしていた。
男の欲なんかまったくかんじなくて、乃愛を女よりも『大事に育てられた娘』として接してくれていて、若いふたりが楽しむ前に『お父さんと娘が向き合うことが先。それが終わらねば、恋人として楽しむことはできない』と彼が決めているのだ。
ああ。あのご夫妻の息子だ。心底そう思えた。きっと娘をこれから守ってくれるのはこの青年だ。
そして透も、もう何年も避けてきた娘をいきなり向き合うことには躊躇っていた。
でもこの青年が間に立って、ささくれていただろう娘の心をなだらかにして、父親のもとに連れてきてくれるという。
「わかりました。海人君におまかせします」
「待ち合わせ場所はいかがいたしましょう。よろしければ、今夜、俺が予約したレストランで一緒にお食事でも。自分は一時、席を外してもかまいません。個室を準備いたします」
あ、娘を食事に誘おうとしているのは、自然に連れ出すためだったのかと、すべてに納得していく。準備がいいなとすら思った。すべてに安心感を与えてくれるところなど、もうほんとうに、御園夫妻の息子となんども思ってしまう。
だが、彼が準備したなにもかもに甘えようと返事をしようとした時――。ふと、透の脳裏にある場所がふっと浮かんできたのだ。
「いや、ガレージがいいな」
「ガレージ、ですか?」
彼が少し不思議そうに首を傾げた。だが少しだけ考えると、またあのお日様君の笑顔を見せてくれる。
「そうですね。それがいいですね! これまで、お父様と乃愛さんを強く繋いでいたのは、あのRX-7ですもんね。お父様が留守の間に整備をしてくれていると聞いていましたから」
「あそこで待っています。あそこで、また娘とやり直します」
「そうですね……。彼女、すごく喜ぶと思います。そっか……。やっぱりお父様ですね。乃愛さんがなにがいちばん喜ぶかすぐに思い浮かぶのですから……」
彼の琥珀の瞳、そのすみっこに涙が小さく現れたので、透は驚く。
きっとまだ、出会ってそんなに経っていないはずだと思う。でも海人君の心は、そこまで娘と寄り添って共鳴していると思える姿だった。
「ありがとう、かい……」
ありがとう海人君と告げようとしたら、彼と向き合っていた自販機休憩ブースの入り口に一瞬で走り込んできた男が大声で割って入ってきた。
「とおるーーーー!! 心優から聞いてすっ飛んできた!!! なんで復帰するって教えてくれなかったんだよぅっっ!!」
金髪の美男がくしゃくしゃの涙顔で登場して、透も目の前の海人君もギョッとする。海人君なんて美しい瞳に美しい涙を煌めかせていたのに、それがどこかすっとんで消えてしまったかのような顔をしている。
「よう、シド。こうして対面するのは久しぶりだな。元気だったか……いや、元気か、いつも」
「ほらそうして、透は澄ました顔でなーーーんんにも、俺の心配とかわかってねえええええ」
「わかってるつもりだが。あ、娘のこと守ってくれてありがとうな」
と、今回の航海での『シドの密かな護衛』を海野少佐から聞いていたので、ここぞとばかりに御礼を告げたのに、彼がそれを聞いただけで膝から崩れ落ちた。何故か透の足下で、床に両手両膝をついてぐずぐず泣き始める。
「す、ずまねえ……。完璧な護衛じゃながっだー」
いつから東北人になったんだよみたいな発音で土下座をされて、透は困惑する。
今度は目の前の御園子息が、お父さんの隼人さんそっくりなあきれ顔を見せて、シドに向かってため息を吐いている。
「ちょっとシド。落ち着いてくれよ。いまさ、今日、剣崎大佐と乃愛さんが再会するための段取りを話し合っていたんだけど。なんで邪魔するかなー」
「どぅわって、どおるがぶっぎずるで、びゆがらぎいでぇぇぇ」
『だって、透が復帰するって、心優からきいて』――と言いたいのかなと、透はきょとんとしてただただこの喧噪が収まるまでじっと待ってみた。この男、やり手なんだけど、気が抜けている常時に感情がまっすぐに外に出てしまうと騒々しいだけで収まりがつくのに時間がかかる。言わせるだけ言わせて、じっと受け止めることが吉――と透は慣れている。
その分、自分より少し若いシドには『落ち着きすぎて澄まし顔、兄貴面』と言われることもある。だが彼からの褒め言葉、敬愛でもあると通じている。
そんなシドをまた静かに黙って見つめていると、彼がはっと我に返り、綺麗な金髪の頭をあげて透を凝視してくる。
「の、乃愛と会うのか、今日!?」
「ああ。海人君の勧めでね。娘を連れてきてくれると言うから、ガレージで再会しようかといま話し合っていたんだ」
「俺も行く!! 俺も見守る!! 今度こそ、俺、乃愛に近づく者をいっさいがっさい仕留めるからさ!」
「ありがとう、シド。充分、娘を守ってくれていたと感謝している」
アクアマリン色の眼から涙がすっと引いて、皆がよく知る凜々しい警備隊長の強面に戻っていく。
きりっと立ち上がったシドが拳を握って、声高に叫んだ。
「よし、海人! この作戦、成功させるぞ」
「……なに自分が指揮してきたみたいな言い方してんの。まあ、いいけど。ちゃんと大人しく控えていてくれよ。ぎゃーぎゃー騒ぐの禁止。台無しにしたら、直結でエドとかジュールに報告するからな。あ、フロリダのお母様、美穂さんがいいかな」
「やめて、大人しくするから。その誰にも報告されないよう、我慢するから」
「父と娘の、数年ぶりの大事な大事な時間だからな。わかってるよな。まあ度が過ぎると、エリーの鉄拳が飛んでくるから大丈夫だと思うけど」
「エリーの鉄拳……。わかってます。大人しくします」
若い御園の子息には、しっかり抑えられしまっていて透は目を瞠る。
そしておかしくなって、ついに笑い声を立ててしまっていた。
栗髪の青年に金髪の同僚が、ひたすら落ち着いていた透の笑い声に唖然とした顔を揃えている。またそれが可笑しくて、笑いがとまらなくなってしまった。
------⚓
夕刻。御園少佐が娘を連れてきてくれる時間が迫ってくる。
透はシドと共に、制服姿のまま、ガレージがある区画に出向いてきた。
いつも娘が留守にしている間に、彼女が任務から帰ってきたら快適に乗れるようにと、こっそりと整備をしてきた。
そのガレージのシャッターをあげる。そこには白く輝く愛車が収まっている。娘も綺麗にして大事に乗ってくれていることがわかる姿だった。
隣にいるシドが、娘の白い車を見て、妙に穏やかな面差しで呟き始める。
「これに乗って、海辺のカフェによく来てるみたいだな。そこで海人と向き合って食事をしていたんだ。海人は海人で葉月さんから譲ってもらったトヨタ車に乗ってきていて。なんとなく通じるもの、お互いにかんじ合っていたのかもな」
今日の今日、カレシと宣言した青年から娘との恋仲を聞いてばかりで、『いつからだったのだろう』と思う余裕もなかった。だがシドから教えてもらったことで、妙に腑に落ちる。そういえば……。葉月さんも往年のスポーツカーを大事にして子供に譲ったと聞いた。
聞けば聞くほど、互いに共鳴する部分が多くかんじるのも確かだった。
「そうだったのか……。いつのまにとしか思えなくて」
「海人。律儀にちゃんと、パパさんにご挨拶したんだな」
「お父様に似てるな。お顔は葉月さんに似てるのに」
「そりゃあ、隼人さんがずっとそばに置いて直に育ててきた息子だもんな」
『俺もそう思う』――と返答したそばで、シドの制服胸ポケットにあるスマートフォンから着信音。すかさずシドが応答する。『うん、わかった。透に伝える』と答えている。
「エリーからだったんだけど。いまから海人と一緒に乃愛を連れてくるって。俺、このガレージの奥に隠れているな。素直になれよ。もっと感情的な言葉じゃないと、透みたいなすーっとクールな言葉じゃ娘に通じないかもしれないだろ。そうなったら、俺が飛び出す」
「わ、わかったわかった。ちゃんとするから、静かにしていてくれって」
「終わったら、飲みに行こうぜ。今日は飲み明かすぞ!」
「いや、優乃香が待っているから――」
シドの勢いに久しぶりに触れて、透はたじだじになって遠慮しようとした。
小うるさいシドがやっとRX-7の背後に身を潜めたところで、向こうの通りに黒い車が停車したのが見えた。
透は、茜に染まるRX-7の前で、娘を静かに待つ。
海からの潮風が、久しぶりに結んだ濃紺のネクタイを揺らしている。
娘と潮の香は、いつも一緒だった。その懐かしい匂いにここは包まれている。
美しい青年をそばに。大人びた黒いワンピース姿の娘が現れる。
遠目に……。妻に似てきたかなと……。見紛う。
惚れた女の美しい姿と重なる娘。
その娘が透を見つけて、泣きながら走ってきた。
ああ、やっぱりダメかな。
今日はやっぱりシドに飲みに連れて行ってもらおう。
美しく見える娘はもう大人。俺をめがけて駆けてくる泣き顔はまだ子供、これだけが透のものとして残るのだろう。
あとはあの青年に任せる。そう思っても。
「シド、やっぱり飲みに連れて行ってくれ」
娘が抱きついてきそうな少し前、ガレージの奥から小さく『ラジャー』という囁き声が聞こえてきた。
お日様君のご挨拶 (終)
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