②どこの馬の骨

『そこにお座りなさい』と母親に促され、艶ある栗髪を持つ青年が透の隣にある椅子へと辿り着く。


 座る前に、青年は透へと視線を向ける。

 アイスドールの母親が普段は見せない穏やかな微笑みを、そっくりなその顔に浮かべ、透へと敬礼をしてお辞儀もしてくれた。

 気がついた透も慌てて椅子から立ち上がり、青年へと敬礼を返す。


「入隊してからは、初めましてでしょうか。剣崎大佐、おかえりなさいませ」

「ありがとう、御園少佐。……そうですね、隊員としては初めましてですね。ですが、立派になられましたね。私の記憶にある君は、ピアノを弾いている男の子で、マーケットで夕食の食材のお買い物に来ていた少年です。お母様とお父様のあとを追い、防衛パイロットとしてのご活躍、聞き及んでおりますよ」

「あ、父の誕生日パーティーに来てくださっていましたよね? 子供のころの記憶でおぼろげなんですけれど」

「私と妻の思い出の曲を弾いてくれましたよ」

「え、そうでしたっけ?」

「パーティー開催前の事前くじ引きで当たったんです。当たった夫婦の思い出の曲を弾いてくれるという余興でした。パーティーを開催される毎に3曲だったので、これまでもたくさん受けられたでしょう。そのうちの1曲ですから」


 恒例の余興で、御園母子がリクエストで演奏した曲は何曲にもなっているはず。そのうちの1曲、忘れていてもしようがないと透は笑って流そうとしたのだが。


「曲名でおっしゃっていただければ、覚えているかも、です」


 当選した夫妻は、御園母子が演奏する時は、そのそばで聴く席が設けられていて、透と優乃香もその椅子に座ったことがある。そこにも何組もの夫妻がこれまで座ってきたはずだった。半信半疑だが、妻との思い出の曲、ずいぶん昔に流行った楽曲を呟くと、目の前の青年が目を大きく見開いた。


「覚えています! 奥様、鈴蘭を模したパールのブローチをつけていませんでしたか」

「していました! それ、私が妻にプレゼントしたもので……、あっ……」


 なんだか夫妻の親密さが話題になってきて、透は我に返る。

 ミセス中将がにまにまと、息子と大佐のプライベートな会話を意味深なお顔で眺めている。


「私も海人と一緒に演奏したから覚えてる~。私はブローチで記憶していなくても、剣崎君と優乃香さんのおしどり夫婦っぷりは、当時から知っているからね~」


 いまもご健在のようでと、からかわられてしまった。

 きちんとした大佐に戻ろうと、頬が熱くなったまま、透は再度青年へと向かう。


「訳があり、軍から離れておりましたが、復職することになりました」

「経緯を両親から聞きました。剣崎大佐のこれまでのご心中、お察しいたします……。思っていた以上のことで、私自身、戸惑いを覚えましたが、なにより許せないという憤りが消えません……。ですが、大佐のこれまでは、ごもっともなご決断だったかと。ただ、お嬢様が……」


 目の前でバディの親友を殺され、敵を取りたく、仮の姿で対象を追うことを優先した日々。妻には事情を明かしたが、さすがに若い娘は巻き込みたくなく、情けない父親の姿を強いることになった。

 彼がそこを指していることは透にも通じた。


「ごめんなさいね。剣崎君。息子には、これまでの貴方のことを勝手に明かしてしまって……。相馬君がどうして殉職したかも、息子には伝えています」


 これから娘と仕事を組ませるために、娘は知らなくとも、ご子息には情報は与えてから極秘調査に取り組んでもらうためなのだと透も理解する。娘と組む上官という立ち位置にもなるので、御園少佐、海人君がうまく事情を汲んで動けるようにという意図もあるのだろう。


「いいえ。御園中将のご判断であるのならば、私は従うまでです」


 彼女の決めることに、透は絶大なる信頼を寄せている。

 若い時は『なんて大胆な判断をする人なんだ。生きた心地がしない』と思うことは何度もあったが、彼女の判断で切り抜けて生き延びられたと思える結果のほうが多かった。もう何十年も共にしていると、彼女の判断を信じられるようになっているから異存はないのだが……。


「お嬢様と息子がこれから一緒に、航海記録を調べて向き合うことになるけれど。息子には事情を話して、乃愛さんのそばで見守ってほしいので下手に隠さないことにしたの。ただお嬢様とのことは、父親である貴方と乃愛さんの問題。剣崎君がどこまでをお嬢様に明かしたいかは貴方の判断に従います」


 乃愛のそばには見守れる青年を置いておきたい。その気遣いも透には通じた。


「ありがとうございます。ご子息の海人君ならば、お母様である中将とおなじ気もちで取り組んでくれることでしょう。ただ……。若いご子息や娘を巻き込みたくないと思っています。とくに海人君は戦闘隊員ではなく、航空部隊のパイロットですから使命も異なりますでしょう」

「ですが、力になりたいと思っています」


 ご子息だから? それだけで? お母様からの命だから使命感を持っているだけなのか? 透には少し腑に落ちない青年の反応に感じたのだ。


「あ、ありがとう。海人君、いえ、御園少佐」

「少尉との調査は早急に取り組み、結果は早めに大佐のもとに届けたいと考えております。少尉自身がこれまで乗艦してきた中で記録から辿って思い出す事象も出てくるかもしれません。少佐としてリードすることでお力になれるように最善を尽くします」


 立派な決意をいただいてしまい、まだ復帰したばかりの透はかえって恐縮する。

 ほんとうに、立派な青年になったものだ。お顔は麗しいお母様似であって、男らしい眼差しに頼もしい声はお父様似だった。

 これほど信頼できる青年もいないだろう。娘がデータを遡り、相馬の死の真相に近づこうとしたならば、事情を知っているこの青年がなんとか避けてくれることだろう。そう思えたのだ。この時は、まだ。


 そこからまた、御園中将の思惑を告げられ、子息である彼と透と、きちんと連携が取れるようにコンセンサスを行った。


「では。海人、御園少佐。頼んだわよ」

「承知いたしました。御園中将。お任せくださいませ」

「ぷ、お任せって……」


 せっかくご子息が礼儀正しい隊員としての受け答えをしたのに、お母様のほうが堪えられなかったらしい。もちろん、息子の彼がふて腐れた顔つきになる。


「あのさ。父さんに言っちゃうからな。俺が息子ってだけで、母さんがちゃんとしてくれなくて、ふざけてばかりだったって」

「や、やめて。やめて。ちゃんとします! えっと、期待していますからね、御園少佐」


 息子の前ではお嬢様ママぽいお顔になってしまうのか。そんなミセスになってしまうのが、『らしい』といえばらしくて、透もそっと笑ってしまっていた。それに、相変わらず夫の隼人さんには弱い奥様なのだなあと。

 そして、アイスドールと言われ続けた彼女が母親の顔になれる子供がいる。そんな顔を隠し持っている。彼女はアイスドールなんかじゃないと知ってしまう瞬間でもある。

 親子って……。やはり、最後は親子としての関係が強く出てしまうものなのだな。御園母子を見て、透は改めてそう感じることが出来たのだ。


 そうだな。乃愛と自分だって。大佐と少尉の関係でも、最後はパパと娘だ。

 急に、切ない気もちが透の胸に熱く流れ込んできたが、大佐の顔を整え、ミセス中将の前でも立派な青年の隣でも崩さずに堪えた。


 ご子息が娘と業務を共にすること、また、『相馬殉職の真相と透の目的』を告げたこと。御園海人少佐と透が面会することになった訳はそこにあったようだった。


 その面会を終え、二人揃って御園中将司令室を退室した。

 透には新しい部隊を与えられることになった説明もすでに受けており、明日からはその部隊を整える準備のために、この作戦司令部へと出勤することになっている。その部隊長室がすでに準備されているからと、透はそこへ向かおうとする。


「では、少佐。娘のことを、よろしくお願いいたします」

「かしこまりました、大佐」


 彼が敬礼をしてくれたので安心をして、透も敬礼を返した。

 では失礼――と、彼から離れようと背を向けたときだった。


「大佐。お待ちいただけますか」


 しっかりした青年の声に呼び止められ、透は立ち止まる。


「他になにか気になることでも?」

「少佐ではなく、御園海人という男として伝えたいことがあります」

「御園海人として?」


 これまでハキハキとした物言いで、立派な少佐の姿を見せていた青年。そんな彼が急に透から目線を逸らし、物怖じする様子を見せた。


「海人君?」


 なにか相談でもあるのか。なんでもはっきりと出来る彼なら、相談することがあるなら迷わずに告げてくれるだろうに。なにか躊躇う事でもあるのだろうかと、透は訝しむ。

 だがその様子は一瞬だけで、御園のご子息はすぐに凜々しい顔つきに戻り、姿勢を正し、透をまっすぐに見つめる。こちらが気圧されそうになる真剣さを感じ取る。


 そんな彼がまたぴしっとしたお辞儀を透へと向けてきた。


「お嬢さんに、お付き合いを申し込みました」


 一瞬、なにも聞こえない無音だったと透は感じた。

 言葉の意味が脳に達しなかったと言えばいいのだろうか。


「お嬢さんとは……? どこの?」


 どこぞのお嬢さんに申し込んだのかな? 御曹司君が選ぶ女性はさぞかし良きところのお嬢様で、わたくしなぞが報告を受けるものではないと思うのだけれど? と言い返そうとしたのだが。


「乃愛さんのことです」


 あ、やっぱり俺に報告しているのか。

 暢気にそう思えたのも、まだ脳が理解していないから。

 だってあり得ないじゃないか。うちの元気なだけの娘が御園の御曹司とどうやってご縁が? あったとして、どうやってこんな立派な青年と恋なんかするんだ? あり得ないな~。戸塚君と噂になったあれと似ているな? そうだ。これは、なにかの冗談に決まっている。え、海人君が俺をからかっているのか? ――なんとか脳に到達できるように噛み砕こうとした。


 しかし目の前の青年はまっすぐにまっすぐにあの琥珀の瞳で、透の目を捕らえようとしている。アイスドールのお母様そっくりなそのお顔には、お母様そっくりな気迫を感じられた。


「いや、乃愛は……」

「先日、彼女が帰港してすぐに迎えに行きました。その前から乃愛さんとは、いろいろとお近づきになる出来事が重なりまして。もともとおなじスクールに通学していたこともあって、意気投合したんです。その……艦で男に襲撃されたと聞いた時は、もう、俺も、いてもたってもいられなくて、もどかしくて……! だから彼女が帰港してすぐに迎えに行ったんです。守ってあげたいから」


『帰港してすぐに迎えに行った。守ってあげたいから』

 この言葉でやっと透の脳に到達した。娘が男から好意を寄せられているのだと!


「その時に乃愛さんに申し込みました。これからは、俺のそばにいて欲しいと。お付き合いを申し込みました。乃愛さんも受け入れてくれました。ですから、これをお父様へのご挨拶とさせてください」

「は、はあ、はぁあああ!?」


 素っ頓狂な声も出たが、表情も一気に歪んでいたと思う。父親としてのまっすぐな気もちも態度もあからさまに出てしまい、御園の御曹司にぶつけていた。

 睨んでしまったし、ありえないという驚きの声も張り上げていた。

 当然、海人君も驚きおののき、たじろいで、透からさっと一歩下がってしまったほどだった。


 そんな青年を透は後先考えずに睨み付けた。

 あの立派な青年が狼狽えたが、でも逃げずに、透の視線を避けずにそこにいる。

 どんな男でも娘に男として近づいてくるヤツにはすぐには許しは与えない。透はそう誓っていた。見定めて、俺が安心する男でなければ、その男を威嚇して娘の最終守護神である父親の威厳を見せつけておかねばと、ずっと思って来た。その想いをいま、彼を睨み付ける視線にすべてぶちこんでいる。


 それに娘が? あの色恋に興味がなさそうな娘がどうしてこんな上玉の御曹司に選ばれた? おかしいだろ。おかしい……だろ……。


 そこまで一気に父親の想いだけを噴出させた透だったが、徐々に落ち着きがもどってくる。


 いや、違うだろ。俺の娘だから、上玉の男を捕まえられたんじゃないのか。

 俺はこの青年を信じられる男として位置づけている。

 あのミセス司令の息子だ。さらにミセスだけをずっと支えてきた一途な夫の息子だ。この青年が男児だった時も少年だった時も知っている。

 この青年にはもっと違うイメージの女性が隣に寄りそうと思っていた。

 でもそれが、そんな青年が隣に望んだ女性は、俺の娘だったのか……。


 立派になった上等な青年が、『お嬢さんを守りたい』と言ってくれる。

 透の身体の奥で強ばっていたなにかから、ふっと力が抜けていく。


「娘が連れてくる男は皆、どこの馬の骨ともわからない男。素性がわからぬ者は、きちんとどこの馬の骨の者かわかるまで、どんな生き方をしている男か理解できるまで、絶対に認めないと決めていた」

「馬の骨、ですか。えっと、俺もどこの馬の骨であるかってことでしょうか」


 生真面目に透の言葉の意味を懸命に考えている御曹司君。素直なその姿に、透はやっと笑みを浮かべることが出来た。


「どこの馬の骨ともわからん男だったらすぐには許さない。でも……。君はどこの馬の骨か調べなくてもいい。立派な馬の生まれでお育ちだとわかっているから」

「それって。うちの両親がどのような者かわかっているからということですか」

「そう。葉月さんと隼人さんをよく知っていて信頼しているので、その息子さんなら間違いないから、という意味だよ」


 ご両親が信じられるから、息子の君も信じられる。

 透の心に急激に襲ってきた父親としての大波はもう過ぎ去り、穏やかな気もちで彼に微笑みかけていた。

 だがそんな海人君は、ご両親のおかげで自分が信じてもらえているという言葉がすぐに響かないようだった。

 そこに御園家の御曹司として見られてきた彼なりの気もちが見え隠れしていた。両親ではない、自分自身が認められたいという気もちを持っているのだと、透は見抜いてしまう。


「君のこともだよ。子供のころからの君を知っているから。御園の長男として、いろいろ頑張っている姿をね。キャンプの子供たちのシッターで、みんなのお兄ちゃんだった君を。あちこちのパーティーでも、御園家の長男として、お父さんやお母さんの部下である隊員たちに気配りをして。ピアノもそう、わたしたち夫妻の名を覚えていなくても、曲と妻のブローチできちんと覚えてくれていた。高校生のときにはもう、おうちの夕食係を担っていて、マーケットで食材を買い物する姿は、ママさんたちにも有名で、私の妻も立派な息子さんと応援していた。……お母様が大変な任務に出ている時も、君はじっと我慢強く帰りを待っていたよね。そんな海軍一家の息子としての姿を知っている。だから信じられる――『許さざる得ないよ』――」


 透も覚悟を決める。父親として。そこまで思えたことを、透も彼に返さねばならない。


「娘のこと、よろしくお願いいたします」


 今度は自分から頭を深々と下げていた。

 冷静になれば、これほど娘を預けて安心な家はないし、これだけ立派な信用できる男もいない。海人君だからこそ安心じゃないかと、喜びが込み上げてきた。


「そんな、大佐。俺に頭なんか下げないでください」


 人目を気にしてか、彼がそういって慌てて透のそばにきて頭を上げさせようとした。

 そして何故か頭をあげた透は、御園海人という男性を見つめて、涙が込み上げてきたのだ。


「え、え、大佐。あの、お父さん、あの……」

「いや……。エリーにお任せくださいって伝言。海人君にお任せくださいって意味だったのかって。娘、いま、どうしていますか。娘が信じた男性が迎えに来てくれて、乃愛は……、嬉しかったんじゃないかな……」


 男に襲撃されて傷ついているだろう娘を迎えに行くために、まずは元の姿に戻ってからと思っていたのに。その間は信頼できる女性でもあるエリーに面倒を見てもらっていれば、娘もすこしは安心した療養の日々を送れていると思っていたのに。

 自分より先に、いや娘自身が望んだだろう男性が、既に迎えに来てくれていた。そして娘はきっとそこで、柔らかな時間を過ごして傷を癒やしていると思えたら、安心して涙が出てきたのだ。


 そんな透を見た彼が、やや沈んだ眼差に変わっていることに透は気がつく。


「海人君……?」

「大佐、人目があるので……。あちらで、もう少しよろしいですか」


 すぐそこの自販機が並ぶ休憩ブースへと彼に促される。

 そこのベンチに向き合って座ると、哀しげな眼差しの彼が透に告げる。


「今日すぐに、お嬢さんに会ってくださいませんか。お願いします、お父様」


 御園家で保護されている娘を連れてくるから、復帰した大佐の姿で娘に会ってほしいと懇願される。

 透もそのうちに娘には……とは思っていたが、復帰した今日いきなりはまだ心の準備ができていない。

 さらに彼は思わぬことも希望してきた。


「仮の姿でいたご事情、すべて明かしてはいかがでしょうか」


 彼の母親が『父と娘の問題』と透に任せてくれた事情に、遠慮なしに娘の恋人が触れてきた。

 それは『相馬が殉職したことから始まったすべてを明かせ』と迫られているのだ。まだ恋人になったばかりの青年に、痛いところを触られている。


※次回更新、2/21 朝6時更新予定


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