6.拡散しちゃおう


 まさかの父、大佐とのランチタイムに。

 父・透は海人がつくったお弁当に舌鼓をうち、『美味い、美味い』と大絶賛。

 犯人捜しで重苦しい会話が続いていたのに、急にほっこりしたお昼休みに戻った。

 でも乃愛は複雑。海人と父は楽しそうだが、乃愛はなんでパパも一緒になっちゃったかなと……。

 そんな父が海人お手製の『三色野菜のピクルス』を食べて、これまた大絶賛。


「これがお手製? 美味いなあ。すごいな海人君」

「あ、それ。戸塚中佐の奥さん、藍子さんから教わったんですよ。実家のお父様が美瑛でオーベルジュを経営しているシェフなので、プロ仕込みの簡単レシピをいっぱい知っているんです。それを俺もたくさん教わりまして」

「戸塚君の奥さんは、海人君と相棒を組んでいる同乗パイロットだったよね。シェフのお嬢様とは聞いていたが、これは絶品だ」


 乃愛も戸塚中佐から散々『奥様自慢、奥様実家自慢』をされていたので、『なるほど』と思いながら、父と一緒にピクルスを頬張った。

 揚げ物であるフリットの添え物として最高! 乃愛もにんまりもぐもぐご満悦の笑顔になってしまう。

 もう~。旧島へのご招待が楽しみすぎる。だって、戸塚中佐もカイ君も大絶賛の『シェフ仕込みなお嬢様、アイアイさん』の手料理が食べられる日が近いのだ。楽しみすぎる!


 でも……と、乃愛はピクルスの人参を箸でつまんで眺め、またふと心配になる。


「私、ほんとうにまた戸塚中佐や藍子さんに会ったりしても大丈夫なのかな。その時に、なにか起きない?」


 父にも、近々戸塚中佐のご自宅へご招待を受けていることを告げる。

 戸塚中佐が乃愛に恩義を感じていて、親しくしたいところを、あの噂で遮られたままのことも伝えた。


 父は、海人が特に親しくしている戸塚家と娘が繋がるだろうことは予測していたが、近いうちに会いに行くことはここで初めて知ったことになる。


「そうか。戸塚君に会いに行くのか……」

「葉月お母様の許可はいただいたんだけど。私と戸塚中佐のどちらかにストーカーみたいな監視がついているなら、一緒にいると、またなにか利用される?」

「どうだろうな。だからとて、そうして乃愛の交友関係が狭まるのは惜しいと父さんは思う」


 案じることは多々あれど、いまは楽しんでおいでと父が言ってくれる。


 だが隣にいる海人は、何故か腕組みふんぞり返っている。


「でも。広がりようがない噂だったよな。あの愛妻家のエミルさんが浮気なんてしないと誰もが知っているし。藍子さんに限っては逆に『え、柳田大佐のジョーク?』ときょとんとしていたよ。まーーったく動揺なし! むしろ噂を流したやつを特定しようという動きが、旧島の飛行隊にはできちゃってね。だからすぐに立ち消えたでしょう。俺たちが嘘だ嘘だ、犯人を捜し出せと騒いだんだよねえ」

「え、あちらの飛行隊でそんなことが?」

「うん。雷神とサラマンダーの部隊なんか怒り心頭で、特に事務室の女の子たちが『あんな素敵なご夫妻にそんなことあり得ない! 新島に所属しているカレシがおなじ話題に乗っかって吹聴していたら別れる!!』とか言いだす始末で、新島に居るカレシ共も戦々恐々になって、『悪ノリで噂にのっかると痛い目にあう』とカノジョ持ちの男性たちの間では注意喚起が回ったとか」

「えーー!? 新島の隊員の間でもそんなことが起きていたの!!」

「つまり? 悪ノリしちゃった男はカノジョなし――ってことで」


 若い隊員の間ではそんな騒ぎになっていたらしい。

 それは父も初めて聞いたのか面食らっていた。


「そうだったのか。それはもう戸塚君と奥様の藍子さんのご人徳だね」

「エミルさんは、俺が尊敬するガンズさんから『信頼に値する男』と言われた男性ですからね。狙い定めた男がパーフェクトすぎますよ。女性隊員にも優しいし、男気もあるから男性隊員にだって好かれていますからね。旧島では当たり前ですよ」

「確かに。彼がいつまでも『美しすぎる男』ともてはやされるのも、人望があってのことだろうね」

「ま、妬むやつがいても……とは思いますが。ここまでされるとね。警戒して、いまうちの御園で護衛を付けてるんです」

「それもお母様から聞いてるよ」


 戸塚中佐も狙われていると驚いて案じた乃愛だったが、護衛がついていると聞いてほっと胸をなで下ろす。


 それでも『漆原大尉』、あの先輩が煽動していたことには乃愛はまた怒りが湧いてくる。


「お父さん。漆原大尉はこれからどうなるの」

「いまは監視対象として、ひとまず泳がしている。誰と接触するか確認中だ」

「私と戸塚中佐が一緒に写っている画像を、大尉に渡したヤツってことだよね」

「そうだ。もしかすると……。漆原大尉もそそのかされただけかもしれないがね」


 それでも。乃愛に悪意があるから、岩国DC隊で噂を流し始めたのは否めない。もうほんとうにどうにかして乃愛自身がとっちめたい気もちになってくる。


「そそのかされていたとしても、『噂』を作りたかったんですよね。本来の犯人は。乃愛さんを『厄女』に仕立てるための一環だったのかもしれないですね。口にしたくありませんが……、戸塚夫妻の仲を裂くとか、妊娠中の藍子さんの負担になることで、ご夫妻になにか不幸が起きれば、それもまた『厄女がかかわったせい』とできるところでしたし――」


 乃愛もそれを気にしていたので、噂が出回った当時のことを思い出すと、気が沈んでくる。そんなことも吹き飛ばすぐらいの『愛妻家な戸塚中佐』だったから救われたところがある。


「おそらくな。それで、乃愛とは因縁がある男、漆原大尉に吹き込んで、乃愛に一泡吹かせたい漆原が『何者かからもらった画像を、不倫画像だと信じて、身近な同僚隊員たちに拡散した』というのことになるのでは……? 乃愛と戸塚君がただ一緒にいただけの画像を、『如何にも不倫と思わせたい悪意を拡散できる適任者』が、乃愛の元カレ、漆原大尉だったのかもしれない……」


 父の説明が続く。

『噂の根源調査』にて、漆原より以前、または漆原宛に画像を送ってきた者が確認できない。でも最初に部隊内に流して茶化し始めたのは、乃愛の元交際相手、乃愛によい感情を抱いていないだろう男だったから適任とみなされた可能性があるとのこと。


「では、岩国にいる漆原大尉が、どうやってその画像を手に入れたかが、いま捜査中ということなんですね」

「そのうちに『海野うんの君』が心優さんの命をうけて潜入するんじゃないかな」

「え、あきらが、ですか。そうですか。そんな仕事をするようになっているんですね」


 御園家に初めて訪れた日に、葉月お母様の護衛としてついてきた美男のことを言っているらしい。

 若い時から男前で有名な『海野総司令』のご子息だけあって、彼もお父様そっくりで美男だった。でも無表情で、幼馴染みの海人と会っても職務中だからなのか素っ気なかった。それだけクールに徹して職務を遂行しているというイメージが乃愛に残っている。


「いまだから明かすが、腑抜けた男を見せかけて生活をしていた時、心優さんとの間の連絡係を担ってくれていた一人なんだ。新人だと聞いていたが、かなり訓練されている諜報員だと思う。さすが、海野総司令のご子息だな。フロリダ仕込みの身のこなし、身の隠し方。美男の空気を封じ込めてどこにでも溶け込むというか。頼りがいあるよ」

「そうなんですね。そっか。晃なら御園のことは任せて安心の隊員ですね」

「そうだった。海人君にとっては幼馴染みなんだよな。子供のころ、兄と弟みたいに一緒にいたね。お利口そうな海人君が、晃君といると、なんだかヤンチャに見えたのを思いだしたよ。男子ふたりでお父さんたちを驚かすイタズラをしていただろう」


 真剣な話をしていたのに、急に父がそんな懐かしい話で茶化し始める。さすがの海人も、子供時代を取り沙汰されてギョッとした顔になる。


「うっわ。やめてくださいよ。そんな大昔のことを覚えていらっしゃるだなんて、恥ずかしいです!」

「いやいや、なんでも利口に振る舞わなくちゃいけなかっただろう海人君が、子供らしくしている表情を見られて『やっぱり普通の男の子なんだなあ』とほっとできる一面であったよ」


 父は子供のころの海人をよく知っているようで、海人も取り繕えないようで焦っている。そんなカイ君、珍しいなと乃愛もふと頬が緩んだ。

 そんな父に、海人が誤魔化すようにさっとランチボックスを差し出した。


「ああもう。忘れてください。はい、これ、お父さんもどうぞっ」

「あはは。隼人さんの手料理のうまさで誤魔化そうとするだなんて」

「いや、父のフリット最高ですから。もう美味しいという言葉だけを頭の中に残してください」

「んじゃあ、そうしようかな。どれどれ」


 父といまカレの海人が和気藹々と楽しそうに向き合っている。そんな姿を見られて乃愛もほっとして微笑ましくなる。

 父が嬉しそうに話せる男性とおつきあいできるようになって良かったとつくづく思える場面だった。


 漆原大尉のことは二度と思い出したくないと思っていたが、まだあの男とは向き合わなくてはならないようだ。

 改めて思い出すと、漆原は乃愛より三つ年上、海人と同い年だったはず。なのにこの違い……。お育ちもあるのか、元来の性分なのか。

 ほんとうに……。なにも知らない小娘だと丸め込まれたことが悔やまれる。

 乃愛もこの苦さと漆原の残像を拭いきらなくてはならない。もう一度、向き合わなくては――。


 漆原大尉と乃愛の関係性について『確認完了』とのことで、父は少しだけランチのおかずをつまんで、にこやかに調査用個室を出て行った。


 父が出て行き、様々な情報が頭の中にどっと入ってきたことで、乃愛は茫然としながらランチボックスのおかずを食べる。

 せっかく楽しくすごしていたけれど、お弁当を100%味わえる時間でなくなってがっかりもして脱力感満載――。


「ごめんね。カイ君。いやなことばかり知っちゃったよね」


 隣で自分が作ったキッシュを食べている海人はきょとんとしていた。


「うーん。逆に、乃愛はやっぱり勇敢だったんだなと再認識できたよ。ちゃんと通報したんだから」

「……なんの、力にもならないって。ずっと無力をかんじていたのに……。でも、でも、その後に被害が防げていたようで安心した……」


 ほろりとこぼれた小さな涙を乃愛は指先で拭う。ずっと心の奥で燻っていた黒いもやがひとつ消えたから。

 そんな乃愛の黒髪を、海人がそっと撫でてくれる。


「ごめんな。そこのあたりもっと安心できるよう改善したほうが良さそうだね。父と母に伝えておくよ」


 海人の凄いところはここかもしれない。困ったことがあればすぐに使える力を持っていることだ。それを間違いなく使いたいと考えている人。


「ホットラインの整備をした人も、母と親しいおじさんだったんだ。それに小笠原新島司令警務隊にはいま、母の秘書室に長く居て室長だったラングラー大佐がいるから、精鋭の追っ手を放っていると思うよ」

「でも漆原大尉が御園にこれからなにかするかもしれないし。また私のこと……」


 悪し様に妙な噂を流されないか。

 御園に迷惑をかけるのではないか。


 乃愛がそう心配していると、カイ君が、余裕げのにんまり顔を乃愛に向けてきた。もの凄く自信満々で、意地悪そうな笑みで。それを目の前で見せられ乃愛は唖然とする。


「堂々として、俺のステディ、恋人でいたらいいんだよ」


 なんだか『いらずらっ子』みたいにカイ君が『ふふふふ』と笑っている。そのあとすぐに、ぴきんとした穏やかな笑顔に変わった。

 なに、笑顔なのに怖い! いつか見せられた『優しい表情なのに貼り付けたお面のような笑顔』。冷徹なことを奥で考えている彼特有の微笑みだと感じた。


「一瞬でも乃愛のことを……。許さねえ」


 え、カイ君? 乃愛は一瞬だけゾクッとした。

 すぐに、いつものお日様サニー君の笑顔に戻って、乃愛へと向けてくる。


「さて。そろそろ俺たちも本気で拡散しちゃおうか」

「か、拡散? なにを?」 

「ということで第一弾。藍子さんとエミルさんに『俺の恋人』と正式に紹介するから。そのつもりで」


 これからじゃんじゃん乃愛を紹介しちゃうよーと海人が張り切りだした。

 え? 迷惑かかるかもって乃愛の懸念はどこに??


「飛行機でいく? フェリーに乗って俺のセリカで行く?」


 乃愛の戸惑いなど皆無のように、海人はお日様君の微笑みを絶やさなかった。

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