4.赤ラベル

 お付き合いを始めたばかりのカレシに『元カレ』との事情を知らせることになったり、今度は業務上で父親兼大佐殿に『元カレ』のことを知られたり――。

 やっぱり私ってまだまだ『厄女』!? と、乃愛は妙な状況に追い込まれ困惑する。


 しかも『娘のそばにいる男には厳しくする』と誓っていた父の目が怖い! 久々に本気の鬼の形相で目を剥くほどに、乃愛に眼光を突きつけてくる。


「おまえは入隊してすぐに、この男と付き合っていたということか!!」


 社会人になってすぐ――。

 入隊してすぐ――。

 職務遂行できるよう必死になっている新人のはずなのに、男に浮かれていたのかと父に責め立てられる。


 だって。その時はかっこよく見えたんだよ。

 優しく教えてくれて助けてくれる年上の先輩が素敵に見えたんだよ。

 幻想だったけど。

 そう言おうと口を開きかけたら、乃愛と父の間にある見えない視線の軌道を遮るようにして、海人がすっと間に入ってきた。

 乃愛をかばうように、海人が剣崎大佐と向き合う。


「お父さんがいちばんおわかりかと思います。まっすぐ純粋に育てたお嬢さんだったのでしょう。素直で人当たりも良くて、それに彼女は明るく笑顔で無邪気に見えても、その奥ではしっかりと人の心を見てよく考えて接していますよ。そんな彼女が、二十そこそこの新人女性が、男のよこしまな底意地なんて知るはずもないじゃないですか。ましてや周りには信頼できる男性ばかりいた環境で育ってきたんですよ。お父さんがそんな健全な世界でお育てになったからこそでしょう」


 カイ君! 乃愛がどんなふうな娘として生きてきたか。よくよく見てくれていて、しかも『素直とか純粋』なんて言ってくれて、乃愛は感激で目がうるうるしてくる。


 父も『そうだ、そのとおりだ。そんな娘として育ててきたつもり』という父親の矜持を、海人がびしっと言い当ててくれてぐうの音も出ずに黙り込んだ。


 だから、致し方なかった。『そんな男に丸め込まれたのも、純粋で素直だったせい』。海人はそう結論づけ、父の怒りを鎮めようとしている。

 父はまだ拳を握って歯を食いしばり、でも海人の言葉が通じたのか、『くそ』と顔を背けた。


「男の危ないところは、少しは教えていたつもりだった」

「だから、すんでの所で乃愛さんは、男たちの不穏な空気を察知して回避できたんですよ。恋に絆されなかったということです」

「すんでの所で回避――? なんのことかな、海人君」


 あ、そのことも父が知ったら大変なことになる!

 乃愛はまた『恋に丸め込まれた』ことを父に吠えられるかと身構えたが、目の前で乃愛をかばい立てている海人は躊躇わない。少佐の威厳で、横顔で、毅然と、『恋人という関係を盾にして、男性居住区に、恋人である女性を引き込もうとする男性隊員たちの示し合わせがあった』ことを告げてしまった。


 また父が『なんだと!?』と海人の背中に守られている乃愛を覗いて、鬼の顔を見せたが、どうしたことか一時してすぐに呼吸を整えてすっと引き下がった。


 父が大きく息を吐きながら、まだこめかみに青筋を浮かび上がらせているようなしかめっ面で、タブレットの画面を乱暴に操作し始める。


「ということは。この男に『要調査』のラベルを付けた女性隊員というのは、乃愛だったのか?」


 経歴画面のあるボタンをタップして、ロックのダイアログを父が解除する。一部の上官しか入れない画面のようだった。

 そこには一般では閲覧できないであろう、『その隊員の裏情報』的なものがまとめられているページが隠されていて表示される。


「一部の幹部が管理する画面だ」

「え、俺と彼女が見ちゃっても……?」

「心優さんから許可を取っている。この男の情報を、海人君と乃愛に『噂を流した根源』として開示し、特に乃愛に『なにかを知っているか』と確認にきたので閲覧はOKだ」


 元カレの裏情報ページのトップに赤ラベルが表示されていて、そこには白抜き文字で『要調査』と記名されている。海人も父が持っているタブレットの手元を覗き込んだ。


「この赤ラベルを乃愛さんが、ですか?」

「そう。パワハラ・セクハラなどを通報する『監察ホットライン』に通報されている。『航海中、交際女性を男性区画に誘い込もうとしていた。数名の男性隊員が示し合わせているようだった』という内容だ。匿名通報だから、ここに通報隊員の名は不明となっている。だが通報時期はたしかに、乃愛がこの男と艦に乗艦しバディとして動いていた時期と一致している。この時点で、まさかな……とは思っていた。娘ではなく、ほかの女性隊員だろうかと。乃愛が男性と交際しているというイメージがなくて。……それが……」


 父親故に信じたくなく予測できなかった、大佐としての思考が鈍ったと父が項垂れた。

 まだ子供のようだと思っていた二十歳そこそこの娘が、男と交際をしていたなんて思い及ばない、また思えなかったのは父親だからだと言いたそうだった。

 だが父もそこで背筋を伸ばし、毅然とした顔つきに戻った。剣崎大佐の顔に――。

 それに海人も気がつき、とりあえずそれぞれ落ち着きましょうとデスクの椅子を引いて、大佐へと促す。こういう気遣いはさすがで、乃愛も海人が落ち着いているので、冷静になろうと自分の椅子に座った。


 大佐を正面に、少佐と乃愛が並んで座り、向き合う。

 間には大佐が持ってきた管理用タブレットが置かれた。


「いや。乃愛、よく通報をしたな。おまえが通報してくれたから、このあと、この男は『要調査』と『要観察』のラベルが付けられた」


 あの時、無力だと思っていた行動が、実はしっかりと受け止められていたと初めて知る!


「なんの変化もなかったから……。聞き流されたのかと……」


 力が抜けそうだった。では、あの後、乃愛が心配していたことは阻止されていた?

 悔恨を心に根付かせていた乃愛だったから、安堵で力が抜けそうで打ち震える。涙も滲んできそうだが、大佐の顔をしている父に見られたくなくぐっと堪えた。だが父は、パパの顔でもう優しい目をしていた。


「一般隊員である乃愛には『変化がなかった』と感じたかもしれない。だが、あのあとすぐに乃愛とこの男は配置換えされ引き離されたはずだ。そしてすぐに『要監視、要調査』のラベルが貼られたはずだ」

「確かに。彼があのあとすぐに婚約が決まって、すぐに転属した。その時に『俺、結婚で栄転。だからこれでおしまい』って言われたんだっけ……。すぐに関係が切れてほっとしたのを覚えてる。でもあれって、動いてくれていたんだ……」


 乃愛が思い出したことをなにげなく呟くと、それだけで隣の海人も父も目をつり上げている。


「はあ? 栄転に見せかけた『引き剥がし』だってーの」

「そのとおりだっ。まあ、乃愛に矛先が向かないよう、うまーく配置換えを監察部がしてくれたんだろうな……。通報後、警務隊から密かに『監視員』がついて、航海中に監視調査が入っている。その記録もある――」



 父がさらに、海人と乃愛へと管理タブレットを押し出してくる。

 裏ページの赤ラベルの下に、調査結果という欄がつづいていた。『○○○○年○月○日 宗谷オホーツク海北方巡回航行中……』と記録が続いていた。文字のフォントが小さくてすぐには読み切れない。でもそれだけの結果報告が記されている。

 その記録を確認しようと、少佐の海人がタブレットを手元に引き寄せ、調査記録の文字を追い始める。

 乃愛にもわかるようにと、父が口頭で説明を始めた。


「監査員はシークレット隊員として、一般隊員の顔で潜入をする。極秘調査の結果、乃愛とこの男が離れた後も『それらしい行動が確認できた』として記録が残っている。既婚者だが同乗艦の女性隊員をたぶらかして、男性住居区に誘い出そうとしていたことを確認。数名の男性隊員も同意。女性が疑いもせずに向かうところを、注意をして女性エリアへと引き返させた。以後、対象の男性隊員達は警戒をして行動を控えた――とのことだ。おそらく男も『行動がしにくくなった』と感じていると思う。もしかすると、幾分かして『ばれている』と勘づいたかもしれない」


 そこで海人が『あ!』と声を上げた。

 乃愛がどうしたのと彼を見上げると、なんだか海人は茫然としてあれこれ思考を巡らせているのか、目を見開いて硬直したまま……。しばらくしてすぐに、海人は乃愛ではなく大佐である父へと身を乗り出した。


「彼の結婚相手、奥さんの父親……。岩国で司令になれなかった一派の……」


 そこに気がついた海人に、父は『さすが海人君』と感銘を受けたかのように静かに深く頷いた。


「そうなんだ。乃愛との因縁もあるようだが。岩国司令就任人事では、クライトン准将が競り勝って司令に就いただろう。競り負けた大佐が、その男の舅ということになる」


 乃愛だけじゃない。御園一派との因縁が絡んでいた!?

 今度は乃愛が目を見開いて茫然とする。


「え、私……。恨まれついでに、御園にダメージを与えるために利用されたってこと? 戸塚中佐と一緒に?」


 通報して『男の邪な遊び』を封じ込められ、ラベルを貼られたかもしれない怨みを抱いた。それどころか婚家が対立派閥に負けたから、御園一派である剣崎透の娘、乃愛も御園一派と見なし、御園一派の隊員を攪乱してやろうと噂を流された?

 海人はそこにすぐに気がついたようだった。

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