3.噂の根源
こうして海人先輩の部屋を訪れて、一緒に過ごしているのにはわけがある。
ついにふたり一緒に『宿題』に取り組むことになったのだ。
そのために海人は旧島の飛行隊業務を外れ、司令部に駆り出されているかたちで新島に来ている。『司令作戦本部からの特別任命にて、資料制作のために出張』という体裁でだった。
出張中の宿泊先はもちろん『新島の自宅』。マリーナ地区にある低層階高級マンション。乃愛もそこから通勤をすることになった。
乃愛も同様に『父親の剣崎大佐からDC隊関連の資料作成のために指名され、司令作戦本部に出張』という形でDC隊業務から一時期外れることになっている。
御園葉月中将が率いる『作戦司令本部』は、情報管理が厳しい部署で、所属隊員を始め、外部から訪れる他部署隊員の出入りも毎日厳密にチェックされる。
どのような作戦の準備をしているのか機密事項が多いため、そこに呼ばれた者は『なんの指令を受けて仕事をしたのか』を上官の許可なく口外することは出来ないし、それを聞きだそうとすることもタブーという指示を受けている。
そのため、乃愛がなにかで呼ばれて出張することは、バディの大河も『まあ、復帰した透父ちゃんが、おなじDC隊員である娘になにかを手伝わせたいんだな』ぐらいの気もちで送り出してくれた。
ちなみに。まだ幼馴染みのふたりには、海人先輩と恋仲になったことは告げていない。
お相手がお相手なので、きちんとした場を設けて紹介したいと乃愛は考えている。海人も『乃愛の大事な友人、幼馴染みだから、俺もきちんと挨拶したい』と機会をつくる準備をしてくれている。
DC隊では、『剣崎大佐が復帰した』という驚きでザワついていた。
いままで数年、バディを失って腑抜けた生活をしていたのに、いきなりどうして? と人々はまず思うことだろう。
そこは葉月お母様、御園中将が適度な名目を広めてくれた。『ダメージコントロール訓練施設の開発をするため、極秘で民間企業、宇佐美重工に出向していた』――ということにしてくれていたのだ。
事実と言えば事実で。そこで新設された訓練施設の監修は『剣崎大佐』であって、その功績で大佐昇進をしたと隊員たちに広まっている。
そこで、娘である少尉の乃愛が資料作成で呼びつけられても、いまのところ違和感は持たれていない。
そんな環境が激変していく中、乃愛は『御園海人少佐』と一緒に行動して過ごしている。
一時だけだが、同じ仕事を指示された隊員同士。出勤も帰宅も、海人先輩のマンションになっている。
出勤も一緒におなじ部屋から出て行くことになってしまった。
朝が訪れて、二人一緒に制服に着替え、司令部本部へと向かう。
許可が出た資料閲覧を開始して、厳重に管理された一室でデータを作成する作業に入った。
取り組むようになって三日ほど。乃愛が入隊した頃から遡って、当時の乗艦記録を確認している。さらにおなじ時期に巡航任務に出ていた艦隊の記録も確認して、トラブルにインシデントがあったかどうかをまとめていく。
ふたりで確認し合いながら、黙々と進めている。
恋人同士だからって、余計なお喋りはしない。その時はほんとうに『少佐と少尉』で、海人は少佐として然るべき態度と指示で作業を管理していく。
海人は航空部隊にいるとはいえ、やはり『エリート少佐』で、調査の段取りも効率的で、チェック体制も抜け目なくデータの取りこぼしもない。仕事が出来る人とはこのような人を言うのかと乃愛はとても勉強になっている。
それでも一日のうちに少しだけ、『恋人に戻れる時間』がある。
ランチタイムだった。
「では、今日もランチにしようか」
正午を少し過ぎ、御園少佐の一声で、乃愛も剣崎少尉から『乃愛ちゃん』の顔に戻る。
夏の白シャツ制服の先輩が、朝から持ち込んで来たペーパーバッグをデスクの上に置く。そこからスタイリッシュな二段重ねのランチボックスが出てくる。
「乃愛と一緒に作ったお弁当な」
「わーい、カイ君のお弁当! 私、詰めるの手伝っただけだよ」
「充分、助かったよ。俺も作り置きとか昨夜の残り物、父さんからの差し入れ惣菜ばっかだしラクチンラクチン」
蓋を開け二段から解放されて、ひとつずつ置かれた大きめボックス。デパ地下で買ったんですかと言いたくなる彩り美しいお弁当が現れる。
どこが残り物作り置きばっかりなのかと言いたくなるほど豪華に見えるのだ。まるでお花見に来たような気分になる。
そもそも料理上手な男ふたりが持ち寄った惣菜だからレベルが高すぎる。
乃愛はテンションマックス、剣崎少尉の心構えを解除してはしゃいでしまった。
『いただきます』とカイ君と乃愛ちゃんの笑顔でランチタイムに入った。
隼人お父さんが持ち込んで来たナスのマリネが美味しくて、乃愛はもぐもぐにこにこ堪能。衣がついた海老も箸でつまんで、今度はにんまり。海老の天ぷらといいたいところ、カイ君も隼人お父様も『フリット』と言うんだよね~。あーんと口をあけて頬張ってもぐもぐ……。『ふわさく衣には甘みがあるの、やっぱり御園風。フリット大好き』と思いながらはむはむ味わって、またにんまり……。
気がつくと隣にいる海人もにっこり楽しそうな笑顔を乃愛へ向けている。
「ほんとうに美味しそうに食べてくれるよな」
「うん! お父様のすっぱいナスマリネ大好きだし、御園のおうちのフリット大好き。衣のレシピ門外不出だよね、きっと」
「あー、確かに。父さん流の衣だからな」
「カイ君はそれを教わったんだよね」
「子供のときからそばで一緒に作ってきたから、フリットの衣は最初から父さん流だよ」
「天ぷらじゃなくて、フリットってところが御園っぽい。オニオンリングのフリットも大好き」
どんどん新しい好物が出来て、乃愛の食欲は大忙しの毎日だ。
目新しい御園流の惣菜が出てくるたびにきゃいきゃい騒いでしまう。
でも海人はそんな乃愛を嬉しそうに受け入れてくれ、隼人お父様も毎日『お裾分けだよ~』と二階のご両親宅からお惣菜を届けてくれる。
手料理だけど、息子とパパさんの両方から攻められて大変よ、大変――といいたくなるほどに満喫している。
そんなお料理がお弁当にも出現するのだから、少尉としての気構えなんてあっという間に解除される。もうカイ君のカノジョさん、乃愛ちゃんになるしかない。
「まさかまさかの、カイ君お手製のお弁当をランチタイムに二人だけで食べられるなんて。しあわせ~」
「ほんとだよな。任命された仕事とはいえ、乃愛とこうしてふたりきりランチがすぐに実現するとは思わなかったな」
「普段は旧島と新島で離れているもんね。カイ君は航空部隊だし、私は艦隊部隊だし、接点あんまりないもんね」
「でも、俺、ずっと空を飛んでいるつもりもないんだ」
え、どういうこと? カイ君は空を守りたくてパイロットになったんじゃないの? 乃愛はフリットを噛みしめていた口の動きを止め、首を傾げる。
「データや情報収集で防衛をしたいと思っているんだ。ジェイブルーはデータを収集する部隊でもあるから実務で経験をしたかったというのもある」
「ジェイブルーを辞める時がくるってこと?」
「んー、ずうっとずっと先だと思うけどね。その時は年齢的にパイロットとして引退を考える年齢になっていると思うから。その次のステージを考えてるってだけだよ」
「でも。カイ君のお父様とお母様もきっとそうしてきたんだよね。二十代は実務部隊にいて、そこから指揮官として管理職になっていったんだもんね」
「俺が生まれ持ったものが役に立つようにしていきたいんだ……」
いつも快活なサニー君と言いたくなる笑顔を見せている彼が、ふと眼差しを伏せる。最近、乃愛はそんな海人の憂う一瞬をよく垣間見るようになった。それは海人という男性の日常そばへと、乃愛が近づくことを許されたからだと思っている。『御園の長男』というイメージだけが一人歩きしているようなカイ君。そんな御曹司である彼が、素になれるところに乃愛が入ることを許してくれてたとも感じている。
それがよくわかるのが、この憂い顔だった。彼にもそんな瞬間がいくつもある。
『生まれ持ったもの』。それはきっと御園の権力だ。
彼の父親や母親が持っているもの。その重みにたまに憂うこともあるのだろう。
海人はそれを『正しく使いたい』、『然るべきところに間違いなく』と考えている。乃愛はそう感じていた。
「カイ君だから助けられること、いっぱいあると思うよ。私も手伝う!」
ちょっとしか役に立たないだろう一般庶民女子だけど。その気もちに嘘はないから、乃愛は力一杯言い切った。
恋人になったばかりのカノジョが『御園を支える』的なことをきっぱり言ったことに驚いたのか、海人が目を見開いている。
そんな彼のすぐ隣にいる乃愛は、ちょっとだけ首を傾けて、海人の腕へと頭をもたれる。
「あ、微力女子ですけどね……。気もちは本物です」
御園の長男としてのプレッシャーに、いつも物わかりの良い跡取り息子の顔を整えているカイ君。ほんのちょっとでも息抜きができるよう、そばにいたい。それが乃愛の本心だ。
乃愛からくっついてきたせいか、海人がほっとした表情に和らぐ。
「乃愛がそばにいてくれると心強いよ。なんていうか……。そばにいてくれるだけで、元気になれる。乃愛にはそのまま、元気なカノジョでいてほしいな」
変に気負いしない、飾らないで欲しい――ということらしい。
それはもう、乃愛にとってもとても嬉しいこと。
たくさんの重荷を背負っているだろうこの人を元気にしたい。それを乃愛は誓いたい。
「そうだ。旧島といえば、今週末は戸塚家ご招待の日だろう。藍子さんのご馳走も食べられるから楽しみにしていて。ほんとうに美味いんだよ」
「楽しみ! それにやっと戸塚中佐に会えるというか……。あれから会っていないんだよね。いや、もともとそんなに顔を合わせられるお方でもないんだけど」
「エミルさんが会いたいって心待ちにしているんだから。あんなことがあって、ご夫妻ですごく心配していたよ。僚機の三原少佐の救助に、豪雨のなか車に乗せてもらったこととか、乃愛にいろいろ助けてもらったとも言っているんだ。元気な顔を見せて安心させてあげて。藍子さんもあと少ししたら臨月だから、そろそろ皆で集まってわいわいできるのもこれが最後の機会だと思うんだ。だから会えるうちに――」
美しすぎるオジサマと乃愛の妙な『不倫噂』が流れてから、しばらく時間が経っている。城戸心優中佐と警務隊が調査を行っていると聞いていて乃愛はじっと待機をしている状態だった。父・透も作戦本部に配属され、情報を共有されるようになり『その追跡もあと少しで特定できそうなんだ』と言っていたことを乃愛も思い出す。
戸塚中佐もおなじく結果待ちで乃愛との接触を避けていた。
しかし、その噂もいまでは『ありえないこと誰が流したんだ』という風潮に変わってきている。
そこで海人から御園のお母様に相談をして『乃愛と戸塚中佐は個人的に接触しても問題なし』というお墨付きをいただき、やっと会えることになったのだ。
互いにシフト制の業務なので休暇を摺り合わせ、次回週末に旧島に行くことになった。
お互いの車で行くのか、どちらかの車で行くのか。そんな相談でランチタイムの会話の和やかに。旧島御園家で宿泊することになり、乃愛はまた新しい海人の日常を見られそうでわくわくしている。
そんな相談をしているところ、機密業務をするために指定されたこの個室のドアからノックの音がした。
急にふたりで姿勢を正し、箸を置く。
ドアが開くと、そこには制服姿の父、透が現れる。
乃愛もびっくりしたし、海人も目を見開いて驚き立ち上がったほどだった。
「剣崎大佐。いかがされましたか」
ネクタイを揺らしながら慌てて立ち上がる御園少佐。それを見た父がそっと手で制す。
「ああ、いいよ海人君。そんなかしこまらないで。昼休みだとわかって訪ねてきたんだから」
大佐の強面ではなくて、パパの表情に崩れたので乃愛も幾分か肩の力を抜いてしまった。
「お父さん……で、いいのかな……」
「お父さんが半分、大佐が半分の気分できたかな。カフェテリアには来ていないと思ったら。ここで弁当ランチをしていたのか」
父の視線がデスクに置かれているランチボックスへと向いた。
「……乃愛、じゃないな。海人君が?」
ですよねえ、パパ。娘がこんな料理上手じゃないことはご存じですよね……。一発で料理好き男子のカレシが作ったものだと見抜かれてしまう。
「はい。でも残り物とか作り置きとかです。豪華そうなフリットは父の差し入れですから」
「さすがだね。美味しそうだ」
「よろしかったら大佐もどうぞ」
「いいのかな。隼人さんの手料理、だよね。いやあ、父子揃って素晴らしい」
なにもできない娘と言われているようで乃愛は肩をすくめて小さくなる。
だがそこで父がハッとして我に返り、大佐の顔に急に戻った。
「いや。あとでご馳走になるかな。実は、戸塚君と乃愛の『噂』を流しただろう根源に目星がついたんだ」
乃愛と海人はそろって驚き、互いに顔を見合わせた。
ちょうど戸塚中佐に会いに行こうとしているこのタイミングで判明して、ますます安堵といいたいところだが、ほんとうに調べ上げた城戸心優中佐と警務隊の仕事に驚きを隠せない。
そして、くだらないことをしでかした犯人に怒りが湧いてくる。
そいつの顔を早く見せてお父さんと叫びたくなる。
でも目の前にいる威厳ある制服の男は父以上に大佐殿。上官のお言葉を乃愛はじっと待つ。
その父が小脇に挟んでいたタブレットを海人と乃愛の目の前、デスクに置いた。父が指先で操作し画面に表示したのは、男性隊員の顔写真と軍経歴が記されたファイル画面。
その男の顔を見て、乃愛は息を引く。
「岩国のDC隊員ですか」
海人はまだ気がついていない。男の経歴をさっとひと通り確認しているところ。
だが父の表情は強ばっていて、乃愛を凝視していた。
「乃愛はこの男を知っているな。最初のバディ、指導付きの上官だったな」
父の言葉に、まだ経歴を確認していた海人が吃驚の様相に変貌し、乃愛へと視線を移してきた。
「こいつが、乃愛の元カレ!?」
今度は父がギョッとした顔になる。
「はああ!? 元カレだと!? 乃愛! 海人君の前にそんな男がいたのか!! しかも、こいつかぁ!? こんな卑怯な男と!?」
父が鬼の形相に変貌し絶叫しはじめたので、海人の驚きも吹き飛ばされた模様。父が真っ赤な顔になっているのを知って唖然としている。
「説明しろ、乃愛!!」
「お、お父さん、いえ、大佐、落ち着いてください……!」
元カレが『卑怯な男』として現れ、感情を揺さぶられたのは現カレの海人だろうに父が激昂する始末――。いつもの落ち着いた海人君にならざる得ず、父を落ち着かせようと必死になる側に。
乃愛はもうたじたじになって、さらに久しぶりに怖いパパに詰め寄られて、変な汗がどっと滲み出てきた。
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