2.いつのまにかパートナー


 それは心優が初めての航海任務から帰還して、中尉に昇進が決定、さらにシルバースターの勲章を叙勲することになると、御園葉月……当時、ミセス准将から聞かされたときだ。


 あの時の光景が蘇ってくる。

 あれは、心優が初めて、御園の長女『杏奈』と対面した時だ。

 音楽を学ぶために、彼女は幼いうちから海外留学をしていた。

 付き添いは実の両親ではなく、母親、葉月さんの従兄、元横須賀音楽隊の隊長を務めていた『御園右京』氏とその妻ジャンヌに預けて、渡仏させていたころ。彼女が夏休みで、実両親と兄が住まう小笠原に帰省してきたときだった。


 杏奈自身が直接、軍隊の航空部隊大隊長室にいる母親に会いに来たその日――。心優は見たのだ。十代の少女と男盛りのエースパイロットが不思議な関係を繋いでいる姿を。それはとても忘れられない、妙に鮮やかに残されているもの。




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(以下、カクヨムではカットしたエピソード。再掲となります)



 おかえりなさい!

 いつ帰ってきたの!?

 お母さんなら、いまいるよ!


 そんな声が准将室の外から聞こえてきた。准将と顔を見合わせ、二人揃ってドアへと目線を向けた時だった。

 准将室のドアがノックもなくザッと開いた。ここでそんな大それた開け方をする人間はいるはずもない。しかし、そのドアが開いて隣にいた准将がとてつもなく驚いた顔になる。


「ママ、ただいま!」


 長い黒髪をさらっと揺らす、紺と白のストライプ柄のワンピース姿の女の子が駆け込んできた。一目散に制服姿の准将へと抱きついてしまう。


「あ、杏奈!」


 一目見て、心優も誰だかすぐわかったほどに。でも初めて当人を目の当たりにして、やっぱり心優は驚きを隠せない。


 写真で見た彼女は御園大佐にそっくりで、でもあどけなさを残しつつも大人びたお嬢様だった。しかし、心優は目を瞠る。女の匂いって……、最初から持っている子は持っているんだ! それを彼女は一瞬で彷彿とさせる匂いを放っている。


 女の子の甘い清々しい匂い。それを振りまいて、彼女がママに抱きついて離れない。

 しかも彼女の背中には、大きな弦楽器のケース。チェロが一緒だった。


「杏奈。あなた、帰ってくるのは来週じゃなかったの?」

「右京おじ様に待てない――って騒いで、一週間早くしてもらったの。だって、いつも夏休み短くされちゃって、レッスンにあてられるから」

「またおじ様と喧嘩をしてきたの?」


 だけれど、杏奈は悪戯っぽい顔をしてニンマリ。


「家出作戦を決行したの」

「家出作戦!? 杏奈、あなたなにしたのよ!」


 あの准将が面食らっている。しかも杏奈のニンマリ顔が、これまたパパがママを丸め込む時の意地悪い顔にそっくり。


「まず、ママの親友、藤波のおじ様のところにお世話になって、その次は、パパと同期生だったジャンおじ様とご家族にお世話になって、その次はママとパパのお友達でお仕事仲間の岸本吾朗おじさまとセシルおばさまのところで二日かくまってくれたかな。ばれる前に次のお世話先に消えちゃうから、もう右京おじ様たら疲れたみたいで『わかった。もう日本に帰省しよう』ってことになったの」

「あ、杏奈……。あなた、あのお兄ちゃまを……、」


 なぜか准将がくらくらっとしたように目元を伏せてほんとうにふらついていた。


「ジャンヌ姉様は……?」

「ジャンヌおば様はいつも私の味方だから、おばちゃまにだけは行き先を連絡していたの」

「……ということは、右京兄様が一人だけで振りまわされていたってわけ?」


 杏奈が、こんな時は無邪気な笑顔で『うん!』と元気よく答えた。

 心優は海人の時同様に、今度はお嬢ちゃんのやんちゃぶりにクラクラしてきた。

 どうやら大人と対立しようとしても、かなり知恵が回るらしい。


「おじ様、最近、また厳しいの。必要以上のレッスンをさせようとするんだもの」

「クラシックの世界に入った以上、練習がいちばんだってあなただってわかっているでしょう」

「わかってるけど……。でも、私、曲をつくりたいんだもの……」


 すると、御園准将がしゅんとしてしまった娘を、柔らかく抱きしめる姿。


「おかえりなさい、杏奈。いいのよ。ここにいる間は好きに過ごしなさい。曲もいっぱい作ったらいいじゃない」


 ママの胸元で、黒髪の女の子がまた子供の顔になってうんと頷き、ぎゅっとママに抱きついた。


「もう……。反抗期ね。あのお兄様を困らせるなんて、たいしたものね」


 抱きついてきた娘の黒髪を、准将が優しい顔で何度も何度も撫でると、彼女がどんどんどんどん赤ちゃんのように甘えてママから離れなくなった。

 心優も側でみていて、やっぱりまだ幼い女の子なんだなあと微笑ましくなる。


 暫くすると彼女からハッとして心優を見上げた。


「もしかして。お姉さんが、海人兄さんが言っていた空手家の少尉さん!」

「はじめまして、杏奈ちゃん。お母さんの護衛を務めております園田です」


 彼女の黒い瞳がぱあっと輝いて、心優をじっと見つめてくる。うわ、すごい麗しく綺麗な瞳。黒色なのに少し青く見えるラピスラズリみたいな目!


「すごい! あのシドにも負けないって聞いているんです!」

「いえ、そんな。フランク中尉ほど強靱ではありません」

「もう、杏奈。やめなさい。それから、いま皆さんは仕事中。ここにいたいなら、そこで大人しくしていなさい。あとでお父さんを呼んであげるから、一緒にカフェテリアでランチをしましょう」

「ほんと!? パパとママとランチ出来るの? うん、わかった。大人しくしてる」


 そういうと、彼女は自分できちんとチェロケースを持って准将室の応接ソファーへと大人しく座った。それからは一切、一言もママに話しかけず気配を殺すようにして静かに本を読み始めた。しかもフランス語横書きの文庫本。


 今度はその姿がとても大人びている。横から見せる佇まいが、姿はお父さんにそっくりなのに、雰囲気は麗しいママにそっくりで、なぜだか心優がドキドキしている。

 お母さんがちょうど飲んでいたチェリーのアイスティーをそっと置いてあげると、『ありがとうございます』と楚々とした微笑みを見せてくれる。大人の微笑みだった。


 これは、鈴木少佐がちょっと気にしちゃうのも無理ないかなと心優は妙に納得していた。

 お転婆そうなのに、杏奈ちゃんは大人しい。パパとママとランチの時間が来るまで静かに静かにしているせいか、心優も気にしないで事務作業に勤しむ午前。


 そろそろランチタイムかな。准将が事務作業に没頭しているようなので、一声かけようとした時だった。准将室のドアからノックの音。


「失礼します!」


 まだ白い飛行服姿のままの鈴木少佐だった。

 午前中は演習訓練をしていたはず。それを終えてもパイロット達はシャワータイムで着替えているはずの時間だった。


 つまり着替えないで、海上訓練から陸に帰ってきてすっとんできたということになる。さすがに准将も眉をひそめた。


「なあに、英太。着替えもせずに」

「もう我慢できねえ! どうして訓練の指揮にこないんだよ!!」


 心優もついに来たか――と構えてしまう。雅臣からも『そろそろ准将まで直談判に行きそうな勢い』と聞かされていたからだ。


「なんなの。橘さんと雅臣の指導で充分、手厳しくて高度な演習をさせてくれるでしょう」


 准将がいつもの涼やかさでデスクを立とうとした。

 すると、その鈴木少佐の前に、黒髪の彼女が立ちはだかっていた。


「英太、まだ、ママがいないとなにもできないの?」


 黒髪のお嬢様が、背が高い大人の彼を見上げている。しかも、突きつけた言葉に心優はギョッとしてしまった。

 さらに心優がギョッとしたのが、そこで鈴木少佐が彼女を見ただけでサッと准将室のドアを閉めて早々に姿を消し、退散してしまったことだった。


「あ、英太が逃げた!」


 黒髪の彼女はそういうと、彼女もドアを開けて飛び出して行ってしまった。


「あー、また騒々しくなりそう……。頭が痛いわ……」


 何故か准将が額を抱えて溜め息。


「ごめんなさい。心優。杏奈を連れて帰ってきてくれる? 私の娘だと誰もが知って大事にしてくれるけれど、やっぱりまだ子供で、でもあのように子供のような身体ではなくなってきて、でも無防備であぶなっかしいの。あれでもまだ十四才。ここは大人の男も多いから一人で出歩かないよう言い含めているけれど、いつもあんななの」


 それもそうだ。あんな匂いのする女の子が男ばかりの場所でふらふらしていたら、いくら御園准将の娘でも一瞬でかどわかすことだって可能だろう。


「かしこまりました。お嬢様がどこかに行きたいというならば、わたしがそれとなく護衛します」

「ありがとう、心優」


 そのために心優を外に出してくれた。心優も急いで追いかけた。本部の階段を下りたすぐ下の階。そこに白い飛行服姿の彼と、黒髪のお嬢様を見つける。


「待ってよ、英太」


 彼女が大人のお兄さんに追いついて、白い飛行服の腕をひっぱったところだった。


「ママのところにいろ。いつも言われているだろ。男ばかりなんだから、ふらふらするなって」

「なんで逃げるの」

「いま俺は仕事中!」

「ママのところに、ワガママを言いに来たのも仕事なの?」


 大人のお兄さんの顔を、彼女は果敢に覗き込む。逃げようとするお兄さんと無理矢理に目を合わせようとしていた。


「う、うるさいな」

「いつまでも、ママだって艦にいないよ。……はやく、楽にしてあげてよ……」


 十四才の彼女はもう、ママが何で苦しんでいるか知っている。苦しみの根元を知っているかどうかはわからないが、でも、ママが何かしら抱え精神を崩すことがあることをきちんと理解している。


「わかってる」


 鈴木少佐が、やっと黒髪の女の子の顔を見下ろした。

 そこでしばらく二人がそのまま黙って見つめ合っているのを、心優は息を潜め階段の踊り場から見下ろしていた。


 目を擦りたくなる。鈴木少佐と彼女がそれほど歳も離れていない男性と女性に見えてしまったから……。

 無言で視線で語り合っている様に見える。


 やがて、鈴木少佐が黒髪の彼女の頭を撫でた。


「おかえり、杏奈。今夜、隼人さんの家に泊まりに行くな。その時、ゆっくり話そうな」

「この前の航海の話も聞かせてくれるの」

「うん。ママがおまえの曲を聴いて、優しい顔をしていたこともな」

「わかったよ、英太」


 彼女から白い飛行服のお兄さんに抱きついていた。それはそれで可愛らしいのに、そんな彼女をあの鈴木少佐が愛おしそうにぎゅっと抱き返したのを見てしまった……。


 やっぱり。鈴木少佐はもう、ミセス准将への気持ちに整理をつけて、いまはあの彼女へと気持ちが向いている。心優はそう感じて、見なかったことにした。


『じゃあな』と鈴木少佐が離れてから、心優は杏奈に声をかけようとしたが、彼女は鈴木少佐の背中をいつまでもみつめている。


「杏奈ちゃん」


 黒髪の彼女がやっと我に返って、階段から下りてくる心優を見上げた。


「母のところに帰りますね」

「どこか行きたいなら、わたしがついていくよ」

「いいんです。父にも早く会いたいから」


 家族にはちょっと甘えた顔をするのに、そうでなければ大人の顔。




(再掲ここまで)

✼••┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈••✼




 あれから十数年。あの時にふいに感じた『甘やかさ』は、いまの『ふたり』を見ても変わらない。


 黒髪の少女は大人になり、エースパイロットの男性は年齢を重ね大佐になっている。

 心優が感心するのは、鈴木英太大佐が彼女を大事にして、成人してからも『その気はない』と突っぱねて、男の劣情をしっかりと押さえ込み『妹だ』と貫いたことだ。


 でも心優は覚えている。横須賀に勤め始めたころ、鈴木大佐は横須賀マリンスワローの先輩であった夫、雅臣の秘書室によく訪ねてきていた。

 心優はそこで鈴木大佐に出会ったのだ。年齢も近く、いきなり横須賀へ、しかも高官秘書室へと転属してきた心優を気に掛けてくれた。そんな鈴木英太氏が良く言ってくれた言葉は『園田さんは話しやすいな』だった。

 まわりが優秀な先輩ばかりの中、悪ガキ性分が抜けないまま才能だけでエリート集団に入ってしまった英太さん。それは心優もおなじだった。年齢も近いこともあり、突然御園一派のそばにきて戸惑っている心優と姿が重なったのかもしれない。

 夫・雅臣の過去が判明したのも、この男性と親しくしていたからだった。

 ほんとうに『園田さん、大丈夫? 俺でよければ聞けることはなんでも話して』と相談にのってくれ、よく助けてくれていた。


 だからだったのか鈴木大佐が(当時少佐)心優には、こっそりと女性関係の相談を持ちかける。

『最近のティーン女子が気になるブランドとか小物とかキャラクターとか知っている?』――と、女性ではないとわからないようなことを聞いてきたのだ。

 心優にはちょうどそれぐらいの年頃の姪っ子がいたので、『姪っ子たちはいま○○に夢中なようですよ。ちょっと背伸びして大人女子なお姉さんにも人気なブランドのポーチとか。ちょっとしたブランドものを持つことも羨ましがられるのだとか……』と教えたことがある。

『わかった。ありがとう。日本の女の子の流行を知っておきたかったんだ。聞かれちゃったんだけどわからなかったんだ』

 どこの女の子に聞かれて答えられなかったのかな? 当時、心優は鈴木英太氏の背後に、うっすらと少女の影を感じたりしていた。

 あの問いは。フランスに留学していた杏奈ちゃんが帰省してきた時に、日本の女の子らしいなにかをプレゼントしたかったからなのでは……と、心優は後で気がついたのだった。


 それからも。素っ気なく突っぱねる18歳年上のお兄さんと、そんな年の差なんて関係ないから、一緒にいたい女の子の攻防戦は続いた。


 いつどこで、鈴木大佐が折れたのやら。彼女を受け入れたのやら。

 ほんとうに『いつのまにか』。養子のようにして御園家の一員となった青年と、御園家のちいさな娘ちゃん。年が離れた兄妹か親戚のように振る舞っていたから、その姿があたりまえで、何年も何年もそれが『鈴木英太と御園杏奈』だと誰の目にも映っていた。


 誰もが信じていたその姿のまま、二人はいつのまにか、恋人のようになっていた。少しずつ、近しい者から気がつき始め、徐々に認識され、いまではもう『パートナー』。


 どのように二人が取り決めて話し合ったのか『結婚します』という報告はない。でもこれもまた『いつのまにか』、一緒に暮らしている。

 おそらく鈴木英太大佐が長年勤めていた小笠原を出て、岩国の『空海飛行隊』の部隊長に就任したころから。

 杏奈も『岩国に行く。瀬戸内のそばに住んでみたい』とチェロを担いで、親元をまた出て行った。そのときからなのだろう。


 そしてまた『いつのまにか』。二人は一緒に住み始めていた。

 鈴木英太大佐は、いつのまにか。彼女をパートナーとして、公の場でも堂々と紹介するようになっていた。でも『妻』とは言わない。杏奈も『夫です』とは言わない。『一緒に暮らしているパートナー』と互いを紹介する。そこで周囲が認知したのが『事実婚』だった。

 彼らから『事実婚』と断言もしない。どう話し合っているのかは、ご両親でさえ掴みかねているご様子。ほんとうに、事実婚のふたりがなにかを宣言しないかぎり、いま見ている形で受け入れるしかない状態なのだ。


 ご両親の胸中や如何に。心優は様子を見て、長くおそばに仕えたミセス中将に問うてみるのだが。


「もう大人ですもの。彼女と彼自身が決めることよ。私と隼人さんは、二人の報告をただ待つだけ。たとえ破局してもね――」


 ごくあたりまえの。でも根気強い親の姿を見せられる。

 でも、葉月さんは心優の前ではぽろっとこぼす。


「あれだけ娘を大事に大事に遠ざけて、距離を保って待っていてくれたんだから。大丈夫よ」


 それは杏奈の粘り勝ちなのか、英太さんの我慢勝ちなのか。

 『そっと見てきた』心優にさえ、未だにわからない。


 さて。鈴木英太大佐にとっては『海人君も大事な大事な弟』。

 そんな大事なお日様君に恋人ができたと聞いて、どんな反応をみせてくれるのやら。

『兄ちゃんが見極めてやる。俺のお日様君に害をなす女は俺が許さねえ』という、いつもの叫びが聞こえてきそう――。心優は親しくしていたやんちゃな彼の声を思い出している。


 またひとつ。『園田心優』は密かに見てしまうかもしれない。

 杏奈ちゃんと英太さんの秘密の姿をね――。



★園田少佐は知っている(終)


杏奈&英太の帰省は、第2部本編で。お待ちくださいませ(*´˘`*)

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