45.敵を追う
「お父さん、ど、どういうこと……それ」
待ちに待っていた父の姿だったが、伝えられたひとことに乃愛は戦慄する。父が申し訳なさそうに口元を歪めて、やがて悔しそうにうつむいた。
「いろいろあって話すと長くなる。だが、乃愛だけ矢面に立たせるものかと、戻る決意をした」
「戻る決意? いつのまに……」
そして乃愛はさらに気がついたのだ。
父に抱きついた乃愛の目の前には、制服の黒い肩章がある。
ラインの数が以前の中佐とは異なっている。
「大佐の、肩章――」
大佐のラインになっていたのだ。
さらに乃愛は驚き父に答えを求める視線だけを向けて問う。
そこで父がまたもや衝撃的なことを言い放った。
「二年前に、大佐に昇進した」
昇進? お父さんは軍を辞めたはず? 数年前に。なのに二年前にも籍があったということ?
おなじ軍人である乃愛は、ここで悟ったのだ。
これまでの父は『仮の姿を見せていた父だった』ということに。それすらも『任務』だった?
「今回、乃愛が乗艦した艦での出来事を知り、確信した。確実に、俺の娘を標的にして『目的』をおびき寄せようとしている者がいると。だから戻って来た。これまで極秘で園田中佐とラングラー大佐と捜査をしてきたが、目星がつかなかった」
目星がつかない? そこで乃愛は少し前にシド大佐から聞かされたことを思いだしたのだ。『あの事故は調査中だ』というあの言葉。つまり、言い換えると『あの事件はまだ捜査中だ。結果は出ていない』。そういうことだった?
「相馬を死なせた者は男一人なのか、組織なのか。いまも不明だ」
男――。父がそれを見たかのように話していると、乃愛には感じられた。だから。
「まさか……、お父さんの目の前で……」
「ああ、そうだ。……救い出せなかった。だから、絶対に
父と相馬パパが分かつ瞬間を作りだした男がいる。
それを父は助けることができずに、犯人に引き渡してしまったのだろう。その口惜しさと後悔は如何ほどか。帰還したてのころは、本当に精神的に落ちてしまっていたのだろうが、どこかで父は再起する。『
「俺の娘が『厄女』と言われ始めたことも知っていた。殉職者を出した父親がいる娘。不吉な娘だと。そんなレッテルを貼られたことを申し訳なく思っていた。だがDC隊には長門がいる、警備にはシドもいる、なにより大河がそばにいる。きっと彼らをそばに乃愛なら乗り越えてくれると信じて……。父さんは園田中佐と極秘の捜索に徹することにした」
それが父が見せていた『仮の姿』で、軍を辞めたふりをして極秘の活動をしていたということらしい。まずは娘を信じて、娘から騙して周囲にも仮の姿を信じ込ませてきたとのだと、乃愛も気がつく。
「だが、おまえがウィラード艦に配属されてから起きたことを知って確信した。殉職者を出した男の娘だから『厄女』と言われていると思っていたが、違う」
父がそこで乃愛の目をしっかりと見据えて言い放つ。
「厄女の『厄』は作られた『厄』だ」
「作られた、厄……」
そう言われたら、乃愛の周辺に起きたことがすべて『ワザと』だったことが理解できてくる。乃愛に狙いを付けて、インシデントを起こし、噂を流し、艦内を混乱に陥れる。『厄女のせい』。そうでなければ総務少尉のように『おまえがなにかを手引きしている』と疑われるように仕向けられる。
そして乃愛は、制服姿で戻って来た父を見て気がつくのだ。
「お父さんも狙われているの? お父さんにも疑いが掛けられそうだったの?」
「一時期は。葉月さんが頑張ってくれて身の潔白は証明できた。葉月さんが躍起になっているのも、父さんは狙いが付けやすい一隊員というだけで、もっと向こうには御園一派の分裂を図っている可能性もあると思っての事だ。派閥争いならば、よくあること、繰り返されること。しかし、殉職者を出してしまったと、彼女も悔いている――」
乃愛が、父が――。そんな一隊員だけを狙ってのことではなかった。もっともっとその奥に広がる陰謀があったかもしれないという。そして乃愛はすでにそれに巻き込まれていたのだ。
「おまえと優乃香に害がないよう、駄目な男を演じていた。もうあいつは軍には戻らない。そう見せかけねばならなかった。そして極秘に動いて、相馬の敵を探した。情報は心優さんと共有した。気になりはじめたのは心優さんの『娘さんの周辺、いろいろと騒ぎが起きやすいですね』というひとことだった。乃愛の周囲に何が起きているか……。俺はもう軍人としては働いていないので、内部で起きていることは心優さん経由でしか知ることができずに、焦った。害がないよう演じていた駄目男は、このままでは本当に駄目な男に、父親になる。だから……」
父の話でこれまで腑に落ちなかったことが、全部、腑に落ちた。
特に『焦った』のところで、乃愛は思い出したのだ。ウィラード艦のテスト航行で出港する前、久しぶりに父に会いに行った時だ。父が珍しく乃愛に『長門かシドを頼れ』と声をかけてきた。あれは娘の周辺がきな臭い状況になっているから『焦って』、なんとか対処できるようにと、やっとの思いで声を出したのだって――。
「まだ単独犯なのか、そいつを含めた組織があるのかもわからない。でも、これからは表から、乃愛を守る」
大佐として戻って来た父の顔は、乃愛が憧れていたDC隊部隊長の顔だった。
「DC隊にもどってくるの?」
そこで父がゆるく頭を振った。
おなじ部署には戻ってこないと知り、乃愛は少しがっかりする。
「しばらくは葉月さんの配下で、作戦訓練の指揮に従事する。ダメージコントロール訓練施設の責任者となった。部署は御園中将司令直下の『作戦管理統括部隊』だ。作戦を動かし管理する四隊の中の一隊を束ねる隊長となる」
それでも大出世だと乃愛は驚いた。現場ではなく指揮系統に父はこれから従事することになったのだから。
「だから、ダメージコントロール訓練施設の設計に関わっていたの?」
「葉月さんに懇願されたんだ。この施設のシステムに現場をよく知る隊員が必要だと。適任だから引き受けてほしいとね。父さんも、DC隊を守るためのものならやりたかった」
「でも、駄目男を演じていたのに?」
「稼ぎがなくて収入に困窮したふりをして、一時的に仕事を請け負った――ふうにして、開発にかかわってくれない? と、葉月さんに勧められたんだ。そこは腑抜けたオヤジを見せつつ、宇佐美重工での契約社員をやりこなすのはなかなか難儀だった。優乃香の協力がなければ、乃愛にはバレていたかもな」
やっぱり。お母さんは知っていた!
そして葉月お母様も父に指示をしたのは自分だからこそ、『そっとしておいて』と言ったのか。『お母さんは知っているかもしれないでしょう。夫の守秘義務を守って黙って寄り添ってると思うの。そっとしておいて』――。なにもかも自分が主導を握っていて把握しているから、でも、いまは『駄目オヤジでいてくれないと、敵を欺けない』から、乃愛にはそれを黙って見ていてほしいというお願いだったのだ。
でもその間に、ほんとうに娘の心が父親から離れてしまったら、自分たち母子とおなじになる。修復に数年以上もかかってしまう。だから、乃愛が完全に父親を見放す前に話したかった。そういうことだったのかと理解した。
そして父の考えも変化していったという。
「今回の感染症も不審な現象だったし、乃愛をスケープゴートにした艦内パニックも起きかけた。俺が駄目オヤジを続けていても、どうにもならないと判断した。たとえ、向こうが俺を引き出すために娘を使っていたとしても、娘を巻き込んで利用されるくらいなら、相手の思うつぼでもいい。俺が矢面に立つ。その決意だ」
「それなら、戸塚中佐との不倫の噂も。スケープゴート作戦のうちのひとつだったということなの?」
そこで父がふっと、久しぶりに笑ったのだ。
「聞いた時は、ほんとうに可笑しくて噴き出した。うちの元気なだけの娘が、色恋なしの娘が、美しすぎる戸塚君と恋愛? ありえねえーと、腹かかえて笑ってしまうほどには、陳腐な作戦だと思ったね。それを実行するヤツに呆れていたよ」
元気なだけの色恋のない娘。当たっているけど、そのとおりすぎて覆せずに悔しい娘心。しかも笑ってるし! お父さんが笑って嬉しいけど! 乃愛はもう父にむかって目をつり上げていた。そんな娘を見ても父は笑っている。
「旧島の戸塚君周辺、飛行部隊の方々も、だーれも不倫の噂なんて信じないんだ。愛妻家の彼を使うなんて、噂に仕立てる難易度を自ら上げやがって馬鹿め。そんなチンケな噂、よく作りだしたよなあと――。だが、発信元がオバカだったおかげで、その追跡もあと少しで特定できそうなんだ。でもいまは結果報告を待ってくれとしか言えない」
噂を流した者まではなんとか到達できそうと聞いて、乃愛は追跡調査に結果が出そうでほっと安堵した。
「だが、作られた『厄』の仕組みをこれから掴んでいかねばならない。その指示は、剣崎少尉に出ているんだよな。これから乃愛にしてほしいことがなにか、わかるな」
乃愛はハッとする。父も『宿題』のことをもう知っているとわかったからだ。
「乃愛をスケープゴートにしているのでは、という疑いは少し前からあった。疑いだったために、まだ方向性を打ち出せなかった。念のためにとシドを艦に乗り込ませて様子見をさせていたが……。それでも艦内パニックが起きかけて、精神をきたした総務の少尉がスケープゴートの乃愛を襲うという事態に発展させてしまった。もう看過できない。『厄女』はスケープゴート。そう定めて調査することに決定した」
「つまり、これから御園少佐と共に調査することは、とても大事なことなんだね」
「そうだ。そこを見越して、葉月さんは、信頼できる息子の海人君と、『厄女』というスケープゴートにされた本人の乃愛に極秘調査という命を授けた。乃愛、父さんからも頼む。いままで身の回りに起きたことをデータ化して報告して欲しい。そのあとはもうなにも心配せず、いままでどおりに職務に励んでくれたらいい」
しかし、私はすでに巻き込まれている。乃愛はそう思った。
父は『これから娘は俺が守る、お前はもう心配するな』、関係はないとほのめかしているけれど。
でも……、乃愛は瞬時に決する。
「私も、お父さんと――、剣崎大佐と一緒に追うよ。なんなら、これからもスケープゴートにしていいよ」
父が乃愛の頭の上で驚き、目を見開いたのが見えた。
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