40.いちばんに会いたい人

 総務隊員襲撃から一週間ほど。乃愛は女性用休憩室にて、今後取得を目標としている資格の勉強に勤しんでいる。


 大河との面会が一日に一回、あとは女性にだけに囲まれて過ごしている。

 女性たちの一致団結が凄い……。あの大河ですら、乃愛との接触は後輩ちゃんたちからも厳しく制限されているらしい。


 とにかく『男子厳禁、正式な手続き以外は受け付けない。特別扱い一切なし』を貫いている。


 総務の男は乃愛と同じ少尉だったのだが、まだ処分は確定していない。艦内規律を乱したときに置かれる部屋にて、謹慎をしている状態だと聞いている。

 そのため。乃愛は被害者だが軟禁生活におかれる。

 乃愛だけ自由な行動を許すと、多数の人々に接触し会話を交わしたことで、間違った煽動を引き起こす可能性もあり得る。それをなくすためだ。

 どちらも他隊員との接触を制限、公正なジャッジをするための処置だと聞かされている。


 まあ、乃愛の顔に残る負傷具合を考慮し、人目に晒さないため、あるいは動揺を与えないため。『完治するまで、そこにいろ』ということなのだろう。

 それでも顔の痣は紫から黄色へと薄くなり、元に戻りつつある。マスクをしていられるのが幸いだった。


 とにかく乃愛と接触するには、艦長から直々に指示を受けている『美祢みね少佐のみが窓口』ということになっている。

 それでも、シド大佐がちょいちょい様子伺いにやってくるらしい。でも面会申し込みまではしてこない。大佐としての立場を保つために、記録に残ることはしないのだろうと乃愛は思っている。

 でも、美祢少佐とも顔見知りのために、聞き出しやすくて訪ねてきてしまうらしい。

 さすがのシド大佐も『俺は特別! 会わせろ!』とは言いださないようで、『乃愛の顔、元に戻ったか? 精神的に負担になっていないか』と確かめにやってくるのだとか――。


 女性用休憩室のテーブルで資料を眺めて勉強をしていると、乃愛の視界に紙コップが現れる。


「お疲れ様。熱心ね」


 美祢少佐だった。黒髪をひっつめている彼女は、乃愛にはとても大人に見える落ち着いた女性。三十代後半、独身だが、ウィラード准将秘書室に配属される優秀な女性隊員のひとりだった。


 紙コップには乃愛が好きなココアが入っていた。

 少佐もご自分のカップを持っていて、乃愛の目の前へと腰を掛けた。


「ありがとうございます。少佐もお疲れ様です」

「いまさっき、またフランク大佐が訪ねてきたのよ。ほんと、あんなにマメな方だったんだと、最近驚いているの。このココアはシドさんから買ってやれと言われた差し入れ。ついでに、私も一杯ご馳走になっちゃいました」


 美祢少佐が『ラッキー』と笑いながら、ホットコーヒーをすすっている。

 療養という名の軟禁生活を始めてから、美祢少佐とはよく話すようになった。もうほぼほぼ、乃愛を艦長命令で護衛している人みたいになっている。


「あの、私も最近、知ったんですけれど。フランク大佐は、私の父と親しかったみたいなんです。だから気に掛けてくださるだけかなと……」

「うん。艦長からも聞いている。それで、最近のシドさんは『パパ気分全開』なんだということもね」


 そこで美祢少佐が『ぷふ』と小さく吹き出し、クールなお姉様顔を崩してしまったのだ。


「おかしくて。ちょっと前まで『俺は永遠に独身のいい男』を豪語していらっしゃったのに。急に『俺、お父ちゃんみたいだろ』な顔で、剣崎さんを訪ねてくるの。あれ、どうしちゃったの? おかしくて、おかしくて。真顔に保つのが、だんだん無理になってきて困ってる」

「ああ……。えっと、親しい知り合いの娘と近しくなったからなんでしょうか。私は今回、大佐と初めて近しくなったんですけれど」

「あと。あなたの噂を制御できなかった後悔、かしらね」


『後悔』――。あれほどの大佐が?

 乃愛のために、シド大佐が気に病むようなことになっているだなんて、申し訳なくなってきた。


「大佐のせいじゃないのに……」

「そうね。でも、シドさんは『俺が艦に乗ったからには、なんの問題もなく帰港させる』という信念があったはずよ。そういう人なの」


 でも、こんな騒ぎが起きてしまった。

 目配りをしていたのに行き届かなかったことは、完璧にこなしたいシド大佐には最大の汚点とも言える後悔なのだと、美祢少佐は語る。


「総務少尉の今回の犯行は、救いようがない。少尉ならば、激昂する前にもっと冷静な判断をするべきだった。剣崎少尉が『不審』に思えたなら、それが見当違いであっても、まずは上官に報告するべきだった」


 あとは上官が判断すること。もちろん『剣崎の噂は噂。くだらない』と受け流されたのだろうと美祢少佐は言う。


「上官の対応として『噂だからくだらない』で止めてしまったことが悔やまれるわね。そうではなくて――。『不審なことはないか、万が一を考え調べてみる』という上層部の姿勢をはっきり示すべきだった。シドさんは、そう示せなかったことを悔いているんだと思うの」


「大佐は示していました。噂はスケープゴート。その噂の向こうに狙われている理由があると、軍人ならば気がつくべき――と。正直なところ、私自身は、総務少尉はそこまでの考えに至っていたのに……何故、惜しいことをとも感じています」

 

 だが美祢少佐は、そこでも『それは違う』と首を振った。


「いいえ。そこまでの判断で止まってしまい、他解決方法を見いだせなかった。そんな浅慮な隊員という烙印を、彼は自ら押したの。どうあっても短絡的だったの」


 どんなに考えがある程度は冷静であったとしても、対処を間違えれば、全てが『見当違いな判断ミス』とされる。少尉の暴走の結果がそれだという。


「出港前からいろいろ起きていたのは確かで、そこは上層部も慎重に調査を進めているところ。なんとか平常な状態で出港までこぎ着けた。運航も順調だった。なのに最後に、まさかの艦内感染症流行……。その圧迫感に負けて、判断力が鈍る。思考も暴走しがちになり、暴力的にもなる。これもある意味、艦内パニックね。艦長も警備隊のシドさんも、この艦内パニックが起きてしまったこと……。責任感が強い方々だから悔いているのよ」

「艦長まで……」


 たとえ自分がスケープゴートにされていて罪がなくても。やはり自分が乗艦していたから皆に迷惑がかかってるのではないか。乃愛自身もそんな心理状態に追い立てられそうだった。


 それは美祢少佐にも見透かされた。


「あなた自身が、自分は『厄女』だと思い込みはじめると、ほんとうに『厄』がくるわよ。それと、これ、秘密ね――」


 秘密ね――と意味深に小さく呟いた少佐が差し出したのは、なにかをプリントした用紙だった。


「いやよね~。御園のお遣いが最近増えちゃって、困ってるの。まあ、私、ここの艦長秘書室に配属される前は、園田秘書室、つまり御園葉月中将付の秘書官だったから、仕方ないのよねー」


 御園のお遣い!?

 陸からなにかが届いたんだと乃愛は察知した。四つ折りにされているその用紙を、乃愛はすぐに広げてみる。


「私、御園関係は見ても見ぬ振りしていることが多いの。気にしないで――」


 美祢少佐はそれだけ言うと、背を向け肩越しに手を振って立ち去っていった。


 テーブルにひとりきりになった乃愛は、そっとその用紙を開いてみる。


 美祢少佐宛に着信したネイビーメールの内容をプリントしたものだった。




美祢晴奈様

いつもお願いをして申し訳ないです。

今回は、DC隊・剣崎少尉にお届けをお願いします。


=====================



剣崎乃愛様


航海任務、ご苦労様です。

無事の航行だと聞いて安心しておりましたが、艦内にて感染症が発生したとのことで、案じております。

まだ感染はされていないとのことで、父とともに、俺自身も安堵していたところです。


ですが……。それでも案じています。

理不尽だと感じていることでしょう。

いまはまず、君の心を優先にゆっくり休んでほしいです。


あとひと頑張り。乗り越えてくれることを陸から祈って応援しています。

サーフィン、教えてくださいね。

飛行機の整備をしておこうと確認したり、父とキャンプ飯のメニューを相談している日々です。

メニューがひとつ決まりました。

マルセイユ風パエリアです。鉄の大きなパエリア鍋で調理をして、豪快にみんなで食べます。俺も大好物なんです。おこげが最高です。乃愛さんもきっと気に入ってくれると、父と話しています。

帰港したら、楽しいことをたくさんしましょう。父と準備をして待っています。

だから楽しいことだけを考えて、帰還してください。



=====================



 海人先輩からだ――!

 誰から届いたメールかひと目ではわからない。しかも締めくくりに『○○より』という送り主の記名もない。

 でも乃愛が読めば、誰から届いたのかわかる文面だった。


「先輩……。お父様まで……」


 心配してくれていたんだ。しかも、お父様と一緒に。

 さらには、帰還したら『楽しくなる準備をしているからね』と心待ちにしてくれている。

 涙がひと筋だけ、流れおちてきた。

 自分で驚いた乃愛は、すぐさま資料の間に届いた用紙を挟みこんで畳む。飲みかけのココアを片手に椅子から立ち上がり、休憩室を出る。


 自分のベッドへと戻って、カーテンを閉めて籠もった。

 そこでもう一度、資料に挟んだ手紙を開いて、何度も何度も読んだ。


 気になるのは、『理不尽なこと』という部分。

 一言で済ませているが、乃愛が襲撃されたことを葉月お母様から聞いてしまったのだろう。だが、先輩も一隊員。母親から部署外の開示されていない情報を聞かされたとは言えないから、その一言で済ませている。深く踏み込んだ内容に触らず、『帰ってきたら楽しいことを』という、家族や親族が案ずるような内容も混ぜ込んで逸らしている。


 でもその混ぜ込み内容が……。


「もう、パエリアのおこげのことしか、頭に浮かばないんだけど……」


 食いしん坊乃愛の心をくすぐる話を混ぜ込むなんて。

 もちろん、乃愛を元気にしたいという気もちで選んでくれた話題だと思う。


 でも、海人先輩からこんな案じてくれるメールが届くなんて思わなかった。御園と懇意にしている隊員を頼ってまで、こんな想いが届くなんて思わなかった……。


 心が熱くなってきて、乃愛は密かに泣いた。

 帰ったら。一番に会いに行こう。

 ごめん。お母さんより、お父さんよりも。先輩に会いたい。



 それから数日後、乃愛は無事に大河と共の業務に復帰。

 総務少尉は上陸するまでは謹慎が決定しているらしい。正式な処分は帰港後。乃愛も含めた改めての査問を行うため、警務隊へと引き渡されるようだった。


 感染症は収まり、待機期間も経過。予定より半月遅れで、ウィラード艦は新島軍港に入港許可が出る。


 無事に、帰港。今回の航海が終わった。

 乃愛は上陸準備を整えた。




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